第9話 約束

 それから数日待った。

 何度目かの強風の放課後、私は誰にも見られずこっそりと寮を出た。唸る森を早足に通り過ぎ、ぱらぱらと木の葉を叩き始めた小雨の中を旧用務員室にたどりつく。


 急いできしむ戸をこじ開け、中に入って行ってみたが、小屋の中にCはいなかった。


 中にいても落ち着かなくて小屋の前に出る。戸の前で待っていたら、小雨は次第に大粒の雨に変わり、激しい勢いで降り出した。灰色のコンクリートのたたきがみるまに雨粒にうたれて黒く染まっていく。


 それを俯いて見つめ、パーカーのフードをかぶってポケットに手を突っ込む。

Cになんて言おう。


 思えば会った初日から、この小屋のことを『秘密にしておいてほしい』とCには頼まれていたのだ。勢い込んで来たものの、それを思い返すとだんだん気持が弱ってきた。


 怒るかな。きっと怒る。


 肝試しなんて途中で止めておけば、Cの秘密基地は無事なままだった。

 でも、もしあの時森に行かなければ、Cに会うことだってなかった……。


「アキラ」


 名前を呼ぶ声と一緒に靴のつま先が目に入った。

 目を上げると、Cが立っている。雨に濡れた白いフードをかぶって、もの問いたげに少し頭を傾げていた。フードを肩に落とすと、まっすぐな長い髪が現れる。


「中に入ればよかったのに。濡れてるよ」


 そう言って指を伸ばすと私の濡れた前髪を無意識にすくいとろうとして、Cははっと手を止めた。しばらくぴたりと静止してたけど、おごそかに手を下ろすと、ポケットからハンカチを渡してくれる。私はそのハンカチを握ったまま言った。


「濡れて待ってたら怒られずにすむかもと思って」

 Cは目の前で笑う。

「何やらかした? いいよ、中で聞く」

「怒っちゃ駄目……」


 弱々しくつぶやく私の袖の端をつかみ、Cは小屋に入った。


「……で?」

 私をソファに連れていき、自分は向いの机の椅子に腰かけながらCは言った。

「何をしたの?」


 黒い瞳が静かにこちらを見据える。私はその瞳を見返して、からからになった口を開く。精一杯真剣に言った。


「誓って言えるけど、わざと話したわけじゃない。気が付いたらバレてた。……その……この小屋のことだけど」


 Cは一瞬止まり、ああ、と言って目をふせた。

「そっか」


 私は勢い込んで言葉を足す。

「説明する! ここの取り壊しが決まったんだ。ここに自殺者の幽霊が出るっていうのが噂になってて、総務部長は見過ごせないって」


 解体時期も伝えたけど、Cには途中から話が聞こえていないみたいだった。うわのそらで、どこにいるかも忘れてるみたいに見える。


「一緒に肝試しに来た子が幽霊を見たって言ったのが噂になって、それで……C? 怒ってる?」


 覗き込むと彼女ははっと気を取り直した。

「ああ。怒ってないよ。全然アキラのせいじゃないし」

「どうするの? これから」


 聞くとCは苦笑する。


「そうだね、どうしようかな。今すぐ解体されるわけじゃないしね」

「今じゃないけど……解体はされるんだよ、確実に」


 Cはきっぱり言った。


「心配しないで。いつかは起こることで、それが今だってだけ」


 Cが立ってキッチンの蛇口をひねるのを私はぼんやりと見ていた。当然水は出ない。そんなことわかってたよね? Cなりに動揺してるのかもしれない。


 私は後ろからアイスティのボトルを差し出した。ストローを挿してある。


 「いる?」


 Cは受け取って、素直にひと口飲んだ。


「それあげる。どうする?」


 もう一度私が聞くと、Cは逆に尋ね返してくる。


「アキラはどうする?」

「どうって、普通。今まで通り。訓練を続けるよ。1年後には人魚として跳ぶことになるね」

「人魚になりたい?」

「んなわけない」


 私は鼻で笑った。

「18歳になったら、脳にAIチップを埋め込んで『シスター』と同化させられる。GPSとマイク機能つき。自分のプライバシーがなくなるのに、自分から人魚になりたい奴なんかいるわきゃない」


『保護システム』には建前上、志望できることになっている。とはいえ自由意志でというよりはやむを得ない事情があるケースや、スカウトされてのケースが大半だ。


 『保護対象』となった人間はヒトの生き残れる環境や未来を創る研究か、遺伝的多様性の維持に協力する。つまり人魚ラボのような研究所に所属するか、隔離された環境でモニタリングを受けつつある程度決まった相手とマッチングさせられるかのどちらかだ。


 自由意志で辞めることもできるが、『保護対象』でなくなった瞬間に資金が断たれる。両親は子供を『保護対象』にすることで報奨金が得られる。親は保護対象となった子供とは疎遠なことが多く、資金が断たれても子が頼る先はない。自由意志なんてあってないようなものだ。


 島浦研究所も保護対象となった子供が送られる場所の1つだ。


 人魚の適性は小柄であること。両親の身長が高いと選ばれないケースもある。親の身長が高いと遺伝的に子も身長が高くなるからだ。身長が高いとサイズ的にタイムリープ用のカプセルに入れない。


 小柄さという条件からか人魚は女子ばかりだ。適性があるものはみんなここ、通称『人魚ラボ』に来る。そして、ここは行ったきり帰ってこられない実験に子供たちを送り出す場所なのだ。


 私は投げやりに言った。


「……ま、親とお偉いさんのー、お気に召すままってとこ?」

「ふーん」


 Cは天井を見上げ、ストローを齧った。


「少なくとも志望じゃないわけだ。スカウト?」

「そ。目がいいんだって」

「視力の話?」

「や、普通の人より見える光の色の種類がちょっと多くて。四色型色覚者とか言って……マーカーから出る特殊な光を認識できるから、異なる時空に設置されたマーカーも見つけやすいんじゃないかって言われててさ。マーカー見つける前にくたばりそうだけど」


 答えるとCは心なしか鋭い目でこちらを見る。


「ねえ素朴な疑問なんだけど、嫌じゃないの?」

「そんなこと言う資格ないよ。学費とか全部国費で賄われてるし。これまで人魚になる訓練以外何もしてない。そう簡単に逃げられない」

「でも、『人魚になりたくてなったわけじゃない』んだよね。そのこと親に話した?」

「話した。あのさ、2人分の生活がかかってるわけ。私と母の分。私がここにいることで支援金が出る。父とは隕石群落下の時に死別したし、母はそれで生活してるから、私が辞めたら困るわけさ。……実験うまくいくと思う?」


 半分だけ笑って言うと、Cは顔を歪めた。

「さあ、どうかな」

「ちゃんと跳べなかったら」


 私はソファに丸まり、膝に顔をうずめる。「死ぬのかな。誰も知らないところで」

ひとり言みたいにつぶやいたら、Cはかすかに眉を寄せた。


「……跳ぶの?」


 問われて顔をあげる。事前に無事に死ねなかったらね。とは言わずに私は肩をすくめる。


「しか、ないでしょ。契約破棄には違約金が発生するって母が」

「ごめん、君以外の言葉に興味ない」


 Cはぶっきらぼうに遮った。


「アキラはどうしたい?」

「そんなこと聞いてどうすんの?」

「知りたいだけ」


 端的にCは答える。私は顔を歪める。


「私は知りたくない。おためごかしはやめてくれないかな。『私がどうしたいか』なんて、誰も気にしない。重要なのはそれがどっかの誰かに都合いいかどうかだけだよ。どうしたいか? 自覚したところで叶わないなら、そんなの考えてもつらいだけなんだけど」


「そう?」


 かわいた声で尋ねるCに返す。


「そうだよ」

「叶わないかどうかはまだわからなくない?」

「あのさあ……」


 私は言いかけて口をとじた。この間の母との通話を思い出していた。


 6歳の春、ここに来た。人魚として1人前になれば、母に喜んでもらえると思っていた。そうすれば必要だと思ってもらえる。

 私の生まれた価値はそこにあり、そこにしかない。私はどこか誰も知らない場所に、私の知らない誰かの望みで跳ぶ。命を懸けて。


 でも本当は怖い。


 夏の終わりに震える指でリストバンドの通話ボタンを押した時、私はまだ夢を見ていた。


 今年最初の嵐が来た9月4日の晩に、母と3度通話をした。母と話すのは11年ぶりだった。


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『久しぶりだね、ママ。突然で悪いんだけど、大事な話があって。実は人魚をやめたいと思ってる』

『がんばってね。きっとアキラなら上手に跳べるから』

『そうじゃなくて……跳びたくないんだ、聴いてる?』

『遠泳もあるのよね、体力をつけておかなきゃ。何かおいしいものを送りましょうか』

『いらない。話聞いてた?』

『どうしてそう喧嘩腰なの? 何か送ろうかと言っただけなのに。傲慢なのね。少しくらい目がいいからって』

『あのね、ママ……いいや。ごめん、人が来たからいったん切らなきゃ。またね』


『もしもし、何度もごめん。さっきの話なんだけど』

『ああ、途中だったものね。アキラの好きなものを送るけど何がいいの?』

『何もいらない。じゃなくて……人魚をやめたいって話』

『何の話? そんな話は聞いてないわよ』

『え? だから、……』

『嘘をつくのはやめなさい』


『もしもし。聴こえる? さっき、ママ電話切っちゃったね』

『あら、電話をくれたかしら?』

『電話したよ。この通話の前に、2回電話した。大事な話だから聞いて』

『ねえ、ちょっと何言ってるのか……。何かの冗談なの? アキラ、嘘はやめて』


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 困惑する母の声を聴きながら、私はきちんと諦めることにした。


 最初から期待していたわけじゃない。もしそうなら、あらかじめ致死量ぶんの薬を買いためたりはしない。自分でもわかっていたはずだ。

 ただ、もし万に一つでも可能性があるならと思った。

 ただそれだけ。


『わかった、そうだね。何度も変なこと言ってごめんね。私は電話なんてしてなかった。これからも演習頑張るよ』


 笑ってそう言うと母は再び喜び、『もとのアキラに戻った』と言って褒めてくれた。『もとのアキラ』が誰なのか、私にはわからない。


 1年以上会っていない彼女にホログラム通話を3度もかけるのには勇気が要った。その結果は単純。


 母はいつも通りの態度で、3度とも完全に聴こえないふりをした。いいえ、彼女は『ふり』なんかしていない。きっと本当に何も聴こえなかったのだ。


 母にとって望み通りじゃない私は『アキラ』ではない。母の中に『私』はいない。これからも存在しない。だから耳には入らない。きっと目にも。『私』は要らないのだ。私の大好きな母にとって、それは無価値だから。


 志願して人魚になる人もいるのかもしれないけど、私はそうじゃない。保護対象になったのが6歳、それ以来ずっとここにいる。外の世界なんて知らない。外でなんて、きっと生きていけない。


 だけどこんなこと言っても無駄だ。誰にもわからない。きっとこの人にも聴こえない。私は少し笑った。


「自分の意志が大切なんて言ったってさ、そんなのきれいごと。自分なんて災厄でしかないよ。周りの人に迷惑なの」


 Cは床に目を落とし、黙って聴いていたが、急に言った。


「アキラ、町まで行ったことある?」

「? ……研修でなら」


 研修とは名ばかりで、人魚ラボの日帰り遠足みたいなものだった。灯台と駅の時計台を見て、タイムリープ研究の資料を集めた島浦資料館を回って、それで終わり。


 個人で行ったことはない、行こうとして止められたことならある。大昔に母と通話した後、突発的に無許可でループに乗ろうとして捕まったのだ。法務部長に大目玉を食らったっけ。


 とはいえ別に外出制限はされていないし、許可さえとればいつでも行ける。ただ、町まで行かなくても必要なものはラボで発注できるのだ。

 町といっても小さいし、これといった娯楽施設もなく、知り合いもいない。気まぐれや衝動にでも駆られない限り、行く必要もなかった。


 Cはじっとこっちを見て言う。


「一緒に行こ?」

「町まで?」


 うん、とCは頷いた。私は戸惑う。


「あのさ、ループのポイントってラボの中なんだけど、網膜認証パスなんだ。Cがラボにいるってバレる……か、乗れないよ」

「うん、バレるね。でも一度は乗れると思うな」


 Cは淡々と言った。


「……行くの?」


 うん、とCはうなずく。


「行こう」


 すでに家の中は真っ暗だった。

 ちかりと光る黒い目に見返されて、私は瞬き、戸惑い、頷く。


「いつ?」


 尋ねるとCは少し考え込むように俯いた。


「……確か……明日」

「明日か。天気予報見たけど、明日は晴れるよ。だから難しいかも」


 Cはぱっと顔を上げてほほえむ。


「そっか、ごめん。そういえば約束して会ったことないな」

「まあ……約束しても、台風来てないと私来れないし」

「難儀だよね」

「ていうか、嵐のなか町に出るの、無理なんじゃないの」

「ええっとね、できる」


 根拠もなくCは言った。私は少し黙る。頭をかいて、口をひらいた。


「……や、ループに乗ることはできるかもしれないよ。でも乗れたとして、その先どうすんの?」

「プランはある」

「どんな?」

「その都度言う」

「……わかった」


 とは言ったけど、嵐の町で観光もない。どうかしていると思ったけど、ほんの少しだけわくわくしなくもなかった。台風の日に外出許可は下りないから無許可でループに乗ることになるけど。


 私は首をかく。


「……じゃあ、次の嵐の時に?」

「行こう」


うん、とうなずいてから思った。


(あ、まずい)


人がいる。

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