第6話 嵐を待って

 ハァ、と私はため息をつく。

 結局またCは校舎裏で消えた。一瞬目を離した隙に消えた。手、つないでたんだけど?

 手のあったかい幽霊っているのかな。森から出たら成仏するとか?

 ……いや違う、あいつ絶対生きてる。生きてるなら危ないって、あんな山の小屋にいたら。


 イラつくなあ、と頬杖をつく。会いたい人間がいるにせよ、ずっと山ん中にいて会えるわけない。それとも何かあてがあるとか?

 あの小屋で待ってんの? 誰を。


 あれからすぐスズカに過去の『先輩』の名簿を見せてもらえないか頼んで寝た。早く寝なくてはいけなかった。今日は朝からプールで水泳訓練だってわかってたから。


 プールの真水は海水より身体が浮かない。プールでの水泳訓練ははっきり言って海での訓練よりもきつい。訓練後は寮に直帰で昼寝させてほしいけど、あいにくあと1時間は教室で眠気に耐えなくちゃならない。


 まだ濡れた髪が教室の空調で半分乾かされて頭のてっぺんでそよいでる。だるい、重力に負けそう。

 ものうげな空調の音が低く響く教室の中、落ち着きはらった初老の教師の声がさらなる眠気をさそう。


「2135年に巨大小惑星『ベンヌ』が地球に接近することは、ずっと前から予測されていました。しかし核爆弾による小惑星ベンヌの粉砕計画が失敗したため、惑星衝突によって地球上からニューヨークとメキシコシティが消滅。ここで問題だったのは、災厄はベンヌだけではなかった、ということです。大規模な隕石群がNASAの監視を免れて地球に近づき、相次ぎ墜落しました。当時NASAはユナイテッドステイツの国力低下により大幅に予算を削減しており、それも被害拡大の原因の1つではないかと思われます。人類の総人口は大幅に減少し、2136年に締結された生物多様性国家戦略で、人類は絶滅危惧種に指定されました。そこでヒトの絶滅の阻止を目的として、『保護対象』になることを条件に全ての費用が無償になる『保護システム』が作られた……あなたたち人魚も『保護対象』であり、保護システムの一員であることは、すでにご存知でしょう……」

 水泳訓練の後に歴史の授業を入れるなんて、寝ろと言っているようなものだ。

「島浦研究所の保護システムにおける使命は、人魚計画にあります……すなわち、異なる時空への座標マーカーの設置により、様々な時代、様々な場所への安全なアクセスを確保し、ひいてはヒト絶滅を防ぐ情報・資源の確保に繋がる道筋を作ることです。座標マーカーは必ず海に設置されるよう指定されていますが、この理由を、ユーリカさん」


 教室の斜め前の席で、当てられたユーリカが立ち上がる。テキストを棒読みする声が聴こえた。


「タイムワープの影響が周囲の環境にとって致命的になりにくく、また100年程度では周辺環境が変わらないためです」

「よろしい」


 ユーリカの茶色い髪がふわりとはずんで、元の通り椅子に座るのが見えた。教師は教室を見渡して続ける。


「島浦研究所の水泳訓練は類を見ないほど厳しい。しかし人類にとって非常に大切な使命であることを鑑み……」

 私はあとは聞いていなかった。次の遠泳訓練のことを思い出してゆううつになっていたからだ。


 7月にも遠泳があって、訓練生全員で島ノ浦からかなり離れた無人島まで泳がなくてはいけなかった。その距離、実に5キロ……未だかつて誰も脱落者がいないのが人魚ラボの伝統と誇りらしいけど、そんなのプレッシャー以外の何物でもない。


 来たる11月にもその遠泳訓練があるのだ。冗談じゃない。特殊スーツを着ていたって、きついものはきつい。


 人魚はマーカー設置のためにも泳げなくてはならない。どの時代のどの場所のどの季節に跳ぶかなんてわからない以上、どんな季節の海でも、できるだけ遠くまで。

 わかってる。わかってんだけどさ……と思いつつ、眠気に頭が頬杖からずり落ちそうになる。


 一瞬Cに初めて会った時の濡れた髪を思い出した。


(もしかして、あの時海から上がってきたばかりだった?)


「アキラ! アキラってば!」


 肩をゆすぶられて我に返った。目の前でスズカがこっちを覗き込んでる。私はついていた頬杖を外して、顔を起こす。

 いつの間にか授業は終わっていたらしい。


「ああ、……どうかした?」

「いや、さっきから3回以上呼んでるからね!? ずいぶんぼーっとしてるね!?」

「え? ああ、眠くて。調子はいいよ」


 本当に? とスズカは私の顔をしげしげ観察する。


「ならいいけどね。アキラ最近、ちょっと変だよ。あのさ、この間頼まれてた件。過去の訓練生の名簿ファイル見つかったんだ。まだ興味があるならミーティングルームまでおいで」

「本当?! 行く!!」


 立ち上がるとスズカは手を挙げて制止した。

「ちょ、待って。いったんストップ。行く前に聞いて」

 私は仕方なくもう一度腰を下ろす。

「え、なに」


 スズカは神妙な顔で言った。


「実はこのあと総務部長に呼ばれてて……なんか寮内の話を聞きたいんだって。誰かひとり連れてくるように言われてるんだけど一緒来てよ」

「やだよなんでだよ」


 スズカはともかく私は寮友会の役員でもないのに。


 総務部長には大昔、いちど寮規を破った件できつーいお説教を食らったことがある。実のとこわざわざ顔を合わせたくない。積極的にごめんこうむりたい。重ねてお断り申し上げる。


「ほかの役員を連れていけば」

「それが今ちょうど、みんな沿道の清掃に駆り出されてて。沿岸のほうの細い道、あそこ嵐で落ち葉と木の枝がめちゃくちゃに落ちてて通れないんだって。連れてくるの役員じゃなくてもいいって言われたし。名簿見たいならついででしょ?」

「え、なんで『ついで』? ミーティングルームで名簿見るんだよね? そこに総務部長も来るわけ?」

「そう。ちょうど業者さんと打ち合わせがあってその後で話したいって。今ミーティングルームで打ち合わせ中だと思うよ」

「へー……何の業者?」

 何の気なしに私は聞いた。


「それが、解体業者だって。でもさ、敷地内に古い建物なんてあった?」

 スズカは世間話のように答えたが、私は蒼白になった。古い建物、と口の中で 繰り返して立ち上がる。

「あるよ。ある」

 スズカは怪訝な顔で机に手をついたまま私の顔を見上げる。


「どこよ?」

「スズも行った」

 え、とスズカはあっけにとられて、それから固まる。


「え、まさか……?」

「そのまさかだよ。あの小屋」

 私はそれだけ言って黙った。

 

 なんで今なんだ。今まで何十年もずっと放置してたはずだ。私がCと会うようになってからいきなり取り壊す話が持ち上がるなんて、いくらなんでもタイミングがよすぎる。

 それとも偶然じゃないのかもしれない。


 椅子を蹴って教室を出る。まっすぐ上の階のミーティングルームへ走った。階段を駆け上がってくと、ちょうど書類を持って降りてくる作業服の男性がいる。

 私はすれ違いざま咄嗟に彼の袖をつかんだ。ぱしっといい音がして、ぎょっとしたような顔が振り返る。それを見上げて言った。


「解体業者の人?」


 彼はよろめきながらなんとかその場に踏みとどまった。目を白黒させつつ頷く。目算が当たった私は息もつかせず尋ねる。


「学校のどこを解体するんですか!?」

 彼は困惑しながらこう答えた。

「森の中の旧用務員室だって聞いてますけど……?」


 やっぱりだ……!!


「いつ!?」

「遅くとも3週間後には……」


 そう聞いた私は業者の作業服をつかんでいた手を力なく下ろした。彼はこっちを見ながら首をかしげつつ去っていく。スズカが後から息を切らして追いついてきて、私の肩を掴んだ。


「アキラ。あんた、やっぱり何か隠してるね? あの小屋に何かあるんでしょ?」

 私はぼうぜんと前を見つめたまま言う。

「あるけど、スズに話したって仕方がないんだよね……」

「言うねー!! とにかくおいでなさいってば」


 スズカに引きずられるままミーティングルームの前まで連れていかれた。ノックして入ると、シルバーグレイの髪の女性が奥の机から無表情にこちらを一瞥する。島浦研究所の総務部長だ。怖いし苦手なんだよな、この人……。

 でも小屋の取り壊しについて聞くのにこれ以上正確な情報源もない。


 スズカは打って変わって明るく言った。

「寮友会役員のスズカです。お話があるとか?」

「ああ、少し聞きたいことがあってね。どうぞ座って」


 プラスチックの椅子を指されてスズカはそちらへ歩み寄ろうとしたが、私は戸口に立ち止まったまま言った。


「あの、その前に少し。……小屋を取り壊すって聞いたんですけど」

「旧用務員室の件ですか?」


 総務部長はじっとこちらを見つめながら返す。総務部長のコンタクトレンズの上に無数の光の煌めきが走っていて、私と話しながらも同時に何か資料を閲覧していることがわかる。


「そうです。それ、もう決定ですか?」

「耳が早いこと。そう、話は進んでいます。それが何か」

「だって……ずっと放置してたはずです。どうして今ごろ」


 総務部長の左眉が少し上がった。


「『どうして』?」


 その鋭い声音にぎくりとした私を、スズカは危惧するような横目でちらっと見る。

 総務部長はふう、と息をついて手首のリストバンドを押した。とたんに眼の中の煌めきが消える。彼女は私を見て言った。


「実のところ、その件について話すために来てもらったのだけれどね。噂のせい、と言えばわかるでしょう」

「旧用務員室に出るっていう自殺者の幽霊の噂ですか?」


 即座に答え返すと、そう、と総務部長は頷いて言う。


「幽霊だなんて馬鹿らしい話だけれど」

 私は短く返した。

「ただの噂です」

「もちろん。ただ、噂を真に受けて立ち入り禁止区域に侵入した者がいるらしい」

「え!?」


 私は動揺して言葉を失った。確かに『肝試し』には行ったけど、でも誰にも話してない。どこから話が広まった? 誰がそんなことを?


 スズカは『あー』って顔をして、ちらとこっちを見た。小声でひそりという。

「皆に話しちゃった子がいるんだよね。『見た』って」


(あああああ)


 私は顔をこわばらせて総務部長を見たまま固まった。

 ユーリカ!? ユーリカか!? 噂の出元は。


 もしかしてこの取り壊しってある意味私のせいか? あの時『肝試し』を強行しなきゃこんな騒ぎにならなかったんじゃ? なんかそんな気がしてきた。


 総務部長はスズカに視線を向けた。

「寮内に動揺が広がってはいないかしら。心理的に不安定になっている訓練生もいるのでは?」


 スズカがちょっと固まった顔で答えた。


「えーと、目に見えての動揺とかっていうのはなくて……みんな普通に聞き流してると思います」

 総務部長はうなずきながら話を聞いていた。

「それならいいのだけれど……念のため寮友会からカウンセリングルームの利用について周知してもらえるかしら。寮のテラスにもしばらくスタッフを常駐させます」


 え。何のために……。


 寮の1階には食事ができるフードテラスがあるけれど、食事時以外はスタッフがいない。夜には照明も消えて自販機の青白い灯りだけになるのが常だ。


「……それは……訓練生の監視のためですか?」

 思わず言った私に、総務部長は冷然と言った。

「監視ではなく、見守りです。興味本位で危険な森に入る訓練生が出てはいけない。あなたたちは国からお預かりした大切な『保護対象』なのですよ。万が一のことが起きる前に対処すべきでしょう」

「でも……!」

「何か?」

 じっと見つめられて、私は口をつぐむ。手のひらに冷たい汗がにじんだ。


 待て、慌てるな、落ちつけ。まだ何か手があるはずだ。


 必死で頭を働かせる。あの『肝試し』の時、森に入る姿を監視カメラに撮られただろうか。いや、撮られてはいないはずだ。監視カメラがある場所は事前にチェックしていたし、人魚ラボの敷地内の地面を皮膚のように覆うセンサーにはひっかからないよう細心の注意を払い、スズカやユーリカにも逐一指示に従ってもらった。


 もしカメラに映っていたら、総務部長は名指しで私たち3人を呼んだはず。でも総務部長は寮友会の役員だからとスズカを呼び、あとの人選はスズカに任せた。


 つまり、私が肝試しに関わっていて、その後も小屋を訪ねていることはまだバレてはいない。肝試しに行った訓練生がいるという話も、噂だけで確たる証拠はないんだ。


 『噂には無関係の一寮生』として、監視と小屋の解体に異議を唱える方法が一つだけある。


 冷静に、と自分に言い聞かせて口を開く。


「立ち入り禁止区域に侵入した人がいるといっても……その話の出所はただの噂ですよね。『幽霊を見た』なんて話、嘘くさいじゃないですか。小屋を訪ねたという話だって本当かどうか。それも作り話じゃないんですか?」

 私は話題への疑念を装った。笑って付け足す。


「ここの生活って単調だから、みんなで怪談を持ち寄って騒ぐくらいしか娯楽がないんです。小屋がなくなったら、寮名物として後輩に引き継ぐ話のネタがなくなっちゃいますよ。それに噂に触発されて興味本位で森に入る人なんているかな? 誰もそんな怪談、いちいち真に受けませんよ。ただの暇つぶしです。単なる作り話や噂で見守りに駆り出されるスタッフさんも気の毒だし、解体費用もタダじゃないですよね。……根拠もない噂で予算を?」


 困ったように言ってみせると、総務部長は眉をしかめた。

 ああまずいな。喋りすぎたかな。


「噂の根拠は問題ではありません。前例があると聞けば、必ず真似をする者が現れるもの。事実か否かに関わらず、そのような噂の存在自体が有害なのです。ただ、貴方の意見は聞いておきましょう。噂は事実無根だと?」

「そう考えます」

 肝試しの首謀者の私は顎を上げて堂々と言った。

 総務部長は視線をスズカに投げる。スズカは完全なる無表情でそれに耐えた。

「どちらにせよ、旧用務員室の取り壊しはすでに決まったことです」


 そう言って総務部長は席を立った。私の横を通り過ぎる時、立ち止まってじっとこちらに目を据える。


「アキラ、貴方のお話はとても参考になりました。あの場所に小屋が存在していなければ、無用な噂もなくなり、森に入ろうと思う者もいなくなるはず。やはり旧宿直室は取り壊すべきですね」


 総務部長は衣ずれの音を残して扉を出ていった。

 それを見送った私はチッと舌打ちして、がしがしと首をかく。


(早くCに言わなきゃ)


「アキラ、名簿は?」

「いい、……」


 スズカに呼び止められたけど、生返事のまま足早に役員室を出る。そのまま小屋に向かおうとして非常口で立ち止まった。曇り空をドローンが飛んでる。今は行けない。

 第一なんて言えばいい? 秘密がバレた。Cは内緒にしてって頼んだのに。


 なあんであいつ端末持ってないんだよ、と頭をかきむしりたくなる。いったいリストバンドなしでどう日常過ごしてんの? 買い物も身分証明も通話もできないだろ。

 違う時代だといらないの? いや、そんなことはいい。


 事態は思ったより早く進んでる。今は嵐を待つしかなかった。


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