第3話 嘘と計画

 翌日も強風が続いた。おあつらえ向きに台風シーズンなのだ。

 夕暮れ時、私は警備が手薄になるのをいいことに寮を抜け出した。森の中の小屋に行くのだ。


 先日は先客がいたけど、今日はもういなくなったはず。また来ればいるから、なんて言ってたけど、そもそもあんな小屋、まともな人間がいつまでもいられるような場所じゃない。


 昨晩私とスズカとユーリカが踏んだ草の跡が倒れて道になっている。しばらく折れた草の跡をたどり、木立をぬけ、きりん草に囲まれた小屋を見上げた。


(あった)


 少なくとも小屋のほうは幻じゃなかった。まだ夜にならないうちに見るとそこまで不気味でもない。

 そこまで……いや、やっぱ不気味だけど。


 戸に手をかけて揺さぶる。当たり前のように開かない。渾身の力を籠めて押したり引いたりし、なんとか30センチほどの隙間を開ける。リュックを肩から下し、体を斜めにしてすべり込んだ。


 狭く短い廊下をたどり、キッチン兼リビング兼書斎とでもいうべき部屋に足を踏み入れる。とたんに私は呻いた。


「なんでいんの……」

 破れソファの上に足をのばし、顔にはふせた本をのせて、お昼寝中のCがいた。


 もしかしてもしかしなくても、昨晩ここに泊まったろ、こいつ。


 ぎしぎし今にも割れそうに鳴る床を歩いてソファの横に立っても、身じろぎもしない。風の音も相当うるさいにせよ、玄関で大きな音を立てても起きなかったんだから、よっぽど眠いんだろうな……。


 私はしげしげCを見下ろして、寝かせたままにしておこうと思った。その間に薬を取り戻す。

 それにしても本をのせたまま寝てて苦しくないのか。


 そっと本をとりのけようと頁の端を掴み、持ち上げて、息が止まりそうになった。ひたと手首を掴まれていた。


 Cは私の手首を掴んでいない方の手で本を顔からとりのけ、眠そうな目で私を見上げると、あくびをして起き上がる。手を離して、ソファの上であぐらをかいた。

「おはよう」

「……早くないけど、おはよう」

「何でいるの」

 それはこっちのせりふだ。

 私はその言葉を呑み込んで、「来ていいって言った」と返す。

「そうだった……」

 そう呟く声はしゃがれている。ひきつった顔のまま私は水のボトルを渡す。

「いる?」

「いる」

 Cは受け取った水を飲んで、いいわけのように言った。

「お昼は嵐がひどくなかったから、その時に来た」

 疑いの目で見る私に、Cはポケットから小さな袋を出して投げてくる。

「水のお返し」

 とっさに受け止めた手のひらをひらいて見ると、見慣れない包装のお菓子だ。私はそれを握ったまま言った。

「どうも。……それよりそっちこそさ、何でいるの」

 本当はそれに加えていつまでいるんだ、とも聞きたかったが、追い出したいみたいに聴こえるだろうと思ったので黙っていた。本当は追い出したかったけど。

「用事」

「何の……」

 用事も何も寝てるだけに見える。


 Cは答えなかった。ちらとこっちを見上げる。

「アキラは本を読みに?」

 そうじゃないことはわかっている、という口調だ。仕方なく私は正直に言う。

「薬を返してもらいに」

「そう」

「あのさ、心配してくれてるのは嬉しいんだけど、変に疑わないで。昨日買ったのをポケットに入れて、そのまま忘れてここに来ただけだし」

 私は笑って流れるような嘘をついた。

「だから返して」

「もっと説得力のある嘘にすればいいのに」

 小声でCは言い、私が「何?」と笑顔で見返すと、無表情な顔で「わかった、返す」と言った。


 戸棚に行って鍵を開けるのかと思って、奪い返すタイミングを見計らっていたら、Cは壁際の机の引き出しから小さな袋を出してきて私の手のひらにのせる。


「……何これ」

「ご所望の薬ですが」

「1錠しか入ってないんだけど」

「1日1錠、用法用量を守って正しくお使いください」

 Cは棒読みで言い、私は袋を手に持ち、固まった笑顔のまま立っていた。きびすを返す。

「……帰る」

 Cは私の背中に言う。

「またね」


 誰が来るか。


 こんな所まで来てとんだ無駄足だ。もう薬はラボで再発注をかければいい。  

 まだ時間はある、まだ……問題なく発注できるかわからず、発注した品が島に届くのは1か月後で、嵐の季節は1年に1度しか来ないけど。


 今年を逃したらまた来年まで待たなければならないのだ。あのひと壜がなければ、致死量には足りない。


 殺気立った足取りで倒れたきりん草を靴底に押し潰し、私は唸る風の中を歩く。

 よく考えたら、立ち入り禁止区域に泊まっているCは明らかに不法侵入者だ。ラボに通報すればすぐに立ち退かせることができるんじゃないか?


 そう思いついて木に手をかけ、足を止めた。ちょっと小屋を振り返る。

 だめだ。そうすれば私が小屋に足を運んだこともばれる。森の見張りが厳しくなったら、私もあの小屋に行けなくなる。


 あの場所でなければいけないのだ。長時間見つからずにすむだろう場所で、最低限雨風がしのげて、静かに横になれるところで、それに……。

 私は頭を振った。


 私には明確な目的がある。だけどCの『用事』って?


 用事が済めば出ていくのなら、それを手伝えばいいのでは?

 そうだ、それならお互い感情を害すこともなくすべてが終わる。

 次からそうしよう、と私は晴れやかな気分で足を早めた。それに次はもういないかもしれないしね。


  ※    ※    ※


(……いる……)


 ソファの上で足を延ばしているCを見て立ちくらみを覚え、私は柱に寄りかかる。


 Cはまだいなくなっていなかった。今回は起きていてこちらに気づくと、本をどけて笑う。

「来たんだ」

「うん……」


 私はやっと体を起こし、相変わらずほこりっぽい部屋に歩み入る。強い風がどうと吹きぬけ、家のどこかが崩れるんじゃないか、と疑うほどの轟音と共に家全体が揺れた。


 私は片耳を押え、顔をしかめた。ソファの上のCに言う。

「ちょっと寄って? そこ私の場所」

「こっちが先客なのに……」

 言いながらもCは脚を降ろしてソファの右端にずれていった。確かにCは先客かもしれないが、Cの小屋じゃない以上、私が遠慮する必要もない。


 私は左端に腰かけ、切り出すぞ、と思う。

 自らいなくなってくれない以上、Cの『用事』を手伝って早く出て行ってもらうほかないのだ。


 Cはソファに凭れて本に目を落としたまま言った。

「何か読む?」

 何か飲む? みたいに言う。私は首を横に振り、愛想よく笑って言った。

「いい。今日はCの……その、用事? 何か手伝えたらと思うんだけど」

Cはじっと私を見つめた。その目の奥に何か言いたげな真剣な光が射し、それから消える。長い間口をつぐんでいてから彼女はひとことだけ言った。


「なんで?」

「なんでって……ここに泊まってるんでしょ? こんな所に長くいたら危ないし、早く用事を終わらせたほうがいいよ」

 Cは黙っていた。

 その目からして全然信じていない。でもこれは別に嘘ではない。ここに寝泊まりするのは危険だ。私は念を押した。

「いや、ほんとの話、危ないって」

「ありがとう」

 Cは笑った。

「気持ちだけもらっておく。黙っていてくれるだけで十分だよ」

「ああそう……」

 それ以上何も言えなくなってしまった。別に本気で手伝いたいわけでもなかったし。本当Cはここに何しに来てるんだろう、と漠然とした疑問が浮かんで消える。


 外部から来たスパイ? 退屈をきわめたラボの研究員の暇つぶし? 単純に変な人?

 手首を見ても、リストバンド嵌めてないんだよね……。


 人魚ラボではリストバンドの常時着用が義務付けられているが、別にラボに限った話ではなく、街の人もつけているのが普通だ。身分証明書代わりにも日々の買い物のペイにも使う。


 ラボではリストバンドの認証がなければ開かないドアもあるし、つけていないとアラートが鳴る場所も部分的にはあるので、敷地内を出歩くだけでも迂闊には外せない。もちろん今だけ外しているのかもしれないけど、Cは前回会った時もその前もリストバンドをつけていなかった。


 考えれば考えるほどわからない。私はCが膝の上の本に白い紙をのせ、何か書いているのを見つめた。


「何、それ」

「日付」

 Cは小さな紙きれに数字だけをいくつも書き連ねていた。……日付なんか書いて何になるんだろう。


 人の薬を勝手に捨てるくらいだから事情を聞いてくるくらいはするかと思いきや何も聞いてこないし、ここまで来てほしそうなことを言っていたわりには何を話すでもないし……。


 私も自分自身、なんでここにいるのかわからなくなってきた。……あー、薬を取り戻すためだっけ?


 こんな調子じゃいつまでたっても返してもらえる気がしない。


 沈黙しているとCは手を止め、机の上の青い袋をとって開けた。藍色のキャンディを口に放り込み、もう一度メモにペンを走らせながら、左手で私にも袋をさし出す。


「いる?」

「もらう」

 私はひとつとって、自分の手のひらの上できらきらしている深い藍色の粒をじっと見つめた。

「……なんか奇抜な色してるんだけど」

「そう? 宇宙味だから」

「何それ」

 Cはギ酸エチル味だよ、と言った。

「それ毒?」

「違う。香料。宇宙飛行士の船外活動の後に、船に戻ってくるとスーツに宇宙の甘い香りがついてるんだって。ギ酸エチルの香りなんだけど、それを再現したフレイバーのあめ。原材料はマロウと香料とお砂糖。毒じゃないよ」

「別に毒でもいいけど、まずいのは勘弁してね」

 私は透明の包装を破いた。口に放り込む。ラズベリーのような人工的な香りがした。

「まずい?」

 Cはこっちを見る。私は言う。

「まずいとは言えない。『すごく』まずい」

「わりと歴史のある味なんだけど……」

「宇宙に138億年の歴史があったって、まずいもんはまずい」

「無理しなくていいよ」

 と紙を差し出され、私は受け取った。よく食べてられるな、とCを見ると、Cはあめを静かに噛み砕いていた。私は尋ねる。

「……おいしい?」

 Cは真顔で言った。

「まずい」


 なら出せばいいのに……。


 変な奴、と私はあめを捨てるついでにキッチンに立ち、水道の蛇口をひねってみる。きゅっと高い音がしたが、水滴は出てこない。古風なコンロのスイッチらしきところを押してみた。これは何の音もしない。電気も水道も来てないらしい。


 シンクはからんと乾いていた。お皿も歯ブラシも置いていない。食事はどこでとっているんだろう。頭の中に浮かんだ疑問符をそのままに、私は戸棚の引き戸を開けようとする。戸はびくとも動かない。


「開かないよ」

 Cは書きものをしながら言った。少し手を止めて、こっちを見る。私は見返して言った。

「開けて」

「あきらめて」

 即答が返ってきた。私はいらつきを隠して戸棚の前を離れた。Cの前に立つ。


「……ねえ、もう本当はお互いうんざりでしょ。薬返して? それで、お互い何も見なかったことにしようよ。この先私に何が起ころうとCの責任にはならない、それは保証する。誰も来ていないし、何も起こらなかった。それでよくない? だから返して」

「私は別にうんざりしていないけど、アキラがうんざりしているのはわかった」


 Cはメモと本を机に置いた。「でも、その戸は開かない。鍵をなくしてしまったから」

「はあ!?」

「ごめんね」

 悪びれないCはそう言った。嘘だろ。これ絶対嘘。私はCを見下ろして言った。

「信じないよ。鍵はどこ」

「海の底」

「…………」

 嘘か本当かはわからないけど、あきらめさせようとしていることはわかった。

「『帰る』?」

 Cが笑いをこらえながら首をかしげた。だいたいいつもこのタイミングで私が『帰る』と言うのを覚えていて言っているのだ。『帰れ』って?


 ぶってやろうかと思ったけど、自分の手が痛くなるだけなのでやめた。私の目的はあくまで薬を取り返すことだ。


 私は黙って戸棚に戻った。揺さぶってみる。ガラスが揺れて暴力的な音がした。反対側から開けようとする。これも開かない。

 深く呼吸して、私は自分を落ち着かせる。拳をガラスにあてる。割ればいい。


 でも、ちょっと待て。

 私は振り返った。

「1錠ずつ渡す約束は?」

 この前Cは引き出しから錠剤を取り出してきた。実際には薬はすでに戸棚の中にはなく、ほかのどこかにあるのでは?


「それについてはごめんね」

 Cは言葉少なだった。鍵をなくしたのが嘘でも本当でも、実際には薬をもっていようとも、Cはそうは口に出して言えないはずだ。私は目を細める。

「約束破るんだ」

「だから、ごめんね」

「埋め合わせは?」

 え、とCは戸惑った顔をする。私は押しつけるように言った。

「埋め合わせ。絶対にして」


 凍ったように背筋を伸ばしたまま、絶対? とおうむ返しに言い、Cはひきつった顔でソファに倒れる。

「ええー……」

「考えといて」

「ええー……ジュース10本とか」

「いらねぇ」


 倒れているCをよけてソファに座る。長い髪の毛を踏んでしまい、Cは抗議の声をあげた。

「痛い」

「ああ、ごめん」

 腰を上げると、Cは半身を起こして髪を回収した。

「よくそこまで伸ばしたね」

 何気なく言うとCは曖昧な顔をする。

「あと少ししたら切ろうと思ってる」

「そう?」

「うん」

「なんで」

 特に関心もなく聞いた。Cは自分の髪を一束掬って他人のものみたいに眺め、それから離す。

「昔の知り合いと同じ髪型だから」

「へえ……。だれ?」


 名前知らない、とCは言った。それから私を見上げ、もう一度子供みたいに笑った。

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