第5話
バイトの帰り道だった
ゆっくりとスクーターを走らせる楠本真紀の目にギターケースを持った人影が飛び込んで来た。
彼女は更にスピードを緩めると道脇にスクーターを止めてその人影をじっとみつめる・・・
あの歩き方に何だか見覚えがあるような感じがするのだが誰だろう?
そのままエンジンを切るとヘルメットを脱ぎ、シートの中に押し込むと鍵を掛けた私はその人影を探した。
日が落ちて暗くなった公園に1人で立ち寄ることはこれまで1度も無いのだがどうしても見掛けた人影が気になり公園の明るい場所を選んで歩きながら探し回った。
何だか風がギターの音色を運んで来るような感じがして音を頼りにやや足早に歩き出す!
少し歩くと小さなステージみたいな場所でギターを弾きながら歌っている男性をみつけた。
歌っているというより呟いてるといった感じで何と歌っているのか良く聴こえない・・・
段上になったコンクリートの椅子の前で立って聴いていた子犬を抱いた中年の女性に
「あそこで歌ってる人はここによく来るんですか?」
と小さな声で囁くように質問した。
「ここにはこの子を連れて毎日、散歩に来るけど久し振りに見たわねぇ」
「とっても良い曲を歌うんだけどこう寒くちゃ果たして最後まで聴いてく人が居るかしら?」
「私はもう帰るからここに座ってもいいわよ」
そう言った女性は子犬を下に降ろすとリードを引きながら立ち去って行った。
「どうもありがとう御座います」
お礼を言った私は言われた通り、そこに座った。
思ってた以上に冷たい感触をお尻に感じ、思わず腰を浮かしたが声を上げそうだった口もとを手で押さえながら今度はゆっくりと腰掛けた。
私の他に適度に散らばった形で5人、居たのだが5分も経たないうちに私1人になってしまった!
季節に合わない感じがする黄色のパーカーのフードを深く被った男性は時々、周囲を気にしながら歌っているが立ち去って行く人影を気にしている感じでは無い。
私はもうすでに思い出していた!
あの夜、死のうと決意していた私を思いとどまらせ助けてくれた恩人である彼のことを・・・
いつも持ち歩けるように首からぶら下げた手作りの小さな袋に入れたライターを両手で握り締めながら彼の歌声を目を閉じて聞き漏らさぬように聴く。
「勇気を下さい!」
「あの日はありがとうとお礼を言ってこのライターを彼に返す勇気をどうか私に下さい・・・」
自分に言い聞かせるように願うがその願いは彼の曲がすべて終わっても叶うことは無かった・・・
歌い終わった彼は立ち上がると私の方に向かって深々とお辞儀をした。
慌てて立ち上がった私は丁寧にお辞儀を返すと感謝の気持ちと心からの賞賛を込めて拍手をした!
彼は私の顔をちょっと眺めたようだがケースにギターを納めると座っていた椅子を手早くたたみもう一度、頭を下げて歩き出した。
折角、こうして会えたのに・・・
お礼の言葉さえ掛けられない自分が情けなくて去り行く彼の後ろ姿に手が痛くなるほどの拍手を送り続けた!
追い掛けなきゃ!?
今すぐに追い掛けなきゃ2度と会えないかも知れないと思いながらも涙は溢れ足は動いてくれないのだ。
後悔しながらスクーターを走らせ私は決意した!
彼が必ずどこかでギターを弾きながら歌っているのなら探し出そう・・・もう一度。
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