第60話 ある男の話⑤

 いつもと変わらなかったその日、ベッドの上で俯いているアカツキはいつもと違う足音を察知した。

 軍靴よりも音が大きく、革靴が鳴らすものよりも音が高い。近づくにつれて、ペタッペタッと聞こえたことから裸足であることがわかる。


 しかし、こんな場所に裸足で来るのは自分と同じような被験体だけだろう。

 ならば目の前にある誰もいない牢屋に入るのだろう。アカツキの牢屋の隣は壁だけであり、つい先ほど看守が固定電話と椅子の位置を変更したことから確定事項と見て間違いない。


 そしてドアが開く音が耳に入り、小銃を構えたKGB職員を先頭に研究員数名と被検体一人が姿を現した。


 その被検体の性別は女だ。

 服は自分と同じボロボロの患者衣で裸足だが、それよりも目が惹かれる一つ大きな特徴があった。

 髪だ。手入れをしていないからなのかパサパサしているが、汚れが一切ない純白の色をしているのだ。それは照明が数少ない牢屋付近でも明確に視認できるほど。染めているとも思えないそれにアカツキは少しばかり見惚れてしまう。


 牢屋の扉を研究員が開くと、その女は大人しく足を運んで中に入る。手足に枷を掛けられている時も身動きは取らなかった。

 扉の錠が閉まる甲高い音がなると、研究員たちの中にいたアンドロポフがこちらを向く。


「グズニェッツ君、退屈な君に朗報だ」


 アンドロポフたち研究員は、既にアカツキのことを被験者ナンバーとは別に名付けたコードネーム「グズニェッツ」と呼んでいた。意味は「鍛冶屋」だそうだ。物質生成と分解の能力が元だろう。個人的には「錬金術師」の意味を持つ「アルヒーミク」がよさそうなものだが。

 何がともあれ、それに関して不服感を覚えて表情に曝け出したがアンドロポフは無視し、言葉を続ける。


「お喋り相手を用意したよ。彼女の名前はラスベート。意味は『黎明れいめい』だ。彼女の能力を元にして名付けたんだが、それを聞かずとも素晴らしい名前だろう?」

「ああ、感心するよ」


 アカツキは感情の起伏をなくして発言する。

 それにしても黎明だと? 能力開発史の始まりを代表するものか何かなのか?


「まあ、暇潰しがてら彼女とお喋りしたらどうだ? 君の場合、時間に際限がないしな」

「そうするよ。脱出計画の下準備も終わってそろそろ決行しようと思っていたところだ。ティーと菓子が二人分あれば、遅らせてやってもいいが」

生憎あいにく、嗜好品が足りなくてね。菓子やティーすらも定数に満たない状況だ。余裕ができたら、考えてあげるよ」


 ハッタリだとわかりつつ、念の為にアカツキの牢屋の隅に設置されている監視カメラを一瞥する。そのままKGB職員を先頭に、研究員と共にその場を去った。

 看守が牢屋のすぐ側にいることも確認して、アカツキはその女に第一声を掛ける。


「お前、どこから来たんだ?」

「私は、日本人民、共和国、から、来まし、た」


 ベッドに腰を下ろしている彼女は、この環境にも関わらず優しい表情を浮かべながら口を開く。

 が、ロシア語が拙い。白い肌で細くも必要な肉付きをしている体型から推測するに、彼女はまだ未成年だろう。そして日本人民共和国人民なら言語系列が全く違うロシア語がここまで不自由なのも納得できる。


「わかった。日本語で話そう」

「あなた、日本語が喋れるの?」


 日本語でそう話し掛けた瞬間に相手が食い付いてきた。


「まあな。でだ、お前はどうしてこんな場所にいる? 見るからに未成年のようだが」

「能力があるって言われて、詳細を調べたいからって言われて研究所に入ったんだけど色んな所に回されて……ここはどこなの?」


 こいつ、もしかして共産党のプロパガンダを馬鹿真面目に信じてる奴なのか? そうだとしたら本物の馬鹿か共産党のプロパガンダが一般国民へそのまま伝わっているかの二択だろう。

 取り敢えず、彼女の質問に答えながら大まかな人物像を捉える。


「ソ連のカリヤだ」

「カリヤ? もしかしてエーテルがどうのこうのっていう……」

「そう。どれぐらい前か知らないが、ここで大震動が起こって国際基地の話が流れた場所だ」

「それ知ってる。確か半年、いや、それよりもっと前に」

「半年以上前……?」


 アカツキは自分が想定していた時間よりも数ヶ月長い時間閉じ込められていたようだ。その事実に少しばかり驚いてしまう。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない。ここには時計すらないからな。どれぐらい時間が経ったかわからないんだ」

「そういえば、なんであなたはここにいるの?」

「諸々あってな、半年以上ずっとここにいる」


 あまり詳しくは言わないでおく。それで自身の過去を無闇矢鱈むやみやたらに掘り下げられたら、必然的に自分を捨てたクソ野郎の話を持ち出さなければならないからだ。


「もしかして私の出自を聞くだけ聞いて自分は有耶無耶にして言わないの? 失礼な人ね」

「別に相手のことを聞いたからって自分のことを話さなきゃいけないっていうマナーはないだろ」

「それって不平等じゃない? 自分だけ赤裸々に話す立場になってみてよ」

「知らねーよ。引っ掛かった奴が悪い」

「そんなことないわ。そんなに話したくないなら、話すまで騒ぎ続けるわよ」

「どうぞご自由に」


 すると彼女は鉄格子を握り、「わー!」や「あー!」などの単調な言葉をひたすら叫び始めた。

 反響するせいで余計に耳がつんざくが、だとしてもせいぜい十数分もしたら息切れを起こしてピタリと止むだろう。


 そんな甘い見通しをつけてから二十分後。


 声量が全く衰えず、流石に我慢の限界が来ていた。ちらりと看守についているKGB職員を見ると、フェイスマスク越しに見える双眸がピクピクと痙攣している。

 だからなのか、こちらが顔を向けているのに気がつくと顎をしゃくった。黙らせろとでも命令しているだろう。


 コミュニストに指図されてやるのは癪だが、さすがにアカツキも苛立たしさと倦怠さの頂点に達していたため仕方なく従う。


「あーもういい!! わかったわかった!!」

「言ってくれるのね?」

「そうだ! で! 何が知りたい!?」

「じゃあ、あなたは何でここにいるの?」


 アカツキは本名を名乗り、イギリスにある大学の博士研究員となったところから、能力に目覚め、死亡扱いとなり、被検体となった現在まで全て話した。

 目の前の人が被検体となっていると知って、彼女もやっと自分が被検体であることを自覚したようだ。優しかった顔を下にして、無言で暗闇の未来を嘆いていた。


「おい、次は俺が質問する番だぞ」

「え?」

「俺だけ本名と能力を言うのは不平等だろ? 次はお前が答える番だ」


 余計な情報を交えて話し、相手に同様の情報と一緒に別の情報を聞き出す。そして「俺ばかり聞いてても不平等だよな」と言ってまた余計な情報を交えて会話することの繰り返し。

 そうすることで、彼女のことがわかった。


 本名は天城あましろれい。年齢は十五で去年度に義務教育を終えた未成年だ。

 生まれはごく普通の田舎の米農家であり、生活は日本人民共和国において平均的な生活だったという。性格は明るく、すぐに物事を信じるタイプだ。

 そして能力は『エーテルを何かしらの形で放出する』こと。文字通り、熱、光、化学、電気、そしてエーテルエネルギーに至るまで何かしらの形、もしくはそれらを組み合わせて放出することができる。

 能力について無知に等しいアカツキだが、エーテルを人体からそのまま放出できることから黎明と言われるのも納得できる。


 彼女の白髪についても質問すると、「あなたも頭の上が白いわよ」と言われた。

 そんな馬鹿なと言いつつ髪の毛を一本引きちぎってみると、確かに白かった。これも実験の影響なのかと、零に隠しながらも胸中は不安でいっぱいだった。




 それからお隣さんが増えたことによって、アカツキは退屈になることが少なくなった。

 アカツキと同じく零も牢屋内で実験が行われるので、苦痛が含んだ甲高い悲鳴も直に聞こえる。それが不憫で仕方なくなんとかしてやりたかったが、拘束されている身ではどうすることもできない。臍を噛む思いをしながら、ただそれから目を背けることしかできなかった。


 それに加え、実験の副作用が徐々に強くなってきた。

 血反吐を吐くようになり、体から出ようとする何かに不快感を覚えるも空嘔からえずきを繰り返すばかり。肉体の限界が近づいてきたのだろうか。




 アカツキの頭髪が完全に白一色に染まりきった頃、物語は大きく動き出す。

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