第54話 顔合わせ

 一九八六年二月十日午後七時。


 破壊工作に赴く日本皇国軍人七人は三日前に使用した作戦会議室で黙々と装備を整えていた。

 装備や道具、弾薬や食料などの消耗品は既に用意されており、各自でそれをバックパックに詰め込むだけの簡単な作業。銃器類も整備済みなので専用のケースに突っ込むだけだった。

 それを終えたら、今着ているビジネススーツから私服に着替えてその上に防寒服を羽織る。暖房が効いているこの部屋で羽織るとすぐに体中から汗が吹き出してきた。


「各員、準備はいいな?」


 今作戦のために組まれた分隊の長である阿部あべさとし大尉の元、手際よく点呼を取る。全員の準備がよしと判断し、部屋の外で待っている上官へ報告、その後は多少の待ち時間をそれぞれの過ごし方で暇を潰す。


 十分ほどで、皆が待っていた人物が作戦会議室に現れた。スーツの上にビジネスマン用防寒ジャケットを羽織った二十代のその男は、まず入り口に最も近かった水野に手を伸ばす。


「国防省公安庁第一特殊能力保持者部隊所属の藤原ふじわら真司しんじ大尉だ。よろしく」

「国防省公安庁第二特殊能力保持者部隊所属の水野晶中尉です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 水野は藤原と固く握手した。藤原はハンサムな笑顔のまま、次々と他隊員と官姓名を名乗り合いながら手を握りしめていく。


「では、始めてもよろしいですか?」

「どうぞ」

「わかりました」


 藤原は左手首に巻きつけている白銀のクォーツ時計を見て現在時刻を確認する。


「現時刻、日本時間午後七時十八分をもって作戦開始を宣言する」


 藤原は右手の親指と人差し指で空気を摘んで押し広げる。

 すると人が一人通れる程度の大きさを持つワームホールがその場に出現した。作戦説明で能力は聞いていたとはいえ、初めて見るその光景に水野は驚きが隠せずにいる。しかし、それは向こう側から流れてくる肌を突き刺すような冷気によって抑え込まれた。


 九ミリ拳銃を構えた藤原が周囲の安全を確認した後、分隊は荷物を持ってワームホールを跨いだ。

 外は夜空に煌めく明かり一つない暗闇で、場所は行きがかぶっているタイガの森の中。水野も目を凝らして周囲の驚異を確認したが、特段驚異足り得るものは視認できない。


「では、武運を祈っています」

「ありがとう」


 藤原は阿部と互いの幸運を祈ってからワームホールの向こう側へ渡る。右手の親指と人差し指でピンチインすると、ワームホールは音もなく閉じて日本皇国との物理的な繋がりが絶たれた。


「全員、武器を持て。隊列を組んで移動を開始する」


 隊員たちは九ミリ拳銃をホルスターから取り出し、遊底を引いて初弾を薬室へ送り込む。一列の隊列を組み、周囲の人や獣の足跡、人の気配に気を配りながら歩行を開始。能力者でもある水野はどのような事象にもなるべく対応できるように列の真ん中に位置していた。


 五分ほどで森の終わりが目視できた。

 阿部がハンドシグナルでここで待機するように指示を出す。荷物を全て下ろし、一人で森を出て遠くに見える一軒の民家へ向かった。隊員たちは腰を下ろし、背中合わせで周囲を警戒する。


「よし、移動するぞ」


 一分後、阿部は戻ってきて隊員たちにそう告げると荷物を持って行進を再開する。

 森を出て一軒家の扉の前まで来ると、水野にとって見覚えのある女、リザ・エンプーサがドアを開けた。


「寒いから、早く上がってよね」

「「「「「「おじゃまします」」」」」」


 早く上がるよう促す無愛想なリザの第一声にも関わらず、隊員たちは挨拶を欠かさずに家に上がる。その時、リザは水野にだけ向かってこう声を掛けた。


「あら、久しぶりね」

「おう、てっきり忘れてるもんかと思ったぞ」

「あんなに間抜けなヤポンスキーソ連における日本人の蔑称を忘れるわけないじゃない」

「うるせー黙れ」


 その後、隊員たちは運搬してきた荷物をリビングのカーペットの下に隠していた地下収納に収める。三人が二階から降りてきて、十一人全員の顔合わせが始まった。

 水野は初めて正式に対面する四人の内、リザ以外の一人と面識があることに気づく。その人物はアカツキと名乗っていたが、記憶している名簿の残る一つの名前が彼の本名フェン・エドワードなのだろうと推察した。


「じゃ、早速自己紹介をするか」


 顔合わせはアカツキが司会役を勝手に担った。


「先に言っておくが、この分隊の公用語をロシア語で頼む。阿部、構わないか?」

「…‥いいだろう」


 アカツキは分隊の中では阿部より立場が下であるはずだが、阿部は相手の力量を見極める鋭い目つきで黙って従った。


「わかった。それじゃ、それぞれ官姓名と使用言語を言ってってくれ」


 水野含めた七人が先に名乗って握手し合うと、次はこの一軒家に泊まっていた四人が順に自己紹介をする。


「名前はリザ・エンプーサ。複雑な能力だからだいぶ端折るけど、人の能力の源を刈る能力を持ってるわ。使用言語はロシア語と簡単な日本語だけ。よろしくね」

「私はアーネスト・ナランカ。オオカミになれる能力者で、使用言語はスペイン語とロシア語と簡単な日本語。短い間だけどよろしく」

「俺は船越玄蔵っていいます。不死身なだけっていう能力者で、使用言語は日本語がメインで多少の英語、ロシア語です。よろしくお願いします」

「俺の名前はフェン・エドワードっていうんだが、できればアカツキと呼んでほしい。能力者で、原子単位で物質の破壊・構築ができる。使用言語は日本語、英語、ロシア語だ。よろしく頼む」


 水野は四人が官姓名を持っていないことを疑問に思った。ならば彼らは何なのだろうと思考したが、別に探っても意味はないと考えて話に集中する。


「これで全員だな」

「いや、ここで日本皇国非公式の助っ人が一人いる」

「……なんだと?」


 阿倍は眉間をしかめた。少ないとはいえ、人を率いる分隊長として隊を崩壊させてしまうかもしれない不確定要素はなるべく避けたいのだ。そして事前に説明されていない情報は不確定要素でしかない。


朔月さつき、降りてきてくれ」

「う、うん……」


 そうアカツキが声を掛けると、階段から銀髪のショートヘアをした、ダブダブな白Tシャツと齢十六ほどの若女が現れた。その天使のような、美麗な姿に阿部を除く六人が思わず声を上げる。その声を聞いて、リザとナランカは男の欲望の正直さに呆れて嘆息する。


「……彼女は?」


 阿部は深刻な面構えで話の続きを問う。


「俺の娘だ。朔月、名前と使える言語と能力を」

「あっうん……私は天城あましろ朔月って言います。使える言葉はロシア語と簡単な日本語なら少し……で、能力が、その、よくわからないんです」

「と、言うと?」

「何でもできるんです」

「何でも?」

「はい。火を出したり、水を凍らせたり、物を作ったり大きく壊したり、力を強くしたり、傷を直したり……取り敢えず大抵のことなら」


 その言葉を聞いて四人を除いた一同、特に水野は愕然として言葉すら発せなかった。

 この世で万能な能力を持つ人類などあり得ないと半ば真理として捉えていたのだ。もし彼女の言うことが真なら、国ごとの最も強い能力者は不明だが、日本皇国はもちろん世界中でも最強と言って差し支えないはず。


「な、なるほど……それなら頼もしい限りだが、だとしてもなぜ彼女に参加させようと?」

「完全に発電所を機能不全に陥らせるためだよ。逆に聞くが、お前ら馬鹿真面目にあんな馬鹿デカい発電所をたった十一人でぶっ壊そうとしていたのか?」


 阿部ら隊員たちは押し黙った。地図を見せられた時から到底不可能だと理解していたからだ。

 広大なウラル山脈の山腹に建てられた発電所及びエーテル関連施設の敷地は膨大すぎる。発電所のみ破壊すればいいとはいえ、それに加えてエーテルの源であるスフェーリャまでの坑道を封鎖しなければならないのだ。

 しかし、それぞれを纏まった人数で攻略する時間が確保できないため二手に分かれて行動するが、それだと戦力が足りなくなる。だが、それでもやるしかないと日本皇国軍人は覚悟を決めていた。


「生き残りたいなら受け入れた方がいいとは思うが」

「……わかった。では、彼女のことを後で本国に」

「送らないでくれ」

「なぜだ? 計画の変更はなるべく本土に伝えた方がいいだろう?」

「送るとしても、現地人の協力者が得られた程度に頼む」

「その理由を教えてくれ」

「すまないが、それは口外できない」

「最低限、後で俺にだけでもいいから教えてくれ。こちらにも職務というものがある」

「……わかった。くれぐれも皇国に言うんじゃないぞ」


 七人はアカツキがなぜここまで皇国に朔月の存在が知られては困るのか。それほど皇国にとって彼女はまずい存在なのは明白だが、理由が思い当たらなかった。


 しかし、余計な思考は今は不要と判断して忘却して、朔月含めた十二人で攻勢計画の立案に尽力した。

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