第41話 影は既に達していた

 水野とケーシーが超大型戦艦『紀伊』の甲板に降り立った後、京都の拘置施設に移送され別々に拘束されていた。

 毎日朝から晩までほうれい線が露わになっている検察官に取り調べを受け続け、確証が得られるまで狭い牢屋のような一人部屋に閉じ込められていたのだ。

 しかし誘拐拘束及び生体実験を受けさせられた水野にとって、そのような環境など苦でもなかった。むしろ懐かしの日本食を三食与えられ、二色以上の物が常に視界にあるだけで幸せに感じられたのだ。




 三日後の一九八六年一月五日午前九時。

 その日もいつも通りに取調室へ同行し、取り調べを受けるものだと水野は勝手に想定していた。


 しかし部屋について数分後に姿を見せたのは検察官ではなく、若くして腹回りが出っ張っている水野の上司だった。


「い、石橋さん!?」

「おう、元気にしてたか?」

「はい。体力が減っていることが気がかりですが、元気です」

「なら良かった」


 石橋は机の向かい側にあるパイプ椅子にドカッと腰を下ろした。

 事前に打ち合わせでもしたのかと疑いたくなるほどのタイミングで、室内にいた守衛は部屋から退出する。水野は何か機密に関することでも話すのだろうかと思い、体を強張らせる。


「ちょっと仕事関連の話をするから、意識変えて聞いてくれ」


 石橋は顔色を変えずに話し始める。


「まず、お前さんはここから出ることになってる。今日から三日間の休暇が終わったら、仕事に戻ってくれ」

「ちょ、ちょっと待ってください。戦争中のこの時期に、三日も休みを頂いてしまってもいいんですか?」

「アホ、お前は社畜か。あの環境から逃げてきても休みたくないって言う方がおかしいぞ。三日ぐらい羽伸ばしてから仕事に戻れ」

「は、はい……」

「続けるぞ」


 石橋は腕を組み、パイプ椅子の背もたれに寄り掛かる。


「お前には子守をして欲しいんだ」

「こ、子守、ですか?」


 水野は以前『幼女を盗撮しろ』と言われた時と同様の腑抜けたものを感じた。


「そう、子守だ」


 石橋ははっきりと繰り返して言う。


「そ、それは他の部署がやるべきなのでは……」

「適した人材がいないんだそうだ。当分の間、公安庁うちで面倒を見る。まあ、リハビリ代わりに相手してこい」

「は、はぁ……わかりました……」


 子守に適した人材もクソもないだろうと思いながら、水野は仕事だと思い渋々引き受ける。


「でだ、今から言うことは心して聞け」


 石破は声を引き締めて、組んでた両腕を机の上に乗せる。背中を起こして上半身を立たせるほどの気合の入れ方を、水野は職場でもそうそう見かけなかった。

 同時に声色と動きから事の重大さを察し、同様に両手を膝の上に置いて背筋を伸ばす。


「実は……だな……」

「は、はい……」


 固唾を飲み込む音が部屋に響き渡る。

 石橋は体が動くほど大きな深呼吸を行い、腹を括って口を開けた。



「お前の妹が殺された」



 水野は両目を無意識に広げる。頭の中がホワイトアウトに包まれ、その言葉を聞く前に飛び交っていた無数の憶測が全て吹き飛んだ。


「……は……??」

「……続けるぞ」


 石破は水野の気持ちを推し量りながらも、早急に今押し掛かっている重圧から逃れるために語句を選びながら話を早める。


「日時はお前が誘拐された十二月二十九日の午後九時半。看護師が点滴を取り換えに来たところ、遺体が見つかったそうだ」


 石橋はひなたの遺体状況の明言は避けた。

 水野は無言のまま石破を見つめていたが、無意識にゆっくりと目線を落とす。その目はどこまでも奥深くの深黒を覗いており、焦点が延々と定まらない。


「……なんで……なんでなんだよ……何も……何も悪いことはやってないじゃないか……」


 しかし次第に受け止められない事実を強制的に目の当たりにされ、絶え間なく動揺する両目から一滴の涙が零れ落ちる。

 それが引き金となり、何粒もの涙を溢れ出させた。


「……いるか?」


 石橋がポケットから水色のタオルを手渡す。

 しかし水野にそのような気遣いなど眼中になかった。


「……犯人は既に特定できている」


 石橋はビジネススーツの胸ポケットから一枚の写真を机の上に滑らせた。

 水野は滲んでいる視界を精一杯矯正し、無理やり前を向いてその人物を目に映す。


 写真に写っていたのは、糊の利いたスーツを着る一人の男──天野四郎だった。




 一九八五年十二月二十九日午後九時三十二分。


 水野ひなたは今日も変わらず寝たきりの状態にあった。体へ点滴と尿管の細い管が手を伸ばしており、定期的に栄養補給と排泄を補助している以外、部屋に明確な物理現象は起きていない。

 静寂のみに包まれたその空間を、天井の非常用ライトが照らしているだけだった。


 するとスライド式のドアが音を立てずに開き、ビジネススーツを着た天野が黒いホッケーバックを担いで入室する。ゆっくりと閉扉した後、そっとつまみを握って施錠。


「寝てるだけで養ってもらえるとは、いい身分だな」


 嫌味を吐きながらひなたのベッドの傍まで歩み寄った。

 ホッケーバックから木製の鞘に収められた刃渡りが長い日本刀を、静かに取り出す。

 ゆっくり引き抜くと、僅かなライトの光を反射して白刃が光り輝く。


 ホッケーバックを床に放り投げ、両手を構えて狙いを定める。

 一呼吸置いた後、両腕を大きく振り上げる。



 そして首筋目掛けて力強く振り下ろした。

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