第26話 後を追う

 リザと片腕を失った玄蔵は、アカツキとリザが侵入した研究所の管理室にいた。


 管理室には兵士たちの待機場所の他に小さな休憩スペースが併設されていて、テーブルには先ほどまでソ連で最もポピュラーなトランプゲーム『ドゥラーク』をしていた形跡がある。大半の兵士は既に侵入者への対応で出払っていて、この部屋に残っていた者は全員ナランカのM3サブマシンガンで掃射されていた。

 壁に備え付けられている八つの画面には、監視カメラから送られてきた映像が十秒ごとに順番で表示されている。送られてくる映像のほとんどはアカツキとナランカに殺された死体と黒血くろちが付着している廊下や実験室、階段の踊り場であり、生き残っているごく僅かな人間が時偶ときたま映り込むだけだ。


 そしてなぜ、二人が管理室にいるのか。それはアカツキとナランカへ何度も無線で応答を願うも、何も返してくれなかったのが理由だった。無線機の性能を鑑みても再集合地点の距離でも問題なく繋がるはず。だとしたら、部屋の壁に貼られていた研究所の内部構造から考えて、この建物の地下にいるか、既に死んでいるかの二択だった。

 それを効率よく探るために、二人は管理室にいるのだ。


 リザは絶え間なく変わり続ける監視カメラの映像を見ていたが、項垂れている死体が散乱している光景しか映らなかった。見逃した映像の中にいたかも知れないが、オオカミの亜人姿であるナランカと白髪のアカツキがいるかどうかは瞬時に見てもわかる。


「玄蔵、終わった?」

「ああ、あとはタイマー動かすだけだ」


 右腕の出血が止まった玄蔵は、管理室の壁際に残った片手でC4爆弾を全て設置し終えた。部屋の壁掛け時計を確認すると、変電施設に設置した爆弾のタイムリミットが二十分を切っている。玄蔵は二十分に合わせてカウントダウンを開始した。


 そしてリザと一緒に映像を食い入るように見る。

 また一斉に監視カメラの映像が変わった。その中の一つ、『特別収容室廊下─五』の監視カメラは白煙が充満している光景を映していた。ただそれだけだったが、他の映像とは明らかに違うのは一目瞭然だ。

 煙から人影が見えたかと思うと、白髪と白衣に血痕がこびり付いているアカツキの背中が現れた。動きは監視カメラ越しでも理解できるほど疲労しており、ゼェゼェと言っているのが大きく動く背中から容易に想像できる。


「あ、アカツ」

「あっいた!!」


 リザの声を遮る声量で、玄蔵は無意識に大声を上げた。指を指している画面をリザは目を見開いて確認する。

 医薬品類が入った棚が奥にあり、手前の左隅には消毒液や脱脂綿が乗っている白いテーブルが置かれていた。そして右奥のベッドで中年の医師は看護師と共に銃創を覆うように包帯をぐるぐると巻いている。映像の右下に小さな白色の文字で『医務室』と書かれていた。


「場所は医務室か。行くぞ!」


 玄蔵がショルダーバッグからAK-47を取り出して弾倉を差し込み、安全装置のレバーを下げる。弾丸を薬室に送るために、銃床を腹筋に押し付けて支えながら槓桿こうかんを引く。


 突然、建物は小さな鈍い爆音と微細な振動に見舞われる。


「何だよ!? 地震!?」

「いや、音も聞こえたから地震の可能性は低そうね。にしても、何で?」


 監視カメラに何か手掛かりがあるかもしれないと思い確認するが、既に映す監視カメラは変更されていた。

 リザはアカツキが応答してくれるかもしれないと思い、駄目押しでもう一度無線を使う。しかし、結果は無反応だった。


「駄目ね。アカツキ、無線機も通じない」

「まったく、どこにいるんだアイツは……」

「なんか特別収容室? の廊下にいるらしいわよ」

「え、なんで?」

「監視カメラに映ってたの。それであんたに伝えようとしたけど、先に『あっいた!!』とか大声で言うから」

「そ、それはどうしようもなくないか?」

「あんたが大声出さなければ良かった話。これから気を付けることね」

「えぇ……で、どうするんだ?」


 リザは目を閉じて精神を落ち着かせ、何が最善の手なのかを考える。


 ナランカは現在医務室で治療されている。そのまま連れ去って捕虜にすることは、生き残っている兵士の予想数からしてそこまで考えられなかった。少しだけなら、現状は放っておいても大丈夫だろう。

 問題はアカツキである。現在何者かと戦っていると思われて、かつ自分と肩を並べるほどの強さを持つアカツキが満身創痍の状態で戦っているのだ。そちらの救出するのが先なのは明白だった。


 壁に掛けられている建物の断面図を見て、特別収容室の位置を確認する。研究所の略図が永久凍土の上に書かれており、二つのエレベーターを示す道が建物の下に伸びていた。四階建ての研究所が小さく見えるくらいに、とても長く。


 それだとエレベーターで向かってアカツキの助太刀をしてナランカを連れて帰還しようとしても、その間にソ連軍がここを制圧しに来る懸念があった。圏外であるこの地域だが、流石に周辺と連絡を持たせない状況はまずいため、連絡施設が管理室にあるはずだ。日本皇国が渡してきた情報に建物の内部構造はなかったので、アカツキはぶっつけ本番で真っ先に連絡室を叩くように指示をしていた。

 実際、ナランカが早期に管理室を発見して通信機器類を破壊していたが、ソ連軍への報告は止められなかった。そしてリザたちは後からこの建物に侵入してきたため、援軍が呼ばれたかどうか推し量る術はない。もし呼び掛ける前に破壊されていたとしても、同じ敷地内にはここの労働者たちが宿泊しているブレジネフカがある。向こうにも周囲へ連絡する手段はあるだろうが、いくら破壊工作と言えども非戦闘員への武力行使は極力禁じられていた。


 だとすると、答えは一つしかない。リザは大きく息を吸い込んで、簡潔に命令を下す。


「玄蔵はナランカを回収して車に戻ってそのまま待機! 私はアカツキの所に行って任務完了を伝えてくる!」

「……了解!」


 玄蔵は空になったショルダーバッグを捨てて、先に部屋を出る。それに続くようにリザも退出し、それぞれの目的地へ全力で駆けた。




 玄蔵は五分も掛からずに、一階にある医務室へ着いた。


 ドアの傍の壁に背中を張り付かせて息を潜める。片手でAK-47を構え、適当に頭の中でカウントを始める。

「ゼロ」と脳内に浮かべた瞬間、玄蔵はドアノブを肘で倒して突入し、室内を隈無くまなく銃口でなぞった。


 医務室の中は清潔に保たれている。複数の簡素な椅子が一カ所に置かれており、侵入者に怯えている看護婦が雑談で気を紛らわしながら座っていた。部屋の奥では医師が年配の看護師と一緒に不安げな顔で何か話していた。

 三つあるベッドの中で一つだけがカーテンに覆われている。玄蔵はそこに目星を付けた。


「あの中に誰が入ってる?」


 玄蔵は鈍く黒光る銃口を医師に向ける。


「じゅ、銃で撃たれた女を寝かせている」

「早くこっちへもってこい」


 青ざめた医師はカーテンを捲って入る。程なくして、病院服を着ているナランカを横抱きで抱えて玄蔵に歩み寄って来た。玄蔵は銃を脇に挟んでナランカを片手で受け取り、左肩に乗せて銃を持ち直す。


 そのまま急いで研究所を脱出し、敷地外に停車させているモスクヴィッチまで全力疾走した。




「ハアッ、ハアッ、ハァッ──」


 玄蔵は暗闇のタイガの中、白息しらいきを出しながら喘いでいた。

 ナランカを軽く雪が積もったボンネットの上に置き、銃を放り捨てて後方ドアを開ける。ナランカを片腕で抱えて後部座席に寝かせて冷えた車内で風邪を引かないように毛布を二枚被せた。


 ドアを閉めて一息つこうと、玄蔵が助手席へ乗り込もうとする。



 突然、体を震えさせるほどの爆発音と地響きがタイガの森に起こった。それに驚いた鳥たちが羽撃はばたいて空に上がり、郡鳥となって退避する。

 もしやと思い発電所の方へ目を向ける。球状の淡緑色と、もうもうと立ち昇っている黒煙が、タイガの隙間から少しだけ観察することができた。



 玄蔵は開いた口が塞がらなかった。黒煙は玄蔵が設置した爆弾が元ではあるが、淡緑色の何かは考え付かなかった。

 アカツキとリザなら大丈夫だと思い大人しくしようとしたが、居てもたっても居られなくなった。AK-47を拾ってRPG-18対戦車擲弾発射器を荷台から引っ張り出し、爆発地点へ向かって駆け出した。

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