第25話 取り付き魔
電圧室にいる玄蔵は片方のショルダーバッグに入っていたC4爆弾の設置を終えた。配線を次々と接続してタイマーに集約させ、三十分のカウントダウンを開始する。
その時になって、発電所所属の護衛能力者セルゲイ・マルコヴィチ・コヴリーズヌィフは侵入者の玄蔵を発見する。自身は壁に背を合わせてドアの傍に待機しており、両手で握っているマカロフ拳銃の銃口は下を向いていた。
セルゲイは敵が背を向けている今がチャンスだと察し、電圧室へ静かに入り込む。
玄蔵が立ち上がろうとしたその時、忍び寄ったセルゲイに首を絞められる。
「ガッ! クッ!」
玄蔵は巨体を利用して暴れ回るが
セルゲイは玄蔵を仰向けに寝転がせて右掌を玄蔵の額に触れる。
するとセルゲイの常装を置き去りにし、体がスライム状に変質して玄蔵に吸収される。間もなく、乗っ取られた玄蔵は目をパッチリと開けた。
「……身体の異常はないな」
玄蔵の記憶を手早く探って人格を確認する。セルゲイが玄蔵を演じるのに必要なのだ。
次に、玄蔵が仕掛けた時限爆弾のタイマーの阻止に向かうとする。
赤と青のゴムに包まれた銅線が束状になってC4爆弾に繋がっている。早速銅線を切断しようとするが、玄蔵のショルダーバッグを漁っても刃物は出てこなかった。爆破するまでまだ猶予はあるので一旦切断を諦める。
玄蔵はまだ爆弾が残っている方のショルダーバッグを背負ってリザを探し始めた。
数分後、死体が散乱する廊下の途中で、同期であるザック・レナートヴィチ・アントノフがリザを巻き付けている様子を廊下の角越しに発見する。
ここで傍観を決め込んでもいい。しかし、少しだけリザの手助けをしてどちらに転んでも大丈夫なようにするのも悪くないと考える。
小考した結果、ザックを軽く殴るだけにした。そうすればあいつも理解してくれるとセルゲイは信じる。
乗っ取られた玄蔵はわざと大きめな足音を立て後方から接近した。
「おらぁ!」
握り拳を作り、ザックの後頭部を弱めに殴った。
ザックは敵意の目を向けるが、すぐにセルゲイだと判断して玄蔵の体を割れた腹筋に蛇で突いて飛ばす。
その
そして今、リザの先導に従って玄蔵は廊下を走っている。
廊下には武装したままの兵士たちが居眠りをしているように死体として横たわっていた。一瞬不審に思ったが、リザの片手に持っている鎌で殺ったのだろうと現像の記憶から推測する。
しかし、リザと走っている最中で建物の構造を知っているセルゲイはある懸念を抱く。
リザは建物の出口へ向かっていない。むしろセルゲイから距離を取ろうと入り組んだ廊下を突き放すような速度で走り回っているのだ。引き剥がされまいと必死に足を動かすが、確実に距離は大きくなっている。こちらが体を乗っ取っていることがバレていると疑うが自分に心当たりなかった。
遠くにいたリザが消えた左の曲がり角を曲がる。
しかしその先にリザはいなかった。
「どこに行ったんだ?」
その先のT字の曲がり角を見るが右にも左にもリザの姿はない。
セルゲイは見失ったと確信した。不審者のように自分の周りをキョロキョロと見渡す。
「やっとあんたの後ろに来れた」
真後ろからリザの声が耳に入った。
驚いて振り向こうとするが、鎌が首筋に添えられているのを感覚だけで理解して硬直する。
「お、お前、なんで仲間にそんな物騒なものを当ててるんだよ?」
「あんたのこと、あの女たらしを殴る前から怪しいと思ってたのよ。だってソウルが二重になって見えたもん」
セルゲイは何とか玄蔵を演じようとするが、リザは無視して淡々と答える。
リザの視界には、鎌を首に添えられて怯えている玄蔵の頭上に二つの異なるソウルが重なって見えていた。
ソウルは一人一個までという大原則が存在する。電圧室に置いていく前の玄蔵もそうだった。しかしあの蛇男を殴った時からソウルは二つに増えていたので、玄蔵に誰かに張り付かれているか隠れているかの二択だと推測していた。
そこで距離を離して後方に周り、玄蔵を尋問する。別に傷を負わせてしまっても玄蔵自身は死なないので、閉口するなら体を細切れにしてでも聞き出せばいい。
「……それで? こいつごと殺すのかい?」
セルゲイは偽装を諦めて相手の情が厚いことに賭ける。
「そうしたいところだけど、そう言う訳にもいかないからね。これで勘弁してあげるわ」
リザは包丁で肉を切るように素早く玄蔵の右腕を切り落とした。二の腕から下の右腕がぼとりと落ち、断面から紅血が滲んで滴る。
「ああああああああああ!!」
鼓膜を突き破るような断末魔が廊下に響き渡った。リザは思わず首を竦めて両手で耳を抑える。
尻餅をついたのと同時に、裸体のセルゲイが玄蔵の頭から分裂するようにして姿を現した。セルゲイも玄蔵と同様にちょろちょろと断面から漏出する右腕の残りを握りながら涙目で絶叫する。
「俺のっ!! 俺の右腕があああああ!!」
「あああああああああいてええええええええ!!」
「まったく、男のくせにだらしない」
そう言うと、リザは硬質化した鎌を首に振るって男の人生の幕引きを担った。
男の
「ああああああああ!! クッソいてええええよおおおおおおお!!」
「何あんたも泣いているのよ。何度も食らってる身でしょ。ほら、さっさと荷物を背負いなさい!」
泣き喚く玄蔵を無理やり立たせてショルダーバッグを背負わせる。玄蔵は女子高生程度のリザが自分を生き地獄にさせている悪魔の張本人に見えた。
「ナランカたちはどうなってるのかな」
リザは胸辺りに装着していた無線機の送信ボタンを押してナランカへ呼びかける。
しかし答えは帰ってこなかった。
オオカミとの亜人姿に変身したナランカは灰色の建物に侵入した後、アカツキと別れて内部を荒らし回っていた。
中を駆け抜けている途中、資料保管室や薬品が並べられている実験室が目に映ったのでこの建物は研究所だと推し測る。道中に出会った武装している兵士にはM3サブマシンガンで鉛玉を撃ち込んで排除した。
そして今、その殺してきた奴らとは別の職種の人間と対峙していた。
髪は癖毛の群青色で身長は170センチ後半。見た目の年齢は若く、右目には黒い眼帯を付けていることを除いたら爽やかな青少年という言葉が第一印象にぴったりと当て嵌まった。白衣の下にはYシャツに黒いスラックスを履いているのでこの研究所の研究員に違いないだろう。
ナランカはその男と鉢合わせしてから硝煙が微かに立ち昇る銃口を向けて、相手の出方を伺っている。ナランカ自身、闇雲に引き金を引いて人を殺めたくなかった。できるなら両手両足と口を縛り、この辺に放置して先を進みたいのだ。
しかし命を握られている男は笑顔のまま、黒い瞳の隻眼で相手が殺しを好まないことを冷静に推察していた。
「おやおや、どうしてこんなところに銃を背負った二足歩行のオオカミが紛れ込んでいるのかな?」
男は敵意を見せないように口を開いた。しかしナランカは構えを緩ませない。
「それに荷物を背負ってるなんて、とても利口なオオカミだね。怖がらないでこっちにおいで」
男はこっちに来るように手を招いても無意味だった。
ここまで銃口を向けていて、ナランカは助けが来るまでの時間稼ぎをされているのではと考える。なら多少気分が悪くなるとしてもこの男を殺した方が早い。M3サブマシンガンのアイアンサイトを男の胴体に重ね直す。
「しょうがないなぁ、こっちから近づかないとダメなのかい?」
耐えきれなくなった男は最初の一歩を踏み出す。それと連動するようにナランカは引き金にかけている人差し指に力を入れた。
直後に三十発の・四五ACP弾が銃口から発火炎と共に射出され、男の肌を破って突き進み、内蔵をズタズタにして貫通することなく血肉に挟まれて残る。硝煙が立ち上る銃口を下ろして銃創から流れ出る鮮血で作られた水溜りの上を超え、ナランカは廊下を駆け回ってこれを繰り返す。
はずだった。
「危ないじゃないか〜、人に向けて銃を撃つなんて」
そう注意する男の眼前では、弾頭が宙で動きを止めている。足元や胴体に散らばっている弾頭も同じだった。
ナランカ自身も、銃を構えた態勢から一ミリも動けなかった。顔も目も動かせず、ただただ心の中で困惑する。
「どう? 驚いたでしょ?」
弾頭が支えを失って廊下に落下し、男の足元に散らばった。蛍光灯の光で金属光沢が煌めく鉛玉を超えてナランカへ歩み寄り、マジックのタネを言いたげな顔で周りをぐるぐると回る。ナランカはどうにかして動こうと全身の力を入れるが振動すら起こすことは不可能だった。
そして男は勝手に自分の能力を喋り始める。
「僕の能力は運動している物体の運動を止めたり後押ししたりすることさ。ダーツの矢から人、大きい岩石程度までならね。だから、こんな事もできるんだよ」
男は言葉を切ると白衣からマカロフ拳銃を取り出した。ナランカはその行動に殺されると思い
男は躊躇うことなくナランカに銃口を向けて引き金を引く。
単発の銃声が廊下に轟いて耳の中で反響する。
男は同様にナランカの周囲に二発撃ち込む。ナランカにとって発砲音は自分の死が近づいてきている証拠であり、目を瞑りたくなったが
「僕が能力を使うのを止めたら、何事もなくぽとりと落ちる。けど、進むエネルギーだけをゼロに限りなく近くして弾の回転だけをさせることもできるんだよ。そして発射も自由自在。こんな風にね」
回転数を上げた弾を食らったらどうなるかのシミュレーションがナランカの脳裏を過る。
男はマカロフ拳銃を左手に預けて親指と中指で指をパチンと鳴らす。
同時に超回転した弾丸が発射されて、ナランカの体内をいとも簡単に抉りながら貫通し、壁に深くめり込んだ。ナランカはM3サブマシンガンを手放して膝から崩れ落ちるように倒れる。
「この様に、弾は絶大な威力を持って標的を仕留める。大丈夫、致命傷は避けたから」
男は人に戻ったナランカの装備品を全て外して肩に担び、そのまま医務室へ足を運んだ。
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