第16話 次のステップへ
リザは〇・七五坪の風呂に肩まで深々と浸かっていた。最初は熱々だったラベンダーの炭酸入浴剤入りのお湯も少しだけぬるくなっている。
「あ〜、そろそろ上がらないと、
ふらつく足取りでゆっくりと立ち上がった。スラリと細く透き通る白い体躯と美形の顔が赤く火照っている。
洗面所に立ち、冷えた空気でクールダウンする。バスタオルで体から水分を丁寧に拭き取り、目の粗いコームで髪の絡まりを解く。大きめのタオルを一枚取り、頭全体をマッサージするように優しく拭き取った。その場にタオルを放り捨て、洗面台の前に立ってトリートメントをしっかりと髪に塗り込ませる。そして淡いピンク色のドライヤーを手に取って髪を乾燥させた。
乾燥させた後はピンク色のレディースパジャマをノーパンで着用する。裸足のまま洗面所の扉を開けてリビングに出た。
新潟の山中にアカツキが建てた半地下アジトのリビングはとても質素だ。断熱材まで建築する余裕はなかったので、エアコンをガンガン効かせている。発電所からの電気は通ってないので発電機を使うが、それに使う燃料もアカツキが生成するから実質使い放題である。
リビングのカウンターキッチンの傍らには食事をする木製のテーブル一台と椅子が四脚あり、カラーテレビがセメント剥き出しの壁側に直置きされている。テレビから少し間を開けた所には大きなソファーが一台あるが、今は百九十センチの身長を誇る玄蔵が寝転んで漫画を読み
「玄蔵。アカツキに頼まれたアレ、そろそろ盗りに行った方がいいんじゃない?」
そろそろ仕事をしなければいけないと自覚していたリザはアカツキから不在の間に頼まれたことをやろうと玄蔵に提案する。リザはカウンターキッチンにあるソーダ味のアイスを冷蔵庫から取り出した。
「そうだなぁ、いつ行く?」
「明日」
「明日ぁ? さすがに急じゃないか?」
玄蔵は見ていた漫画を閉じて割れている腹筋の上に置く。
「何言ってんのよ。パパっと終わらせて、早くグータラしましょうよ」
「リザ〜、風呂上っ……てんじゃん。何話しているの?」
ナランカがスリッパをペタペタと鳴らしながらリビングと各々の部屋へ続く廊下の間にある扉を開けてリザと現像の所へ来た。
「明日の予定について話していたところ」
「アカツキに頼まれたやつを、リザは明日行きたいんだってよ」
「へー、いいじゃん。明日行こうよ」
「はい、多数決で決定。玄蔵、明日行くわよ」
「お前もそっち派かよ。わかった。じゃあ車の点検は俺が風呂入った後にでも……」
玄蔵は腹に置いた漫画に手を伸ばす。
「あなたナランカが出てくるまで暇でしょ? 怠いやら何やら考える時間があったらさっさと点検しなさい」
「いやでも、俺はゆっく」
「いいわね?」
リザはドスを効かせた声で玄蔵に確認する。
「……はい。わかりました」
玄蔵は憂鬱な気持ちで
東京エーテル応用開発研究所は都市から離れた八王子の森に存在する。研究所と言っても主な研究内容が兵器関連のため、国防省の施設が立ち並んでいた。なので開けた土地が多く研究棟や宿泊棟の他に陸軍の極秘司令部が地下に存在している。
その研究所で他の研究員と同じくYシャツに白衣姿のアカツキが廊下を歩いていた。この時の潜入で怪しまれないように今だけ純白の髪を黒に染めている。
他の研究員とすれ違う時、相手が何か思案してアカツキを眼中に収めていなかったのか、それとも自分の不注意からか、肩をぶつけてしまった。
「おっと、すいません」
「チッ、気をつけろ!」
研究員は謝ったアカツキに吐き捨てるように言う。自分も散々経験してきたので特に突っ掛からずスルーする。
そのまま歩いて階段を下りて地下廊下の突き当りにある資料保管室の入り口に着いた。白い机が床と壁に繋がっていてその上には業務連絡用の固定電話が置かれているだけだ。
「身分証明書を」
一人しかいない武装した兵士がアカツキに身分証明書の提示を求める。
「はいはい、身分証明書ね」
アカツキはグリップ型のガス発射装置を白衣からさりげなく出す。
そのまま相手の顔に目掛けて噴射した。白煙の催涙ガスが噴出し兵士の顔が包まれる。
「うえっ! ゲホゲホっ! おいきさ…ま…何……ぉ……」
「悪いな。少しだけ寝ててくれ」
アカツキは周囲にある監視カメラを確認する。天井に張り付いている一機を捕捉し、跳躍して素手で分解。ついでに警備員の持っていたAKS-74Uと装備を塵にした。
両手を白衣で軽く払ったアカツキは資料保管室のスライド式の堅牢なドアに触れる。しかしドアは対能力素材で作られていてびくともしなかった。
「やっぱそうだよなぁ……」
右手を開いてC4爆弾と起爆装置一式を生成する。手早くドアに設置してコードを伸ばし、最寄りの曲がり角に屈んで退避。
頭の中でカウンドダウンを呟き、「ゼロ」と同時にボタンを押し込む。
すると耳鳴りが起きるほどの炸裂音が廊下に響き渡った。塵と灰煙が角から飛び出して急速に速度を落とし、埃を廊下に漂わせる。
アカツキが身を乗り出して灰煙の向こう側を確認する。目論見通りドアが資料保管室の中に吹っ飛んでいたが、爆薬が多すぎたために吹っ飛んだドアが幾つかの棚を押し倒していた。駆け足で入室して監視カメラの有無を確認する。
「マジかよ、監視カメラが一つもじゃん。ソ連も日本も、東側は腐ってるねぇ」
アカツキは資料棚に駆け寄りながらトートバックを生成し、手当り次第に紙の資料を詰め込む。
二つ目のトートバックがパンパンになった時、爆弾の損傷を免れた固定電話の呼び出し音が廊下に鳴り渡る。監視カメラの異常に気が付いた兵士が電話を寄越してきたのだ。
「全く、人の動きだけは一丁前だな」
付近の部屋の壁を分解して地層を掘り抜き、一人分が待機できる程度の空間を確保する。
「……れているところはもうそろそろだ。気を引き締めろ」
「チッ、もう来たか」
アカツキはバックを先ほどの空間に投げ入れた。摘み食いの感覚で最寄りの棚から資料を少しくすねて入り口を壁と区別がつかないように能力で穴埋めする。
「さて、ここから地上までは……」
アカツキは事前に暗記していた地図を立体的に思い出す。そしてモグラのように這い上がりながら敷地外の鬱蒼とした森林に顔を出した。
ソ連の秘密都市スヴェトリに存在するスヴェトリ・エーテル開発応用研究所の所長室には光が全く存在しない。それは単に停電や点け忘れなどではなく、所長自ら望んだことだ。
室内の家具は中央奥の執務机に部屋の端にある黒革の回転椅子が一脚、接待用のソファー二台にテーブルが一台、そして数個のガラス扉の本棚が適当な所に置かれている点からして他の執務室とそう大差ない。
「……わかった。こちらから伝えておく」
白衣を着た長い黒髪の女は執務机の固定電話の受話器を手荒く落とす。車椅子の背もたれに寄り掛かって深々とため息をついた。
電話先の要件は新潟の研究所に譲渡したエーテルに関することだった。エーテルが何者かに盗まれてしまったらしい。
ソ連東部に位置するこの研究所でエーテルは貴重な試料だ。エーテルを唯一産出しているカリヤ鉱山はずっと西にあるウラル山脈に存在する。ソ連国内だから安価で受け取ることは可能だが国外は違う。
先述した通り、カリヤ鉱山でしかエーテルは産出されない。しかも取れる量には限りがある。そしてエーテルは現在判明しているあらゆるエネルギーに変換可能なのだ。実際、ソ連国内の電力も大体はエーテルによって賄われている。人が能力使用に消費するエネルギー源もスフェーリャから空間を超越して流れているエーテルを変換して出現していることが研究によって判明している。
そして大抵の物質に流すと永久保持性を付与する。錆びず、折れず、変形変質もしない性質がエーテルを流すだけで手に入れられるのだ。もちろん、流すのを止めてしまえば物質本来の性質を取り戻す。
故に、同盟国や傀儡国含めて国外に持ち出すには数多の規制と手続きを超えなければならない。
今回の件は、新潟の研究所が譲渡を要求して来たことから始まる。国外へ持ち出す煩雑な手続きをこちら側が善意で担ってやり、やっと運び出した試料が研究に使われずに盗まれたというのだ。警備の怠惰もいいところである。
女はもう一度嘆息する。こちらも主な研究でエーテルを使っているので余計譲渡したくなかったのだが、国からの命令で渋々やっただけなのだ。もう二度とエーテルをどこへにも渡してやるもんか、と女は固く誓った。
「失礼します」
「入れ」
ドアが開き、白衣を着た研究員が書類を持って入室する。
「アインス様、悪い知らせが入りました」
「はあ、今度はなんだ?」
アインスは眉間に皺を寄せて手荒く尋ねる。
「東京エーテル開発応用研究所の資料保管室に何者かが侵入し、資料を幾つか盗まれました」
「何!? 新潟に引き続いてまただと!? 何を盗まれた⁈」
立て続けの盗難被害に、滅多に声を荒らげないアインスも流石に張り上げてしまった。
アインスがいる研究所はエーテル関連の研究の他に、外国含め極東にあるエーテル開発応用研究所全体を管轄する所でもある。そのため、他研究所で事故・事件が起きたとしたらまずこちらに連絡が入るのだ。
しかし、その不祥事を上へ連絡するのは所長である自分。自分が起こしてしまった事象ではないとしても、ずっと被害報告をすれば相手に無能な印象を与えてしまって今後の昇進に影響が出る可能性がある。
「この資料に書かれています」
研究員は真っ暗な中、頼りない足取りで何とか執務机の元まで歩んで資料を差し出す。アインスはそれを受け取って暗闇のまま目を走らせて内容を確認する。
「……わかった。こちらから上へ報告しておく」
「はい。ではこれで。失礼します」
研究員は部屋を後にする。
アインスは少し
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