第8話 定例会議

「……なんで集合時間までに全員揃わないんですかねぇ、陰陽インヨウさん」

「まあ、皆さん忙しいのでしょう。そうお気に障らずに」


 津市の行政施設にある小会議室は、事務的な用具以外排除された無機質な空間だった。

 細長いキャスター付きのテーブルが真ん中を取り囲んで、テーブル一台ずつには三つの折り畳み式の椅子が入れられている。赤・青・緑の穴が一つずつ開いているCRTプロジェクタが天井に吊り下げられており、司会台側の壁にはスクリーンが張られていた。


 そして部屋のドアから離れている二席に、アメリカ人と中国人が椅子に座っていた。


 豊満で艶めしい体躯を持つ長い金髪の女性が、凛とした顔をしかめさせて英語で愚痴を吐き続けている。へそまで見える短めのトップスに太ももまで露出してデニムを着ているその姿は無防備だ。

 その横に座っている、常装を着た物分りが良さそうな初老の陰陽ビンは英語でなだめている。


「いやそれでもおかしいですよ、流石に。一ヶ月に一回の会議だってのに遅れるのは流石に非常識ですよ。有賀ありがさんはまだ忙しいのでわかりますけど、問題は他の人ですよ他の人! ヤクザロリと脳筋はいっつも遊んで会議は後半になってくるし、アカツキに至ってはモニター越しですよモニター越し! ほんっと信じられない!」

「まあまあ、岩瀬いわせ殿とジラント殿は鍛錬されていて、アカツキ殿も上から仕事を頼まれているのでしょう。仕方ありません。それにそんな言葉を使っては、スカーレット殿の美しい顔に泥が付いてしまいますぞ」

「陰陽さんのその精神、見習いたいものです……」


 本日は解放軍能力者部隊の定例会議日である。


 解放軍能力者部隊はその名の通り、日本皇国の国境警備隊である解放軍が保有している選抜された能力者たちの部隊だ。能力という存在に軍事的価値を見出した日本皇国政府が組織し、解放軍に保有・待機させている。有事の際には特殊作戦の元、自身が保有するその能力で敵陣を搔き乱す。


 そんな能力者部隊は現在、暇を極めていた。当然である。戦争が始まるまで軍人はただ税金を貪る存在であり、戦車や戦闘機は資源を食う鉄の塊だ。しかしそれでも、相反するイデオロギーが隣国にある以上戦争は避けられない可能性が高いため、国は軍を置いて来る時まで訓練を怠らない。


 それに加えて、集まっている能力者は軍人経験が浅かったり、半数は天候操作や巨大化など大規模でしか一定量以上の効力を有する能力を使用できなかったりなど、様々な問題を抱えているのが理由である。技術がないので諜報すら使えず、再教育するにも時間が掛かるため、各自で日頃から能力の鍛錬を積んでいるである。


 それに日本皇国の予備軍同様に衣食と給料は困らない程度に与えてくれるので、自ら副業をしたりその金を甘受したりしている。

 そしてこの部隊は各々の分野が違いすぎるので、日頃から組む必要性もそこまでない。よって、日頃から他隊員と顔を合わせる機会が皆無である。しかしそれで部隊の連携に支障でも出たらまずいので、上からのお達しで月に一回、会議室に集まり近況報告会もどきをしているのだ。


 しかし二人はいつも会議に遅れるか欠席、アカツキはモニター越しで出席したことにしている。

 そんな現状に意外に生真面目なスカーレットは憂いており、右肘を机に突いて顔を支えて嘆息した。


 すると会議室のドアノブが下がって開扉かいひする。左脇に資料が挟まったクリップボードを抱えている、海軍常装を着た青年が入室して一礼した。黒い直毛のショートヘアで顔付きは整っていて清潔感と爽やかな印象を相手に与えている。


「遅くなってしまってすみません」

「いえいえ。お気になさらず、有賀少佐」


 有賀の謝罪を陰陽は優しく受け止めた。有賀は歩み寄って陰陽の隣に座り、司会台に近い方からスカーレット、陰陽、有賀の順に並んだ。


「うーし、始めるぞー」


 スクリーンに解像度が低いアカツキの映像が映る。低音質なその声は、傍の天井に備え付けられているスピーカーから発せられていた。


「アカツキさぁ、いい加減一回でいいから会議室に顔出してみたら?」


 スカーレットがスクリーンに向かって言う。


「嫌だよ。遠いし行くの怠いし面倒臭いし、皇国の奴らに見つかって文句言われるのもまた怠いし」

「全部あんたのせいじゃない」

「で、今月はアカツキが司会の当番だっけ?」


 有賀が本題への第一歩を踏み出させる。定例会議では毎月順番で司会を担当するのだ。


「そうそう。あの二人には後で俺から説明させとくから。先に聞くが、何かこの場で報告したい人はいるか?」


 有賀は念のために持ってきた資料をさっと見返す。


「海は特にないよ」

「私もないわ」

「儂もないぞ」


 有賀と同じく陰陽とスカーレットも淡々と答える。


「じゃ、今月も定例会議はこれで終わ」


「おうらぁ! 一番乗りぃ!」

「はぁ!? 何をほざく! 私が一番!」


 突然扉が勢いよく開き、一組の男女がロシア語で取っ組み合いをしながら現れた。

 一人は丸くて短い黒髪の小学生程度の容姿をした岩瀬伊吹いぶき。もう一人は皮膚の一部が黒鱗に変化している、身長が二メートルを超すボリスラフ・オレーゴヴィチ・ジラントだった。

 岩瀬は小学生用の白色のTシャツとダメージジーンズ、ジラントは黒色のタンクトップに軍服のズボンを着用している。


「何が私だクソガキが!」

「誰がクソガキだ⁉ 二十歳超えてるんだぞ! もうお姉さんだこの彼女なしが!」

「黙れババァ!」

「なんだと貴様! もう一回やり合うか!?」

「いいぜ! 今度は完敗させてやる!」


「あんたたち! いい加減にしなさい!」


 スカーレットは一歩も動かずに二人の頭上から下へ強力な風を吹かせ、頭を床に叩きつけた。有賀の資料がクリップボードに抑えられながらバタバタとなびいている。


「ちょ、スカーレットやめろ!」

「ごめんね。あいにくロシア語は解せないの」


 ロシア語と日本語の雑言以外解せないジラントに、スカーレットは英語で返答した。ジラントはスカーレットが諦めないことを察し、意地でも起き上がろうと体に力を入れる。

 岩瀬は細い両腕を床に突き立てて踏ん張り、ジラントよりも先に何とか上半身を反る。


「そこまでです」


 陰陽の鶴の一声でスカーレットは能力の使用を止めた。ジラントと岩瀬は互いに踵を返しながらも、渋々と最寄りのパイプ椅子へ座る。

 こうして会議終了直前に、解放軍能力者部隊全隊員が席に着いた。


「なあ、今何の話をしてる?」

「会議を終わろうとしたところだぞ」


 不機嫌な表情を浮かべている岩瀬の日本語での問いに、アカツキが同言語で応対した。


「なるほど。なら帰るか」


 岩瀬は椅子から立ち上がり、開きっぱなしのドアに向かう。


「なんだババァ、もう行くのか?」

「誰がババァだゴラァ!? やんのかテメェ!!」

「いいぜ! 外に出るぞ!」


 ジラントと岩瀬はまたロシア語で罵りながら取っ組み合いを始め、廊下に響き渡るほどの大声を残しながら駆け抜けていった。


「こんな仲で、有事の際にはしっかり動けるのかなぁ」


 スカーレットは本音を漏らす。


「……まぁ、上が酒と金で釣るだろ」


 アカツキはそう言い残し、スクリーンから姿を消した。




 足立区の路地裏での戦いの後、カルラは真っ暗な部屋で目を覚ました。

 十分ほどして目を慣らすが、ベッドに仰向けで寝かされていて四肢が手錠と足枷で固定されているので、おおよその位置すら推測できない。戦闘服は剥がされ、肌触りが良い薄着に変えられている。恐らく手術服のたぐいだろう。

 唯一分かるのは、自分の知らない場所だということだけだ。能力すら使えないのでここからの脱出を諦める。


 そしてなぜ、自分がここにいるのか。瞼を閉じて朧げな記憶を思い返す。

 すると瀕死の水野を仕留め損なった、惨めな自分に行き着いた。今まで仕留め損ねた獲物がいなかったカルラは激しく自分に怒り、悔し涙が頬を伝る。


「ああクソッ! クソックソックソッ!」


 四肢を思いっ切り暴れさせて駄々をこねようとしたが、拘束器が妨害してガチャガチャと音を鳴らすだけだった。


 薄っすらと、軍靴の音と光がカルラの方へ近づいてくる。

 光と音はだんだんと大きくなり、こちらへ懐中電灯を向けられる。カルラは思わず暗闇に慣れていた目を瞑った。


「やっと起きたか」


 男声でそう呟いて引き返していく。

 数分後、別の足音が聞こえる。光はない。


「おはよう。目覚めはいいかい?」


 先ほどとは違う。女の声だ。


「いいとも悪いとも言えませんね。それよりも、あなたは誰ですか?」


 取り敢えず、今会話している人物が誰なのかを探る。


「私かい? 名前は明かしてもいいが、強いて言えば君に被検体を提供していた人、と言えばわかるかな?」


 カルラには一人しか心当たりが思い浮かばなかった。出来損ないの軍人ゴミを、実験で必要な時に必要な量だけ提供してくれた『お得意先』である。


「そ、そうなのですか!? その都度いい被検体をご提供して頂き、ありがとうございました!」

「いやいや、私の反逆者有志の余りだよ。好きに使って貰って構わなかったさ。そういえば君、日本皇国の諜報員に油断して負けたんだって?」


 カルラは痛いところを突かれて急に胸が苦しくなる。


「は、はい。相手は一人でこちらは複数人だったので、気が緩んでしまい……」

「そうか。それで君は、一人の未熟な諜報員を逃がして悔しくないかい?」

「……はい」

「だろう。なら私に続いて、単語を反復しようか」

「単語、ですか?」


 カルラは腑抜けしてしまう。自分に重い罰が下るのではと勝手に身構えていたからだ。


「そうおびえる必要はない。単純な単語さ。言うよ。憎い」

「に、憎い」

「憎い」

「憎い」


 ただただ「憎い」と言い続けるだけに、何の意味があるのかとカルラは疑う。


「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」

「憎い」


 カルラは名も知らぬ女と一緒に、ただ「憎い」と反唱する。

 しかし十分が経過する頃には、カルラの口調に明らかな変化が現れた。


「憎い」

「憎い!」

「憎い」

「憎い!」

「憎い」

「憎い!」

「憎い」

「憎い!」

「憎い」

「憎い!」

「憎い」

「憎い!」


「君は一体、誰が憎いんだい?」


 女が仕上げに取り掛かる。


「憎い! 水野が! あいつの何もかもが全て! よくも私のプライドを!」


 既にカルラの中から『水野』という概念と『憎い』という単語以外忘却されていた。目は充血していて文字通り血眼であり、今すぐここから脱出しなければ死ぬかのように拘束器に動きを阻害されながら大暴れする。


「そうか。そんなに憎いなら、もちろん復習したいでしょ?」

「あいつの! 体を! 引きちぎってズタボロにして! 私の毒で苦しませながら! 殺してやる!」

「君の気持ちは十分にわかった。それなら、私の実験に参加することを提案しよう。今よりも強い力を手に入れて、水野をもっと苦しませることができるよ」

「やる! 何が何でもやる!」

「わかった。それじゃあ早速、実験を始めようか。ちょっとチクッとしてスーって意識が遠のくけど、安心してね」


 女は着ている白衣から注射器を取り出して麻酔を注入する。

 すぐにカルラは意識が遠のき、暴れていた四肢も落ち着いて深い眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る