第6話 決定付けられた運命
一九四五年八月八日午後十一時。
ソビエト社会主義共和国連邦がポツダム会談による密約に従って大日本帝国へ宣戦布告した。一時間後に樺太、千島列島、満州国及び朝鮮半島へ侵攻を開始。駐ソ日本大使館の電話通信回線は切断されていたため、日本側からすると完全な奇襲攻撃となった。
これによって、既に国力が大幅に低下していた大日本帝国の勝利は絶望的になる。同時期に広島と長崎に原爆が投下され、同年八月十五日に無条件降伏を飲んだ。
しかし赤軍はお構い無しに侵攻を続行。北海道や東北地方を次々と占領する。
当時の赤軍参謀本部はスターリンに対して「これ以上の進軍は国際法に違反します」と言葉を呈したが、「日本が疲弊してアメリカの準備が整っていない今のうちに日本を占領して不凍港を確保するのだ」と言い返して赤軍を押し進めた。
日本列島の占領は、ロシア帝国時代から続くソ連の南下政策を行うなら避けられないことであった。南下政策の最大目標は不凍港の確保である。海岸線が長い国であるソ連だが、大半がユーラシア大陸北部に偏って存在しているのだ。そのために冬季は海が凍り、船は鉄の塊と化す。政治的戦略的な目的の他、暮らしやすい南部の領土拡大のためにも進軍に意欲的なのだ。
そして日本列島は良港が非常に多く、また占領すれば太平洋への進出も可能となる。そしてアメリカやイギリスと肩を並べていた大日本帝国海軍を手に入れられるとなると、あの島国を見逃さない手はない。
しかし、現時点では国際法を犯してまで断行する意味はないのだ。南下政策の重要性も十分理解していた参謀本部もスターリンの真意は理解しかねず、永遠に本人の胸中に隠されることとなる。
アメリカとしても、日本列島を手中に収めたかった。
最大の目的としては、日本列島を共産主義からの防波堤にさせたいのだ。領土拡大を狙うソ連との距離が近いことも理由の一つであるが、中華民国で内戦が勃発しそうなことがもう一つの理由である。
日中戦争前、中華民国は中国国民党と中国共産党に二分して内戦を行っていた。しかし、大日本帝国と銃を交え合うと一旦休戦して共に日本軍を迎え撃つ。その戦火の最中、中国共産党は後方で大衆に宣伝活動を行っていた。そのためにもう一度内戦が起こった場合、中国国民党が負ける可能性が増えてきたのだ。アメリカが中国国民党に物資を過剰に与えれば何とかなるかもしれないが、何物にも覆せない大衆の力を世界最大の民主主義国家は知っている。よって、次に中国の覇権を握るのは中国共産党で大方間違いなかった。
そして二国が次なる共産主義の土地として選ぶのは、手近な日本列島だ。日本が
よって、アメリカ軍はすぐに日本列島へ上陸して赤軍を相手にする。何とか海に叩き出そうとしたが、畑から人が採れる国の兵士は底が尽きることなく党のために突撃を敢行し続けた。仕方なくアメリカは日本アルプスまで日本人を避難させながら撤退戦を続ける。
山脈に築き上げた防衛陣地を絶対死守として、アメリカ軍は赤軍を迎え撃った。双方共に物資を惜しみなく使い潰し、山中には空薬莢と軍服姿の屍が積み重なって腐敗し、陣地には連日空爆され、その空でも制空権を巡って戦闘機の激しい格闘戦が繰り広げられた。
しかし一向に戦線は動かず、十一月中旬に両者は一旦休戦。双方の防衛陣地はそのまま国境警備隊に再利用されることに決まり、合同で遺体の回収作業が進められた。
そして一九四六年六月十四日に西日本はアメリカを傀儡とする『日本皇国』、同年八月二十三日に東日本はソ連の傀儡国家『日本人民共和国』として独立。新潟、長野、静岡までが日本人民共和国とされ、それ以西が日本皇国となった。
そして日本皇国は国境線付近である富山、岐阜、愛知に自治権を付与した『解放軍』を設立。もしもの時の足止め役となるよう、軍国主義的に組織された国境警備隊の領地だ。しかし人手不足故に世界中から見境なく人員を募集した結果、東西のあらゆる過激派組織が集うようになって治安は悪化。何とか金で従わせて暴動は起こさないようにしているが、日本皇国の管轄外は危険区域と認定されており、立ち入る場合は自己責任となっているのが現状である。
日本皇国建国後から十八年後の一九六四年八月三日午後十一時四十九分。
薄暗い分娩室で医者と複数人の看護師が見守る中、水野晶は生を受けた。
問題なく健康に育っていき、彼が三歳半になった頃には妹のひなたも誕生した。
その後、晶もひなたも小学校へ進学。時には喧嘩しながも、勉学と遊びを懸命に励んだ。
一九七四年三月二十三日。
桜が芽吹きかける頃に、晶の人生は決定付けられる。
午後二時頃、一足早く春休みの宿題を終わらせたひなたは近くの公園で友達と遊んでいた。晶は遊ぶ予定もなかったので、ただ家で午後に放映している討論番組を眺めていた。内容は国境付近で起こった事件や政治家の汚職事件についての議題を、専門家同士で討論するだけの番組。時折出てくる用語はあまりわからなかったが、大人の勉強だと思って眺めていた。
黒電話が呼出音を鳴らし、いつものように家事をしていた母親が受話器を取る。晶はテレビを見るのも退屈になって母親の声に片耳を貸した。
「もしもし……はい、水野ひなたの母です…………え? そ、そんな…………わ、わかりました、すぐに向かいます」
何か重大な事が起こったのはすぐに想像できた。無意識に寝転んでいた姿勢から立ち上がり、母親の下へ駆けつける。
母親は受話器を下ろして真っ青な顔で叫んだ。
「ひ、ひなたが轢かれたって!」
晶と母親はひなたの安否以外何も考えられなかった。母親は何とか精神を正常に保とうとするが、焦っている様子が体中から噴き出している汗と妙に早い足取りから容易にわかる。晶は妹の容態が心配で仕方がなかった。
患者がいない診察室で、白衣を着た四十代の担当医が説明を始める。
「ひなたさんは大型トラックに轢かれて、全身骨折と心肺停止を負いました。現在は小康状態にあります」
担当医はひなたの全身のレントゲン写真をパソコンのデスクトップに表示した。体中の骨の三分の一が折れているのが体内の凄惨さを物語っている。母親はその写真を見て口元を手で隠し、
「問題はここからです。落ち着いて聞いてください」
二人は医師の方へ力なく顔を上げる。
「心肺停止から心臓が動き始めるまで時間が掛かったと考えられますが、ひなたさんはまだ目を覚ましていません。一部の脳の活動は正常に行われているので完全な脳死とはなっていませんが、何かしらの障害を負った可能性が高いです。もしかすると、このまま目を覚まさないこともあり得ます」
担当医の無慈悲な所見を告げられた母親は声を上げて大泣きし、晶は両目の光を失って絶望した。
事故当日から、晶は毎日欠かさず見舞いに行った。
日に日に成長していく点滴に繋がれた妹の体を眺める日々の中、ただ目覚めることだけを願い続けた。
ひなたを轢いたトラックの運転手は過失運転致死傷罪で懲役を食らったが、晶にとってどうでも良かった。妹さえ返してくれればそれでいいのだ。
事故を知った父親は仕事を放り出して病室に駆けつける。病室に入って現実を目の当たりにした後、娘の足元に顔をうつ伏せて静かに泣いた。
ひなたが植物状態になってから三人で協議した結果、目覚めるまで入院させることに決めた。維持費には莫大な金額が掛かり、そのうちの数割程度が父親の警察官という仕事上、国が負担してくれる。
しかし父親の給料を全て使っても、維持費と生活費がギリギリ賄えるほどの金額しか手元に残らなかった。少なくなった生活費の埋め合わせを稼ぐために母親はスーパーのアルバイトを始める。
晶は家に一人でいる時間が格段と増えた。
一九八三年のまだ肌寒い初春の頃。
京都にある公安庁の廊下の椅子に、ビジネススーツを着ている水野は一人で座っていた。つい先ほど、椅子の隣りにある扉から自分と同じ志願者が面接を終えて退室したばかりだった。
すぐに自分の番が来るだろう。心を落ち着かせるために大きく深呼吸する。
扉のドアノブが下に向き、常装を着た
「水野晶、入れ」
「はい」
晶は返事をして立ち上がり、男に続いて部屋に入る。
部屋の中には三人の高齢の面接官が細長いテーブルを前にして椅子に座っていた。窓が一つもなく、真ん中に位置する所にパイプ椅子が一脚だけ置かれている。
「椅子に座りなさい」
「はい、失礼します」
水野は落ち着いて事前に練習した通り一礼して着席する。
「えーと、水野晶君だね。それでは、面接を始めます」
「はい、よろしくお願いします」
水野は椅子に座ったまま、四十五度のお辞儀を一礼する。
「まず、君はなんで能力者として予備軍に置かれているのに、日本皇国防衛省の公安庁に志願したんだい?」
面接の開始を宣告した面接官が先陣を切る。
日本皇国の軍部は有用な能力者を集め、
水野もその一員であり、無駄な出費を押さえれば怠惰な生活を過ごせるはず。
それなのになぜ、公安庁に志願したのか。
「お金が必要だからです」
「ほう、それはなぜ?」
「八年前、妹がトラックに轢かれてしまい、植物状態になってしまいました。その治療費を稼ぎたいからです」
「そうか。それはさぞつらかっただろう」
面接官たちは視線を落とし、事前調査報告書とエントリーシートに間違いがないことを確認して建前だけ気を遣う。
「お気遣い、感謝します」
書類の虚偽がないことを確認しただけだろうと思いながらも、晶はまた一礼する。その思いで行った一礼だと相手側も理解していた。
面接はスムーズに進み、時計の長針が四半周する頃に面接が終了した。
「これで面接を終了します。ご苦労だった」
「本日はお忙しい中時間を取って頂き、ありがとうございました」
晶は椅子から立ち上がって一礼して退室する。
自分ができることは、神に祈りながら通知が来るのを待つだけだった。
数日後。
晶は合格通知を受け取り、現在の職場へ就職することになった。
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