第5話 逃走

 謎の男が後処理に乱入してから、路地裏は一時混乱した。

 白衣を着た白髪の男は武装した隊員数人に素手で触れて、ボディアーマーと共に体を血肉に分解して殺す。隊員たちは暴れる能力者に少し戸惑うが、すぐに落ち着きを取り戻してAK-74の銃口を向ける。


 その行動を察した男は路地裏の半分ほどの横幅を有するコンクリート壁を右掌から即座に創造した。隊員たちはフルオート射撃をするが、間一髪で弾丸は壁に命中する。


「ナランカ! 早くそいつを車に乗せろ!」


 オオカミとヒトの亜人の姿をした、黒服を着ている短い橙髪のナランカへロシア語で叫んだ。


「ちょっと待ってよ!」


 白髪の男より数メートル後方にいるナランカは負けじと大声で返す。気絶している水野を器用に縄で背中に括り付けている最中だった。


「十数人、といったところか……」


 耳を引き裂く威嚇射撃の銃声が、閑静としているはずだった路地裏に絶え間なく鳴り響く。無数の血溜まりとむくろが散乱している路地裏にも関わらず、そこにいる誰もが動揺している素振りを見せない。


「アカツキ、運ぶよ! 時間稼ぎよろしく!」


 ナランカは四つん這いになり、道路にアイドリングしている四駆へ駆け抜ける。


「さて、こっからが俺の仕事だ」


 アカツキはスモークグレネードを白衣から取り出して安全ピンを抜いた。そのまま後ろ投げで相手側に投擲とうてきする。

 容器が地面に接触した瞬間、白煙を噴出して双方の視界を遮った。


「スモークだ! 警戒しろ!」


 銃声が一旦止み、本来の路地裏の静寂さへ戻ろうとする。

 アカツキは手を壁に触れて音もなく塵に変換した。AK-47を右手に生成し、引き金を引きながら突撃した。




 人へ戻ったナランカ、昨夜USBを奪ったリザは瀕死の水野をどうするか、無言で考えていた。既に体からスペツナズナイフの刀身は抜かれているが、出血多量ながら自身で小康状態を保っている。運転席では黒い短髪の百九十センチを超える精悍せいかんな男が、道路交通法なんぞ知らんとばかりに四駆のハンドルを握っていた。


「いや、この出血量は流石に死んでるでしょ。諦める?」


 黙り切った空間から抜け出すように、胡坐あぐらを組んでいるナランカがリザに問う。


「いいえ、まだ生きてるわ。肉体とソウルがくっついているもの、大した力よ」


 リザは即答し、水野を真剣な表情で見つめる。


 ソウルとは、彼女自身が水野に突き付けた鎌で刈り取れる『命と能力が混ざったもの』の仮称である。彼女以外には誰も見えず、彼女はそれを幾つか使用して様々な能力を使うことができるのだ。無能力者といえども常に秘められた能力が使えないだけであるため、ソウルは誰でも個人で保有している。

 それらを可視化できるリザには、生きている他人のソウルは頭上に浮かび、刈り取ったソウルはまとわり付くように浮遊している。


「だからってアカツキは戦闘中だし、日本皇国に着くまでどこかの病院に降ろすっていることはできないぞ」


 運転手である巨体の男は、白線を少しはみ出るほどの荒い運転をしながら口を挟む。


「あら? 玄蔵げんぞう、誰ができないって?」


 自信満々にリザは玄蔵に言う。


「あれ? リザって治療できるくらい器用だったっけ?」


 ナランカは裁縫が全くできないリザを少しばかり小馬鹿にするように呟く。


「うっさいわね、まぁ見てて」


 言うや否や、リザは宙に浮遊している一つのソウルを右手で掴んで口に入れ、咀嚼そしゃくする。

 そのまま両手で気を失っている水野の顔を近付けて接吻せっぷんした。


「えええええ?! ちょっ?! 何してるの!」

「うお⁈」


 ルームミラーで興味本位に覗いていた玄蔵は驚きのあまりハンドルを誤って切ってしまい、車が右往左往する。


「コラッ! しっかり運転する!」

「その行為を見て落ち着いて運転できるわけないだろ」

「ふぅ……で、何をしたの?」


 落ち着いたナランカはリザに問う。


「治療よ。ほら、彼の容態を見てみなさい」


 見る見るうちに水野の傷が塞いでいき、小さく不規則だった呼吸も次第に安定していく。


「うわマジじゃん! すご~い!」


 リザを疑っていたナランカは感心する。玄蔵はリザに乙女のプライドがないのか、と疑いを持った。


「あ、こんな噂知ってる?」


 リザは二人の相槌を待たずに、早口で話し始めた。


「世の中には三回キスすると、誰でもされた人は恋をするの。私はこの人がどちらかと言ったら嫌いだけど、噂通りならあと二回キスすればこの人は私を好きになってソウルを喜んで渡すわ。そしたら能力者のソウルが手に入れられる。一石二鳥じゃない!」

「いや誰得情報なの!? 無理に決まってるでしょ!」


 ナランカは大声で突っ込んだ。


「だってこの前、バーで会った人が言ってたのよ。嘘じゃないわ。なんか凄い催促してて変だったから、ソウルだけ刈り取って逃げたけど」


 リザは疑問符を頭に思い浮かべる。


「いやさぁ……だからって」


 ナランカは呆れた。


「貴重なソウルは、このくらいでもしても奪い取るわ!」

「ほう……因みに舌って入れたのか?」


 玄蔵が禁断の質問を口にし終わった時には、首にリザの鎌が添えられていた。


「不死身の体でも、ソウルを引き剥がされる覚悟はいいかしら?」

「やめてくれ! 本当に事故るから! 悪かったから!」


 不死身の能力を持つ玄蔵でも、一人のキレた女は怖かった。


『…ちらアカ……キ。繰りか……こち…カツキ……』


 二人の光景を呆れながら眺めていたナランカが、後方座席のシートに転がっている無線機を手に取る。


「はーい、こちら今にでも交通事故起こしそうな車に乗車中のナランカでーす」

『はぁ? 何があったか知らんが、今そっちに敵の車が追ってるっぽいぞ。俺が追い付くまでになんとか持ち堪えとけよ』


 擦れた機械音がナランカの了解を待たずに途切れた。


「……だってよ」


 ナランカは二人の方へ目線を戻す。


「そうね、そろそろ仕事に戻りましょうか」


 リザは鎌を玄蔵の首元から離し、後部座席を経由して荷台に入る。壁に備え付けられているボタンを押すと扉が開いて車内に風が吹き込み始めた。数台の一般車の向こう側に偽装した軍用車が三台、猛スピードで迫って来る。それらを確認して右手を広げると、どこからともなく黒いもやが収束してあの不気味な鎌が現れた。

 ナランカはM16A1を手に取って弾倉を装填する。親指で安全装置のレバーをSAFE安全からAUTO連発に回し、ボルトキャッチを押して後部座席に銃身を乗せる。


「リザは車のフロントに乗って直接ソウル刈りなよ」

「言われなくてもそうするわよ。敵車両は今のところ三台。玄蔵! 安全運転で頼むよ!」

「それは無理な話だ」


 リザの頼みに玄蔵はきっぱりと断る。


「さあて、始めようか」


 迫ってくる敵の車のボンネットに狙いを定めたナランカは引き金を引き、エンジンに鉛玉を撃ち込んで炎上させる。狼狽える車は減速し、一台だけ道中に取り残されて後続車両の足止めを担ってくれた。


 しかしナランカの狙いから外れてしまった運が悪い車には、死神がボンネットに飛び移る。リザの鎌はあらゆる物質を透過するので、フロントガラスに振るって前部座席にいる者のソウルを刈り取っていく。運転手不在の車は暴走して道路脇へ激突した。


 この作業をナランカは無表情で、リザは口角を思いっ切り上げた狂気の笑みを浮かべながら次々と処理していった。





「お前ら! そろそろ高速に乗るぞ!」

「「了解!」」


 作業を初めて十分後、玄蔵が二人に予め配っておいた無線機で呼び掛ける。ナランカは安全装置をSAFE安全に戻してから銃身を下げて弾倉を再装填し、リザは一般車を伝いながら跳躍して車の中へ戻ってきた。


「あーもうっ! しつこい!」

「本当よ! いい加減疲れるわ!」

「ねぇ玄蔵。あんた男だし体力あるでしょ? 運転変わってよ」


 リザと愚痴を吐き合ったナランカは玄蔵へ提案する。


「嫌だよ! 俺だって動きたくねぇし、お前らみたいに能力がそこまで戦闘向けじゃねぇんだよ!」

「へー、でももしナランカと変わったら私のパンチラできるかもよ?」


 不死身の能力を有している玄蔵ほど戦闘に向いている人はいないと思いながらも、リザは履いている黒いスカートの端を軽く持ち上げて誘惑した。黒いニーソックスが覆われていないその先は、太ももの透き通る白い肌が露わになって黒いスカートに吸い込まれている。

 ルームミラーで一瞬だけ確認した玄蔵は動揺するが、平常心を保とうとハンドルを強く握り直した。


「別に。テメーのパンツなんぞに興味わかねえよ」

「本当かな? 今車がちょっと揺れてるけど、それってもしかして想像しちゃってる?」


 ナランカのその言葉にリザは嗅ぎ付く。


「うっわキモッ! スケベ! 変態大男!」


 リザは毛嫌う顔で玄蔵に対し容赦ない罵倒をする。

 図体に見合わないほど繊細な三十歳独身の玄蔵にその罵倒はきつ過ぎた。玄蔵は押し黙り、心中でそっと涙を流す。


「あんた! ちゃんと前見なさい!」


 ナランカに大声を上げられて玄蔵は我に返る。

 高速道路の料金所のレバーがフロントガラスを叩き割らんと目前に迫ってきていた。


「う、うわああああああああああ!」


 リザは後部座席の窓から車上に飛び出し、ソウルで硬質化した鎌でレバーを一刀両断する。

 レバーは車のフロントと天井を転がり、地面に叩きつけられて車から離れていく。


「はぁ……はぁ……」


 玄蔵は両手でハンドルを力一杯握り、呼吸を荒くして心臓をバクバクと鳴らしながら進行方向を見ていた。


「お礼の一つも言えないわけ? この変態大男」


 車内に戻ってきたリザがなじってくる。


「……サンキュ」

「え? なんて?」


 リザはわざと聞こえないふりをして聞き直す。


「はいはい! ありがとさん!」


 玄蔵は腹の底から声を上げる。


「それが助けてもらった人の返事なの? 独身で変態な性犯罪者さん」

「もうやめてくれ……心が……」


 玄蔵は心臓発作が起きたかのように左手で胸を抑える。


「あっそ。仕方ないわね」


 玄蔵はやっと救われたような気分になる。

 しかし次の一言でまたどん底へ叩き落された。


「帰ったら覚悟しなさい」


 叩き落された玄蔵は地獄にいるような気持ちに陥り、蒼白な顔色でハンドルを握り続ける。

 ナランカはリザと玄蔵の会話を適当に聞き流しながら、アカツキと無線で連絡を取り合っていた。


「二人共、アカツキはアジトにあった車で追い付くってさ。あと、敵の数は舐めない方がいいって伝言入ったよ」


 ナランカは伝達内容を簡潔に伝えた。


「……了解」

「でも敵の数は舐めない方がいいってどのくら」


 リザが喋っている途中に、数発の銃弾が車のフレームに当たった。


「え~、もう来たの?」


 リザは辟易とした口調で愚痴る。


「全弾使用許可が出たから惜しみなく使うわよ! ほら、リザも立って立って!」

「今日ほとんど寝てないのにぃ」


 リザは諦めて荷台を開扉かいひし、敵の車の運転手へ茶色のニセパンを見せながら跳躍する。


「まったく、結局ニセパン履いてるじゃない」


 後部座席越しに射撃体勢を取ったナランカが呟く。


「ちゃんと前向いて運転してね! 玄蔵!」


 しかし返答はなかった。


「……もういいや」


 ナランカはため息をついてM16A1のアイアンサイトを覗き、引き金に掛けている人差し指に力を入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る