第4話 とある隊員

「はあ……まったく、あのキチガイ女は俺たちが死ぬまでこき使うんだろうな」

「ちょ、おい!? お前やめろよ!」


 銃床じゅうしょうを折り畳んだAKS-74を片手にぶら下げ、日本人とは思えないほど筋骨隆々な体躯を持つ男が遮るように大きな声を出した。

 もう一人のスラブ人が廊下を歩きながら会話を続ける。


「いやでもさ、考えてみなよ。休日出勤は当たり前、部屋の掃除だの警備だの死体処理まで全部俺ら任せだぜ? いくら何でも入隊したばかりなのにこれはきつくねぇか?」


 男は同情しかできなった。


「お前……カルラ隊長に聞こえていたら、今頃毒殺されていたぞ」


 カルラ・ネストロヴナ・ノビチョク率いる日ソ共同特殊部隊は、常に日本人民共和国でトップクラスの働きを示している。基本的には街に潜む敵兵や諜報員などを隠密かつ迅速に処理することが仕事だ。

 有事の際に特殊作戦へ投入されても問題ないように、隊員全員はどこかしらの実戦経験者で構成されている。ここにいる日本人とスラブ人はベトナム戦争経験者であった。


 入隊して暫く経った先輩たちは、ただひたすらトレーニングをしながら仕事が降ってくるのを待っている。

 しかし、末端の隊員である彼らは違う。


 先輩たちからの雑用を延々と回され続けており、自分たち後輩は隊長へ報告するまでもなく大人しく従うのみだった。もちろん、この現状に耐えきれず隊長であるカルラへ直談判しに行こうとする同期もいた。だが、後輩から反感を買われている先輩が口を揃えて「やめておけ」と助言する。


 カルラは性格が誰もが認めるほどもの凄く厳しいのだ。一回でも失敗したり、自身にとってどうでもいいことを言われたりして不機嫌になると、隊員だろうと構わず自身の研究欲を満たすための被検体になる。過去に直談判を起こした隊員含め、同僚が殺されていく様子を先輩たちは何度も見てきていた。しかしその光景を見た所で各々は「自己責任」と考えて汚物処理を後輩に押し付けている。減った分はどこからか人を回してくるので、人材は減ることなく隊員数が一定数に保たれていた。

 そんな現状を認知していながらも、上層部は特に何も言ってこなかった。カルラのような部隊は他に幾つも存在しており、実戦経験を積んだ軍人など山のようにいるのだ。減ればそこから引っ張ってきて、居なければ紛争地域に向かわせて実戦経験を積ませればいい。


「さぁて、一緒に六時間、頑張ろうぜ」

「おう」


 お互いの右腕を交わして鼓舞し合う。二人はスリングを肩に掛けてAKS-47を背中へ回す。

 先ほどまで愚痴を吐いていた隊員が執務室のドアをノックした。


「入って」

「はっ、失礼します」


 相棒はドアノブを回して入室する。男もそれに続いた。


 部屋の中は執務室と実験室を足し合わせたような光景だった。

 試験管やガスバーナーなどの実験道具が、整理整頓された黒い執務机の上に置かれている。黒革の回転椅子が入り口に背けている状態で固定され、カルラはそこに座っていた。接客用の机とソファーはあるが、壁にある薬品入りの棚が両側に置いてあるせいでそのスペースが小さく見える。


 仕事を始めた当初の彼らは少しだけ異様なその雰囲気に戸惑っていたが、何度か入るうちに勝手に馴れた。

 二人はカルラの琥珀色の瞳に胸中怯えながらも、表向きは背中に冷や汗を流すだけに留める。


「今晩の警護はあなたたち?」


 回転椅子を回して彼らへ向いたカルラが柔らかく、奥底には棘があるような言い方で問う。


「はっ、そうであります」

「そう。じゃあ外で見張りよろしくね」

「はっ、失礼します」


 彼らは部屋の外へ出てドアの両脇に分かれる。銃を構えて安全装置のレバーを下げ、足は休めの姿勢で見張りを開始した。




 午前六時から始まった任務は順調だった。

 しかし午前七時十四分に二人はカルラからの呼び出しを食らう。


「今すぐ動ける者を集めて。仕事よ」

「了解しました」


 二人は急いで待機部屋へ駆け込んだ。常に動ける隊員十数人が銃火器と共に待機している部屋である。


「緊急招集です!」


 彼らも含め、待機室にいた隊員達は急いで武装した。見張りであろうとカルラの護衛である以上、ついていかなければならない。

 各種武器の装備、機材の準備、車両への運搬などなど、彼らにとって初めての作業を黙々と行う。


 だが、少しもたついてしまった。

 訓練を積んでいるとは言え、彼らは出動なんて入隊してから経験したことがなかった。


「俺が言うから、お前は引っ込んでいろ」


 執務室までの短い廊下で相方が自ら役を買った。男は内心報告したくなかったので、自ら名乗り出た相方に任せることにした。

 スリングでAK-74を肩に掛けている相方がドアを開け、数歩前に出て敬礼する。男も銃を手に構えたまま続いて部屋に入り閉扉へいひした。


「隊長、集め終わりました」

「あら、意外と遅かったじゃない。何があったの?」


 回転椅子の背を向けていたカルラは振り向き、不満そうな表情で相方を眺めた。

 男の体中の汗腺から冷や汗が吹き始め、本能がヤバいと警告を出す。自分も相方と共に叱られているような錯覚に陥って、一緒に詰問されている気分だった。


「申し訳ございま」

「そんな謝罪が聞きたかった訳じゃないの。使えないゴミはさっさと荷物をまとめて出ていきなさい」


 あっさりと部下を捨てる上司の解雇通知に元隊員の顔から血が抜け出した。すぐに正座し頭を床に伏して蒼白な顔で許しを請う。


「まっ、待ってください! 私には年を取った母親に子供三人に妻、病気の娘がいるんです! 家のローンも治療費も稼がなきゃなりません! どうかクビだけ」

「うるさい!」


 カルラは回転椅子から立ち上がって歩み寄り、右手で男の髪を鷲掴みにして顔を無理やり上げ、左掌を当てて口を塞ぐ。


「んぐっ、んごっごぉえ!? ぐっぷっごぅえ!」


 捕まれている相方の口から小紫色の液体が噴き出した。相方は白目を向けながら悶絶したが、すぐにうめき声を止めて操り人形の糸が切れたように倒れ込む。


「ゴミはゴミ箱にでも捨てなさい。行くわよ」


 その後、男は『フレンドリーファイアによる事故死』として遺族に報告された。




 心身共に委縮した男は、作戦地域へ向かうトラックの中でひたすら後悔した。


 なぜ、俺はこんな所にいるのだろうか。

 なぜ、あの場で「俺のせいです」と言えなかったのだろうか。

 あいつが既婚者だったことも、子を持っていたことも、病気の子がいることも知らなかった。そうだとしても、なぜ、自分は人一人の命の代わりになれなかったのだろうか。


 確実に助けられた命なのに。救えるはずだった命だったのに。自分が代わりになってあげられた命なのに!


 作戦説明など全く頭に入らなった。


 気が付くと、上司の命令で片膝を付いてRPG-22対戦車擲弾発射器を構えていた。我に返った反動で引き金に掛けていた指が力んでしまい、体に力を入れて反動を受け止める態勢を整える暇もなく、成形炸薬弾が尾に火を吹いて壁に向かって飛翔する。弾が衝突して爆発し、その衝撃波で寝けていた男は叩き起こされる。


 おもむろに立ち上がろうとしたその時、男は神の思想を垣間見た。


 そうだ。友が死んでくれたからこそ今の俺がいるではないか。

 じゃあ今を精一杯生きないと駄目ではないか。

 友が代わりとなって救ってくれた自分の命を、今度は誰かの代わりに使ってあげなければならないのではないか。


 遺族に本当の死を告げられずに死んだ相方を供養するため、その分の命まで生きることを男は誓った。

 

 背中に回していたAK-74を手に取って安全装置を解除した。ガスマスクを着用し、男は両足で力強く立ち上がる。仲間より少し遅れて、小紫と土煙で不透明な空気の中へ踏み入れた。


 気絶しているカルラを運び出している味方とすれ違う。心中で考えうる最大の雑言で罵りながら奥に進むと、奥に先輩が一人で地面を見つめていた。


「どうしたんですか?」

「ああ、目標の男がここに横たわってるんだ」


 先輩が下を指差した。それにつられて視線を落とすと、腹部や腕にスペツナズナイフが突き刺さっている青年が地面に伏していた。傷口から鮮血が溢れていて、水溜りを体周りに作っている最中だ。


「このまま失血死で済むだろうが、まだ息があるんだ。だから早く楽にしてやろうと思ってな」

「それ、自分にやらせてください」


 予想外の即答に先輩は思わず後輩の顔を見る。その目から発しているただならぬ覚悟を、ガスマスク越しから確かに感じ取った。


「……わかった」


 別に自分が殺さなければならない理由などないので、先輩は後輩にその仕事を譲った。男が決めた覚悟が何かはわからなかったが、別に誰が殺しても仕事上問題はない。少し離れて男が青年を殺すのを待つ。


 男はこの青年を殺すことでけじめを付けるつもりだった。

 もう二度と相方と同じ様な犠牲は出さないと。自分が救える命は、自分の命を持ってしてでも助けると。名も知らぬ男よ、その決意の証として死んでくれ。


 青年の頭にアイアンサイトを合わせ、ゆっくりと引き金に指を伸ばす。人差し指を引っ掛けてゆっくりと、ゆっくりと、反発する力を感じながら引き金を引く。


 しかし男の黒い脳裏に一筋の光が駆け抜け、迷いが生じた。

 もしこの青年を殺したら、あの上司と一緒になってしまうのではないのか。相手の素性がわからずに殺すことは、あの上司と同じではないか。


 単発の銃声が鳴り響き、真鍮色しんちゅういろの空薬莢が排出されて地面に落ちる。青年の脳漿が紅血こうけつと一緒にチロチロと垂れ流れるのが、いつにも増して鮮明に想像できた。


 男は躊躇う。だが撃つしかない。

 それが男にできる、唯一の供養なのだ。


「だ、誰だ?!」


 先輩が声と銃口を上げた。男も慌てて銃口と視線を上げる。


 誰かを確認する間もなく、ガスマスクの顔面を素手で掴まれる。

 そしてマスクは顔を守る役目を果たさず、あっけなく分解された。そのまま素手で顔面を掴まれ、地面に顔を構成していた血肉と大量の血が、水が入ったコップを零す音と共にぶちまけられる。


 誰なのか知らない人に、自分の素性を認識されずに、相方と同様な犠牲を払わせることなく、男は死んだ。

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