第3話 路地裏の戦闘

「──そうだ、USBは!?」


 水野は服のありとあらゆるポケットに突っ込み、神にすがる思いで漁る。しかし奪われたUSBが入っているという奇跡は起こらなかった。


「……仕方ない、本部に連絡するか」


 国へ帰った後のことは考えず、黒い端末を手に取った。

 再度電源を点け、国から指定されている電話番号をタップする。


「もしもし、どなた様でしょうか?」


 電話はすぐに繋がった。


「こちらナンバー百五十九」

「認証コードをどうぞ」

「百いっがぁっ……!!」


 突然、水野は右手から激痛を感じた。恐る恐る、ゆっくりと目線を右手に向ける。


 小紫色の液体と血糊が混ぜ合ったスペツナズナイフの刀身が、右手に深々と貫通していた。

 血塗られた刃が突き出ているその凄惨さを視認した瞬間、左手で持っていた携帯端末が弾丸一発で破壊される。


「うっそだろ……!」


 左手で外壁に触れて即席の壁を前後と上に造ろうとする。壁はゆっくりと飛び出して三秒程度で密室を造り出した。まだ対能力者弾の効力は切れていない。


 突然、視界が波打ち始めた。毒がスペツナズナイフに塗られていたのだ。

 刺さっている刀身のなかごを握り締め、呼吸を落ち着かせてカウントダウンを始める。「ゼロ」と数えた瞬間、歯を食い縛って思いっ切り引き抜いた。


「あああああああっ!!!」


 叫び声がコンクリートの暗室に反響した。失神しかけるほどの激痛が水野を襲い、手の甲から紅血が無尽蔵に溢れ出す。ビチャビチャと手を伝って地面に垂れる様子が、生暖かい鮮血の筋で理解できる。


「ハァ、ハァ、クッソいてぇ、いてぇよぉ……」


 弾丸一発で薄い端末に弾丸を命中させる腕前に、スペツナズナイフの刀身射出で正確に右手を貫通させるほどの技術。汗だくになりながら、思考が捗らない頭で追手はただ者ではないことを理解した。


 次の瞬間、音もなく飛来した刃が水野の頬を掠める。筆跡のような細い血の線が顔に書かれ、つぅっと頬を伝った。


「あら、私が外しちゃうとはね」


 後ろで女の声がした。

 振り向くと、ぼやける視界の向こう側で長い金髪の女がスペツナズナイフの刃先を向けていた。顔にはガスマスクを装着していて、腰と太もも周りには数多のスペツナズナイフが備えられている。


 水野は言葉を聞き切る前に体を動かして壁に右手を触れようとした。


「人が喋っている時に動くんじゃないよ!」


 女は声を荒げてナイフの鍔元つばもとにある引き金を引く。両刃の刀身が射出されて、水野の伸ばした右腕に深々と突き刺さる。


「うっ……!!」


 うめき声が先ほどより小さくなっていた。毒が水野の予想より早く体内を回っていたのだ。

 すぐに震える左手でなかごを握り、一呼吸置いて引き抜く。


「あああっ……!」


 鮮血が流れ出るのは一緒だった。しかし感覚が麻痺している影響で、痛みがそこまで感じ取れない。


 女は武器としての存在価値がない持ち手を放り捨てた。腰辺りに装備している無数のスペツナズナイフから二本を両手に取り、安全ピンを口で外して刃先を向けて素早く水野の胴体に偏差射出する。

 頭を延々と殴られているような激痛で顔をしかめさせながらも、ギリギリで体ごと左右に回して避けた。


 女は間髪入れずに持ち手を捨て、両掌に小紫色のスライム状の毒を素早く生成する。相手の機動力を削ごうと、水野の足元目掛けて投げつけた。


 水野は蹌踉めいて後ろへ軽くジャンプする。スライムは靴先まであと数センチの所で着弾した。瞬く間に飛び散った毒が付着した地面と靴からもうもうと白煙を放出し、弾着面は蝕まれているように溶け出す。


「やっぱり、こっちの方がしっくりくるわね」


 気が付くと、左太ももにスペツナズナイフの刀身が突き刺さっていた。左手でなかごを握ってゆっくりと、ゆっくりと引き抜く。


「うぅっ! はぁ……はぁ……」


 水野は思わず右膝を地面に付けてしまう。

 しかし立ち上がる力はもうなかった。痛みすら感じなくなり、血が抜ける感覚と吐き気が頭の中を搔き乱す。


「やっと毒が効いてきたのかしら。でも座ってもいいのかな?」


 女はスモークグレネードの安全ピンを抜いて軽く放り投げ、水野の足元へ転がす。靴にぶつかった瞬間、紫煙が密室に充満した。


 水野はもう首に力が入らず、降参するかのように項垂れる。女はコツコツと軍靴の音を立てながら歩み寄ってきた。


「私の能力はね、手から毒を作る能力なの。一見弱そうに聞こえるけど、応用の仕方によっては物凄く化けるのよ。ほら、こんなナイフに塗るとかね」

「あっ……」


 気が付くと鳩尾みぞおちに刀身が刺さっている。しかし引き抜く余裕など、どこにもなかった。

 狂気的な笑みを浮かべている女は歩みを止めない。


「それにしても、ここまで耐えた人間は初めてよ。どう? 私で毒を味わってみない?」


 水野は心の底から拒絶した。そんなことに自分が使われるくらいなら命を絶とうと考える。

 しかし水野はその考えを即座に止めた。自分には故郷に帰る理由があるからだ。


「……遅いわね。あいつらも被検体にしようかしら」


 女は歩みを止め、背中を向けて水野が閉ざした壁の方向を見た。

 その隙を見逃さなかった水野は最後の力を振り絞る。壁に左手を触れようと体を傾けさせた。


「あなたもめんどくさい男ね!」

「あぁっ……!」


 女は素早く刃先を向けて引き金を引く。刀身が射出され、伸ばした左腕に突き刺さる。水野は壁に触れることなく地面へ倒れ伏した。


 それでも水野は諦めまいと、ピントが延々に定まらない両目で相手との距離を確認する。

 女はどうやって処分するか、ブツブツと呟きながら距離を詰めていた。


 あと三歩……


 二歩……


 一歩……


「え?」


 突然、女の下から急にコンクリートの土台が持ち上がった。

 女はバランスを崩して尻餅をつこうとする。しかしそれよりも早く天井に頭が衝突した。

 カスマスクが外れて素顔が露わになった女は白目を剥いて気を失い、土台は持ち上がるのを止める。


「はぁ……はぁ……」


 水野に残された体力はゼロに等しかった。

 小さくなる呼吸、端から漆黒に滲んで来る視界、低下し続ける体温。


 後ろの壁から何の前触れもなく、路地裏に似合わないほど凄まじい轟音が鳴り響いて土煙が舞った。


 穴が穿かれ、武装した兵士たちが土煙に紛れて入ってくる。


 コツコツとこちらに歩み寄っている軍人の足音が耳に届いた。確実に仕留めようと銃口を向けに来たのだ。


 水野は体をどうにかして動かそうとするが、うんともすんとも言わない。


 薄くなる脈拍。

 冷たくなっていく体。

 暗黒色に染まって何も見えない視界。


 使い古した白衣を着た白髪の男が、水野の体を軽々と跳び越す。

 その男が相手の顔を血肉に分解したところで気を失った。

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