縹と羽の先

「……例えばさ」


 一瞬の沈黙の中で少女は目を逸らし、瞬きをした。


 「鉢の中の魚は思うわけ。もう少しだけ、自分の尾びれが綺麗だったならって」


 そこまで言うと彼女は俯いた。そして消えそうな小さな声で、そのあとに言葉を続けた。


 「でもこんな鉢にひとりぼっちじゃ、綺麗な尾びれに何の意味もないのにね」


 その言葉は、自分に言い聞かせているようだった。そして、その小さな手でつまんでいた白い羽根をはなした。羽根は散りゆく花びらのように、ひらひらと回りながら、ゆっくりと落ちた。


 「尾びれで水を掴んで泳ぐこと。自分の翼で空を飛ぶこと。それだけできっと幸せなはずなのに。」


 自分と少女を隔てる小さな水路を泳ぐ魚の腹が、照り付ける陽の光に白く光った。遠く空で、鳥が鳴く声が聞こえた。


 「きっと、自分が自由だと思えるほどに、単純で、無知で、純粋だったなら。私もあなたも幸せだったのにね」


 そう寂しげに言うと、翼の生えた少女は背を向けて空を見上げた。その視線の先で、戦闘爆撃機が曳く白い飛行機雲が遠く輝いていた。彼女はそっと俯いて、息を吐いた。そして、暫しの沈黙の後地面を強く蹴った。白い翼が青空に光った。


 はらりと落ちた少女の羽根が、夏空に輝く水路の流れに流されていく。有刺鉄線の向こう側へ、水面に浮かぶ羽根が消えたのを見送って私はそこから立ち去った。


 彼女が消えた縹色の空を見上げて歩きながら、黒く光る拳銃に安全装置をかけ腰のホルスターに突っ込んだ。乗り慣れた戦闘機の機銃レバーは引けても、拳銃の引き金ならきっと引けなかった。


 叶うなら、自由な空で生きてみたかった。

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縁のない話 雨紀夜長 @Yonaga_Ame

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