縁のない話
雨紀夜長
宵の花の影と
冬に片足を踏み込んだ秋の陽射しの中で、今年も花火大会には行かなかったな、なんて思ってしまう。
夏のあの日は、空が綺麗だった。それ以外はあまり良くは覚えていない。何しろ半年も前の話であって、たまたまこの話を誰かに聞かせたことがあったから、断片を覚えているだけの話だ。
学校終わりの午後のことだったか、少し大通りの店に寄り道をした帰りだった。札別駅から快速列車に乗った。発車時刻は一時半を少しすぎた頃だったせいか、車内は比較的空いていた。けれども座席の争奪戦に敗れた数人が吊革に縋りつくようにして立っていた。
自分は空いている席にありつけた。そしてその横には男が座った。歳は二十歳ぐらいで、中肉中背。黒縁の眼鏡をかけていたように思う。おそらくは大学生と言ったところだった。
列車が駅を離れ、加速していく。ポイントの境目と加速度の中で、頭上を少し外れた太陽からの光が、辺りを暖色で塗りつぶすように輝いていた。
横の男が胸ポケットからスマホを取り出し、Lineを開いたようだ。見てはいけないとは思いつつ、興味本位で横目でちらりと覗く。言い訳をすると、自分はその時とても暇だったのだ。だから別に見知らぬ人の携帯を覗く趣味はないと断っておく。
列車が瑞穂駅を過ぎた頃、彼はとある人とのトークを開いてこう両手でフリックした。
「ごめんね。さよなら。」
トーク画面の左上には、ローマ字四字で女性のものと思われる名前が映されていた。
一瞬その言葉の表す意味を考えて、ああそういうことか。そんなふうに思った。
そこからの彼の行動は早かった。すばやくトークを閉じて、そのままそれを削除した。そのまま人差し指で画面を横にスワイプして、設定画面を開いた。
友だち、友だち管理、ブロックリスト……。
伸ばしていた手の動きが止まった。そこから相手のブロックはできないのだ。やり方がわからないのか、今だ尚未練があるのか。そこからその相手をブロックすることは無かった。
そこに沈黙があった。それは、電車の音、乗客の談笑という騒音で埋められそうであっても、間違いなくそこ……つまりは私の右横三十センチメートルのところにあった。
彼の目線が泳いだ。その一瞬の時間のあと、プロフィールを開いて、自分の”ひとこと”を変えた。彼が纏う温度とは正反対なくらいに、前向きな言葉をそこに書いたようだった。端末の上に並んだ言の葉と、青のシートの上で俯く男が一人。
彼のことなど知るわけもなく。知ったところでなにか変わるわけでもなく。電車は運動を続ける。その加減速の狭間に、ぽつりぽつりと人が降りていく。
途中停車した駅の反対ホームに、浴衣の男女が見える。手を繋いで談笑している。浴衣の蒼と紅色が綺麗だった。
あぁ、今日は花火大会か。
この二人組は彼の目にどのように映るのだろうか。おそらくは彼だって、こう彼女と笑っていたかった筈だ。彼が彼女と別れた理由は知る訳もない。けれども、何かしらの葛藤があったのはきっと確かだろう。別に興味がある訳ではないのだが、ふとそう思ってしまったのだ。
都会の町並みから逃げるように、花火の映す翳から逃れるように。列車は軽快な音を立てて走り続ける。窓の外を、青々と茂る木立が流れている。
彼は終点から二駅前で降りた。
少し背筋を曲げて、それでも前を向いて。
その時、この暑い夏の終わりを見た気がしたのだ。
夜空に咲く大輪を思い描いて、その散りゆく光に恋を重ねた。
まぁ、縁のない話ではあるのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます