第7話 放課後

 ぼーっとしている内に、気がつくと放課後になっていた。普段からよく一緒に帰っていたのに、こんなにも待ち遠しく思えるとは。


【くーちゃん、一緒に帰ろ?】


 鞄に荷物をまとめて下校の準備をしていると、そんなメッセージがことねえから届いた。


【じゃ、校門前で待ってて?】

【うん。待ってるね♪】


「ん?もう帰るのか」


 隣の慎平しんぺいがたずねる。


「琴ねえが待ってるから」

「はいはい。幸せなこって」


 手をひらひらと振られるのに見送られて、校舎をあとにする。幸せ、か。


 下校途中。


「そういえばさ」

「どしたの?」

「いや、琴ねえはクラスでなにか言われなかった?僕とのこと」

「んー。結構、意外がられた、かな」

「意外?」

「相手が昔から付き合いのある子だって言ったから」

「あー、納得。そもそも、僕らの関係自体知られてなかったもんね」

「でも、幼馴染ってことで色々問い詰められちゃった」

「それはありそうだ」


 僕は慎平にしか、その辺言ってないけど。


 ま、あんまり気にしても仕方がないか。


◇◇◇◇


「ただいまー」

「お邪魔しまーす」


 揃って僕の家に上がる。


「あら、琴菜ことなちゃん。いらっしゃい」


 母さんがリビングで掃除機をかけていた。


「朝来たばっかりなのに、すいません、おばさま」

「別にそんなこと気にしなくていいのよ」

「ありがとうございます」


 そんな挨拶を交わして、部屋に彼女を招く。


「相変わらず、色々な本増えてるね」

「ネットで評判見て、面白そうなの買ってるから」


 僕はあまり選り好みせず、面白そうな本はがんがん読んでいくタイプだ。


「あれ?この、『女を落とす会話術』って」


 しまった。一般書とはいえ、この状況だとある意味エッチな本以上に恥ずかしい。


「ひょっとして、私の事意識して、だったりする?」

「うん、まあ。口説くのとか苦手だったし」

「急にやたら褒めたり、積極的になった日があったよね」

「結局、かえって不審がられたから、役に立たなかったけど」


 慣れないことは急にするものではないと悟って、1日でこの本はお役ご免になってしまったのだった。


「ちょっと、読んでいい?」


 興味津々という様子の琴ねえ。


「好きにして」


 なんだか色々いたたまれない。


「情熱的に、とか、こういうのも意識してたの?」

「ノーコメントで」

「別に気にしなくていいのに」

「琴ねえが気にしなくても、僕が気にするの」

「ふふっ。くーちゃん、照れてる?」

「そりゃそうだよ。彼女相手にそんなの見られるなんて」

「今だったら、むしろ情熱的になってくれたら嬉しいな」


 期待するような視線が僕に向かう。


「い、いや。急に言われても色々難しいっていうか」


 イタリア男子みたいに行かないのだ、僕は。


「試しに、何か言ってみて?」

「そんなに聞きたいの?」

「くーちゃん、照れ屋さんだから。ちょっと聞いてみたいよ」

「あー、もう。わかったから、ちょっと待って」


 そりゃ、大好きだし、弄られて拗ねる様子も可愛いし、今朝みたいな天然なところも、年上なのに年上っぽくないところも好きだったりするけど。それをさらっと言えるかというとまた別なわけで。いや、最後のは褒めてないか。


 でも、考えてみれば今の僕らは好き合ってるわけで、そこまで躊躇しないでもいいよな。よし。


「それじゃあ」


 琴ねえの身体を抱き寄せると、すぐ近くで目と目があう。

 優しげな瞳も、白い肌も、ぷにぷにしたくなる頬も魅力的だ。


「あ……」


 頬が紅潮している。潤んだ瞳で僕を見つめる琴ねえを見て、


(そっか。別に、さらっと言ってもいいじゃないか)


 素直にそう思えた。


「琴ねえ」

「うん」

「大好きだよ。年上なのに子どもっぽくて。でも、時々お姉さんだなって思うところも。昔、面倒を見てくれてたことも。弄った時の反応も。全部、大好き」


 そんな言葉を口に出して、やっぱり彼女の事が大好きなんだと改めて思う。


「私も。くーちゃんの全部が大好き。時々意地悪だけど、そんなところも好き」


 そう言って、目を閉じた彼女に唇を押し付けて、舌を差し入れる。琴ねえもおずおずと舌を絡めてくる。


「んぅ」


 しばらく舌を絡ませあっている内に、息が苦しくなって来たのに気づいて、鼻で息をする。そうして、そのまま、たっぷり30分はそんな事をしていた。


「なんか、こーいうキスって、すっごいエッチだよね」

「うん」


 唇をすこし合わせるだけのキスと違って、心も身体も興奮する感じがしてくる。


「今度は、私からしてもいい?」

「うん」


 今度は、琴ねえの方から。強引に唇や舌を貪られている気がする。されるのは、するのとはまた違った気持ち良さがあって、病みつきになりそう。


 そして、今度もまた30分くらいそんな事をしていた。一体、どれだけキスが好きなんだ。と、自分の中の冷静な部分が指摘する。


「琴ねえさ、僕よりキスの仕方が激しいと思うんだけど」

「だって、そうしたくなるから」

「嬉しいけど、エッチじゃない?」

「エッチでいいもん」


 そんな会話を交わしながら、勢いのままお互いの身体に触れ合っていく。お互い、経験もないのに、なんでこんな事が出来てしまうんだろう。そして、琴ねえの手が少しずつ下の方に移動していき-


「ちょ、ちょっとストップ」

「え?」


 急に触れ合うのを中断された琴ねえは少しびっくりした様子。


「いや、別に嫌とかじゃなくて。これ以上続けると止まれなくなりそうだから」

「私は、止まれなくても、いいよ?」


 そんな破壊力抜群の台詞を言われると、僕の理性がぐらつきそうになる。


「考えてみると、どうしていいかわからないし、コンドームもないし」

「そ、そうだよね。ごめん」

「謝らなくてもいいけど。もっと準備してからにしようか」

「そ、そうだね」


 興奮はまだ冷めやらぬままだけど、コンドーム以前に、どういう流れでそういう事をすればいいのかよくわかっていない。いや、エッチな漫画とか、中学・高校の性教育の授業はあったけど、実際問題、致すまでの流れって全然わからない。


「ちょっと、お茶でも飲まない?」


 このままの空気だと、また流れで色々してしまいそうだし。


「う、うん。そうしよっか」


 少し残念そうな様子の琴ねえ。僕も、理性をかなぐり捨てたくなってくるけど、やっぱりまだ急過ぎる。


 なんとなく、ふわふわとした気持ちの中で、リビングに移動する僕たち。すると、そこには、なぜだか気まずげで、そして妙に頬を赤くした明美あけみが。そして、何故か、紅茶が入った二つのティーカップが。


「明美。もう帰ってたんだ」

「あー、うん。そうだね。うん」


 物事をはっきり言う明美にしては珍しく歯切れの悪い返答。


「どうかした?」

「ううん、なんでもないよ。なんでもない」

「いや、なんか変だろ」


 少なくとも、様子が変なのは間違いない。


「明美ちゃん、ひょっとして、見た?」


 横で話を聞いていた琴ねえの一言。見た?まさか。


「う、うん。ちょっとお茶淹れたから、と思ったんだけど……」

「なあ、明美。いつから見てた?」

「……30分くらい前」


 うわあ。あの、濃厚なキスシーンの一部始終を目撃されていたとは。急に頭に冷静さが戻ってきて、そして、羞恥の感情が湧き上がってくる。


「あ、明美ちゃん。えーと」

「別に、私が勝手に見ちゃっただけだから。それに、勉強にもなったし」

「いやおまえ、勉強って」

「それじゃ!」


 たたた、と走り去っていく明美。色々気まずいなあ。


◇◇◇◇


「明美ちゃん、大丈夫かな」


 キスシーンを目撃された事で冷静さを取り戻した僕ら。その後、帰る琴ねえを送っていくことになった。


「さすがに、刺激が強すぎたかもね」

「なんで気づかなかったんだろ、私」

「僕も、普段ならわかるんだけど」


 少し微妙な空気がお互いの間に流れる。


「ま、あいつも興味津々で見てたっぽいし」

「30分間見てた、んだよね」

「なんだか死にたくなってくる」

「私も。あー、ほんとになんで気づかなかったのかな、私」

「話がループしてる」

「はぁ」


 琴ねえが大きなため息をつく。気がつくと、琴ねえの家に到着。彼女の家は、2階建ての一軒家で、豪邸という程ではないけど、そこそこ大きい。


「送ってくれて、ありがとう」

「僕がそうしたかっただけだし。でも、どういたしまして」

「うん。それじゃ」


 言ってから、何やら周りをきょろきょろと見渡す琴ねえ。


「どうしたの?」

「その。見てる人、いないかなって」

「大丈夫だと思う、けど」


 同じく、周囲を見渡すけど、近くに人影はない。さっき、明美に見られたショックが後を引いているらしい。


「じゃあ。ん」


 琴ねえが、目を閉じて、唇を突き出してくる。なるほど、それできょろきょろと。


 素早く、軽く触れるだけのキスを交わす僕ら。しかし、昨日付き合い始めたばかりなのに、なんで普通にこんなことをしてるんだろう。


「明日のデート、楽しみにしてるからね」

「うん。楽しみにしてて」


 琴ねえが家に入るのを見届けて、家路につく僕。


「デート、大丈夫かな」


 気がつくと、そんな事を口に出していた。別に不安なわけじゃなくて、今日みたいに歯止めがかからなくなりそう、というのが懸念だった。


 とりあえず、万が一に備えて、アレを買っておこう。方向転換をして、近所のドラッグストアを目指した僕だった。

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