第6話 お昼休み

 授業中は、ずっと、ぼんやりしていた。歴史とか数学の授業があった気がするけど、全部右から左にすりぬけていく。せめて、板書くらいはノートに取らないとと思うのだけど……。


 デートも楽しみだし、その後のことも。そして、昨日から今日にかけての出来事が繰り返し繰り返し脳内で再生される。これ、一体どうすればいいんだろう。


 ぼーっとしている間に昼休みになっていた。


「なあ、大丈夫か、空太くうた?」

「え?」

「朝からずーっとぼけーっとしてたろ。なんかあるなら相談に乗るぜ?」


 隣の席の友人である、朽葉慎平くちばしんぺいが心配そうに僕を見ていた。どっちかというとインドアの僕とは違って、アウトドアが好きな彼だけど、気の良い奴で、よく話をしている。


 どうしたものかな。あんまり周りに聞かれたくない話だし。少し考えた末、小声で相談することにした。


「あのさ。2年A組の浅田琴菜あさだことなって言って、わかる?」

「あー、あの三つ編みの美人さんか。包容力ありそうでいいよなあ」

「包容力、ねえ」


 琴ねえにそんなものは皆無だと思うのだけど。


「なんかひっかかる反応だな。まさか、惚れたか?」

「惚れた、といえば惚れた、のだけど、どう言えばいいんだろう」

「マジか。なんか、あの人、倍率高そうって話聞くけど」

「倍率は1倍だったよ」

「は?」


 何を言ってるんだこいつは、という顔で僕を見てくる慎平。


「いやさ。琴ねえ、いや、琴菜さんと付き合うことになったんだよ」

「色々話についていけてないんだが、それもマジ?」

「僕がそういうネタを言わないの知ってると思うけど」

「ま、そうだな。でも、それならめでたい話じゃないか」


 腑に落ちないといった表情だ。うん、よくわかるよ。僕もそう思ってた。


「もちろんめでたい、んだけど。恋の病っていうのを実感してる真っ最中」

「恋の病って、おいおい。単なるのろけか?」

「のろけられる余裕があったらいいんだけど」

「じゃあ、浅田さんと喧嘩でもした、とか?」


 そりゃそう思うよね。


「いや、ラブラブだと思う。だからこそヤバいんだけど」

「何言ってるのか、さっきからさっぱりなんだが」

「なんていえばいいんだろ。好きな相手のことをつい考えてしまうって経験ある?」

「そりゃまあ、一応」


 少し照れくさそうな慎平。まあ、そういうのはきっとあるよね。


「で、朝から昼までずーっとその人のこと考えてることは?」

「さすがにそこまでは。失恋の痛手ならわかるが」

「失恋じゃないんだけど、まさに今の僕がそんな状態」


 なんだろう、この状態。と自分でも思ってしまう。


「なんだか、よくわからんが、付き合ってる相手に夢中、ってことでいいのか?」

「言い換えればそうなるね」

「そっか。まあ、頑張れ。浅田さんに憧れてる男子連中には言うなよ」

「言わないよ。贅沢過ぎる悩みだって自覚してるし」


 しかし、琴ねえ、まだかな。


「あ、くーちゃーん。お昼ごはん、食べよっ」


 教室の外から手をふる琴ねえ。その姿を見た途端、さっきまでの心の重たさがすっと消えていく気がする。


「あー、なるほど。マジだったのか」

「疑ってたの?」

「いや、そういうわけじゃないが、こう露骨だとさすがに、な」

「琴ねえ、自分の立ち位置、自覚してないから」

「強く生きろよ、空太。つか、琴ねえって」

「まあ、昔からの付き合いなんだよ。近所のお姉さんっていうかね」

「道理で。モゲろ」

「応援ありがと」


 しかし、よりによって、教室全員に関係を知らせるような真似をしなくても、と思う。だから彼女は天然なのだ。でも、それが琴ねえだし、それでもいっかなんて思ってる僕も人のことは言えないのだろう。


◇◇◇◇


 中庭にて。連れ立って来る僕らに、周りはざわざわ。


「あれ、琴菜さんじゃね?デキてたのか」

「隣の奴、誰だろ」

「1年に居た気がするな」

「はー。羨ましいな。隣にいるだけで癒やされそうだ」


 しかしまあ、改めて、琴ねえはよく知られているなあと実感する。食べている間、ひそひそ話を聞くのは精神衛生上良くないので、人の居ない隅に二人で座る。


「な、なんだかごめんね?」

「別に琴ねえのせいじゃないし。気にしてもしょうがないよ」

「そうだね。じゃあ、お昼にしよっか。はい、これ」


 約束通り、お弁当箱を渡される。


「ありがと。手が絆創膏だらけなんてお約束はないんだね」

「あれ、どうやったら出来るんだろうね」

「琴ねえなら実現できるかと思ったんだけど」

「どれだけ信用ないのかな、私!?」


 そんなどうでもいい軽口を終えて、弁当箱をオープン。そこには、少し衣が付きすぎて、しかもしんなりした唐揚げに、べちゃっとしたお米。油が入りすぎた野菜炒め。やっぱり料理下手だ。最後に食べてから1年は経つけど、変わっていなかったらしい。


 パクっと唐揚げを一口。うん。意外とイケる。料理下手とはいえ、最低限のところはきちんと抑えているので、普通に食べられる。野菜炒めも、意外に美味しい。


「ど、どうかな?」

「美味しいよ」

「嘘。まずいってわかってるでしょ?」

「別にまずくはないって。美味しいって」

「本当の感想を聞きたい」

「いやその。普通に美味しい、と思う」

「普通に美味しい、かあ」

「別に気にしないでいいからね」

「ううん。気にする。今度は美味しいの作るからね!」


 本人的にも、やっぱり納得は行っておらず、リベンジがしたいらしい。


「ところで、「あーん」とかはしないの?」

「しないよ。だって、「美味しい?」「普通」は微妙でしょ?」

「やっぱり、したかったんだね」

「うん。それは、ね」


 少しもにょにょとした様子。


「はい、あーん」


 唐揚げを一つとって、琴ねえの口元に持っていく。


「え、ええ!?」

「僕がしてみたいんだけど」

「「美味しい?」「普通」を?」

「うん。だって、楽しそうだし。それに、琴ねえの反応がもっと見たい」


 僕は何を言っているのだろう、と思うけど、そんなやり取りもしてみたいと思ったのだから仕方ない。


「わかった。あーん」


 口を開けた琴ねえの元に唐揚げを運ぶ。もぐもぐと咀嚼している。

 動物に餌付けをしているみたいでちょっとおもしろい。


「美味しい?」

「微妙」

「普通じゃないんだ」

「しっとりし過ぎてるし、衣が付き過ぎてる。やっぱり、まだまだだね」

「じゃあ、もう一つ」

「え?もうやったでしょ?」

「琴ねえの反応が可愛いから、やってみたい」

「もう。そんなこと言ってからかうんだから」

「とにかく、はい」

「しょうがないんだから」


 そういいながらも琴ねえは幸せそうで。

 しばし、そんな食べさせ合いっ子をしたのだった。


 昼休みは短いもので、気がつけばもうすぐで午後の授業だ。

 また琴ねえの居ない教室か、なんてほんと重症な事を思っている僕。


「はあ。また放課後までくーちゃんと会えないのかあ」


 琴ねえが大きなため息をつく。


「僕もちょうど同じこと思ってたよ」

「いつになったら、この病気治るのかな」

「そのうち慣れてくる、と思う、んだけど」


 こんな経験は初めてなので自信がない。


「そろそろ、戻ろっか」


 立ち上がって弁当箱をしまっている琴ねえ。

 まだ離れたくない、そう思った僕は、反射的に口づけていた。


「むぐ」


 もっと触れ合いたいと、舌も絡ませる。


「ぷはっ」


 琴ねえの方から唇を離された。


「すー。はー。すー。はー」


 深呼吸をして息を整えている様子すら可愛らしく思えてしまう。


「息、できなかった」

「鼻で息すればいいのに」

「くーちゃんがいきなりするから」

「昨日琴ねえにされたから、仕返し」

「こんなに、ドキっとすると思わなかった」

「僕の気持ち、わかった?」

「わかったけど。午後の授業、もっとひどくなりそう」


 恨みがましい視線を向けられる。


「病気だし、あきらめよう」

「嬉しいんだけど、つらい」


 全く同感だ。僕ももっと離れがたくなってしまっている。これはほんとに病気というしかない。

 恋の病とは、やっぱり、本当によく言ったものだと思う。

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