第17話 アリオンの腕輪

 そこは七万四千年前のアフリカの大地だった。近々おこる天変地異など誰も知らず、穏やかな気候の中で人々は力強く生きていた。

 アリオンは誇らしげに草原を歩いていた。部族で一番の狩人である父親が長老の許可を取って、自分をお供にしてくれたのだ。現代ならまだ中学生になったばかりの年頃だったが、もう大人として認められたような気分だった。

「がんばれ。緑の谷のバソスの村までもう一息だ」

「はい」

 長い旅だった。自分たちで狩りをしながら、もう何日も歩き続けていた。サーベルタイガーに教われそうになったり、草原マンモスの暴走に巻き込まれそうになったり、死ぬかと思うような時も何度かあった。最初は苦労したが、父親に武器の作り方、狩りの方法を一から教わり、アリオンは一日一日と確実に成長していた。

 やがてサバンナを抜け、小さな森にさしかかったところで、急に父親が眼で合図した。獲物だった。アリオンは指示通り風下に回り込みそっと近づいて行った。父親はブッシュのそばに身を隠し、槍をかまえて待ち伏せした。イボイノシシの小さな群れが地面を掘り返して何かを食べていた。

「ヤー!」

 アリオンが声を出して、襲いかかる。逃げ出すイボイノシシたち!

「ハア!」

 逃げ出した獲物が、ちょうど近くにやってくる。その機を逃さず、一撃で獲物をしとめる父親。さすがだ。獲物を土産に歩き出す。やがて、バソスの村が見えてくる。

 父親のロギアは部落に入ると、さっそく族長を訪ね、長老からの言づてと土産の黒曜石を取出し、先ほどの獲物とともに手渡した。族長はたいそう喜び、ロギアとアリオンの親子を村の奥へと案内した。

「あなた方は運がいい。ちょうど今、柱人(はしらびと)の話が始まるところです」

 この部落の者たち、そして近隣の部落の者たち、そしてアリオンたちのようなはるばる遠方から来た者たちで奥の広場は埋まっていた。

「…時間だ」

 するとその時、大空で何かがきらめいた。

「おお!」

 空から群衆の前に光の柱が下りてきて、その光の柱の中に人影が浮かび上がった。その柱人は、この時代にはありえない不思議な服装をして、光臨したのだった。

「人々よ、もうすぐ大いなる冬がやってくる。気持ちを強く持ち、強く生き抜かねばなりません」

「柱人よ、われわれはどうしたらよいのですか?」

 族長が質問した。

「ではまずは一つ目です。分かち合いなさい。少しの食べ物をみんなで分かち合えば、困難を乗り切れるかもしれません。それから、二つ目は自分のためではなく、家族や仲間のために力を注ぎなさい。みんなを救うことが自分を救うことになるのです。そして三つ目は、祈ることです。みんなが毎日幸せに暮らしていけるように祈るのです。強く祈りなさい、大勢で祈りなさい、何回も祈りなさい。そうすればよりよい明日が来るでしょう」

 柱人は、とてもわかりやすく、心をこめて、人々に熱弁をふるった。みんなは、ほほ笑みながらそれを聞いていた。

 柱人は、定期的にこの村に現れ、時に話をし、時に奇跡を起こし、時に人々を導いてくれるのだという。柱人は会場を見回し、ふとアリオンと目があったようだった。

「明日に生きる若者よ、あなたたちこそ心を強く持って生き抜かなければならない。場合によっては、仲間や家族のために、命を懸けなければならないかもしれない。自分の取り分はないかもしれない。でもあえて他人のために力を注げるのなら、あなたに名誉と真の勇者の称号が与えられるだろう」

 アリオンは自分に言われたんだと思い、大きくうなずいた。柱人は、みんなと心が通い合ったのを確認すると、再び光の柱に包まれ、空へと帰って行った。ロギアとアリオンは数日その村に滞在し、みんなでわかちあい、みんなのために生きること、みんなのために祈ることを覚えた。父親は、息子のために、木と革で鮮やかな腕輪を作って、息子に渡した。これを見るたびに、柱人の言葉を思い出せという印だった。柱人は今でいう聖人であり、この旅は今でいう聖地巡礼の原型であった。アリオンとロギアはまた長い道のりを歩いて村に帰り、柱人の教えを村に伝えた。教えに従った村はますます栄え、アリオンは、村の若きリーダーとしてさらに強くたくましく育って行った。

 そして十年の月日が流れた。

 アリオンは妻をめとり、春には子供も生まれることになった。だがその日、アリオンは仲間を率い、狩りに出ていた。

 それは突然起こった。まず最初にたくさんの鳥が、大きな声で鳴きながら空を飛んで行った。すごい大群で、何か嫌な予感を感じさせた。

「…みんな、今日の狩りはもう終わりだ。すぐ村に帰るぞ」

「アリオン、でもまだ小さな獲物しか採れてないよ」

「ここは村からかなり遠い。急いだ方がいい。まだ荷物を持てる奴は、できるだけたくさんの薪を集めて帰るんだ」

「わかりました」

 みんなよくわからないと言った顔で、リーダーの言うとおりに帰り道についたのだった。

 だがはたしてアリオンが危惧した通り、空はどんどん暗くなり、黒い雲で覆われて行った。どこからか冷たい風が吹いてくる。ここから遠く離れたインドネシアの巨大火山帯が大爆発を起こし、その粉じんが世界中の空を覆い始めたのだ。空は粉じんで暗くなり、日光は地上に届かなくなり、夜と冬が一度に押し寄せてきたのだ。

 みんなも異常に気付き始め、黙ってスピードを上げ始めた。

 まだ夕方まで少しある時間なのに、黄昏のように暗くなった。動物たちも何かを感じあちこちで叫びをあげている。

「なんだ、これは…」

 若者の一人が妙な声を上げた。何か冷たいものがふわっと暗い空から降ってきたのだった。だがそれが何か説明できる者は一人もいなかった。誰も見たことがなかったからだ。今、間違いなく、サバンナに雪が舞っていた。早く出発したおかげで、アリオンたちは村にたどり着いた。女や子供たちは不安な気持ちで待ちわびていた。アリオンも身重の妻をそっと抱きしめた。みんなたくさん用意された薪を分けて、小屋に帰って行った。不安な長い夜、みんな家族で身を寄せ合って朝を待った。だが、朝になっても、少しだけ明るくなっただけで、黒い雲が低く垂れこめているだけであった。

 不安がる村人たちにアリオンは言った。

「祈るのだ。みんなが無事で生きて行けるように強く祈るのだ。大勢で祈るのだ」

 アリオンは昔父に作ってもらったあの腕輪を締め直し、自らも祈った。

 その時だった。奇跡のように空が光り、雲間から、光の柱が下りてきた。

「柱人?」

 それはアリオンが十年前に見た時と同じ柱人だった。ただ、年はまったくとっていなかった。

「おおいなる冬はまだ始まったばかりだ。もし、ここで耐え忍ぶことが難しくなったときは、緑の谷に来るがよい。お前たちの場所はいつもとっておこう。」

「緑の谷?」

「ああ、アリオンよ、おまえが十年前に訪れたあの地だ。おぼえているか?」

「はい」

 柱人は、まっすぐにアリオンを見つめると、また光の柱の中を上って行った。大草原には吹雪が舞っていた。


 柱人は、すべてのミッションを終え、そのまま転送されて、ピラミッド型のアフリカ支部に戻って行った。このミッションは「祈りのプロジェクト」と呼ばれ、人々の心を一つにまとめ、想念で未来を守るという壮大なミッションであった。

 転送ゲートから出て指令室に入る。久しぶりのアフリカ支部はフル稼働状態で、ほとんどの隊員は出払っているようだった。計器類や操作盤はすべて隠されていて広々とした会議室のような空間でたった一人が出迎えてくれた。彫りの深い顔に大きな瞳が印象的な男、上級捜査官でアフリカ支部局長のカリオストロ・ブレイズである。彼は、エルネストの古くからの親友であり、偽錬金術師で詐欺師でもあったフランスのカリオストロ伯爵に成りすまし、裏社会に潜入捜査していた腕利きである。優しくおおらかなアイデアマンのエルネストと比べ、カリオストロは冷静で分析力の優れたリーダーで、二人はいいコンビだった。

「おう、やっと来てくれたか、エルネスト。いよいよこの時間軸での決戦が近づいてきたようだね」

 久しぶりに再会した親友同士は手を取り合った。

「ああ、いろいろな時間に飛んで想念連携をとっていくのもそろそろ限界、タイムリミットだ。それよりカリオストロ局長、現在の進行状況はどうなんだい」

「そうだねえ、じゃあ今マップを出すよ」

 指令室の空中に大きなマルチスクリーンが忽然と現れる。

「七万四千年前の今、全世界というか前アフリカのホモ・サピエンスの総数はわずか二万人だ。この急速な寒冷化現象で、植物は枯れ、動物は減少し、生態系そのものが機能しなくなってきている。このままでも二か月後の人類の予想生存率は25.7パーセント、最悪のシミュレーションでは、さらに減り、二千六百人まで減って種族維持のレッドゾーンに突入だ。だが、人類の歴史では、この突然の氷河期を乗り越えることにより、人類は生存のための技術や文化を飛躍的に発達させ、約六万年前に始まった全世界への種族拡散、大移動の源となって行くわけだ」

 マップ上にいくつかの赤い点が点滅する。寒冷時でも食料を得やすい海岸のそばや、川のそばの低地などに十か所のホモ・サピエンスの保護地域を作る。そこに彼らを集めて時空犯罪者から守る今回のプロジェクトのマップだ。

「祈りのプロジェクトのおかげで、ホモ・サピエンスは落ち着いて保護地域に集まりつつある。でもまだ二十三パーセントに過ぎない。保護地域から遠い部落はもちろんまだどこもたどり着いていない。問題はこっちだ。明らかに異世界の怪物だと思われる大型生物が七か所で目撃されている。ホモ・サピエンスへの実質的な被害も三例ほど報告されている。これからどんどん増えていくだろう。これは完全に時空犯罪なので、発見した段階で直接処理しなければならない。これが記録された映像の一部だ」

「おお、これは…」

 吹雪の中を巨大な毛むくじゃらのものが歩いている。一つ目巨人キュクロプスだ。ほかの映像では、黒雲が垂れ込める空にありえないものが飛んでいる。空飛ぶ龍、ワイバーンだ。それが、ホモ・サピエンスの部落に近づき、家を踏み潰し、人々を追いかけている。逃げ惑う人々は散り散りになり雪の平原に消えていく。ほかにもいろいろな魔界の巨大な怪物が出没しているという。

「ばかげている。犯人は何を考えているのだ。ただ人類を人質にとるだけなら、爆弾や武装集団を使うところを、なんでわざわざ怪物を送るのだ?」

 カリオストロは、怪物の組成分析データを示した。

「怪物と遭遇した空間海兵隊の兵士から驚くべき報告があった。なんと通常の砲弾やレーザー、各種爆弾などを使用しても、怪物の進撃は止まらないというのだ。奴らはやられてもすぐその場でみるみる再生してしまうと…。そこで分析の結果、驚くべきことがわかった。あの怪物たちは魔界の生命体で、奴らのところには絶えず異世界からのエネルギーが送られてきている。だからすぐ再生されてしまうのだ。そのエネルギー源を絶たなければやつらを完全に倒すことはできないのだよ。だから魔界の怪物を使うことで我々の通常兵器を無効にし、さらに「心の毒」をまき散らし、恐怖で人々の心を破壊するのだ」

「そういうことか。あの怪物は異世界のエネルギー源を絶たない限り倒せないのか? ついに犯人の予告は実行に移された。やつは本気だ。このままでは天変地異で急激に数を減らした人類が絶滅してしまう。他の匿名操作官はどうなんだ? 報告はあったのか?」

「四人の時空犯罪者を追っていたキース・フェリックスからはしばらく連絡が途絶えていたが、やっと敵の時空ステーションを発見したという連絡がつい数日前に届いたところだ。なんでもあの大財閥のアドリアン・ハリオンが異空間に秘密のアジトを建設し、そこに仲間を集めたという。潜入がうまくいけば、もう少しで事件の真相がわかるかも知れないということだった」

「行方不明だったキースから連絡があったか。無事でよかった…」

「異世界へ精神トラベルを行ったケイト・ヘミングは、キメラシステムが発動したが、その過程で事故が起きた。こちらで用意したバディクルーは精神合体ができなかった…」

「え? じゃあケイトはまさか…」

「今原因不明で連絡が取れないのだが、心配はいらない。彼女の肉体はこの基地の生命維持カプセルにあり、一時的な精神混乱状態と診断されているだけで、大きな支障はない。何が起こったのかわからないが、じきに回復するだろうと思われる」

「そうか…何事もなければよいが…」

 カリオストロはエルネストに言った。

「エルネスト、悪いが休んでいる暇もなさそうだ。このアフリカ支部は、最大の保護地域、緑の谷に移動することになった。どうも時空犯罪者の狙いはそこだ。怪物はそこに向かって移動している。あそこをやられたら人類は終わりかもしれない。やつらを転送してくる次元の入り口が特定できない。はやく異次元から送られてくるエネルギー源を遮断し、彼らの進撃を止めなければならない。何とか吹雪の絶滅を止めなければならない」

「わかった。すぐ用意する。異次元犯罪者のための特殊武器の使用許可を頼む」

「オーケー」

 やがてピラミッド型の基地は、静かに空中に浮きあがりステルス状態となって、移動を始めたのだった。


 そのころアリオンは決断をした。まだ食料や体力があるうちに用意を整えて、村を出る決断だ。反対のものも多かったが、今は皆の祈りの力で、部落全体は落ち着いていた。一番の心配は身重の自分の妻だったが、若い妻は力強い夫に従い、出発を決断した。

「みんな、心を強く持って助け合って進むのだ」

 アリオンはあの鮮やかな腕輪をまき直し、柱人の言葉を胸に強く刻み直し、一族に号令をかけた。ありったけの食料と毛皮を用意し、アリオンの一族は雪が積もる寒冷なサバンナを歩き出した。約束の地、緑の谷を目指して…。

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