第16話 キメラシステム

 ベスはまた、夢の中であの日のことを思い出していた。昔のように恐怖を感じることはほとんどなく、客観的な出来事だけが映画のように頭の中を回っていた。

 あの日エルダーフラワーヒルの魔女屋敷に近づいていく七人、それを偶然目撃してアレックスとともに立ち止まって見ていたエリザベス。

 ブライアンは集めた資料ノートをもう一度確認する、中には最近この近くでミランダたちによって発見された「聖なる王冠」のカードの一枚が挟まっていた。

 ラテン語で書かれた古いものだったが、ブライアンと言語に詳しいレベッカで翻訳・解読して、それが「聖なる王冠」のカードの一枚であることを突き止めたのだ。そしてブライアンの歴史研究会は、この魔女屋敷のあたりに不可思議な現象が目撃されていることから、ここを調査に来たのだった。魔女屋敷に近づくと、ミランダが叫んだ。

「あ、この間と同じ。エルダーフラワーの枝が光っている! 前もあたりが光った後、カードが見つかったのよ」

「よし、行くぞ」

 ブライアンの掛け声でみんな進んでいった。

「おい、ドアのカギが空いてるぞ?」

 偵察のフレデリックは、もうドアに手をかけていた。

 そこをベスは見ていた。黙って入るなんていいのかしらとちょっと覗きこんだ。その時、ガラス窓の中に、黒い人影が見えた。以前なら恐怖の対象だったが、今はそれが消えて、客観的に見ることができる。

 ドアを開け放ったフレデリック。その時、七人の高校生と、謎の人物の目があった。見つめあったまま凍りつく両者。その人物は突然、右手を突き出した。稲光が走り、七人はパタパタと気を失って倒れていく。

 影のように真っ黒で顔は全くわからない。

「やっぱり反応がある。こいつらだったか」

 そいつは指をぱちんと鳴らした。すると、ブライアンのノートに挟み込んでいた一枚目の「聖なる王冠」のカードが飛び出し、空中を渡って、そいつの手のひらに収まった。

「こうもうまくいくとはな。だが、七人もいたとは計算外だ。時間がない、とりあえず転送しておくか」

 そしてそいつは手元で何か操作した。すると倒れた七人は一瞬光に包まれ、そしてかき消すように消えて行った。

「キャー!」

 それまで恐怖で立ち尽くしていたベスは、悲鳴を上げて逃げ出した。

「もう一人いたか?うぬ?」

 だが、ベスが逃げ出した時、そいつの腕から警報音が聞こえた。

「まさか…エルネストのやつ、もうこの世界に追い付いてきたか? 仕方ない…」

 そいつの右手から発射された稲光のようなものがベスの背中に当たった。倒れるベス。その瞬間、眠っているベスは心に痛みを感じた。

 ぐずぐずしていられない魔人は、もうどこかに姿を消していた。アレックスは主人が倒れたのを見て、最初は主人にとりすがったが、やがて助けを呼びに走り出したのだった。

「うう、助けて、エルネスト、助けてエルネスト!」

 ベスは夢の中でエルネストの名前を必死に呼んだ。エルネストさえ来てくれれば、もう大丈夫だ。大好きなエルネスト。やがて心が楽になって、また安らかに眠りについていった。心の中はエルネストのことでいっぱいだった。

 マインドモニターでそれを見ていたフレアは伯爵を呼んだ。あわてて駆けつける伯爵。

「どうした? 何か分かったか」

「はい、エルネストに追いかけられた時空犯罪者の仕業のようです。エルネストの治療が適格だったので、なんとかたどりつけました」

 今の映像を今度は部屋の絵画モニターに映し、伯爵も確認した。

「とんでもないやつだ。ところでベスに撃ち込まれたものがわかったかな」

「はい、あの稲光とともに撃ち込まれたのは、追跡用のスピリチュアルタグです。これを記憶の深層に打ち込むことにより、気づかれずに後で簡単に追跡ができます。彼女ももう少しで居所を探し当てられ、次元の果てに連れ去られるところでした。でも、もうこれで安心です」

「取り出せるのかね」

「はい、今取り出して、時計台に転送、データの解析と犯人の特定を行っています」

 あの巨大な時計台は、時空コンピュータでもあったのだ。

「解析終了。今、絵画モニターに出力します」

「…ううむ…二重三重にセキュリティがかかっていて犯人特定は無理か…おや、だが敵の特徴が分かってきたぞ…」

「これは…三年前時空博物館から盗まれたソウルイーター、精神生命体と同じ反応が出ています…」

 だが、その時すやすや寝ていたベスが、突然呼吸が乱れ、様子がおかしくなった。

「どうしたの? ベス! おかしい普通の精神状態じゃないわ。何が、何が起こっているというの?」

「エルネスト、エルネスト…エルネスト…」

 ベスは大好きな人の名をうわごとのようにくりかえした。予期せぬ何かが始まっていた。


「キメラシステム…始動します」

 マインドモニターの中に機械音が響いた。ケイトの体はソウルイーターに侵食され始めていた。

 ケイトとファーガスはつい数分前に屋上に到着した。広い屋上のすぐ上にはあの巨大なクリスタルが浮かび、そのすぐ下に円形の神殿のような建物があった。

「あの建物の中に奴はいるはずだ。気をつけろ、奴は計り知れぬ精神エネルギーを持っている。なにせ、ここは奴の宮殿だからな。力が発動する前にとっ捕まえるしかない」

 ふと、見上げると、あの空中に浮かんだクリスタルがすぐ頭上に見えた。近くで見ると、さっきの逆に流れていく滝のように、いろいろな光が空中に上りクリスタルに集まって行く…。

「こ、これは巨大な精霊石なんだわ。このセリオンの台地の生命エネルギーをすべて集めて作られた…! 豊かな大地を、生き物を、すべて荒涼とした世界に変えたのは、この魔王のクリスタルだったんだわ」

 ケイトは一瞬にしてすべてを知り、激しい怒りを覚えた。

「よし、気づかれないうちに突入だ!」

「了解」

 薄暗い通路を行くと、大きなホールに出る。

「危ない。動くな」

 ファーガスがケイトを止めた。大ホールに置かれた巨大な棺桶のようなものの一つがガタガタと動きだした。二人が物陰からそっと伺うと、棺桶のふたがゆっくり開き、身長が五メートルはある毛むくじゃらの怪物が棺桶から進み出て、目の前をのっしのっしと通り抜けた。額に目が一つだけの一つ目巨人だ。そして魔法使いの法衣を着た不気味な男がホールの中心に進み出た。

「あいつが魔王か?」

「わからない。以前はミケランジェロのダビデ像そっくりな体に古代ギリシャの衣服をつけていたが…」

 魔法使いはホールの大きな壁に向かって、何か呪文を唱えた。すると壁に光が渦巻き、巨大な鏡が出現した。そして、さらにその大きな鏡の中に不思議な風景が浮かんだ。中世の城や、イギリスの田舎町、いろいろな風景が次々とそこに映る。

「奴はここから現実世界を見張っているようだ…」

 だが最後に吹雪の雪原が映ったときだった。魔法使いは大きく叫んだ。

「行け、キュクロプスよ。お前の恐ろしさを思い知らせてやれ!」

 するとなんということだろう。あの巨大な怪物が鏡に向かって進み始め、そのまま吸い込まれるように鏡の中に消えて行ったのだ。

「ははは、成功だ。これがすべてうまくいけば、現実世界の支配も思いのままだ」

 魔法使いはそのまま奥の王座の間へと消えて行った。棺桶がいくつもあるということはこんな大きな怪物が何体もいるということか?

 二人が息を殺して王座の間に忍び込んでいくと、ずらりと並んだギリシアの神々の像に囲まれて、魔王のきらびやかな王座があった。先ほどの魔法使いが法衣を脱いで王座についた。やはり、魔王だったのだ。あのダビデ像を思わせる、彫刻のような美しい姿だった。ターゲット確認、奴に反撃する隙を与えてはいけない。ケイトとファーガスはすぐさま魔王の目の前に飛び出した。

「時空犯罪班0993号、お前を逮捕する!」

「なんだと! どうしてここに。お前たちは鯨の体当たりで死んだはずでは…」

 魔王の体が怒りとともに強烈な光を放った。一瞬何も見えなくなった。そして魔王の体は大きくなりながら、恐ろしい姿に変わろうとし始めた。力の発動が始まったのだ。だが、魔王の反撃を一切許さず、電光石火のケイトの早業が決まった。

「犯罪者捕獲用、空間固定ネットだ!」

 さすがの魔王も、力をほとんど出さないうちに、空中を開きながら飛んできた光のネットによって凍りついたように動きが止まった。

「セキュリティレベル5のネットだ、動けまい。急いで転送に入る」

 時空犯罪者の転送終了までは気が抜けない。でも、それもあと数分で終わる。だが、その時、異様な気配を感じたファーガスが叫んだ。

「ケイトどうだ、リュンコイスの瞳の反応はあるか。何か胸騒ぎがするぞ?」

「え? 魔王を捕獲したが、そういえばまだ邪気の波動は消えていない?」

 辺りを見回す。特に美術品の彫像のほかは怪しいものはない。と、次の瞬間ファーガスがうめき声をあげた。

「ぐぉ、なんだ、これは? ケイト気をつけろ! ギリシアの神像が…」

 ファーガスの肩に突然突き刺さったのは、アルテミスの彫像の矢だった。ファーガスの手から落ちたショットガン、だが拾おうとすると、アテネの象が台座から降りて、剣を振り上げ、ショットガンに突き刺した。すぐ助けようと駆け寄るケイト。だが、ケイトの体も動かなくなっていた。魔王の体を包んだレベル5の光のネットが破られ、中からアメーバのような黒いものが流れ出し、いつの間にかケイトの体にまとわりついていたのだ。

「ば、馬鹿な、光のネットを破れるはずが…」

 するとどこから聞こえるのか魔王の声が響いた。

「破れるはずが…あるのだよ。なぜなら君がとらえたのは、私ではなく、すべてのスピリチュアルエネルギーを食らうことのできる、ソウルイーターなのだから。ソウルイーターが何者なのか知っているかい。それは生きている心の毒、増殖する悪夢なのだよ。そいつは正常な心をむしばみ、すべての思い出を闇の中に沈めていくのさ。貴様も永遠の悪夢に飲み込まれるがいい!」

 建物の奥の扉が光り、そこに本物の魔王が姿を現した。その彫像のような美しい体が怪しく光った。

「こちらも危ないところだった。最初に光ったときに、入れ替わったのだ」

 や、やられた…だが、ケイトには強い思いがあった。どんなことがあってもこの任務をやり遂げなければならない理由があった。だから、躊躇なくスイッチを入れた。キメラシステムが始動したのだ。

「ケイト、平気か!」

 百戦錬磨のファーガスは、自分の手で矢を引き抜き、重力ブーツのキックで敵を吹っ飛ばし、サンダーボルトパンチで神像を粉々に打ち砕いた。だが、魔王を追いかけようとすると、後ろの扉に時空の渦がおき、魔王はその中に消えて行ったのだ。

「今、四魔人をここに呼んだ、やつらにバラバラにされるがいい。私は少しの間、時空の彼方に身を隠す。今回も私の勝ちだ。ではさらば…」

「ちくしょうめ!」

 ファーガスの嘆きが響いた。だが、ケイトはまだあきらめず、扉へと歩き出した。

「く、私は負けない。どんなことをしてもお前を逃がしはしない…」

 ケイトの体が光りだした。強いエネルギーに、ソウルイーターが体から離れ、逃げ出し始めた。キメラシステムとは、ソウルイーターに襲われたとき、自分とは別のもう一人の精神を自分の肉体に呼び出し、スピリチュアルパワーを一時的に急上昇させ、ソウルイーターを撃退させるシステムだった。

「決してお前を逃がしはしない、私はあきらめない」

 だがやはり、キメラシステムが暴走を始めたのか、ケイトは急に倒れた。駆け寄るファーガス。

「どうしたケイト」

 おかしい体に力が入らない。キメラシステムは暴走を始めたのか? 自分はもう死ぬのか…。キメラシステムが暴走すれば、元の世界に戻っても意識のない植物人間になってしまう…。ああ、この任務をやり遂げて、もう一度あの人に会うはずだったのに…。ケイトは消えゆく意識の中で心の底の底に隠していた秘めた想いを口にした。それは長く活動を共にしてきた時空諜報部の仲間の一人だった。

「…まだ死ねない、まだあきらめない…ああ、エルネスト…あなたに…」

 ケイトは、そのまま意識を失っていた。


「エルネスト…!」

 ベスは眠ったままそうつぶやいて、そのまま動かなくなった。

「フレア君、彼女は大丈夫なのか?」

「身体機能は正常のままです。ノンレム睡眠状態で、深い眠りについているのと同じです。ただ、精神機能が…」

 見た目にはすこやかに眠っているのと何ら変わりはないように見える。

「…信じられませんが、何かの外部の力によって、彼女の精神は異世界に飛んでしまいました。大事をとって、われわれのセクションの異次元トラベラー対応の休眠カプセルに移動させます」

「いったい何が起きたのだ。精神の転送先はわかるかい?」

「もちろんです」

 フレア・フォンテーヌが絵画モニターを操作すると、そこには転送先がはっきり映った。

「ここは、まさか…。ありえない。精神世界のセリオンの地? 彼女の体にいったい何が起きたというのだ。アフリカ支部にすぐ連絡を取るんだ」

 フランス支部は、大騒ぎになり、伯爵もあわてて部屋を飛び出していった。


 気が付くと、ファーガスがそばにいた。

「やっと気が付いたか…。ケイト、もうだめかと思った。よかった。まあ、水でも飲むか」

 ファーガスが泉の水を器に入れて差し出した。そこはあの先住民の村の洞窟のそばだった。ケイトは起き上がり、水を飲み干した。

「…すまない、あれだけ頑張ったのに、結局魔王を逃がしちまった。すまない。あれからすぐ四魔人がやってきて、もう、何もできなかった。あんたを連れて逃げ帰るのが精いっぱいだった。また失敗しちまった」

 だが、ケイトはきょとんとして、何も答えなかった…。

「どうした、ケイト、お前もハリーみたいに心がぼろぼろになっちまったのか?」

 ケイトの様子が明らかにおかしいので、ファーガスは戦略用コンピュータ「ルシフェル」を使って、精神状態を調べた。

「対ソウルイーターシステムが正常に作動して、あらゆる機能が正常に近づいています。ただ…本来なら、シンクロ率九〇パーセント以上で作動するはずが、只今転送された精神体はシンクロ率四十七パーセントで、精神機能があらゆるレベルで混乱し、一時的に機能停止状態になっています…以上」

「シンクロ率四十七パーセントだと? それじゃあ、頭がどうにかなっちまうぜ。いったいどういう間違いが起きたというのだ」

 ファーガスは一度ケイトから離れて、近くの岩の上に座り、たばこ型の回復剤を試してみた。

「フー、生き返るぜ」

 一本、二本と吸うだけで、傷ついた黒いロングコートや、敗れた川の手袋が回復していく。

 ケイトも、泉の水をもう一杯飲み、体が生き生きとしてきた。

「どうだいケイト、俺がわかるか?」

 だが、ケイトはきょとんとしたまま言った。

「ケイト…ケイトって誰ですか」

 ファーガスは責任を感じ、大きくため息をついた。

「自分のことがわからないか。じゃあ、俺はお前を何と呼べばいいんだ」

 女は自分の心に浮かんだ言葉を言った。

「わたし? …私は…キメラ…!」

 だがその頃、二人を追いかけて砂嵐の魔人、レギオンが黒い雲とともにすぐそばまで近づいていたのだった。

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