第13話 サンジェルマン伯爵邸

 何者かの襲撃にあったウェリントン邸の問題の部屋のドアを、エルネストは腕時計型センサーを使いながらそっと開いた。少し開いたとき、中の静かな部屋が見えた。何事もなかったかのように思えた。だが、ドアを大きく開いた瞬間、ドアの枠が歪んだようになってエルネストとベスに向かって飛び出してきた。

「しまった! ディメンショントラップだ!」

 あっという間にエルネストとベスは空間の歪みに飲み込まれ、時空がぐるぐると渦巻く次元の狭間に飛ばされていた。

「やつらの狙いはなんだ。ベス、どんなことがあってもぼくから離れるな!」

 その時、空間を黒い人影のようなものが近づいてきた。エルネストの体が光りだした。ベスは必死にしがみついていたが、やがて気が遠くなって、気を失っていた。


 気が付くと、ベスはまたいつものようにベッドで横になっていた。なんかさっきの出来事が夢のよう、また病気の症状が出たのかと思っていた。

「あら…でも…ここはどこ?」

 いつものウェリントン邸に似ていたが、よく見ると、もっと昔風の家具ばかりが置いてある。

「あ、エルネスト先生、ここはいったいどこですか」

 ベスの目が覚めたのに気づいて、エルネストが近づいてきた。

「やつらの狙いは君だった。あの魔女屋敷で、奴らは君の心の中に何か重大な秘密を残してしまったようだ。だから君をここまで運んできた。ここは強力なセキュリティに何重も守られていて、奴らも手が出せない」

 その時、ドアが開いて、思慮深そうな一人の紳士が静かに入ってきた。指には高貴なブルーダイアモンドの指輪がきらめいていた。

「よかった。目が覚めたようだね。エリザベス・アシュフォード君だったね、ようこそわが屋敷へ、私がサンジェルマンだ」

 伯爵はそういって上品に微笑んだ。思っていた通りの、大金持ちのやさしいオジサマだ。なるほど、服のセンスはばっちりだ。ベスはすぐに起き上がってあいさつをした。

「ああ、エリザベス君、あんなことがあった後だ、無理はしないでくれ。それからエルネスト君、さっそくアフリカの時空諜報部から、君に緊急通信が入っている」

 するとエルネストは急いで部屋を飛び出していった。

「サンジェルマン伯爵ですよね。お話は伺っています。私はどのくらい眠っていたんですか。ここはイギリスのどのあたりなんですか」

「そうだねえ、君が眠っていたのはわずか三十分だ。そしてここはフランスのベルサイユ宮殿のそばだ」

「え、フランスって…?」

 ベスはあわてて近くにあった窓の外を見た。すると石畳の道が見えたが、行き来する往来の人々の服装に、見たこともないような違和感を覚えた。どうみても古めかしいのだ。

「…ベルサイユ宮殿のそばに間違いはない。だが現在は一七八一年、フランス革命の少し前だがね」

 驚いて目を丸くするベス。そこへ、エルネストが駆け込んできた。

「吹雪の絶滅についに奴らの侵略が確認されたようです。予定を早めて今すぐアフリカに行って来ます」

「え、先生、もう行っちゃうの? せめて玄関まで送らせてください」

 すると伯爵がちょっと考えてから言った。

「よろしい、エリザベス君、私たちと一緒に来たまえ」

「はい」

 ドアを開けて廊下に出る。見たところ、古い大きな邸宅といった感じで、おかしなところは一つもない。そして重い扉を開けて、図書室のような部屋に入った。天井が高く、広い部屋で、大きな棚に熱い本がぎっしりと並べられていた。

 そして、その中から分厚い本を取り出すと、本の中身をパラパラと確認して、それをカウンターに持っていく。エルネストは本をカウンターの中の金属の台の上に置いた。すると台が光り、ガタンとカウンターの仕切りが開き、エルネストはカウンターの中に入った。次にカウンターの中の扉が静かに開いた。

「じゃあ、行って来ます。ベス、伯爵のいうことをよく聞いて静かにしているんだ。伯爵、それではお願いします」

 いったい図書館で何をしているのかわからなかったが、ベスは叫んだ。

「先生、エルネスト先生、無事に帰れるようにずっと祈っていますから!」

 ドアの隙間からちらっと見えたのは、プラットホームのような場所で、何か乗り物が近づいてくるような音が聞こえた。ドアは静かに閉まり、そして、エルネストは行ってしまったようだった。

 あっけにとられるエリザベス。

「…あのう、屋敷の中に何でプラットホームがあるんですか…? っていうか、エルネスト先生は、列車でアフリカに行ったわけじゃないですよね」

 すると思慮深い伯爵は、カウンターの本を棚に戻しながら話し出した。

「この本の中には、目的地に着くための、空間座標や六次元タイムコードなど膨大なデータが詰まっている。それがないと正確にたどり着くことはできないのだ。なにせ、エルネストが出かけたのは、七万四千年前の吹雪のアフリカだ。インドネシアの巨大火山の噴煙により、急速に寒冷化が進んだ氷河期のアフリカなのだ」

「氷河期? あの…エルネストは…伯爵たちは、いったい何をしているのですか? どういう人たちなのですか?」

「そうだね。…君たちの目から見たら…はるかな未来人だ。そして私たちは時空犯罪者を追いかけている時空諜報部のメンバーだ。エルネストは腕利きの諜報部員で、君たちの時代へも、時空犯罪者の捜査のために行っていたのだ」

「時空諜報部?」

「私たちの時代には、時間や次元を行き来することが可能になった。タイムトラベルや異次元トラベルは厳重な倫理規定によって国家が管理しているのだが、そこをかいくぐって小さな事件が絶えなかった。だが今回は複雑で非常に大きな事件が相手で、こちらも総力をあげて取り組んでいるのだ」

「…わかりました。わかりましたけど、まったく信じられません。いまだに夢の中にいるようで…。それにこの建物も昔の建物で、全然未来っぽくないし…」

「ははは、そりゃそうだ。このフランス支部は十八世紀仕様に作られているしね。じゃあこうしよう、私は次の任務まで約四十分の時間がある。説明がてら、この屋敷を案内しよう。どうかな?」

 そのセリフを聞いた途端、ベスの頭の中には、リビングにある時計台だとか、水中人類を飼っているだとか、エルネストのホラ話が浮かんできた。

「本当ですか? ぜひ、お願いします」

「では、どうぞこちらに…」

 異常に姿勢の良いサン・ジェルマン伯爵が自ら先頭に立ち、廊下をサッサッと歩き出した。


「本当だ。リビングに時計台が建ってる。」

 リビングに出ると、吹き抜けの高い天井に届きそうに、四つの不思議な時計のついた時計台がそびえていた。

「ああ、これかい? これは時空管理時計だ。あの一番上の時計が現在のフランス時刻、次の針が四本付いている時計がわれわれ未来の時間だ。次が六次元タイム、そして最後が時空羅針盤だ。ここにはいろいろな時間を持った人が出入りするので、時間事故が起きないように、ここで集中管理しているのだよ」

 説明を受けてもまだ信じられなかったが、時計台は本当にあった。しかもなかなかお洒落で立派な時計台だ。

 そこを抜けて次は温室のような植物のたくさん置いてある部屋にでた。そしてその奥に大小の五つの水槽が置いてあった。

「これって、もしかして、水中人類の水槽ですか?」

「おや、エルネストに聞いたのだね。小さな四つの水槽で、微生物や水質、栄養などを調節して、この真ん中の大水槽で彼らを飼育している。水中人類、トリトンだよ」

 本当にいたのだ、水中人類が!

「あの、そのトリトンっていう水中人類を見せてもらえますか?」

「もちろんだとも。そろそろお昼の食事の時間だから、彼らもきっと出てきてくれるだろう」

 高さも奥行きも2メートル以上ある大きな水槽に、海藻のびっしりはえた海の底が再現され、水面近くにも複雑に絡み合った大きな海藻がイカダのように漂っていた。

「ほうら、食事の時間だよ」

 伯爵がそう言うと、別の水槽から、動物プランクトンや小エビが流れてくる。水面に漂っていた絡み合った海藻の中で、何かがもぞもぞ動いているのが見えた、やがて子ザルのようなほっそりしたかわいい人形のような水中人類が出てきた。見慣れないベスがいるせいか、ちょっと警戒している。

「絶滅生物研究プロジェクトというのがあってね。最高のタイムセキュリティで守ったうえで、すでに絶滅してしまった生物を一時的に飼育し、生命の多様性の謎と進化のなぞに迫るという研究だ。時間セキュリティの高いところで時間倫理に百パーセント沿った規定を守らないとこの研究は許可がでない。セキュリティの高さからここもプロジェクトに協力しているわけだ。今までドードーやオオウミガラスなどを一時飼育したが、今度の水中人類はかわいらしくて大人気だ」

「じゃあ、恐竜なんかも…」

「ああ、大きなものは、それ専門の国立公園並みの大きな施設がある。でもセキュリティの問題で、莫大な予算がかかるんだ」

「このかわいいトリトンは、最近までどこかに生きていたの?」

「いいや、ずーっと古いんだ。このマーモセットに似た海藻のジャングルに住む水中人類と呼ばれた生物は、六五〇〇万年前の白亜紀末期に発見された個体だ。残念なことに、巨大隕石の落下により、恐竜とともに滅びてしまった。だが、あの事件がなければ、本当に人類に近いものに進化していたかもしれない」

 大きさと動きは、本当に小型のサル、コモンマーモセットに似ている。だが顔は、唇もついていて、人間の子どもにそっくりだ。この唇をスポイトのようにとんがらせて、動物プランクトンを器用に吸い込む。びっしり生えた海藻を小さな手でかき分け、あるいは海藻を引き寄せてさっと隠れたりする。海藻を編んで寝床や子供部屋を作ったりする器用なところもある。体は長い魚の尾の生えたサルという感じだが、もちろん毛はない。

 海藻のジャングルに潜んでいるせいか、あちこちにきれいなひれが生えていて、リーフィーシードラゴンというさかなに非常によく似ている。たくさんのひれが擬態となり海藻に紛れて身を守っているのだという。

「何の仲間なんですか?」

「驚いたことに遺伝子を調べたところ、海で小型の恐竜が進化したものだと判明した。しかも彼らは卵胎生を進化させ、サル並みの妊娠期間をもち、かなり知能の高い子供を産むことが可能だ。一生、地上に戻る必要もなく、海の中で小さな群れで暮らしているという」

「ああ、赤ちゃんが出てきた。なんてかわいいの」

 好奇心の強い一匹のトリトンの子どもが、覗き込むベスに近づいてきて珍しそうに大きな瞳を見開いた。その愛らしさと言ったら、もう、ベスはメロメロである。

 さらに次は錬金術の部屋に案内された。そこには大きなガラスの実験器具や、ランプ、たくさんのふしぎな薬品が並べられていた。

 実は、未来人であることがばれないように、わざといかがわしい実験室などを用意して、カモフラージュに使っているのだという。

「我々が、この時代の人々に理解不能なことをしても、錬金術師というと、ほとんど怪しまれないのだよ。いろいろ助かっている」

 それから、伯爵の執務室というところに連れて行ってもらった。

 そこは大きな机がある少し広めの部屋だったが、不思議なのは、大小の絵画がいくつも飾ってあるのだ。全部伯爵が書いたというのだが、ほとんどが宝石、特にダイアモンドの絵であった。どんな絵の具を使っているのか、本当にきらめいているような輝く絵であった。

「ではこの執務室の仕掛けを使って、今度の事件の説明をしよう」

 伯爵がそういうと、目の前の絵画の一枚が、パッと光り、そこに真面目そうなこの時代の男の人の絵に変わった。

「このフランス支部ができた時に、この時代の男を忠実なる使用人として雇い入れた。それがマルセル・デュビエールだ。ある日、この真面目な使用人が忽然と消えた。それが事件の始まりだった。誰かが異次元転送機を裏で違法に操縦し、あの時計台に警報が流れた。それに一番先に気が付いたのは彼だった。彼はいなくなり、時計台の違法操縦のデータは何者かによってすべて持ち出された。犯人は時空を裏から操作し、自分の野望を満たすとんでもない行為を行っていたらしい」

「とんでもない行為?」

「ついこのあいだ、とんでもないことが発覚した。ほかの世界への介入、支配だ。その時空犯罪者は精霊界のセリオンという美しい土地を暗黒の魔王として支配し、荒涼とした世界に変えてしまったのだ。いったいだれがそんなことをしたのか。我々はもともと時空犯罪にかかわっていた急進的な科学者や世界有数の富豪などをリストに挙げて、本格的な捜査に取り掛かった」

 するとまた別の絵画がぱっと画面を切り替え、そこに四人の時空犯罪者の顔写真とデータが表示された。

「彼らはみんな前科がそれぞれある。そこの空間宗教研究家であるシモン・ケペル・クワトロは、倫理規定を大幅に超えた古代や異世界の知識を集めた大博物学者だ。三年前時空博物館で貴重な収蔵品が盗難にあった時の容疑者だ。証拠不十分で不起訴になったがね。アドリアン・ハリオンはハリオンコンツェルンの代表で世界有数の大金持ちだ。その国家予算的な資産をいいことに、異世界旅行や異世界介入を繰り返していた。ゾフィー・クリステルはスピリットウェポンの第一人者、隣のラファエル・キューブリック・コルテスは、異次元転送のトップクラスの科学者で、二人は国家の規定を超えた、危険な実験をしばしば行い、目をつけられていた。私たちは彼らのもとに腕利きの捜査員キース・フェリックスを送ったが、キースはそのまま行方不明となった。しかも…。」

「しかも?」

「しかも、私たちがそのあとも捜索を続けると、今度は人質をとって操作をやめさせようとしてきた。」

「人質? いったい誰を?」

「今から七万四千年前、当時二万人ほどだった人類は、突然の火山の大爆発による噴煙によって始まった氷河期によって、人口がわずか二千人まで減少してしまったのだ。犯人はそこに眼をつけ、もし逆らえば、この二千人の人類を抹殺すると言ってきた」

「そんなことしたら、犯人も消えちゃうんじゃないのかしら?」

「そこがよくわからない。でも犯人は本当にやるつもりらしい。吹雪の服サバンナに大きな異変が起き、このままでは人類の歴史はそこで終わるかもしれない。人間が絶滅種になるという大変な事件になっているのだ。」

気が付けば、精霊の大地セリオンや、アフリカの地図、吹雪の服サバンナなどあちこちの絵画にいくつもの図が示されていた。絵画でカモフラージュされているが、すべては未来の複合モニターだったのだ。

 やがて一通り見て回ると、伯爵は部下を呼んだ。実はあの図書室の奥に未来人の基地があり、常時数人が入れ替わり立ち代わり働いているのだという。やがて少しして、背の高いきれいな女の人が入ってきた。

「医師で諜報部員のフレア・フォンティーヌです。ここでのあなたの身の回りの世話や、エルネストの代わりに精神の治療を担当するわ」

「エリザベス・アシュフォードです。あのう…お姉さんはお医者さん? …あのう、エルネスト先生の恋人?」

「残念だけど違うわ。でも彼は優しいからけっこうモテるのよ。彼にぞっこんでなんとか告白しようとしている仲間もいるわ。ぐずぐずしてると取られちゃうわよ」

「はい、がんばります」

 なんとも気さくなお姉さんだった。かしこくてチャーミングで、すぐに親しくなれそうだった。やがて時間が近づいたので、ベスは伯爵に別れを告げ、お洒落な小部屋に案内された。昔風のホテルの部屋という感じで、気持ちのいいベッドが用意されていた。フレアが引き出しやロッカーを開けると、中からいろいろな洋服が出てきた。

「お気に召さなかったらごめんなさい、あなたのサイズで、あなたの時代の若い子向きの洋服をそろえておいたわ」

「すごーい、とってもかわいい。フレアさん、いいセンスだわ!」

「あら、ほめられちゃった、どうしようかしら」

 やがて少し休んだ後、フレアの治療が始まった。

「エルネストの話では、ベスの病状は九十八パーセント治っているが、あと2パーセントの中に、どうやら時空犯罪者の秘密が隠されているというのよ。このままでは病気が抜けきらないばかりか、また奴らに襲われる可能性がある。それがなにか確認し、ベスの心を百パーセントに戻してやってほしいと言われたわ」

「お願いします」

 ベスはいつものように薬を飲んでベッドに横になった。

 時空犯罪者の秘密とはなんなのだろう。やがてベスはすやすやと寝息を立てていた。

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