第10話 エリザベス・アシュフォードと妖精の小道

 ベスが黄金のいばらと大理石の不思議な家を出てウェリントン邸に到着すると、珍しくエルネストが庭で待っていた。

「あら、先生ごきげんよう。今日はお庭でお出迎え?」

「はは、今日はもう最後だから、君がどのくらい元気になったか確かめようと思ってね」

 エルネストはいつも通り、優しく微笑んだ。

「じゃあ、なんかテストでもするんですか?」

「カレンさんの、君のお母さんの話では、あの事件以来アレックスの散歩も行くのをやめてるっていうし、家にいることが多いそうだね。それは当然のことだけど…。でも、本当は、豊かな自然の中を、毎日少しずつ散歩したりするのが君にとって必要なことなんだ。でも、また事件のあったあたりを歩くと何かと差し障りがあるから、どうだい? ここから沼までとても素敵な散歩道を見つけたんだよ。ためしに一緒に歩いてみないかい?」

「え? 素敵。ぜひ歩いてみたいです」

「じゃあ、ミルトンさん、予定通りのコースで一回りしてくるよ」

「かしこまりました。お帰りになりましたら、おいしいお茶を用意しておきます。いってらっしゃいませ」

 そのコースは、予想外のコースだった。ウェリントン邸のバラの咲き乱れる素敵な庭園の横をそのまま抜けていくと、野の花の咲く可憐な草むらに出る。その中の小さな道を歩いていくと突然沼の周りを回る遊歩道に出る。小さな桟橋を横に見ながらしばらく歩いていくと、気持ちのいい日陰や、素敵なベンチのある公園に出る。すぐ近くで、じいさんたちが楽しそうに釣りをしている。そしてここから水車小屋につながる小川のほとりを歩いて行けば、ウェリントン邸につながる柳の通りに出るのだ。

 最初、きれいな花壇を通りながら、エルネストはきれいなものを見たり、自然に触れたりするのが、心の健康にとても良いので、家に引きこもってばかりはよくないと、いろいろ例を出して説明してくれた。それから、沼のほとりの道で正しい歩き方とか、必要な運動量などの話をして、無理はしないで少しずつ量を増やしていくといいとか、姿勢をきちんとして歩くように教えてくれた。

 そして少し汗をかいてきた後、あの木陰の公園に行ってベンチに座って少し休んだ。

「すごい、地元の私でも知らなかったこんな素敵な散歩道、先生、よく見つけましたね」

 するとエルネストはいたずらっぽく笑ってこういった。

「すごいだろ、実は妖精に教えてもらったのさ」

「また、ホラ話ね。先生ったら…」

「本当によく、回復したね。もう、九十八パーセントは治っているな。あとほんの少しだ。これだけ歩ければ、もう大丈夫だ。」

 波ひとつない沼の鏡のような水面に、岸の野の花やしっとりとした柳の緑が映えて絵画のようなたたずまいであった。時々大物を釣り上げたのか、じいさんたちの笑い声が響いてくる。なぜかさみしさがこみあげてきてベスはぽつりと言った。

「エルネスト先生、もう、今日でお別れなんですか? 遠くへ帰っちゃうんですか」

「…別に、帰れるわけじゃないんだ。たぶん、行き先はアフリカだ。ぼくを待っている仲間や、その…患者さんたちがいるからね」

「仲間って…きれいな女の人とか…」

「え? きれいな女の人? ああ、何人もいるよ。みんなきれいで、賢くて、働き者ばかりだ」

「そうじゃなくて、その…恋人とか…」

「それはいないよ。みんなとても仲がいいけど、今は仕事が大変なんだ。アフリカは最近の仕事じゃ、一番忙しくなるだろうね」

 ベスは少し安心して、話題を切り替えた。

「そう、それじゃあ、またアフリカに行くのね。先生お得意のホラ吹き話のネタがまた増えるのかしら」

「ああ、増えるとも。今度会ったときは君が驚くような話をたくさんお土産に持って帰るよ」

「ねえ、先生、病気の私を元気づけようと先生がいろいろしてくれたホラ話、どこまで本当なのかわからないけれど、とても楽しかった。なんかただ面白いだけじゃなくて、本当に世界がどこまでも広くて、輝いているように思えて、でたらめだと思っていても、すっごく元気になるの」

「それはよかった」

「マンモスだとか、水生人類とか、妖精だとか、本当にいたらどんなに楽しいだろうって、思うのよ」

 するとエルネストは静かに微笑んでこう言った。

「人間の心が思い浮かべるイメージは、必ず元になるものがある。奇想天外なSFも、おとぎ話の夢の国もただの作り話やでたらめじゃないのさ。人間が憧れたり、恐れたりするものは、目の前にはいなくても、時空のかなたや異世界に存在しているんだ。すべては心でつながっているからそれが思い浮かぶのさ。この秘密を知っている者は、いつも世界の無限性を感じて、心を豊かに保つことができる」

 よくわからない話だったが、ベスも少しだけ興味はあった。

「…先生、運命ってあるの?」

「運命? そうだねえ、時間の復元性や共振性は確かに確認されている。だが、君が考えているような運命はないと思う。実は強い思いや願いが未来を変えることもできるんだ。さっきすべての存在は心でつながっていると言ったよね。実は、過去・現在・未来も心で想念でつながっている、だから、強い信念や、多くの人の願い、そして純粋な祈りは、未来を変え、奇跡を起こすこともあるのだよ」

「じゃあ、私、祈るわ。早く先生が帰ってくるように」

「ありがとう…これで、無事に帰ってこられれば、本当にいいのだが…」

 エルネストの顔が一瞬曇った。いったい、彼はアフリカでどんな仕事をしてくるというのだろう。それを見て、ベスも言葉が続かなかった。

 …会話が一度途切れると、切なくて、なにかがこみあげてきて胸がいっぱいになってしまう。今日は絶対告白する決死の覚悟で来たのに、絶好のシチュエーションなのに、エルネスト先生と一緒にいるこの時間がたまらなくいとおしいのに…。

「…さあ、それじゃあ、休み時間は終わりだ。これから水車小屋の方に小川をさかのぼって、ウェリントン邸に戻るぞ」

「…はい」

 二人はゆっくり歩き出した。小川のせせらぎが静かに足元に響いていた。

 ところが、ウェリントン邸に戻ったとき、エルネストの表情が変わった。ベスの目から見ても、何か花壇が元気をなくしたように見える。このあたりを一周してきただけなのに…。

「…ベス、もしかすると大変なことになったかもしれない。いまからしばらく、私のそばを離れないように…」

 いったい何が起きたというのだろうか。エルネストは慎重に玄関まで歩いて行った。

「警察に電話しましょうか」

 すると先生は妙なことを言った。

「だめだ。この時代の警察では、手に負えない…というか被害を大きくするばかりだ」

 先生は腕時計のスイッチを何か操作した、すると、腕時計が光り、探知機のように電子音を発し始めた。ドアを開けながら反応を見ていた。

「ここはもう、通り過ぎた後か…。おお、ウェリントンさん!」

 リビングの大きなテーブルの上にお茶の用意がしてあり、その椅子に座ったウェリントンさんは、凍りついたように動かなかった。

「あ、先生、ミルトンさんが…」

 執事のミルトンがおいしい手作りパイをもったまま、テーブルの下に倒れていた。パイを落とさないよう、最後まで頑張っていたようだった。

「先生、ウェリントンさんとミルトンさんは平気なの?」

「二人とも、強制睡眠をかけられている。奴らのよく使う手だ。ベス、心配しなくて平気さ。目を覚ましたら、なぜ自分たちが眠っていたのかも忘れているよ。問題なのは、奴らの目的だ」

 エルネストはあの探知機を屋敷のあちこちに向けて反応を見た。

「まずい。やつら、まだこの屋敷内にいる。この方向は…やはり、一階の私の部屋だ…」

 エルネストは慎重に廊下に出て、自分の部屋の方に進んだ。

「やつらって誰なの? 先生」

「大丈夫だよ。とにかく私から離れないように…」

「はい」

 ベスは、エルネストの手伝いもできず、そうかといってそばにいないと自分の身を守ることもできず、ただ後ろについて歩くだけの自分が情けなかった。

(彼の役に立ちたいのに、これじゃあお荷物だわ。彼の役に立つようなもっと強い大人の女性にならなくちゃ…)

 エルネストは自分の部屋に近づくと、思い切ってドアを開けた…。

 だが部屋の中には、すでに魔人の罠が仕掛けられていたのだった。

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