第3話 エルダーフラワーヒルの怪事件

その日、エリザベスは午後からまた気分が悪く、家で静かにしていた。その時自宅の電話が鳴り、母のカレンが応対した。

「…今から警察が家に来るって。例のレベッカたちの事件のことで何か聞きたいらしいわ。娘は体調が悪いって断ったんだけど、少しだけって譲らないのよ。ごめんなさいね。ちょっとだけ付き合ってあげてね」

「はあい」

 気の乗らない娘はいい加減に返事をして、ベッドにもぐりこんだ。

 今日の新聞にもまた大きく出ていた。

「エルダーフラワーヒルで男女7人が行方不明」

「魔女屋敷に消えた7人、魔女の魔法か?」

 地元の高校の男女のグループ7人が、土曜日の朝、こつ然と消え去った。7人は成績の優秀な生徒のグループで、地元の歴史などを研究するサークルの仲間だった。リーダーのブライアン・ブレードホークは物静かなカリスマで、ストーンヘンジの研究で中央論文コンテストで一位をとったこともある秀才である。その日も仲間で地元の歴史的名所を見て回っていたらしい。

 朝早く高校の門の前に集合していた7人が、街の多くの人に目撃されている。顧問のギルバード先生には、丘の上の古代の遺跡に行くと事前報告があったらしい。だが警察の捜査では、その日、見通しの良い遺跡の周囲を高校生が歩いたという目撃例がまったくなく、彼らは遺跡に行きつく前に姿を消してしまったらしい。近くに列車の駅もバス停もなく、遠くに行ったとも考えにくい。ただ大騒ぎになったのは、徒歩で動き出した彼らの道の途中に、魔女屋敷と呼ばれる古い空き家があることだ。この周辺には地名のもとになったエルダーフラワー(高級なハーブが採れる。昔から妖精が済むと言われる木)の古木が点在し、屋敷には十年ほど前まで薬草の研究家が住んでいて、空き家になった今も魔女屋敷と呼ばれて町のミステリーとなっている。

 もちろん彼らが魔女屋敷で事件にあったという目撃例は一つもない。だが、ここで問題となってくるのがエリザベスである。彼女が犬のアレックスを連れて散歩に行き、倒れていたのは、場所も時刻も男女7人が消えた場所に非常に近いのだ。もしかして、彼女も事件に巻き込まれたのでは? 誰もがそう思ったが、彼女はまったく記憶がなくまだ体調も完全ではない。いろいろな憶測が飛び交い、町中がその噂でもちきりだった。消えた7人の中には、エリザベスの親友のレベッカ・スカーレットもいた。語学の得意な才媛で、いつも明るく、エリザベスにもとても親切にしてくれた。もちろん、レベッカも行方不明だ。だが、エリザベスはそれを悲しむ余裕さえまだなかった。その日の記憶には、一切触れたくもない、もちろんほんの少しでも思い出したくなかった。

「あら、刑事さんがお見えになったみたい、ベス、ちょっとだけ顔を出してくれる?」

「はあい…」

 母親に言われて、いやいやリビングに出て行く。リビングでは元気のない主人を励ますように、シェパードのアレックスが尻尾を振って出迎えた。

「ありがとう、アレックス。うれしいわ」

「失礼します。警察から来たスペンサー・ロックハートと申します。エリザベスさん。ちょっとだけお話をお伺いします」

「こちらへどうぞ。でも娘はあの日以来体調が悪く、医者に通っている状態ですの。今日も気分がすぐれないらしく、帰ってきて、ずーっと横になっていたもので…。なるべく早く済ませてやってください」

「わかりました…。では、まず…」

 ところがこの若い刑事、全然話が分かっていない。早く終わらせてくれと言っているのに、細かいことまで根掘り葉掘り何回も何回も、質問してくる。こっちは記憶がないと言っているのに、次から次へとしつこく聞いてくる。でもエリザベスが本当に記憶がないらしいと分かると、今度は前日のことを聞いてきた。

「あの7人と同じ学校だよね。前の日はどんな様子だったのかなあ?」

 答えるのも面倒くさいが、聞かれてあることを思い出してしまった。

「あ、そういえば…」

 レベッカ・スカーレットと一緒に帰ろうと思って、彼女の部室をのぞきに行ったのだ。実績のある歴史研究サークルは、立派な部室を与えられていて、中でお茶を飲みながら、いつものように何かを語り合っていた。サークルの時間に高級な紅茶を飲めるのは彼らの特権で、いつもうらやましく周りはそれを眺めていた。リーダーのブライアン・ブレイドホークは、細い銀色のフレームのめがねを光らせて、難しい資料を読みふけっていた。レベッカ・スカーレットは分厚い本に目を通し、あの不思議少女と噂のミランダ・カペラピスが水晶のついた鎖を揺らしてダウジング、地図の上で場所を特定していた。隣ではあの学園一のハッカー、アイザック・ハミルトンがラップトップで最近の地磁気の乱れを解析し、あの高貴なレイチェル・マッキントッシュは特別な古代タロットで何かを占っていた。

 いつもながらの風景だった。

 やがて冷静なフリント・ソリッドフェイスがみんなの調べた結果を集計し、副リーダー、実践派のフレデリック・サンダースがある数字を発表した。

「やったぜ。みんな聞いてくれ。エルダーフラワーヒルのb地点、特異点係数88.4だ」

 するとリーダーのブライアンが決断した。

「三回続けて高い数字が出た。諸君、もう、これは行かないわけにはいかない。明日決行だ」

「あら、ベス。ごめんね。あしたの朝、またサークルで出かけることになって、その打ち合わせなの。今日は先に帰っていて…」

「うん、そうするわ。でも明日も研究会なの? また何か新しい発見でもあったの?」

 何気ないエリザベスの質問に、みんなは急に黙ってしまった。

「…フフフ、ベス、実はね。私たち、神のカードを手に入れられるかもしれないの」

「神のカード? なんかカードゲームのレアカードかなんか?」

「違うわ。人類を変容させ、未来を変える力を持っているカードなの。一緒に来る?」

 するとそれを聞いていたフレデリック・サンダースが言った。

「こらこらベッキー、やたらに他人に話すな。口が軽いぞ」

「まあ落ち着けフレデリック、失礼なことを言うな。エリザベスさん、どうぞお許しを」

 リーダーのブライアンがそういうと、ほかのメンバーは口を閉ざした。ベスはそれでその場を離れて帰ったのだった。

 ロックハート刑事は、手帳に『神のカード』のことを書き込んだ。

「神のカード? 彼らの目的は遺跡の見学ではなかったのか? ありがとうお嬢さん。そのカードについて、ほかに何か心当たりはないですか?」

 この刑事はなんでこうしつこいのだろうか。もう一言も答えたくないのに…。

「もうちょっとでいいんだ。思い出してくれ。なんでもいい。思い出してくれ…」

 刑事の声が頭に響き渡った。その途端また気分が悪くなって、目の前に何かが浮かんできた。隣にはシェパードのアレックスがいた。ベスの言うことを聞く、賢いよい犬だ。それが、丘のふもとを歩いているときに。急に動かなくなった。

「アレックスどうしたの?」

 アレックスが、遠くをにらんで唸り声をあげている。なんなのだろう。その先にあるのは、あの古い空き家、魔女屋敷。あれ、知ったような顔が7人、そこに近づいてくる。

「うう、ま、まさか!」

 誰もいないはずの魔女屋敷の中でガラス越しに人影が見える。そしてその人影が、まるでエリザベスに気が付いたようにこちらを見た…。不気味な灰色の瞳が、目の前に迫ってくる。

「キャー!」

 目の前が真っ暗になって闇の中に落ちていくエリザベス…。

 気が付くとそこはウェリントン邸の診察室だった。大きな柱時計がカチカチと振り子をふっていた。母親と刑事が心配そうな顔をして枕元にいた。

「もう安心です、一時間ほど安静にしたら、お薬を出しますので帰れますよ。もう顔色もよくなってきたから平気でしょう。気分の悪い時はあまり無理をさせないようにお願いします」

「は、はい、すみませんでした」

 母親ににらまれて若い刑事は部屋を出た。娘のベスの顔色がすっかり良くなったのを見ると、カレンは隣室に移って行った。

 三十分もすると、薬が効いたのかベスはすっかり元気になり起き上がった。その様子を見て、エルネストが話しかけた。

「はは、屋敷にいてよかったよ。もう少し連絡が遅かったら、私はウェリントンさんと沼に釣りに出ている時間だった」

「へえ、先生も釣りをするんだ」

「ここ毎日、研究、研究、実験で根を詰めすぎたからね。たまには息抜きもいいかと思ってね」

「そうだったんだ。私、運がよかったわ。先生が釣りに行かなくてね」

「はは、私は生き物が好きでね、フランスの自分の研究室には、大きな水槽があって、珍しい生き物がいっぱい泳いでいるよ」

「へえ、どんな珍しい魚がいるの?」

 ところが聞かれると、エルネストは笑ってごまかす。

「それは秘密なんだ。魚以外のものも入っているしね」

「ええ、ちょっとだけ教えてよ。その水槽に入ってる一番小さな生き物でいいから」

 するとエルネストはもったいつけて話し出した。

「いちばん小さいのねえ…。この手の平ぐらいの大きさで、目が六つ、象のように長い鼻の先に口がついていて、たくさんのひれで泳ぐんだ。どうだい?」

「目が六つ? 嘘よ。そんな生き物いないわ。だいたいどこで手に入れたの?」

「ああ、そいつはサンジェルマン伯爵からもらったんだ。伯爵はすごいよ。水槽だけのために大きな部屋を持っていてね。水生人類の家族を飼っているからね」

「もう、エルネスト先生は、ほら吹きね。でも楽しい。元気になってきたわ」

 その日はそれで家に戻り、三日に一度ほど診察に通うようになった。行くと必ず体調は良くなるのだが、そのうち会うのが楽しくて足が向くようになった。そしてベスは、だんだんエルネストに魅かれるようになっていったのだった。

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