道を左折したところで、高見が一軒の廃墟へ入っていくのが見えた。周辺を注意しながら廃墟の前に駆け寄った伊野田は、それを見渡してからゆっくり足を踏み入れた。茂みで余計な音をたてないように、材木がきしむ音が鳴らないように慎重に足を運ぶ。歪んだ玄関ドア前までやって来て”はっ”と我に返った。


 半開きの扉に手をかけながら、自分は一体何をやっているのか自問し、声をかけるタイミングを見誤ったことに後悔する。まるで自分のほうが不審者のように思えて、思わず宙を見上げて目を閉じた。遠くからモノレールの発車アナウンスがかすかに聞こえる。


 しかしここまで来たならと、彼は扉に手をかけ手前に引いた。薄暗い部屋は家具が散乱し、カーテンが引きちぎられて窓も割れていた。家主がこの住宅を放置してから結構な時間がたったのだろう。カビ臭さと埃っぽさに顔をしかめながら進むと、キッチンの丁度裏側で身を屈めている高見の姿があった。こちらに背を向けている。伊野田は声のかけ方に1秒ほど悩んだが、普通に声をかけることにした。


「高見さん?」

 ぴっ…! と肩を跳ね上げさせて固まったあと、ゆっくりをこちらを振り返る高見は、目を見開いて唇を噛んでいた。そして声の主が誰だかわかると、音をださずに「はぁ〜」と息を漏らしてから口元を緩めた。


 彼女の大きなバックパックは、柱の横に寝かされており、右手にはペンライトを持っていた。使わなくても部屋はなんとか見渡せるが、確かに使った方が視界は良いな、と思うくらいの光量しか、窓の外からは入ってこないのだ。高見は人差し指を口元に当てながら、伊野田を手招いた。彼は身を低くして、素早く静かにそちらに移動する。どうして彼女が身を潜めているかはわからないが、それなりに理由はあるのだろう。


「伊野田さんじゃないですか、こんなところで何してるんですか。もう街を出たのかと思いました」

「もう出るとこだったけど、この区域に入ってくのを見かけたからつい…。なにしてるの」

「わお…」高見はそう漏らして口をつぐんだ。とんだ世話焼きだな、と高見は思う。 伊野田は”なんでこんなところに一人で来たの”という言葉を飲み込んで言葉を選び直した。


「こんな危ない所に来るときは、黒澤さんに相談したほうがいいんじゃないの?」

 というのも、高見しかいないと思っていたのだが、彼女が覗き込んでいた方向から、かすかに物音が聞こえて来ることに伊野田は気づいていた。その先は地下室になっていて、階段の奥はいよいよ本格的に薄暗い。ただのホームレスなら問題はないが、高見の張り込みっぷりからして、そうではないと彼は悟った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る