第14話 これから(4)――息子・兄・番、どれに重きを置いているか――

 バイェーズィートと次の行商についての打ち合わせをしていると、外出から戻ってきた彼の細君デニズがこう言った。――村の宿の近くで寧々子と白い虎の亜人ドゥンが口論を繰り広げていたらしい、と。何でも、噂好きの友人から聞いたのだそうだ。

 スーリヤは寧々子に言った、自分の家族には近寄らない方が良いと。それなのに何故そんなことになっているのか、見当もつかない。寧々子のことが心配になってきたので、打ち合わせもそこそこに切り上げてスーリヤは家へと急ぐ。

 家の前に末妹のカーリーが憂わしげな様子で佇んでいて、彼女はスーリヤの姿を見つけると慌てて駆け寄ってきた。


『……スーリヤ兄様、ごめんなさい』


 カーリーは深々と頭を下げると、スーリヤに事の顛末を話してくれた。

 寧々子とカーリーは偶然出会って、スーリヤの忠告を聞いたその上で寧々子は彼女に声をかけてくれたこと。水桶を運ぶのを手伝ったらお茶をご馳走してくれて、お隣のヤセミーンも交えていつの間にやらとても仲良くなったこと。宿の近くまで、ということで送ってもらったらチャンドラと出会してしまい、寧々子とスーリヤのことをよく思っていないチャンドラが毒づき、寧々子が反撃をしてやがて口論へと発展し、最終的には大騒ぎになってしまったのだ、と。


『ネネ、チャンドラ兄様の脛に綺麗な蹴りを入れてました。……足、心配です』


 虎の亜人ドゥンの男の体は頑丈なので、人間の寧々子の蹴りが当たったところで何ともない。然し寧々子の足はどうにかなっているかもしれない――鉄柱に素足で蹴りを入れてしまったも同然のことをしてしまったので。

 里でよく使われている特性の軟膏が入った陶器製の小さな容器をカーリーが差し出してきたので、スーリヤはそれを有難く受け取る。それの効き目が確かであることは身を以て知っているから。


『チャンドラは……どうしてる?』

『母様に鉄拳制裁されてのびてます。……私も拳骨を一発ほど』


 寧々子に酷いことを言った罰だ、ざまあみろ。と、人見知りで内気なカーリーがそこまで言うので、寧々子はそんな妹を短時間で手懐けてしまったらしいとスーリヤが苦笑を漏らす。


『……本当に、ごめんなさい。浅はかでした……』

『俺には謝らないで良い。……軟膏これ、有難うな』


 スーリヤの記憶の中のカーリーは別れた時の七つのままなので、ついつい子供扱いをして、頭を撫でてしまった。カーリーは照れたような拗ねたような複雑な表情をして、『兄様、私、もう十七歳の大人です』と言って、もう一度頭を下げてから宿へと戻っていった。




**********



 さて、と。どうしたものか。

 寧々子は一時期自室として使用していた物置に篭城している――といっても、扉がないので出入りは自由だ。彼女は何かをやらかして反省をする時、部屋の隅で縮こまって黙りこむ癖があるらしい。


「……ネネ」


 夜の帳が降りかけている今、家の中は必然と暗い。けれど夜目の利くスーリヤには何ら問題はなく、灯りの点っていない物置の中でも昼間と同じように物の判別がついている。静かに声をかけると、小さく丸まった背中がぴくりと動いたが返事はなかった。だんまりを決めこむつもりだろうか。このまま放っておいて寧々子の気分が落ち着くまで待っても良いのだけれど、心配事があるのでスーリヤは彼女の傍まで歩いていき、その場にしゃがみこんだ。


「デニズとカーリーから大体は聞いた。……お前が言いたくないなら、チャンドラの莫迦と何をやらかしたのかは聞かないし……そのことを咎めたりもしない。ただ……怪我してないかだけ、確かめさせろ」


 そう言うと、はぁっと息を吐く音が聞こえた。


「スーの弟、に、蹴り入れたのに、怒らない、の……?」


 ぽそぽそと今にも消え入りそうなか細い声で、寧々子は尋ねてくる。泣くのを堪えてるな、とスーリヤは勘付く。


「……お前は余程の理由がない限り相手に手ぇ出したりないって、知ってる。口論だって、殆どしないだろ?するとしたら……値切り交渉くらいだ」


 そんな寧々子にそんな行動をとらせてしまったチャンドラは、恐らく彼女を怒らせても仕方がないようなことを言ってしまったのかもしれない。チャンドラは悪い奴ではないのだけれど、頭が固い。スーリヤと寧々子が世の因習に逆らって番ったことが気に入らないと、露骨に態度に表していたから、その辺りのことで彼女に噛みついたのかもしれない。

 まあ、実際のところは当人たちに聞かないのと分からないので、想像だけで完結させてしまうのは宜しくない。但し、血の繋がった可愛くない弟よりも寧々子の方が遥かに大事なので、彼女の意見を尊重はするけれども。


虎の亜人ドゥンの男は頑丈なのだけが取り得だからな。蹴りの一発二発くらい、気にするな……」

「……気にするよ」


 ゆっくりと寧々子が動いて、振り向くと同時にスーリヤにしがみ付いてきた。上着をぎゅうっと握り締める手が、ふるふると震えている。


「……ごめんなさい。スーの言ったこと、守らなかったし、それに……」

「俺は別に気にしてない。あの莫迦にしたことを悪いと思ってるなら、あの莫迦に謝った方が良いとは思うけどな。……足、痛むか?」

「痛い。あの白縞々毛玉しろしましまけだま、鉄で出来てるんじゃないの?」


 少しだけ心にゆとりが出来たのか、寧々子が悪態をついた。珍しいこともあるものだと、スーリヤは喉の奥で笑う。


「白縞々毛玉ってのはチャンドラのことか?あいつ、白い毛だもんなぁ……・。となると、俺はさしずめ茶縞々毛玉ちゃしましまけだまってところか……?」


 なんて冗談を言うと、スーリヤの胸に顔を埋めたままの寧々子が小さく吹き出して「スーは毛玉じゃないもん」と返してきた。それに対して更に「でかい猫か?」と返すと、彼女は「うぐっ」と声を詰まらせた。

 寧々子を抱き上げて明かりの点いている居間まで移動して、彼女の足を見る。赤く腫れてはいるけれど、骨が折れていたりひびが入っているようには見られなかったので、カーリーから貰った軟膏を塗って包帯を巻いておいた。応急処置を済ませると、寧々子が遂に泣き出す。

 ――以前にもこんなことがあったなぁ。そんなことを思いながら、声を押し殺して泣いている寧々子を引き寄せて、腕の中に閉じ込める。


「……ぐすっ。スー、あたしの、どこが……・良い、の?」


 黙って彼女の背中を撫でていると、そんなことを尋ねられた。どこが良い、ねぇ?


「……内緒」


 寧々子に向かって正直に言うのが照れくさいので誤魔化したら、寧々子が盛大に拗ねてしまった。




**********




 ――翌日。

 寧々子が”寝台から出られない”ことを確認してから、彼女に「行って来る」と告げてスーリヤは家を出る。今日は途中で終わらせた打ち合わせの続きという名目で汽水湖で釣りを、そしてバイェーズィートの子守に付き合わされることになっているのだ。彼の子供たちの世話を焼きつつ、釣りに興じつつ、バイェーズィートと今後の行商の行路の開拓についてなど仕事の話もしていると、ふっと誰かの気配と匂いを感じた。


「――こんにちは。釣れていますか?」


 微かな花の香りが鼻腔を擽り、低く掠れた女性の声が耳朶に触れる。其方へと目をやると、其処には不敵な笑みを浮かべた母親――ヴィカラーラが佇んでいた。


「ええ、ほどほどに釣れていますよ」


 何故此処にあんたがいる?と、スーリヤが口を開く前に、隣にいるバイェーズィートが彼女の問いかけに答えていた。桟橋に腰をおろしていた彼はすっと立ち上がり、ヴィカラーラに向けて礼をする。


「こんにちは、お美しい御婦人。私はバイェーズィートと申しまして、商人をしている者です。ついでに彼の親友でもあります」


 ついでって何だ、ついでって。俺が他人の振りをすると「そんな殺生な!」と泣きついてくるくせに。じろっと睨みを利かせるが、バイェーズィートは素知らぬ顔をしてヴィカラーラに向き合っている。

 二人の様子を見たヴィカラーラは愉しそうに唇を吊り上げて、スーリヤによく似た鋭い眼を細めた。


「お世辞の上手な兎さんだねぇ。そうと分かっていても誉められると嬉しいもんだけどね。あたしぁ、そこにいるスーリヤの母親のヴィカラーラってもんです。ちょいと愚息その1を借りても良いですかね?」

「どうぞどうぞ、遠慮なく借りていってください」

「……おい、バイェーズィート。お前、人を物みたいに……」

「ぐだぐだ抜かしてないで付いてきな、愚息その1」


 完全に他人事だと思って楽しんでいるバイェーズィートと、訳も分からず父親の真似をして手を振る彼の子供たちに見送られてしまったスーリヤは、彼らのいる桟橋から程よく離れたところに生えている木の下へと連行される。


『この村の雰囲気は良いね。気候も悪くない。気に入ったよ』


 あたしもこっちに引っ越して来ようかねぇ、なんてヴィカラーラは言ったが、彼女にその気はさらさらないことは知っている。ヴィカラーラは里を大切に思っているので、外へと赴くことはあっても、去っていくことは考えていないのだ。


『……お前さん、里を出て行って良かったみたいだねえ?あの頃よりも良い顔になった。あの時お前さんを止めなくて正解だったってぇ訳だ』

『行方知れずの俺を捜しに来た訳でも連れ戻しに来た訳でもなく、更には常識を破った俺を罵倒しに来た訳でもねえのか。……鬼婆、何しに来たんだ?』


 やれやれと言いたげに深く息を吐いて、スーリヤは意図の読めない母親をじっと見る。


『村へ来たのは、本当に仕事の都合だからだよ。此処で落ち合うことになっている隊商を南に案内するっていうね。お前さんが今やってる仕事と同じさね』


 飄々とした様子で答えていたヴィカラーラの表情が、ふっと消える。


『大体は愛娘その3に聞いたよ。愚息その2が一悶着起こしたみたいで、悪かったね。あの莫迦にはきつ~くお灸を据えたし、反省させてる。お前さんの番……あの嫁ちゃんは、どうしてんだい?愚息その2に蹴り入れたって聞いたんだけどね』


 虎の亜人ドゥンの男にそんなことをした人間の話は初めて聞いたと、ヴィカラーラがけらけらと笑うのでスーリヤは複雑な気分になる。こっちだって、寧々子がまさかそんなことするとは夢にも思ってなかったっつーの。


『……幸い足は打撲で済んだ……が、治るまで大人しく出来ないって言うから……動けなくしておいた』

『へぇ、お前さんが実力行使するとは珍しいね。嫁ちゃんは大変だぁ……』

『……話はこれだけか?』

『もう一つあるんだよ、これが』


 残念だったね、と、大して悪びれた様子もなく肩を竦めてみせるヴィカラーラに呆れて、スーリヤは溜め息を一つ。


『こっちに来る途中で面白い噂話を耳にしたんだよ』


 極稀に別の世界から此方の世界に迷い込んでくる人間がいるらしい。何でもその人間は、此方の世界の住人が知りえない知識を有していることがあるのだとか。それを聞きつけた東西南北の人間の国は何としてでもその人間を手に入れようと捜索を始めたり、怪しげな魔術とやらを使って呼び寄せようと躍起になっているらしいのだとか。どこぞの国ではそれに成功したのだとか、していないのだとか。


『いきなり絵空事みたいな話を切り出されてもな……。現実主義者の鬼婆がどうしたんだ?……鬼の霍乱か?』

『あの嫁ちゃん、何処の人間だか分からないんだってね?お前さんは凄いねぇ、何処の誰とも知れない人間の面倒見たんだから。あたしぁ、そんなこたぁ怖くて出来やしないさね。まあ、それは良いとして。嫁ちゃんが来てから、この村の生活はなかなか良くなったらしいじゃないか。……嫁ちゃんが知識と知恵を発揮した御蔭で』


 暇つぶしに村の中を散策しながら情報収集をしていた際に耳に入れたことをヴィカラーラはつらつらと語り、仏頂面を決めこんでいるスーリヤの様子を窺う。


『確かにその通りだが……偶々ネネが知ってたことを活用しただけだろ。鬼婆はそんなにも少ない情報で……ネネが別の世界から来た人間だって決めつけるのか?』


 せっかちだな、と揶揄するとヴィカラーラが片眉を跳ね上げた。


『嫁ちゃんはお前さんに何も話さないのかい?』

『……故郷には帰れない、こっちにはニッポンはない。……って、そんなことは言ってたな。実際、ニッポンなんて地名はこの世界の何処にもなかったな……』

『てぇこたぁ、勘付いてんじゃないか。それなのに知らん振りするのは……お前さんの良いところであり、悪いところだよ。……ま、何事も無いことを祈ってるよ。あたしが口出したり手ぇ出したりしなくても、お前さんは嫁ちゃんを守るんだろうしねぇ……昨日みたいに』


 喉元にたっぷりと自分の匂いをつけるくらい御執心だものねぇと冷やかされたスーリヤは、『その通りだが何か?』としれっとした様子で返す。


『いやだねぇ、大人しく冷やかされておいでよ。面白くないじゃないか。あーあ、早く孫の顔が見たいねぇ……』


 スーリヤに背を向けたヴィカラーラは大きく伸びをして、暢気にそんなことを宣った。


『里を出て行ってからのことは知らないが……チャンドラとカーリーは兎も角として、他の兄弟奴らには一人二人くらい子供がいるんじゃないのか?』

『良さげな相手と番ってはいるみたいだけどねぇ、なかなか』


 虎の亜人ドゥン兎の亜人アルミラージのように多産ではないので、一組の番の間に一人二人子供が生まれるくらいの出生率だ。スーリヤを含めて六人もの子を産んだヴィカラーラが珍しい。そんな母親の許に生まれた結果、碌でもない思い出が出来たのも今は少し遠い昔の話で。


『”あの風習”が嫌で出て行ったお前さんにする話じゃなかったね、悪かったよ』

『……別に、気にしてない』


 と強がるくらいには大人になったんだよ、鬼婆。そんな思いを視線に込めてみたのだけれど、この母に通じているかどうかは分からない。


『嫁ちゃんに無理させない程度に励んでおくれよ、あたしに孫の顔を見せる為に。どんな子が生まれるのか、楽しみにしてるよ。……話はこれくらいにしておこうかね、愚息その2もそろそろ頭が冷えてる頃合だろうから喝入れてやらないとねぇ』


 ボキボキと指を鳴らしながら、ゴキゴキと首を鳴らすヴィカラーラに思うところがあったスーリヤは声をかける。


『鬼婆。……一つだけ、訊きたいことがある』

『何だい、愚息その1』

『……どうして、俺がしたことを咎めない?』


 昨日から疑問に思っていたことを尋ねると、ヴィカラーラはきょとんとした顔をして僅かに考えこむ。


『……女嫌いのお前さんが番にしたってことは、あの嫁ちゃんにはお前さんに誓いを破らせるほどの魅力があるんだろうよ。それはつまり、”イイ女”ってことさね。”イイ女”ってのは、大概あたしの好きな”強い女”だ。そう思ったから、あたしぁ文句言わないよ。これで答えになったかい、愚息その1?』


 成程、”イイ女”か。そうだ、寧々子はスーリヤにとって、”とてもイイ女”だ。勿論”都合が良い”という意味は含まない。そんなことは一度も思ったことがないし。

ヴィカラーラの言葉が可笑しく嬉しく思えて――顔が緩んだらしい。ヴィカラーラがぎょっとした顔をして、身を震わせた。


『愚息その1のしまりのない顔を見る羽目になるとは夢にも思わなんだ……気味が悪いったらありゃしないよ』

『ったく、どうしようもなく口が悪いな、鬼婆』

『分かっちゃぁいるだろうけどね、お前さんも大概口が悪いからね。そうじゃなきゃあ、母親を鬼婆なんて呼んだりしないってんだ』


 鼻で笑ったヴィカラーラに『気をつけないと嫁ちゃんに愛想尽かされるよ』と言われたので、此方も鼻で笑って『そう簡単には愛想は尽かされないと思うね』と返してやったら、彼女はとても嫌そうな顔をした。

 そうなるのだったら、とっくの昔に愛想尽かされてるし。そうならなかったのが不思議だと、スーリヤは思っている。


『愚息その1にこんな台詞吐かせるなんて……やるねぇ、嫁ちゃん。益々気に入ったよ』


 こんな風に他愛のない話を母親とするようになるなんて、あの頃はちっとも思っていなかった。

 もう無理だと意を決して里を出て行ったことが幸いしたのだと、改めて実感する。そうしなければバイェーズィートと出会って、この村で暮らすようになることはなかった。彼が逃がしたロバを探しに行った先で行き倒れていた寧々子を拾うことも、面倒を見るようになることもなかった。寧々子にありのままの自分を好きになって貰えたり、ありのままの彼女を愛するようになることもなかった。


『世の中、何があるか分からねえなぁ……』

『しみじみしながら何言ってんだい。そんなジジイみたいな台詞を吐く年じゃあないだろ』


 里を出て行く前の愚息その1は、年の割には妙に冷めていたけれど。と、ぼそっと呟いたヴィカラーラに腹を小突かれた。少しは力を加減して欲しい。何気に痛かった。痣になったら寧々子が心配するだろうが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る