第13話 これから(3)――小動物系シスター、ツンツン系ブラザー――
井戸の縁に浅く腰掛けている、青いサリーを身に付けた若い
「……こんにちは!」
相手が行動に出る前に先手を打つべし!と、意気込んだ寧々子は両手に持っていた水桶を二つ足下に置いて、にっこりと笑って彼女に挨拶をした。私は貴女の敵ではありません、と主張するように。すると、彼女はきょとんとして、頭一つ以上小さな寧々子を見下ろしてくる。
(あれ?言葉が通じないかな?)
そういえば、スーリヤの故郷ではタウシャン村で使われている言葉とは違う言葉を使うのだと聞いたような。恐る恐る上目遣いで様子を窺ってみると、彼女は顔を真っ赤にしていた。
「~~~~~~~~コ、コンニチハ……ッ!」
彼女は少し掠れた震える声で、片言ながらも返事をしてくれた。拒絶をされなかったことに安堵して、寧々子は井戸から水を汲み上げつつ、隣で立ち尽くしている迫力美人に話しかける。
「えっと、言葉は通じますか?」
挨拶は出来たのだから、若しかしたら会話も可能かもしれない。そう思った寧々子は、不躾かな?と思いつつ、そう尋ねてみた。すると彼女は勢い良く何度も首を縦に振り、応えてくれた。そんなに力いっぱい首を振ったら、首がもげちゃうよ。と、思わず苦笑がこぼれる。
「スー、じゃなかった、スーリヤの妹さん、ですよね?彼に聞きました。あたしはネネって言います。どうぞ宜しく」
「妹のカーリー、です。宜しく、です・・・…っ」
水を汲み上げる手を一旦止めて、前掛けで手を拭ってから手を差し出すと、カーリーははにかみながら手を握り返してくれた。うん、流石は
それにしても、カーリーは虎というよりは他の小動物に近いような気がしてくる。仕草が妙に可愛らしいからか。
(そういえば、スーも性格は虎っぽくない……。大人しいというか、マイペースというか。素っ気ないのは間違いないけど、根は優しいし。うーん、虎の性格とか知らないけどさ!)
ぼんやりと考え事をしながらカーリーを眺めていると、アーモンド型のやや吊り上った虎の目と視線が重なった。きつく見えがちなその目には不安の色が混じっている。
「あの、どうして私に声をかけてくれたですか?」
「え?だって誰かに会ったら挨拶をするでしょう?」
当たり前だと思っていることをしたまでだと答えるとカーリーは目を瞬かせて、八の字になっている眉をより一層下げる。寧々子の説明で納得出来ていないのだろうか?
「スーリヤ兄様は私たちに言ったです……もう自分とは係わらない方が良いって。だから貴女にも私たちには係わるなって言ったと思ったです」
カーリーの様子を窺っていると、気が強そうに見受けられる外見とは異なるたどたどしくて可愛らしい口調で、彼女はぽつぽつと話し始めた。
確かに、スーリヤには彼の家族に近寄らない方が良いと言われたのだが――。
「無視されても良いから挨拶と自己紹介だけでもしておこうかと思い立ちまして」
そうしたことで寧々子は自己満足を得たのだけれど、カーリーには疑いの念しか与えていないようで。迷惑でしたよね?と自嘲気味に尋ねるとカーリーが首をぶんぶんと横に振った。
「そっか、良かったぁ。あー、でも、あたしと話すとお母さんやお兄さんに怒られちゃうかな?」
「だ、大丈夫です!母様はスーリヤ兄様と貴女のことを認めてるです!……多分。チャンドラ兄様……えと、白い
多分、ね。本人は何とか取り繕っているつもりなのかもしれないが、所々に言わなくても良いようなことが入り混じっている。
――あ、これは言わない方が良かった。と、言い終えた後にそんな表情をするので、良くも悪くもカーリーは素直な子なのだろうと思った寧々子は内心で突っ込みを入れて、口には出さないでおいた。
「訊いても良いですか?」
「はい、何ですか?」
「カーリーさんこそ、どうしてあたしと話をしてくれるんですか?」
私の大事な兄さんを誑かしてくれたわね!なんて言葉を投げかけられるかと思っていたと寧々子が告げると、カーリーはきょとんとして小首を傾げる。
「言った方が良いです?」
「いえ、言わないでくれて嬉しかったです、はい」
ひょっとしなくてもカーリーは所謂”天然ボケ”というやつか。
「スーリヤ兄様は貴女のことをとても大切にしてるって分かったです。だから私は何も言わないです。私、里からあまり出たことがなくて、此方へ来る時に初めて人間を見たです。その人たちはちょっと怖いなって思ったですけど、貴女はそんな風に思わないです」
笑って声をかけてくれたことは吃驚したけれど、同時に嬉しく感じたとカーリーは破顔して答える。
顔の作りは似ていないけれど、笑った時の雰囲気がスーリヤに似ていて、やっぱり兄弟なんだなあと感じた。それにしてもカーリーと接していると、心が何だか癒されていくような。
「あ、お水運ぶの手伝うです」
不意にそう言われて、此処へは水を汲みに来たのだと思い出す。水がたっぷりと入った二つの水桶は重たいが、寧々子一人でも持っていけないことはない。水汲みは毎日しているから慣れているということもあるし、畑仕事で培った腕力――二の腕に力を入れると立派な力瘤が出来るのが誇らしいような、何となく悲しいような――もあるから。
「有難う。助かります」
でも折角好意を向けてもらったので、寧々子はカーリーの言葉に甘えることにした。一人一つずつ水桶を持って、寧々子はカーリーを連れて家路に着く。
**********
水桶を運ぶ手伝いをしてもらった御礼に「お茶でもどうぞ」と誘うと、最初カーリーは遠慮したのだが、少々強引に説き伏せて家の中に引きずり込んでしまった。するとお隣に聞こえてしまったのか、ヤセミーンが現れ、彼女も交えて女三人でのお茶会が始まる。
女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、世間話やら恋愛話やらと話題は尽きることがない。そうこうしているとあっという間に時間が過ぎていき、いつの間にか太陽は大分傾いていた。そこで漸く、楽しく賑やかなお茶会は解散となる。
夕飯の支度を手伝わないとお母さんに叱られる!と慌ただしく帰っていくヤセミーンを見送ると、寧々子は宿の近くまでカーリーを送っていくことにした。遠慮がちな彼女は最初は断ったのだけれど、ここもまた少々強引に彼女の手を引っ張っていく。
もう少し行くと彼女の家族が利用している宿が見えるか、というところで急にカーリーが歩みを止めた。何事かと思った寧々子が彼女の視線の先を辿ってみると――そこにはスーリヤの弟で、カーリーの兄である白い虎のチャンドラが佇んでいた。彼はゆっくりとした足取りで近付いてくると、寧々子には一瞥もくれずに妹のカーリーに声をかける。
『……カーリー。どうしてその女と一緒にいる?』
『その女って言い方は失礼です、兄様』
里の言葉を使われているので彼らが何を話しているのか、寧々子にはさっぱりだ。だが、二人の間にある空気が不穏なので若しかするとカーリーが寧々子と一緒にいることを咎められているのかもしれない。
「あの!」
二人の注意を引くように態と大きな声尾を出す。目論見通り、二人は寧々子を同時に見た。
「初めまして、チャンドラさん。あたし、ネネって言います。カーリーとは偶然会って、あたしが強引に付き合って貰ったんです。だからカーリーを怒らないでください」
「ネネ……」
お茶会をした御蔭ですっかり”ネネ”、”カーリー”と呼び捨てしあう仲になった二人を見て、チャンドラは眉間に皺を寄せた。
「……スーリヤに道を踏み外させた上に、カーリーまで懐柔して満足か、あんた?」
カーリーよりも流暢に此方の言葉を話すチャンドラの目は鋭く冷たい。これくらいのことは言われるだろうと予測をしていたので寧々子は動揺はしない――だが、心は痛む。どんな言葉を返したら無難に済むのだろうと逡巡していると、チャンドラが忌々しそうに息を吐いた。
「傷ついていますって顔するな。そんな三文芝居でスーリヤが騙されたのかとか、想像したくねえよ」
「チャンドラ兄様、言い過ぎです……っ!」
「黙ってろ、カーリー」
妹の制止に耳を貸さずに、チャンドラは続ける。
「カーリーは優しいだろ?だから直ぐに他人を信用する。少しは他人を警戒することを覚えろ、カーリー。特に人間は信用するなって言ってるだろうが……」
氷のように冷たい青い目に凄まれて、体が一瞬竦む。けれど寧々子が負けじと目を逸らさないでいると、チャンドラは嘲笑を浮かべる。
「口は達者じゃねえようだな?てことは、体使ってスーリヤを誑かしたのか?女嫌いのスーリヤが番おうと思うほど良いのかは知らねえが……よりによってどうして人間の女なんかに……っ。はっ、焼が廻ったか?」
「兄様っ!」
自分のことはどれだけ言われても何とか堪えられるけれど、大好きなスーリヤを悪く言われるのはとても堪えるし、何より腹が立つ。寧々子の中でぶちっと堪忍袋の緒が切れる音がした。
「……スーのこと、悪く言わないでよ。スーがどんな思いであたしの気持ちに応えてくれたのか知らないくせに、偉そうにスーのこと馬鹿にしないでよっ」
「……あん?」
寧々子の反撃でより一層不機嫌になったチャンドラがぎろりと睨んでくるので、寧々子もお返しとばかりにぎろりと睨み返す。何だかチャンドラに負けたくない。
「あたし、繊細な女じゃなくてガサツな女なの。可愛いとか綺麗だとか、滅多に言われないのよね。逞しいはよく言われるんだけどね!誑かす?そんなのスーには通用しないんだからっ。だってあたし色気ないんだもん!折角おっぱい大きいのにね、勿体無い!!スーに色気ないって言われるし、村の人たちにまで言われるくらいなんだから相当なもんでしょ!?」
大きく息を吸ってから一気に捲し立てると、チャンドラとカーリーは呆気にとられた様子で寧々子を見下ろしている。その隙に、寧々子は続けた。
「あとね、スーは簡単には絆されてくれなかったんだからね!両思いになるのにかなり苦労したんだから!『好きよ』って伝えても『あっそ』で済まされるし、偶然肌を見られたって全く動揺されないし、勇気出して抱きついて胸を押し付けてみたって『どうした?』って言って頭撫でて子供扱いしてくるし!!!何が切欠でこうなれたのか、あたしだって実はよく分かってないんだからああああああっ!!!」
頭の中に思い浮かんだことを全て吐き出した寧々子は、肩で息をしている。はあ、スッキリした。乱れた呼吸を整えて落ち着いてくると共に、血が上った頭も冷えてきた。余裕の出来た寧々子がちらりと様子を窺うと――何だか可哀想な生き物を見るような目でチャンドラに見下ろされていた。
――うわ、むかつく。寧々子の頭に再び血が上り始める。
「……スーリヤの気が知れない。あんたもあんたで、そんな扱いされるのにどうしてスーリヤに近付いたんだ?あいつに利用する価値があったからか……?」
呆れたようにチャンドラに呟かれて、鼻で笑われた。寧々子の堪忍袋の緒がもう一度、ぶちっと切れた。
「毛皮剥いでやろうか、コノヤロウ」
怒髪天を衝いた寧々子の口から暴言が飛び出して、次の瞬間チャンドラの脛目掛けて
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