スーリヤが寧々子に惚れるまで
第5話 人間が落ちていたので拾った
※本編のスーリヤ視点。
”
そんな折に偶々知り合った”
商人であるバイェーズィートが隊商を組んで出かける際には護衛として付いて行き、護衛のない時は村人の仕事を手伝う生活は正直に言って、あまり儲からない。けれど諸事情により番を持つ気がさらさらないスーリヤ一人で生きていく分には全く困らないので、今の生活形態はなかなか気に入っている。
タウシャン村の一員となって数年が過ぎた或る日のこと。
自称スーリヤの大親友ことバイェーズィートが飼っているロバが脱走してしまったらしい。何でもロバ小屋の柵の修理をしている隙を狙われたのだそうだ。「あいつら賢いな!」とバイェーズィートが半分涙目で笑って言っていたので、恐らく奥さんにこっ酷く叱られたのだろうと想像するのは容易かった。
四頭いるロバのうち三頭は村の付近で草を食んでいたので直ぐに捕獲出来たのだが、最後の一頭だけがなかなか見つからない。そこで、犬や狼の亜人ほどではないがそれなりに鼻の利く”
「ロバ公を捕まえてきてくれたら、礼に秘蔵の酒を一瓶やるよ!」
という甘い言葉に乗せられて――そうでなくても捜索を手伝う気ではいたのだが――ロバの匂いを辿っていってみると、村から離れた草原で佇んでいるロバを見つけた。
「……ん?」
ロバが頻りに足元を気にしている。目を凝らしてよく見てみると、ロバの足元で誰かが倒れていた。早急に駆けつけた方が良いとは思うのだが、そうすると折角見つけたロバが驚いて逃げてしまう。それでは意味がないので、倒れている誰かには申し訳ないのだが慎重に近付き、ロバを捕まえ縄をつけた。
「叱ったりしねえから大人しくしてろよ、ロバ公」
言葉が通じたのかロバが大人しくしているので、倒れている誰かをそっと助け起こす。
倒れていたのは、獣の耳も尻尾も持たない人間の女性だった。息はしているし、苦しんでいる様子もなければ怪我もしていないようだが、体が少し冷えてしまっているので、スーリヤは上着を脱いで彼女を包んだ。
(……こんな辺鄙なところでどうして人間の女が倒れてるんだ?)
この辺りは亜人の村や町が多く、人間は旅行者か隊商の一員としてでしか見かけることがない。更に、今いる場所は街道から外れているので放牧されている羊くらいしかやって来ない。
つまりスーリヤがロバを探しにこなかったら彼女は最悪、狼の餌になっていた可能性が高いのだ。いや、ロバを逃がしたバイェーズィートの御蔭だろうか?
「……まあ、いいか」
見つけてしまった以上は放っておけないし、いつまでもこんなところで突っ立っている訳にもいかないので、スーリヤは特に深く考えず、彼女を村へ連れて行くことにした。
**********
村に戻ると、汽水湖の方へとロバを探しに行っていたバイェーズィートとその子供たちと出会したので、捕まえたロバを彼に引き渡す。
「スーリヤ、お前……ロバと一緒に何捕まえてきてんの?」
「……人間。捕まえたんじゃなくて、拾った」
「あ、そう、へぇ……って、拾えるか!」
と突っ込まれたので、「そりゃそうだなぁ」と適当に流しておく――実際本当に拾ったのだけれど、弁解する気がないのでそのままに。
「バイェーズィート、お前の上さん借りて良いか?俺の家で休ませるつもりだが、俺が世話するわけにはいかねえだろ?」
「そうだなぁ。オルハン、ルステム。母さん連れてスーリヤの家に行ってくれや」
「「はい、父様!」」
スーリヤの膝上くらいしかない小さな子供たちが、ぱたぱたと忙しなく駆けていくのを見送りつつ、バイェーズィートと一旦別れた。
未だ気を失ったままの人間の女性を寝台に寝かせたところで、バイェーズィートの妻デニズと子供たち、そして呼んだ覚えがない隣家の母娘がやって来た。”
デニズたちに人間の女性の世話をしてもらい、明日もまた様子を見に来てもらう約束をして帰した夜、彼女が漸く目を覚ましたのだが――スーリヤを見るなり白目を向いて気絶された。
――何故だ。
寝台を彼女に貸しているので居間に仮の寝床を作ったスーリヤは、気絶された理由が分からず悶々としたが、あっさり睡魔に負けて朝まで快眠を貪った。
**********
翌日。
ロバを捕まえた礼にと秘蔵の酒瓶を持ってきたバイェーズィートにそのことを伝えると、彼はきょとんとした後に吹き出した。
「そりゃあ、お前の顔が怖かったんだろうよ。常に仏頂面だもんなぁ、スーリヤは。あー、それかあれだ、お前に襲われて食われると思ったんじゃねえか?二重の意味で!」
「……」
「スーリヤはどっちの意味でも村で一番安全な男なのになぁ~、ぷぷぷっ」
腹を抱えて笑うほどのことか?と眉間に皺を寄せて黙っていると、人間の女性の様子を窺っているデニズが寝室から顔を覗かせて、「うちの人が失礼なこと言ってごめんなさいね」と詫びてくれたので、バイェーズィートの首は絞めないことにした。
膝の上には彼らの可愛い子供たちがいるし。
ちょっと力加減を間違えると、笑い事で済まなくなってしまうし。
きっと家に帰れば、デニズがバイェーズィートに雷を落としてくれるだろうし。
デニズや隣家の母娘によると、人間の女性はスーリヤだけではなくて”
拾ってきたからには責任もって彼女の面倒を見るつもりでいる、が、スーリヤはデニズたち以上に怖がられているようなので、彼女の世話は引き続きデニズたちに頼んで、自分は不用意に彼女に近付かないようにしながら見守ることにした。
時折寝室から泣き声が聞こえてきたけれど、どうしてやることも出来ないので、彼女が泣き疲れて眠るまで様子を窺うことしか出来ないのは、少し歯痒かったけれど。
そうした日々を送っているうちに、どうやら彼女は”
この様子なら、元気になってくれそうだとスーリヤはほっと胸を撫で下ろす。
**********
彼女を拾って暫く経った或る日のこと。
居間で寛いでいると誰かの気配を感じたので其方へを目を向けたスーリヤは、驚いた。すっかり顔色が良くなった彼女がおどおどとしながら此方へ近づいて来ていたのだ。下手に動いて怖がらせてはいけないので動かないでいると、彼女はスーリヤの隣に座り、恐る恐る手に触れてきた。またしても、吃驚だ。
(……何か楽しそうに手を触ってるように見えるんだが……まさか、毛の感触を楽しんでるとか?)
それならば、”
そんなことを暢気に考えていると、何かを決意したような焦げ茶色の目とぶつかった。
「******、***************」
彼女は引き攣った笑みを浮かべながら喋ったのだが、てんで言葉が分からないので思わず首を傾げたら、意外そうな顔をされた。すると彼女はああだこうだとぶつぶつ呟きながら考えこんで、深呼吸をすると、自分の胸に手を当てて、はきはきと喋った。
「********ネネコ*****。ネネコ*********。ネ・ネ・コ!」
「……ネ・ネ?」
何となくだが自己紹介をされたような気がした。そして思わず、何度か繰り返された同じ言葉の聞き取れた部分だけを口に出してしまっていた。
そうしたら、彼女の表情が明るくなった。
「ネネコ」と彼女がもう一度言ったので「ネネェクォ」と返してみたのだが、どうやら違うらしい。この地域で使われている言葉や、スーリヤの生まれ故郷で使われている言葉とは大分発音が異なっているようで、難しい。
彼女は俄かに考え込むと面を上げて「ネネ」と呟いたので、つられて「ネネ」と返した。流石に二文字は聞き間違えなかったようで、彼女は嬉しそうにふんわりと微笑んだ。
――ああ、もう俺のことを怖がっていないのか。と思うと、少し嬉しくなる。
大きく頷きながら「ネネ!」と元気良く言った彼女にまたしてもつられて「ネネ」と返すと、笑みが一層深くなった。
恐らくは”ネネクォ?”だかが正しい名前なのだろうと思うが、スーリヤが言えないでいるので”ネネ”で妥協してくれたようだ――と思いたい。そもそも、”ネネ”が彼女の名前であるとは限らないのだが。まあ、その辺りはおいおい。
「******?」
彼女は何やら呟きながら、唐突にスーリヤを指差してきた。妙なことでも仕出かしただろうかと悩んだが、特に思い当たらない。都合の良い考え方をすると、「あんたの名前は?」と聞かれているような気がした。
「俺の名前を訊いてるのか?」と言っても、相手に通じないことは分かっている。なので暫く考えこんだ後、自分を指差してみると、彼女は頷いた。
(間違ってたら、後で謝ればいいだろ)
ネネがしたように、スーリヤも自分の胸に手を当てて、呟く。
「……スーリヤ」
「………………………………スー……?」
此方があちらの名前――だと思う――を上手く聞き取れなかったように、あちらも此方の名前を聞き取れなかったらしく、彼女の顔には困惑の色が浮かんでいた。これは予想出来ていたことなので、怒るほどのことでもない。
「スー……スーリィ?スー……リャ?スー……スー……スゥゥゥゥゥ~~~~~???」
スーリヤ、と言いたいのだろうけれど発音が難しいらしい。名前一つで四苦八苦している姿が面白くて笑ってしまいそうになったが、どうにか堪えた。彼女はきっと真剣なのだろうから。
暫く悪戦苦闘をしていたのだが、やがて彼女は大きな溜め息を吐いて、がっくりと項垂れた。
「……スー******?スー*……」
あ、ついに心が折れたな、これは。
「スーリヤが言えないから、スーで妥協してくれよ」と言っているように見えた。別に”スー”と呼ばれても不愉快だとは思わないし、此方も”ネネ”で妥協してもらったので、そうした方が公平だろう。
しょんぼりすることはない、という思いをこめてネネの頭を撫でたのだけれど、彼女は不安げな表情をして、此方を見上げてくる。
(……あれ、怖がってないか?)
おかしいな、距離が縮んだと思ったのに。
ネネの頭を撫でる手を離して、再び胸に手を当てて「スー」と呟いてみると、彼女は不安そうな表情を浮かべて「……スー?」と呟いた。
それで良いと頷いて再び頭を撫でると、やはり不安且つ複雑そうな表情をされた。
後に言葉が通じるようになってから知ったのだが、ネネはスーリヤに食べられると思い込んでいたらしい。バイェーズィートが言っていたことは本当だった、と、スーリヤが少なからずショックを受けたのをネネは知らない。
言ってないし。
とまあ、そんなこんなで。
意思の疎通が出来るようになったら、彼女の家を探して送ってやろう。それまで家に置いて面倒を見てやろう――とそれくらいしか考えていなかったスーリヤだが、それから二年近くも共に暮らす仲になるとはこの時は微塵も思っていなかったのだった。
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