下 16

「聖域って、一体どういう事なんだ?」

息を切らしながら熊に問う。


「随分と昔の話だ。科学者共がここに来る前になる。俺は当時は小熊だったんだが、親熊もおらず、独り森を徘徊してたんだ」


「待て待て。人間語を話せるようになる前の事を覚えてるのか」


「もちろんだ。俺は元々頭が冴えていたからな。まあそんな話はどうでもいいんだ。ともかく、そんなある日、俺はさっきのエリアに立ち入り、休憩をしていたんだ。何故かあそこだけ敵が近寄りもせず、安全だったからな」

確かにあそこは異様な空気があった。動物達はそれを察知したのだろうか。


「だがな、あそこは本当に不気味だった。夜寝ていても、何かに見張られているような気がしてならないんだ。しかもその目は、下から感じた」


「下?地面ってことか?」


「ああ。底の方から何もかもを見られているような感覚だったんだ。俺はそれが不思議でならなかった。気味が悪いし、俺はそこを掘り返してやろうと考えたんだ」

まるで人間の子供のような好奇心に、少しばかり関心する。


「しかし、掘り返しても何にも出てきやしない。俺は諦めて、掘るのを止めた。その時だった。さっきみたいな揺れが起こり、その堀った穴から、ありえないヤツが飛び出してきたんだ」


「ありえない、ヤツ…?」


「竜だ。お前ら人間の世界では、神話上の怪物とされている、あの竜だ」


「竜…?」

思わぬものの登場に、隼人は虚を突かれた気分であった。確かに竜は神話上の生き物である。


「そう、あの竜だ。俺は腰が抜けた。その時はありえないことは知らなかったが、とにかく巨大で、威圧感が只者ではなかったんだ。暫くするとヤツは、とてつもなく大きな声を張り上げた。俺はここで死ぬんだと思った」


「大きな声…?」


「ああ、本当に凄まじい声だった。鳴き止んだ後、俺は喰われるんだと覚悟した。だが、違った。妙に体が熱くなってきたんだ。そして、血が体中から有り得ない程の勢いで巡っていくのを感じた。その後の事はよく覚えていないが、俺はいつの間にか全く違う場所で眠っていたんだ。その時の森は、もう表せないくらいに荒れていた」


「お前が意識を失っている間に、森が荒れていた、っていうのか?」


「ああ。俺は思ったよ。森の動物達が覚醒したんだって」


「覚醒…?」


「俺は子供なりに考えた。竜のあの声を聞いた瞬間、体が恍惚となって意識を失い、気が付けば森はぐちゃぐちゃだ。俺は寝ていた。だが体はとてつもなく疲労していた。ここで気がついた。俺は暴れていたんだと。とはいえ、あの荒れようは俺1人ではならない。つまり、あの声を聞いたあらゆる動物達が、俺と同じ様に森を荒らし回ったんだ」

竜の声によって覚醒し、暴走したというのか。しかし、隼人はある点が引っ掛かった。


「まってくれ。それは科学者が作った竜ではないんだろ?なら、そんな非科学的な現象は…」

この熊がこうして会話をするのも、全てはあの科学者だ。


「ん?それは違う。そもそも、この島は普通じゃないんだ。だって考えてもみろ。動物が言葉を話すだなんて、あの科学者が初めて思いついたことか?そうさ、みんな1度は考えた事があるんだ、そんな事は。もしそれが出来るなら、本土でもとっくに作られてるさ。あの科学者は別に天才でもなんでもない。運が良かっただけなんだ。この島がそもそも、常識で計算出来ない島だから、俺達を作れたんだ」


「そもそも、おかしかったのか、ここは」

隼人は復唱するように言った。

熊の理論は筋が通っていた。こんな動物を作り上げられる技術を人間が持っているのなら、既に本土は暴走怪獣だらけになっている筈だ。


「そうだ。で、例の竜はそのおかしさの中心のような存在だと俺は考えてる」


「おかしさの、中心…?」


「一言で表せば、あれはこの島の守り神だ。俺はあの時の残った記憶から、そう判断した。そしてあれが住み着いてるのが、ヘリコプターが落ちたあのエリア、聖域だ。俺が勝手に呼んでいるだけだがな」


「じゃああの落ちた場所には…」


「そう。お前が運転手と話していた下で、竜が見てたんだ。俺は聖域の法則をこう考えている。あの土地は、少しでも傷をつけたら竜を呼び覚ますんだ」


「傷をつけたら…ってことは…!」


「ああ。あのヘリコプターがやっちまった。もう今からではどうにもならないが、竜がもうすぐ目覚める」


「目覚めたら、島中の動物達が暴走する」


「そうだ。俺も含め、動物は狂乱になる。閉じ込められているあいつらも、檻を突き破って暴れ散らかすだろう」


「お前も、なのか…」


「もちろんだ。あの竜には逆らえない。もうすぐ声が聞こえる頃だろう。あの声が鳴ったら、俺はもう理性を保てない。近くにいるあんたを食っちまう。だから、ここで俺とはお別れだ」


「分かった」

隼人はコクリと頷いた。


「俺の体感時間では、暴走時間はせいぜい二時間程度だ。だが、この島にいたらその二時間は100%生き延びられない。選択肢は二つだ。一つさ、風の扉で島を出る。もしそれが出来ないのなら、研究所の裏側にある洞穴に入れ。あそこは俺が小さい頃に作った秘密基地みたいなもんだ。島の動物共には嗅ぎつけられない、島で一番安全な場所だ。俺も暴走中にそんな子供時代に作った穴なんて思い出す訳はないしな。さあ時間はないぞ。とにかく逃げろ」


「そうか、ありがとう。本当に最後までありがとうな。じゃあな」

隼人は心から感謝していた。最後まで至れり尽くせりの熊に、何もしてやれない事が悔やまれた。隼人は熊に手を振り、一度お辞儀をし、その場を立ち去った。




その数分後に、轟音は鳴り響いたのだった。

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