下 11
「ヘリコプターを取りに行くぞ」
「何だお前は」
寂れた研究室に現れたのは、鋭い目つきをした男だった。風貌からして暴力団の連中ではないようだ。
「忘れたか?そりゃそうか。俺は所詮下っ端の秘書だもんな」
「秘書だと?お前、稲葉か!」
「正解だ。さて、お前には仕事がある。来い」
稲葉が渡辺を縛り付けていた縄を解き、立ち上がろうとしたその時、素早く黒い塊を取り出し、渡辺の額に突きつけられる。
「これは何の真似だ。稲葉」
「随分と弱りきってる癖に、偉そうな口調は衰えないジジイだな。俺はあんたのそういう所が嫌いだ。攫わられたと聞いた時は胸が晴れたもんだ」
「馬鹿な真似はやめろ」
「はっはっは。どこまでも傲慢だ。自分の立場を知らないらしい」
渡辺は稲葉の様子が不気味であった。稲葉は見てくれこそ荒いが、少なくとも社長にこのような態度を取る人物ではなかった筈だ。
「もう一度言うぞ。お前には仕事がある。大人しくついてこい」
「一体何のつもりだ。俺に何をさせる気だ」
そもそもなぜこの男が島に来ているのか。城戸に依頼されてなのか。件の島騒動については城戸にしか伝えていない筈だ。渡辺を助けるために稲葉を寄越したとしか考えられない。なら何故、この男は銃口を向けている?
渡辺は冷静に状況を整理する。
「分かってるか?俺がここに来た時点で、お前よりも俺は立場は上だ。今までは秘書としてくだらない人生を過ごしてきたが、今の俺はもう違う。希望に溢れた未来しか見えないな」
稲葉の目からは言葉通り、野望が潤っていた。
「何を企んでいるのか知らないが、俺は協力しないぞ」
「まだそんな事を。そんなに死を望むか。まあいい。あんたは俺の計画に関わって貰わなければならないからな。教えてやろう」
稲葉が高慢な口調で言う。
「単純な話、この島には驚かされた。なんたって生物兵器がいるんだからな」
「兵器というのは人間に都合の良いように戦うものの事だ。あの動物達は兵器ではない、怪物だ」
「また無駄口を。ともかく、この島は本物だ。ここの存在をぶちまければ、血相を変えてこの島に飛んでくる連中がウジ虫のように湧く。だが俺はふと思ったんだ。この島は入るのに難がある。先に人間が求めるのは、この島への上陸手段だ。そこで俺は提供しようと考えた。スロットで、そういう奴らを島に送還してやるのさ」
稲葉はさらに続ける。
「これは恐ろしいビジネスになるぞ。血の飢えた連中をここに送り込む訳だ。需要は止まらない。当然儲かるに違いない。送迎代を高くつけてやるからな」
渡辺は呆れてものも言えなかった。なんという下らない計画だ。しかし、そこに一端の危険性も感じた。この島を金儲けに使うのは、この男の愚かな行為だとはいえ、簡単にこの島に入れてしまうのは極めて危険だ。
だとはいえ、
「確かに見事な計画だ。だが自分で運転もできないような身が、よくそんな事を言えるな」
「ははは。誰もあんたみたいな老人に期待なんかしてない。あんたの役目はここの島の脱出だけだ。そしたら自由にしてやるよ。後は城戸にやらせるだけだ」
「残念だが、そんな外道なビジネスに城戸は乗らない。あいつはあの川崎の弟子だ」
川崎はどこまでいっても正義を貫く男だった。その血は、城戸にも受け継がれている。
「さあどうかな。肝心の川崎はもういない。それに城戸はまだまだ肝が座っていない。なぜ俺がこの島を知っているか分かるか?何か怪しげな動きをしていやがったから、強請って聞き出してやったんだよ」
よりにもよってこんな男に、と渡辺は苦くなる。城戸は確かに甘い部分はある。しかし、それは金の卵という意味でだ。城戸が取り込まれてしまえば、稲葉の計画は進んでしまう。
「さて、お話タイムも終わりだ。あんたはこのヘリで向こうまで送ってくれれば用済みだ。助けてやったんだから感謝する事だな」
稲葉の愚策を聞いていると、いつの間にかスロットが置かれているガレージへと辿り着いた。警備が極端に緩いのだ。こんなことなら、閉じ込められていた方がマシだった。
「お前を雇ったのは、俺の最大の失敗だ」
銃を執拗に向け続けるこの男に聞こえよがしに言う。稲葉はそれには反応せず、早く離陸しろと促してくる。
悪は悪を呼ぶ。
渡辺は島でサメを見た時既に気がついていた。この島の多大なる危険性に。
冗談では済まされない怪物に。
世界の戦争の火種になる事に。
そして、人間達が踏みとどまらない事に。
暴力団に、稲葉。この島が誰かに知れる度に、このような悪循環は止まらない。
暴力団の計画や、稲葉の計画の成功云々などはどうだっていい。だが、この男は最も危険な情報を流そうとしている。稲葉を島に連れ帰れば、本土は大混乱に陥る。積み上げてきたものが無に帰すしてしまう。
ーこの島で息絶えた、川崎の意思も―
渡辺は早くに妻を亡くし、子供が出来なかった。意気込んで企業したヘリコプター社も、悲しみから閉じようと考えていた。そこに光を与えたのは、川崎の存在だった。
川崎はまるで逞しい息子のようだった。渡辺は彼にあらゆることを受け継いだ。といっても、彼は技術にも稀有なものを持っていたため、習得は早かった。そして川崎にも、城戸という立派な弟子が出来た。
川崎は亡くなり、城戸が後を継いだ今、老いぼれに出来るような事は限られている。
もはや渡辺の生になど、価値は無い。
自分の生に執着している場合ではない。この男を送り届けてはいけない。川崎の死を無駄にしてはいけない。
悪は、根絶やしにしなければならない。
争いを呼ぶこの島も、終わりにしなければならない。この忌まわしきヘリコプターも。
渡辺は握った操縦桿を、大きく振り下ろした。
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