下 03

「もうすぐ島上空です、準備を進めて下さい」

運転席から聞こえくるその声に、隼人も薫も、表情を固くする。何せ、あんな事があったのだ。凄まじい、追憶。


そんな中、薫達の前に座る男だけは悠然と、そして、淡々とスカイダイビングの段取りを確認していた。


男は稲葉というらしい。秘書というから女性かと予想していたが、現れたのは恰幅の良いガッシリとした男だった。稲葉は無口で、その目は如何にも仕事だけをこなしにきた、という色だ。余計なコミュニケーションは望んでいないらしい。何人も寄せ付けない強烈な雰囲気を醸し出している。


「無口ですが、頼れる男です」

弟子はそのように説明をしていた。


「まさか、二回もここからスカイダイビングをする事になるなんてね」

薫がそう言う。


「ああ」

島の気配が近付く度に、隼人の動悸は激しくなる。死がすぐそこにある島、そして助っ人は怪しげな男。正直、不安要素しかなかった。


「さて、そろそろドアを開閉します」

隼人は大きく息を吸い込む。飛び降りたら、もう引き返せない。


「健闘をお祈りしています」

そう言って、弟子は隼人達を見送った。




島には、静寂だけが広がっていた。隼人が、大きく溜息をつく。

「また、来ちまったな…」


「うん。でも、やるしかないでしょ」


「ああ、だが、まずどうするんだ?アテもなく渡辺さんを探し回る訳にはいかないだろ?」


「ええ。でも、大体の場所の目星はついてる」


「ほんとか!?」


「暴力団が渡辺さんとスロットを連れ去ったのが1ヶ月前。奴らの計画の全貌は知らないけれど、この島はあくまでも科学者が設計した島。ヘリコプターが墜落したとはいえ、あそこにいるのは間違いないと思う。1ヶ月でここの設備は整えられないもん」


「確かにな。奴らは例のあの研究所を根城にしているだろう。しかし…道のりも必死に走っていて覚えてない。それに、こんな無防備に乗り込んで大丈夫なのか?」

隼人がそう言うと、稲葉が舌打ちをする。俺を頼れとでも言うのか。気まずい沈黙の中、薫が取り繕うように言う。

「道のりは、そこにいる生き物達で大体分かる。それに、私は稲葉さんの他に、もう1人頼れる助っ人を知ってるよ」


「こんな島にか?」


「ええ、私達のヒーロー。熊ちゃんよ」

そう聞いて、隼人は一驚する。隼人達を何度も救った心優しき熊。確かに、稲葉よりかは頼りになりそうだ。


「あいつはどこにいるんだ?」


「正直、分からない。けれど、ピンチになればあの子は必ず来てくれる」

僅かばかりの希望を抱いたが、その程度か。


「まあ、とりあえず森に入ってみるか」

仕方なく隼人がそう言う。


「まず森に入ってすぐの所にいるのは、空飛ぶヘビ」

薫がそう言うと同時に、背後から息を吹くような声が聞こえた。


稲葉だ。稲葉が吹き出したのだ。そこには、軽蔑しかなかった。大真面目に語る隼人達が滑稽だったのだ。

呑気な男だ。


「おい薫、この森、なんか変わった?」

隼人は直感的にそう言う。


「うん。表現しにくいけど…なんていうか、生気を感じない」


「だな。妙だ」

良くも悪くも、文鳥島は生物が荒々しく存在する島。森の異様な気配は忘れない。森に入った時から既に違和感はあった。


少し歩いても、蛇が見当たらない。蛇どころか、動物の息吹を感じない。拍子抜けした気分で、森を歩き進む。並んでいるのは木ばかりだ。


「やっぱり変だね。しばらくの間生き物達がこの島から消え失せているみたいな感覚」

薫が呟く。


「どうして分かる?」


「ほら見て隼人。ここにネズミの生活痕がある。ここに強化されたネズミはいない。つまり、島の格好の餌。でも、こんな居住跡を作るのには時間がかかる。作っている間に攻撃されればアウト。これは、しばらく捕食者がいかなかった証拠だよ」

大学で生物学を取っていたというだけあって、薫の言う事には説得力があった。


「捕食者?じゃあ例の生き物達がこの島から消えたってことか?」


「ええ、恐らく。島の気配が消えてるのもこのせいなんじゃないかな」


「一体なぜだ?島から逃げ出したのか?」


「それは有り得ないと思う。この風では普通には通過できないもん。きっと、暴力団が何かをしたんじゃないかな」


「やはり奴らの狙いはここの動物ってことか…」


「しかし、奴らは一体何を…」

閑散とした森に隼人が問う。


「分からない。とりあえず、今は先に進もうよ」

奇妙な雰囲気を纏う森の奥へと、足を進める。太陽の光も徐々に消えかかっている。

土を蹴飛ばしながら、研究所があったらしき方向へと向かう。あくまでも記憶で辿ることしか出来ない道のりだが。

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