第84話

 扉は音もなくゆっくりと開いていく。同時に薬品の臭いが漂ってきた。

 部屋の真ん中には眼鏡をかけた背の低い少女がいた。

 髪は長く、ぼさぼさだ。服装も、お世辞にも綺麗とは言えない。


 少女は怪訝そうにこちらを見た。


「なにようだ?」


 少女の声は小さかった。思いのほか可愛らしい声だった。

 年のころはシアやセルリスに近いのかもしれない。

 だが、動きはセルリスやシアとは全く異なる。鍛えられていないものの動きだ。

 体つきは痩せていて、脂肪も筋肉も少ない。


「とりあえず話が聞きたい。ここに来たのは、犬に案内されたからだ」

「犬だと?」


 少女はさらに怪しんでいるようにみえた。

 俺を見る目が、まるで不審者を見る目だ。


 俺は部屋の中を観察する。

 部屋の中は薄暗く、ものすごく散らかっていた。

 特に本の量がすごい。乱雑に、そして高く積み上がっていた。

 その上、怪しげな薬品やら実験器具が転がっている。


「どうせ暇なのだ。用があるのならば、相手をしてやろう」

「それはありがたい」

「その前に扉を閉めよ。邪魔が入ってはかなわぬ」


 少女に促され、俺は扉を閉めることにした。

 閉める前に、扉の外で大人しくお座りしていた、犬に声をかける。


「薬品臭いけど、入るか?」

 嗅覚の鋭い犬には厳しいかもしれない。そう思ったのだ。


「……ゎぅ」

 犬が小さな声で吠えると、薬品臭など気にする様子もなく中へと入る。

 そして、一直線に少女の元に駆け寄った。


「タマではないか!」

「ゎぅゎぅ」

 気を使っているのか、タマと呼ばれた犬は小さな声で鳴く。

 そして、少女の両肩に前足を乗っけると、少女の顔をべろべろ舐めた。

 身長低めの少女より、タマの方が大きいぐらいだ。


「生きておったか」

「ゎぅ」

「こんなに痩せてしまって……。生きておったのなら、なぜ逃げぬ。愚か者」

 タマは一生懸命尻尾を振っている。そして、少女は涙ぐんでいた。


 少女とタマが落ち着いた後、俺は事情を説明することにした。


「俺の名はロックという。冒険者だ」

「ほう。冒険者であったか」

「この辺りで人がいなくなる事件が頻発していてな。その関連で調べに来た」

「この屋敷が怪しいと判断したのだな? どのくらい前から調べはじめたのだ?」

「昨日からだな。まあ本格的に行方不明者を調べ始めたのは今日からだが」

「そんな短期間でこの屋敷に気づいたのか? この部屋の扉を開けられた時点でわかっていたことだが、余程の凄腕であるな」

「出来れば、そちらの事情を聞かせてくれないか?」

「うむ。我が名はフィリー・マスタフォン。この家の五女である。で、こちらは我が愛犬タマだ」


 フィリーは侯爵家の一員らしい。にもかかわらず監禁されていたようだ。


「なにが起こっているんだ?」

「その前に、ロックよ。そなたはどのくらい力があるのだ?」

「ご存知の通り、かなり腕のいい冒険者だ。自分で言うのもなんだがな」

 フィリーは俺のことを凄腕だと認めてくれている。


「それはわかっておる。そうではなく、他の冒険者や官憲たちにどのくらい顔が利くのだ?」

「優秀な冒険者の友達なら複数いる。それに冒険者ギルドのグランドマスターとも一緒に酒を飲む仲だぞ」

「官憲とは?」

「官憲の地区長とは知り合いだぞ。それに、ずっとずっと上の方の上層部とも個人的に仲がいい」


 上層部とは国王エリックのことだ。嘘ではない。

 俺がそういうと、フィリーは少し安心したように見えた。


「では、ロックよ。助けて欲しい」

「とりあえず言ってみろ」


 フィリーは説明を始める。

 二年前、マスタフォン侯爵家は一人の執事見習いを雇い入れたのだという。

 その執事は勤務態度もよくとても優秀だった。

 執事は急速に出世し、半年前に家政を取り仕切る家宰かさいになった。


「二年、いや一年半か。それで家宰は早すぎないか?」

「もちろん早い。だが病気になったり、事故死したりで、家宰とその候補がいなくなったのだ」


 もしかしたら、現家宰が暗躍したのかもしれない。


「新たな家宰は家宰となっても優秀だった。だが……」

 先月、家宰が豹変した。マスタフォン侯爵夫妻やフィリーを監禁したのだという。


「他の使用人たちはどうした?」

「主だった使用人たちも、まるで別人のように変わった。まるで人間ではないかのようであった」


 そして、豹変しなかった使用人たちはいつの間にか消えていたのだという。


「豹変しなかった使用人たちは、家宰が首にしたのか?」

「考えたくもないが、全員殺されているかもしれぬ」


 フィリーは、一人だけだが、実際に殺された使用人を見たという。


 おそらく、家宰は昏き者どもに通じているのだろう。

 そして、侯爵家の屋敷を拠点として利用しているのだ。俺はそう判断した。


「我にできたことは、タマを逃がすことだけだった……」


 だが、タマは逃げず屋敷の隅で使用人の様子をうかがっていたのだ。

 餌ももらわず、水も満足に飲めず、つらい日々だったに違いない。

 まさに忠犬と言えるだろう。


 家宰たちも、しゃべれぬタマを脅威だと考えていなかったのだろう。

 逃げ出したところで、野良犬として処理されるだけだ。

 運よく誰かに拾われたとしても、マスタフォン侯爵家の犬だとは気づかれないだろう。


 だから、世話もしないかわりに、危害を加えることもなかった。

 タマにひとかけらの興味もなかったのだ。

 それはマスタフォン侯爵家にとって幸いだった。


 俺がフィリーに出会えたのだから。


「ところで、なぜフィリーや侯爵夫妻は殺されなかったんだ?」

「我は自分で言うのもなんだが、天才なのだ」

「……フィリーは魔導士か?」

「いや、我は錬金術士である」


 フィリーは家宰に謎の金属の錬成を命じられたのだという。

 いうことを聞かねば、マスタフォン夫妻を殺すと言われて、フィリーは逆らえなかった。


「で、謎の金属って、どんな金属だ?」

「これである」


 フィリーは小さな金属片を見せてくれる。

 それは、ヴァンパイアロードが体内に埋め込んだメダルの素材にそっくりだ。

 つまり、邪神像の素材と同一のものということだ。

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