第83話

「ウーーゥゥ……ウゥゥ」


 吠えるというより唸る感じだ。どうやら番犬ではないらしい。

 番犬ならば、大きな声で吠えまくるだろう。

 唸り声は、とても弱弱しく、静かだった。


 俺は犬を刺激しないように、ゆっくりと動く。そして、観察した。

 とても立派な大型犬だ。体高は俺の身長の半分ぐらいある。

 ガルヴよりは小さいが、とても大きい部類に入るだろう。

 だが、異様に痩せている。その姿を見ると、可哀そうに思えてくる。


 念のため犬に魔力探知マジック・サーチの魔法をかけた。魔法の痕跡は見つからない。

 呪いが掛かっているわけでも、操られているわけでもなさそうだ。


 もちろん、犬に魔法をかけた術者が俺より凄腕ならば、俺には見抜けない。

 とはいえ、その可能性は低いように思える。


「慢心だろうか」

「ゥウ……」


 俺が小さく独り言をつぶやくと、犬は警戒するように唸った。

 唸るというより呻くといった方が近いかもしれない。

 ひどく怯え、そして弱っている。


 侯爵家の庭に、不似合いな弱っている犬。

 どう考えてもおかしい。


「……食べるか?」

 魔法の鞄に入れておいたおやつを取り出して犬に差し出す。

 俺が非常食にしようと考えて入れておいた物だ。


 俺の魔法の鞄は高級品だ。入れたものは互いに干渉しない。

 だから、ネズミの死骸を入れた鞄にも食料を入れられる。とても便利だ。


「ウゥゥ」

 俺は犬の前に餌を置いた。そして少し離れる。犬はしばらく警戒するように唸る。

 だが、空腹には勝てなかったのだろう。

 何度も何度も匂いを嗅いでから、ぱくりと食べた。


 それから、俺はいくつかおやつを並べる。器に水も入れて差し出した。

 犬は匂いを嗅いでから、水を飲みおやつをパクパク食べた。

 相当飢えて乾いていたようだ。


「好きに食べてていいぞ。俺はもう行くから、吠えないでくれ」

「……」


 犬は無言だ。だが、尻尾がゆっくり揺れた。

 俺が建物の中に侵入するのに最適な場所を探していると、犬が鼻先でつついてきた。


「どうした?」

「…………」


 俺が小さな声で尋ねると、犬は無言のまま、タタタと歩き出した。

 そして止まって、振り返る。まるでついて来いと言っているかのようだ。


「……他に手がかりもないし、いいかな」


 犬について行くことにした。

 犬は建物に沿って、迷いない足取りで歩いていく。

 そして、急に止まる。物陰に隠れてこちらを見た。

 俺も一緒になって隠れておいた。

 その直後に、使用人が通る。

 犬は見つからないよう警戒しながら歩いているようだ。


 犬について進んでいくと、建物の裏手、そこに窓ガラスが割れている場所があった。

 廊下の窓だ。窓が割れているにもかかわらず、使用人は気にした様子もない。

 割れたガラスの上を平然と歩いている。

 風雨も入り込んでいるようだ。木の葉やほこりが廊下に散らばっていた。


「窓ガラスが割れているのに、誰も興味なしか」


 まるで、その場所だけ廃屋の様だ。

 使用人がときたま通るのが異常性を際立たせる。


 犬は割れた窓からぴょんと中に入った。

 俺も追う。建物の中に入っても、犬はそのまま歩いていく。

 ガラスで肉球を切ったのか、少し血が流れた。


「ちょっとまて、治療する」

「……」


 俺がそう言ったのに、犬はまったく止まらず歩いていく。

 そんな時間がもったいないという態度だ。


「血が出ていると気づかれる率が高まる」


 俺は無理やり犬を止めると、足に薬を塗って包帯を巻く。止血した。


「時間がないようだから、応急手当だ。あとでしっかり治療してやる」

「…………」


 犬は無言で、だがお手をするように、前足を上げた。

 犬にとっては、それが無言でできるコミュニケーションの手段なのだろう。

 その前足を優しくつかむと尻尾を振った。


 使用人に見つからないように歩いていく。

 まるで、使用人がいつ通るのか前もってわかっているかのようだ。

 的確にやり過ごして進んでいく。


 そして、ある部屋の前で止まる。

 建物の中心近く。半地下の部屋のようだ。


 小さな声で犬に尋ねる。

「ここに何かあるのか?」

「…………」


 犬はまた、前足を上げた。その前足をとって、頭を撫でた。

 俺は部屋に入ることに決めた。

 たとえ罠だとしても、情報は得られるだろう。


「……やはり、俺は慢心しているのだろうか」

 小さな声でつぶやいた。


 本来であれば、一人で突っ込むのはよいことではない。

 一人で十年、魔神と戦い抜いたというのが変な自信になっているのだろうか。

 魔神の群れと同じくらい強い敵が王都にいるなら、王都は地獄になっている。

 だから、一人で何とかなると俺は考えている。

 もしかしたら、それが慢心といえるのかもしれない。

 あとで真面目に考えてみよう。


 今はとりあえず、部屋に侵入してみよう。


 俺は魔力探知の魔法を扉にかける。

 施錠ロックの魔法がかけられていた。かなり高位の魔導士の手によるものだ。

 宮廷魔導士長クラスでも、解錠アンロックに一時間はかかるだろう。


「余程、入らせたくないと見える」


 もしくは、中にいる何かを出したくないのかもしれない。


 俺は探知サーチの魔法を使って、罠をしらべた。そして聞き耳を立てる。

 罠もない。物音は少しした。中に動く何かがいるようだ。


「……とりあえず開けてみるか」


 俺は解錠の魔法を扉にかける。カチリという音がなり、一瞬で鍵があく。

 そして、俺はゆっくりと扉を開いた。

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