第82話

 俺はマスタフォン侯爵家の屋敷に向かう前に装備を整える。

 戦闘のための準備ではない。目立たないための準備だ。

 貴族の邸宅が並ぶこの地区では、金属鎧に魔神王の剣は目立ちすぎる。

 普通に道を通り過ぎるだけならまだしも、俺は観察したいのだ。

 マスタフォン侯爵家の屋敷周辺を、うろうろしなければならない。


「となると、貴族の奉公人っぽい感じがいいな」


 とはいえ、魔神王の剣も持っていきたい。

 中に隠せそうなふんわりとした服がいいだろう。


「よし、これで行こう」


 俺は自室で装備を整えてから居間へと顔を出した。


「じゃあ、行ってくる。留守番頼むぞ」

「お気をつけてであります」

「油断しないでね」


 シアとセルリスは激励してくれたが、ミルカは顔をしかめた。


「その剣はなんだい?」

「結構いい剣なんだぞ。多少目立っても持っていきたいからな」

「目立ちすぎると思うぞ」

「そうかな?」

「そうだぞ」


 俺はルッチラを見る。

「どう思う?」

「目立ってると思います。まさに冒険者って感じですね」

「そうか。それは困るな」


 心配そうに寄ってくるガルヴの頭を撫でてやる。


「まあ、剣は隠すさ」

「隠せるのかい?」

「俺は凄腕だからな」


 そう言って、俺はマスタフォン侯爵家に向かうことにした。

 屋敷を出るとき、ゲルベルガが、

「コケコッコーッ!」

 高らかに鳴いた。武運を祈ると言ってくれているようだ。


 俺は屋敷を出る前に、魔神王の剣に隠蔽の魔法をかけておいた。

 魔法抵抗値の高いもの、魔力値の高いものが、意識すれば剣に気づくかもしれない。

 だが、普通の人は気付かないだろう。


 俺は普通の通行人のようなふりをして、マスタフォン侯爵家の屋敷を観察する。

 屋敷は成人男性一人半ほどの高い壁に囲まれている。


(正門が一つ。裏口が一つ)


 俺は入り口の数を、しっかりと確認する。

 正門の横には門番が二人いる。裏口の横には門番が一人いた。


(やはり怪しいな)


 それが俺の最初の感想だ。


 通常、正門横にはともかく、裏口は門番を配置しない。

 平和な王都内において、門番の主要な仕事は来客への対応だ。

 だから来客の来ない裏口には配置する必要がない。


 俺は門番の様子をうかがいながら、屋敷の前を歩いていく。

 門番の三人とも、表情もなく微動だにしない。

 その態度は門番としては模範的と言えるだろう。

 だが、生気がなさすぎる。


(微動だにしていないが、目だけはこちらを追っているな)


 不気味だ。

 俺はヴァンパイアの魅了にかかった奴に似ていると思った。

 邪神を召喚しようとするぐらいだ。

 家中全体が、昏き者どもに支配されていてもおかしくはない。

 俺はそんなことを考えながら、観察をつづける。


(窓からこちらを見ている人影が……一、二、三……)


 たまたま、窓の外を覗いているといったていではある。

 だが、よく観察すれば、表情を変えず、微動だにしていないことがわかる。


(あいつらも目だけでこちらを追っているのか)


 警戒が厳重過ぎる。

 中にいるのが、ヴァンパイアとは限らない。だが怪しいのは確実だ。


 当初は何度も目立たぬよう、周囲を回りながら観察するつもりだった。

 だが、監視の目が多数あるのならば、屋敷の周囲をぐるぐる回るのはよくない。


(怪しまれる前に、観察はやめておくか)


 俺はそう考えて、一度通り過ぎた後、マスタフォン侯爵家に侵入することにした。

 脳内で門番や窓から外をうかがう人影の位置を計算する。

 死角はほとんどない。


(とはいえ、死角が皆無というわけではないし……。まあなんとかなるだろ)


 他の人なら難しくとも、俺には可能だ。


 通常ならば、夜陰に乗じて侵入するのだろうが、相手は昏き者どもの可能性がある。

 夜の闇は相手を利するだけ。


 念入りに情報収集をした方が確実なのは確かだが、それでは時間がかかる。

 魔鼠の大発生。怪しげな邪神の像。人の失踪。

 なにか良からぬことが進行中なのだろう。

 それを考えるならば、急いだほうがいいだろう。


(兵は拙速を尊ぶだったか……。いや、この場合は狼の子を捕まえるには、狼の巣に入らないと駄目ってやつだな)


 ミルカの言葉が頭に浮かんだ。

 俺はマスタフォン侯爵家から、一旦距離をとる。

 そして、改めて気配遮断の魔法を自分に強めにかける。


(これで並みの冒険者ならあえて騒がしくしたり、激しく動かない限り大丈夫だろう)


 俺は慎重に物陰を静かに進む。

 マスタフォン侯爵家の高い壁を見上げる。


(少し高いか)

 垂直飛びで飛び越えるには少し厳しい。魔力を使えば余裕だが、使うまでもないだろう。

 俺は魔神王の剣に紐を縛りつけると、壁に立てかける。

 そして、鍔に足をかけて飛び越えた。


(うおっ!)


 思わず声を出しそうになった。

 下からは見えない角度で、壁の上には鋭利な突起物が並べられていた。

 咄嗟に身をよじって、何とか回避する。

 やっとのことで敷地内におりたった。


 これだけ防備を固めていれば、腕のいいスカウトであっても侵入に苦労するだろう。

 まるで砦の様だ。


(警備が厳しいってことは、それだけ見られたくないものがあるってことだな)


 そう考えて、俺が気合を入れていると、すぐ横から犬の唸り声が聞こえた。

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