第6話 奴隷だった私は散歩に出る

イーラがピアーズに拾われて、数日経った。

ペットとしての生活は、戸惑いもあったが順調に過ぎた。

実際にやってみると簡単だった。なんせ寝て食べるだけで一日過ごしても、何も言われないのだ。ペットなのだから当然なのだが、ずっと奴隷として働いてきたのでこんな事も思い至らないかった。

初日、何をすればいいか悩んだのがいまでは懐かしい。

朝、イーラが目を覚ますのは、いつも陽が昇ってからだ。

しなければいけないことがないから誰にも起こされないのだ。

だから、この時間に起きるのが日常になった。

当然のように、起きたらピアーズはいない。

どうやらかなり忙しい人のようでイーラは未だにピアーズより早く目が覚めた事がない。

たまに、夜も部屋に帰って来ないこともあった。

まあ、とても偉い人のようで当然かもしれない。ただ、凄いことはわかるが具体的に何をしているのかはイーラにはわからなかったが。

ペットとはいえ、主人より遅く起きるなんて本当にいいのだろうかと思いつつ、イーラは服を着替える。

あれからピアーズが追加で服を数着買ってくれたので、また服が増えた。

のんびり服を選び着ると、次はイーラはヘンリーがいるキッチンに向かう。

ヘンリーが作ってくれる朝食を食べるのだ。

最初は柔らかく具材を煮たスープばかりだったが、最近はスープと柔らかいパンも付くようになった。


「ごちそうさまです」

「よし、今日も全部食べたな」


目の前に食べ物があると、手で掴んで口に詰め込む癖があるイーラだったが。最近は、いつでもお腹いっぱい食べられる環境になって、なんとか一人で食べられるようになった。ついでにスプーンの使い方も覚えた。

とは言え、油断すると噛まずに飲み込もうとしてしまうので、ヘンリーが横で見張ってはいるが。


「今日は少し肉を入れてみたが、食べられたな。明日はもう少し増やしてもいいかもな……」


ヘンリーはブツブツ言いながらメモ帳に何か書き込んでいる。


「じゃあ、私はもう行くね。またお昼ごろ来るよ」

「ああ、わかった。あっ、そうだ今日も屋敷を散歩するのか?」

「うん」


ヘンリーが言った散歩とは、イーラの最近の日課だ。

最初の頃はキッチンと部屋の行き来と動物達の世話を手伝ったりしていたのだが、徐々に何もしないということが落ち着かなくなってきた。

要するに、体力が付いてきたのでそんなに眠くもならなくなって暇になったのだ。

だから、何もする事がない時間は、広い屋敷を散歩するようになった。


「ほら、水分補給のための水筒とおやつ持っていけ」


ヘンリーはそう言って小さな水筒と飴玉を数個入れた袋をイーラに手渡した。


「ありがとう」

「いいか、飴は噛まずにゆっくり舐めろ」

「分かった」

「そうだ、今日は日曜だから夜は忘れず来いよ」

「あ、そうだった。今日はなにがあるの?」


日曜日は週の最終日ということで、安息日と言われていて夕食が少し豪華になる。

イーラが奴隷だった時もこの日はまだまともな物が食べられた。とは言っても冷えた残り物ばかりだったが。


「今日はケーキが付いてるぞ」

「本当?!食べれるの?」


イーラは嬉しそうな顔になる。話には聞いたことがあるが本物は見たことがない。


「ああ、柔らかい物だからイーラも食べれるぞ。俺が作るから楽しみにしとけ」

「うん。じゃあ、行ってきます」

「水はなくなったら、また戻ってこいよ。あとお昼も忘れるな」


ヘンリーにそう言含められて、イーラは散歩に出かけた。

最初は文句言ってたのに、ヘンリーは結構世話焼きだなと思いながらイーラは貰った飴を口に入れる。


「ケーキか……楽しみだ。それにしても、広いな……」


屋敷を歩きながら、イーラは呟く。

散歩を始めて数日しかたたないが、屋敷は広すぎていまだに全貌がよくわからない。

そもそも、イーラの体が小さいのでなかなか探索もすすまないのだ。


「あれ?イーラ何してんだい?」


ポテポテ歩いているとメイドの一人に声をかけられた。声をかけて来たのは初日にイーラを洗うのを手伝ったメイドだ。

名前はアイラという、恰幅がよくていつも笑っている。


「散歩だよ」

「ああ、なるほどね。この屋敷は広いからね」


アイラはニコニコ笑いながら言った。


「うん、本当に広いね」

「まあ、楽しんで行ってきな。でも、迷うこともあるから気を付けるんだよ」

「うん」


イーラはそんな会話をしてアイラと別れる。

最近は使用人の顔や名前も覚えてきた。みんなイーラがピアーズに拾われてきたことも知っていて声をかけてくるようになった。

イーラはまた同じように散歩を続ける。

建物は大きくて重厚だ。窓から明るい陽の光が入ってきて、さらに綺麗に見える。窓の一つ一つに装飾が施されいて、とてつもなくお金がかかっていることが分かる。

イーラが小さいのもあるが、窓は高くて外が見えない。コロコロと飴玉を口の中で転がしながら歩く。

飴はここに来て初めて食べたお菓子なのだが、本当に凄い食べ物だと思う。なんせずっと口の中が甘いのだ。

甘い物すら食べたことがなかったイーラにとって、こんな幸せなことがこの世の中にあるなんて思ってもみなかった。


「あれ?ここどこだ?」


飴の素晴らしさにうっとりしていたら、いつの間にかイーラは自分がどこにいるのか分からなくなっていた。

ぼんやりした記憶の中で何度か階段を昇ったり降りたりしたのは覚えているが、自分が今どっちを向いているのかも分からなくなった。

しかも、いつの間にか光がさす窓もなくなって、全体的に薄暗い場所にいた。


「迷った……」


ついさっき、迷わないように気を付けてと言われたのに、早速迷ったようだ。

まさか、こんな建物の中で迷うとは思わなかった。


「……まあ、そのうち知ってるところに出るよね」


時間的にまだお昼にもなってない、イーラは呑気にそう言ってまた歩き出す。


「それにしても、ここら辺は埃っぽいな」


イーラが今歩いているところは、あまり使われていない場所のようだ。よく見るとすみの方に埃が溜まっている。

屋敷があんまりにも広過ぎて、掃除も追いつかないのだろう。

廊下には豪華な花瓶や絵画も飾ってある。薄暗いのでちょっと雰囲気が不気味だ。

部屋も沢山あって、いくつか開けてみたが何もないか家具はあるがシーツが掛けられて使われていない部屋が大半だった。


「わあ……ここ、凄い……」


廊下の一際奥に進むと大きな扉があった。イーラの小さい体では開けるのもやっとの大きさだったが、なんとか開ける。

そこには、広い部屋によくわからないものが所狭しと並べられていた。

ドアの横に表札のような物があったが、文字が読めないイーラには何て書いてあるかわからなかった。


「なんだろうこれ……」


部屋にはガラスのケースに入った物や厳重に封印された木の箱、古ぼけた巻物が沢山ある。

その他にもよくわからない大きな銅像や、どう見ても高そうな壺が床に無造作に置かれていた。

おそらく貴重なものをしまっている部屋なのだろうが、こんなに簡単に入れていいのだろうかと思いつつ、イーラは興味深そうにキョロキョロと見回る。

虹色に光っている水晶や何か黒い物で汚れた剣、今にも動き出しそうな鎧。何に使うのかも分からない道具もあった。


「ん?あれは?」


そんな中、イーラはある物が目に入る。

それは、一見するとただの服だった。紺色でおそらく女性物。

おそらくと言ったのは、今までイーラは一度も見たことがないデザインだったからだ。

襟と思われるものがとても大きく後ろに垂れていてぐるりとスカーフのような物が巻いてあって、前で結んである。スカートはプリーツが沢山付いていてひらひらしていて可愛い。ただ、とても短くてこんなのを着て歩いたら、凄く目立ちそうだと思った。

イーラはその服をじっと見つめる。その服は正直、そんなに目を惹くものは無い。珍しいデザインだが色も地味だし高そうな装飾や宝石も付いてい。

しかし、イーラはその服から目が離せなかった。

見たことも無いはずなのに、心の中がざわざわとざわめく。


「なんでだろう……」


イーラは服をじっと見つめながら呟く。

そうやって、しばらく見つめていたが当然のことながら、答えは見つからなかった。


「あ……そうだ。私、迷ってたんだ」


ゆっくり見ていたせいでかなり時間が経ってしまった。どれくらい経ったかわからないがおそらく昼もそろそろじゃないだろうか。

イーラは、のんびりしている場合じゃないと思い出して部屋を出た。

とりあえず、来た道を戻りながら歩く。とはいえ、どこをどう歩いたかは全て覚えているわけでもない。

あてもなく歩いていると、さらによくわからなくなってきた。


「困ったな……ん?」


しばらくうろうろしていると、人影を見つけた。しかもイーラと同じくらいの年齢の男の子だった。

その、男の子はキョロキョロ周りを見ながら歩いていた。

イーラはこの屋敷で、自分以外の子供を見たのは初めてだった。


「何してるの?」


イーラは近づいて声をかける。


「ぎゃーーー!!!」


相手はビクリと体を震わせ、叫び声を上げた。

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