第57話 そしてオマケ ジャック・パーシヴァル・ファンクラブの解散
ちなみに、ロストフ公爵宛のシャーロット偽装結婚バクロ書簡の送付主について、シャーロット以外の愛人候補者の家は、全員、無実だったことが後日判明した。
ボードヒル子爵の「事情聴取」は無駄ではなかった。
たとえば、メイソン嬢の場合。
彼女は、郵便省の長官の娘であり、一番先にロストフ公爵から愛人にならないかと勧められた令嬢だった。
ただ、彼女の場合、父親のメイソン卿が同席していた為、晩餐会の空気は一挙に悪化した。
「はばかりながら、娘は従兄弟に当たるノーザン卿との婚約話が進んでおりまして……」
立派なひげを蓄え、政府で長官を務める堂々たる風采のメイソン卿が冷たく言い放った。
メアリ・アン・メイソン嬢はピクリと動いた。初耳だったからである。
婚約の話も初耳だったが、まず、ノーザン卿と言うのが誰だかさっぱりわからなかった。
「それは……しかし、我がロストフ家は、同じ公爵家といっても王家同様の血筋。決して……」
「ノーザン卿は、カーライル公爵の嫡子であられる。内々に我が国の公爵夫人になるお話が進んでおりますので」
帝国の公爵家は量産される傾向があったが、この国では公爵家は数家族しかおらず、帝国の公爵家よりはるかに高貴な御家柄となる。比べるのもはばかられる。しかも正夫人の話である。その女性に、愛人の話を持ち掛けるなど、失礼にもほどがある。鈍いロストフ公爵も気が付いた。
メイソン卿は激怒しているらしい。
晩餐会は、いろいろと気まずくなったそれまでの晩餐会の中でも、ことのほか気まずい雰囲気で終わった。
ただし、父のカード仲間で、悪友のカーライル公爵の息子はすでに結婚している。つまり、父の話は全部はったりだ。晩餐会の出席者の中で、知らないのはロストフ公爵のみと言う、割と実は気の毒な状況だったが、全員、知らんぷりをしていた。
そもそも令嬢の父上に向かって愛人の話を持ちかけること自体、言語道断である。
「あの礼儀知らずのクソ野郎を黙らさにゃ気がすまなかった」
ボードヒル子爵が事情聴取に訪問した時、応対したメイソン嬢は、例の手紙の話になった途端、コロコロと笑って「ロストフ公爵に手紙を送った人物には心当たりがありますわよ」と言ってのけて、子爵を仰天させた。
どうやら、メイソン卿は、職権濫用で(郵便物に限り)ロストフ公爵監視網を速攻で敷いたらしい。
「父は怒ってまして……それで、ささやかながら自衛をさせて頂きましたの」
「は、左様でございますか」
「だって、そんな手紙おかしいじゃないですか。公爵宛ての手紙があんな安物の白い封筒と用箋だなんて。ですから、差出人の割り出しはしましたの。でも、全然関係のない、私どもは知らない商人の娘でした」
カーラ・アンダーソン。
子爵も知らない名前だった。
「ジャック様の恋人を貶めようだなんて。許せませんわ」
「は?」
憎しみを込めたメイソン嬢の声音に、子爵はびっくりした。ジャック? 誰?
「ジャック・パーヴァル様ですわ。私、ファンクラブの会長を務めさせていただいております」
「……ファンクラブ……で、ございますか?」
あのジャックにファンクラブがあるとは知らなかった。
「ファンクラブの目的はジャック様の幸せ。恋に悩み、迷走するジャック様を生温かく見守ることがその喜び……」
子爵は、語りだしたメイソン嬢をモンゴメリ卿のところに連れていくことにした。女性心理については、子爵よりモンゴメリ卿の方が数段上手だろう。それに何より、ロストフ公爵対策本部は、モンゴメリ卿の邸宅にある。
「まさか。手紙を盗み読むなどと言うことは致しませんわ」
透かし読みしたそうである。
「そのようなはしたない真似をと、迷いました。しかし、あの偽装結婚の当時、ジャック様はシャーロット嬢を遠ざけておられるようだったので、まさかお好きなのだとは存じ上げず……ジャック様に騙されましたわ」
なんで、そんなことまで知っているんだろう。
「だんだん、本気になられたらしく、シャーロット嬢の馬車に乗り込もうと組み付いて行かれたそうで……」
メイソン嬢は、好物の食べ物を目にしたかのように、よだれを垂らさんばかりに語った。
知らなかった。ジャック、何をしてたんだ。
モンゴメリ卿はジャックの武勇伝をうっとりと次から次へと語る令嬢をまじまじと眺めながら、今日、ジャックをここへ呼ばなくて本当に良かったと思った。
「それで、このカーラ・アンダーソン嬢と言う女はシャーロット嬢をひどく憎んでいて、あるダンスパーティの時など、モンゴメリ卿のダンスのお相手を無理矢理かっさらって……」
あれ? 思い出した! あの時の娘か!
「ファンの究極の目的はアイドルの幸せ」
「ええ?」
モンゴメリ卿が口籠もり、子爵は、半目になった。モンゴメリ卿でも、やはり無理か。
「この話、私どもにお任せくださいませんか?」
「ど、どの話?」
メイソン嬢は真剣だった。
「カーラ嬢の処分でございますわ」
確かに調査とは言ったが、別に何かの権限がある訳ではない。
「死罪!」
「あ、あの、ちょっと待って……」
「……と、言うわけには参りますまい」
大の男二人が、肩で息をしてメイソン嬢の一言一言に集中した。
「私によい案がございます」
ニタリと笑うメイソン嬢に、モンゴメリ卿とボードヒル子爵は、自己の限界を感じた。
そして、シルビア・ハミルトン嬢を呼び出した。
一週間後、モンゴメリ卿の客間において、鈴を転がすような美しい声が楽しげに部屋を充し、独身男の邸宅なのになぜか女子会が開催されていた。
「決まりましたわあ、モンゴメリ卿様、ボードヒル子爵様」
「と言うより結果報告ですわね」
「まあ、バラしておしまいになって……」
「どうなったのですか……?」
モンゴメリ卿が恐る恐るお伺いを立てた。
「まず、国家反逆罪の疑いで、カーラ嬢に事情聴取の出頭を求めましたの」
「え……どこが国家反逆罪……」
「あらあ。疑いだけですわ」
「そうそう。出頭を求めただけですもの」
「実際には出頭してませんしい」
「でも、他国の公爵に馴れ馴れしくあんな手紙を出すこと自体、可能性アリですわ」
「ホホホ……まずく回るとカーラ嬢は牢獄で禁固刑10年、父上は罰金刑で三百万ルイくらい。取調べは半年くらいかかり、その間は拘束されるとお伝えしましたの」
そ、そうなのか? モンゴメリ卿は子爵の顔を盗み見た。自分より法律には詳しいはずだ。子爵は能面のようになって、固まっていた。
「で?」
「一方で、バーバラ・ソーントン嬢から、ちょうどこの国の人間で仕えてくれる者が欲しいと言う要望がありまして……」
「ソーントン嬢と言うと、あのバーバラ嬢? ロストフ公爵の夫人になったとか言う?」
「そうそう。それで、アンダーソン一家に国外で破格の好条件の勤め先があると匂わせたところ、一家で荷物をまとめて出て行きましたの」
「行き先はロストフ公爵のところか?」
「その通り。よくおわかりですこと!」
「そして、バーバラ・ソーントン嬢は、シャーロット嬢のことは基本的に嫌いなはず。親戚とわかれば、優遇されるとは思えませんわ。でも、こちらへ帰ることはきっと許されない」
「なぜ?」
「だって、言葉の問題で、母国語を話せる召使は、絶対、手放したりしませんわ。手配できる知り合いは私だけですし」
にこやかに解説するシルビア嬢を尊敬の眼差しで見つめる令嬢たち。
「バーバラ嬢の性格を思えば、ちょうど良い勤め先なのではないかと」
「この場合、圧倒的に強いのはバーバラ嬢ですし」
酒瓶を投げつけられても平然とし、掴みかかったダンサーの女を罵倒していたバーバラ嬢。
一方は、申し込まれてもいないのに、人のダンスの相手を巻き上げるほど厚顔なカーラ嬢。
「そ、そうかも……?」
聞けば、一家は事情聴取の出頭要請日の前日に、荷物をまとめて汽車に乗り込んだと言う。
「逃亡ですわね」
「上手いこと、切符が転がり込むように仕組みましたもの」
「そうそう。ちょうどキャンセルが出たので、換金して欲しいと頼んだのよね」
「そのまま、代金も払わず、乗っていくだなんてねえ。詐欺ですわ」
「あれ、片道切符ですわよ」
ホホホと令嬢たちが声を合わせて笑うのを聞いて、モンゴメリ卿とボードヒル子爵は背筋が寒くなった。
モンゴメリ卿の邸宅を去り際に、メイソン嬢は、モンゴメリ卿に言った。
「私、ハミルトン嬢のファンになりまして……」
「え?」
メイソン嬢は真剣だった。
「たおやかで穏やか。センス抜群で、なよなよと、とても女性らしい」
確かにそれはそうだが……
「しかしっ! 一皮剥けば、どんな困難にも! どんな危機にも! この上なく艶やか、鮮やかに対応して、思いも寄らぬ方策でしっぺ返しをキメる」
キラキラと目を輝かせるメイソン嬢にモンゴメリ卿は圧倒された。
「ジャック・パーシヴァル・ファンクラブは解散になりました」
話が急に変わってモンゴメリ卿はあわてた。このお嬢さんの話はついて行くのが大変だ。
「あ、そ、それはそうだね」
「ジャック様はお幸せになられました。本懐です。……代わりに」
モンゴメリ卿はギクリとした。代わり?
「シルビア・ハミルトン・ファンクラブを作りたいと思いますの!」
モンゴメリ卿とボードヒル子爵は半目になった……彼らは欲しているのは平穏な日々だけだと言うのに。
君は友人の婚約者で、どういう訳か僕の妻 buchi @buchi_07
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