第52話 両家にあいさつ
マッキントッシュ夫人は忘れていた。ジャックが男爵家の跡取り息子だと言うことを。
「つまり、将来は男爵夫人よ。よかったわね、おかあさま」
「よろしくお願いします」
ジャックは真面目くさって言った。
ジャックは、夫人があこがれる旧家の出ではない。いわば新興貴族だ。マッキントッシュ夫人はちょっとだけ複雑そうな顔をしていた。
マッキントッシュ氏の方は夫人より事情を把握していた。
ジャックのパーシヴァル家は商家としては古く大したものだった。だが、本当の大物は姉のクリスチンだった。
いや、姉のクリスチンの嫁ぎ先だった。
ロックフィールド家は、数世紀前から大陸全体に商業網を広げる大財閥だった。
ロストフ公爵は知らなかったのだろう。
知っていれば、一族の主要なメンバーであるマーク・ロックフィールドの、美貌で知られる愛妻に無理やりキスしようとは絶対にしなかったろう。
ロックフィールド家は、王家より手強い相手かも知れなかった。
それほどまでの力のある一族と縁ができることは、バーミンで鉄鋼所を経営するだけのヒューズ家との縁とは雲泥の差だった。
『よくやった! シャーロット!』
マッキントッシュ氏は小躍りする心境だった。美貌は無駄ではなかった。
実は内心、偽装結婚のあたりから、期待しないでもなかった。
しかし、ジャックが意外に律儀で、反応が鈍いので、気に入らなかったのではないかと思っていたのだ。ロストフ公爵が問題でそれどころではなかったのだが。
「パーシヴァル家へもシャーロットが挨拶を済ませたら、お礼がてら伺わねばならまい。パーシヴァル家のご意向次第だが」
「ええ、そうですね」
ジャックはにこやかに答えたが、できれば、姉のクリスチンのいない時がいい。
彼は計算した。
あの姉のことだ。マッキントッシュ夫妻とシャーロットを目の間にしたら、何を言い出すかわからない。
ジャックの弱みを、枚挙にいとまがないくらい知っている。
ジャックだって、姉の仕出かした武勇伝を嫌になる程知っていたが、それを披露したらどんな事態が待っているかも熟知していた。
文字通り、タダではすまない。
確かロストフ公爵がピアから来る前に、避暑に行くって言ってたよな。
ジャックは、両親にマッキントッシュ家との縁談を持ち込んだ。
「ほう」
父は意外な筋の縁談にちょっと驚いたようだが、母はジャックの行動をしっかり把握していたから特に驚かず、逆に嬉しそうだった。
ジャックは母の反応が少し意外だったが、嬉しそうなのにはホッとした。母とシャーロットの間には接点がないので、どうして嬉しそうなのか、ちょっと謎だったが。
しかし、母の次の一言で玉砕した。
「クリスチンから聞いてるわ」
クリスチン?! 何を話した?
「今から呼ぶわね」
呼ぶ? いるのか? 避暑に行ってるんじゃなかったのか?!
「明日からスイスに行ってしまうのよ。ウィリアムに会いたくって呼んだのよ。しばらく会えませんもの。でも、よかったわ、ちょうど間に合って」
呼ばなきゃいいのに。明日にすればよかった。一日違いで……。
ウィリアムは甥だ。銀色の巻き毛と薄い青の目はもう少し大きくなったら、金ともっと濃い青になるのだろう。恐ろしく可愛い子供だった。
母はいそいそと迎えに行き、姉の腕から孫を奪い取った。
ジャックはニヤリと笑った姉と向き合う羽目になった。
「シャーロットを巻き上げたんですって? フレデリックから」
彼らはクリスチンのたっての願いで、二人きりで客間にいた。
ジャックも二人きりの方が都合がよかった。姉は何を知っているのだろう。
「ロストフ公爵は王位継承権をはく奪されたらしいわ」
「?!」
ジェックは姉を見つめた。
「まさか、マークが?」
「そんなわけないでしょ。マークなんか関係ないわ」
「では、なぜ?」
「ミッドランド公爵主催のロストフ公爵を主賓にした晩餐会が数日前開かれたの」
ジャックはうなずいた。シルビア・ハミルトン嬢が教えてくれた例の異例ずくめの夜会だ。
「その時、ロストフ公爵が招いた女どもが喧嘩になって、ワインの瓶で殴り合いをした」
それも知っている。
「その場で主催者のミッドランド公爵がケガをした」
「まさか、それで?」
クリスチンはうなずいた。
「王室は公式に抗議したわ」
王室が抗議したとは!
ミッドランド公爵家は王の叔父にあたる。直系の王族だ。しかも主催者だ。その人にロストフ公爵が招いた客がケガを負わせた。それも酒に酔ったうえでの乱痴気騒ぎで。
「王位継承権の剥奪。それと下賜されていた公爵領に見合うだけの年金の減額を言い渡されたわ」
「ミッドランド公爵は重傷なのですか?」
ジャックはいささか心配そうに聞いた。
姉は、ジャックの顔を見つめてプっと笑った。
「いいえ。全然」
ジャックは姉の顔を見つめた。
「どこもケガなんかしていないわ」
「え? でも……」
「だって、王妃様がロストフ公爵をお嫌いなのよ」
「あ、ああ。エリザベス王女殿下に猥談を聞かせたとか」
「そうね。それと娼婦のような女たちを大勢侍らせたこととか、ウッドハウス家のような王室に近い家の令嬢を脅して歩いたこととか」
一体どこからそんな話を聞いてくるのだろう。
「フィオナよ」
姉はあっさり言った。
「グレンフェル侯爵は今は外交担当をしている。彼女はいろいろ知っているわ」
姉は笑った。
「あなたが言ったようにフィオナは苦労しているわ。グレンフェル侯爵夫人の地位は簡単ではない。まだ、とても若いのに。でも、あなたが見越したようにフィオナは優秀よ。私が助けてもらっている。そして、フィオナがあなたを助けてあげてと言ったのよ」
ジャックはきつい顔をした。
助けられる側になりたくなかった。
「ジャック、あなたは頑張ったわよね。シャーロットを見捨てなかった。誰かさんはあっさり見捨てたのにね」
誰のことだ?
「フレデリックよ」
姉は言った。
「あのシルビア・ハミルトン嬢とモンゴメリ卿とボードヒル子爵も頑張った。すごいわ。素晴らしい手腕だったわ。あんなことになるだなんて、結果から言うと笑うしかないわ」
「笑うような要素がどこにあったのですか?」
「だって、王族にけがを負わせるだなんて。誰にでもできることじゃないわ。ワインの瓶を割ったのは傑作だったわ」
「でも、そんなことでロストフ公爵は……」
「いいんじゃない? たいして役に立たない馬鹿だし。帝国も邪魔だったんでしょうよ。王妃様の怒りは買いたくないわ。唯一、良かったことは、正妃があのバーバラ嬢に決まったことよ」
「え?」
愛人におさまるのがせいぜいではなかったのか?
「だって、継承権がないなら、誰と結婚したってかまわないことになるわ。下手に自国内の勢力家と家と結婚されるよりいいらしいわ」
他国の情勢まではわからない。ジャックはあっけに取られるばかりだった。
「ジャック、あなたはマッキントッシュ家の跡取り娘と結婚するのよね?」
「え、ええ」
「あなたは、いずれこのパーシヴァル家とマッキントッシュ家の事業を受け継ぐことになる」
ジャックはまだそこまで考えていなかった。
「一人で全部できるわけないわ。でも、マークと同じように総監督はあなたよ。ヒューズ家のようなちっぽけな鉄鋼所をひとつ持っている事業家とは違うわ」
クリスチンが笑った。
「がんばってね? ジャック」
ジャックは呆然とした。
姉がジャックをからかわない。
それどころか応援している。
「あなたは、終始一貫してシャーロットの味方であり続けた。愛してるとも言わなかったらしいけど。それならいいと思うわ」
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