第53話 大人の世界

グレンフェル侯爵夫人は、ピンと背筋を伸ばして、王家の晩餐会に出席していた。

柔らかな物腰とそつのない会話は彼女の持ち味だった。


かたわらの夫は名門貴族の出身だったので、武官だったはずなのに外交官に駆り出されていた。


夫人が由緒ある名門貴族(たとえ貧乏だったとしても)の出身であることも、人当たりが良いことも、外交官としては高ポイントだった。


外交官は家柄が重視される。どこの国の王室でも通用する組み合わせを王家は見逃さなかった。


外交官として国外に赴任していたグレンフェル侯爵夫人からは、帰国したら必ずシャーロットに会いに行くと手紙が来ていた。





マッキントッシュ家は、自邸でパーティを開催していた。

婚約が決まったためのマッキントッシュ家とパーシヴァル家の顔合わせの為の、内々のパーティだった。


ロックフィールド家のマークと夫人のクリスチンも来ていた。


呼ばないわけにはいかなかったのである。


ジャックは姉の出席を希望していなかったので、何か事故とか不都合が起きることを密かに願っていたが、姉は万難を排して参加すると返事してきた。


「弟君の婚約が調ったのですから、当然ですな」


何も知らないマッキントッシュ氏は嬉しそうだった。


マッキントッシュ家がマークの出席を切望していることはわかっていた。彼はロックフィールド家の一員で、つまり財界の大立者なのだ。お近づきになりたいと言うマッキントッシュ氏の気持ちはわかる。ましてや、娘が結婚すれば親戚だ。



ジャックは、マークから握手を求められた。


「よろしく」


パーシヴァル家の綿業を中心とした業種と、マッキントッシュ家の蒸気機関製造業は新しい可能性を生むものだった。


「いわば君は、マッキントッシュ家とパーシヴァル家の両方を背負って、実業界に名乗り出たわけだ」


そんなわけじゃない。

もう中年に近く、実業家として先輩にあたるマークの自信にあふれた顔を見ながらジャックは思った。妻を娶るのに、そんなことは微塵も考えなかった。シャーロットに惚れ込んだだけだ。


「マッキントッシュ家の令嬢と結婚すると言うことは、そう言う意味だ」


「お言葉ですが、クリスチンは商売の上で何かの役に立っているのですか?」


マークの目が大きく見開かれた。


「クリスチン?」


それから彼は笑い崩れた。


「そうだね。その通りだ。僕は単に趣味で結婚しただけだ。クリスチンは虐め甲斐がある。役には立たない。君が、実家を支える弟の君が頑張れば別だが」


マークはちょっと意地悪く付け加えた。


「それとグレンフェル侯爵夫人の親友だと言うメリットがある。グレンフェル侯爵夫人は大した人だ。君と結婚していたら、フィオナ嬢は何の苦労もしなかったろうが、今ほどキラキラ輝いていなかったろうな」


「……」


「彼女には、古い由緒ある貴族の娘の雰囲気がある。グレンフェル侯爵にもだ。二人とも見目麗しいしね。外交官として価値ある資質だ。そして尊敬しあえる夫婦だと言うことは素晴らしいことだ」


クリスチンのどこに尊敬できる要素があるのか聞いてみたいところだったが、ジャックは黙っておくことにした。

マークはクリスチンの話になると、自然と口元が笑っていた。


「ロストフ公爵は今後貧乏暮らしを強いられるだろう。正妃ったって、田舎の邸宅に住む程度だろう。バーバラ嬢が贅沢を望んで結婚したなら全く当てが外れただろうな」


マッキントッシュ氏がジャックを待ち受けていて、事業の話を始めた。


「継いでくれるのかね?」


「パーシヴァルとマッキントッシュの事業は連携できるところは連携し、別の部門は別部門として運営して行きましょう。シャーロット嬢のために。両親も喜んでいます」


マッキントッシュ氏は娘婿には絶対的悪意を抱く人物だったが、ジャックの言い分にはケチがつけられなかったので、別の話題にうつった。


「それで、フレデリック・ヒューズのことなんだが……」


こんな場で話す内容ではないと分かっていたが、マッキントッシュ氏は聞かないではいられなかった。


「断りを入れました。納得してもらえましたよ」


ジャックはあっさり言った。


「え? そんな簡単にか?」


ニヤリとジャックは笑った。そのために娘の純潔が、言葉の上でだけだが、犠牲にされたことをマッキントッシュ氏は知らない。


「準備が整い次第、式をあげましょう」




「あのピアの小さなアパートメントが恋しいわ」


シャーロットが言った。


その気持ちはジャックにもよくわかった。


「あの宝石屋でのことを覚えている?」


シャーロットがたちまち真っ赤になった。


「あの時の気持ちが本当の気持ちだよ。あれは演技じゃなかった」


ジャックは言って娘が赤くなっていくのを眺めていた。自分もつい笑っていた。


「もっと、触りたい。いつまでも触って居たい。そして、ずっと放したくない」

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