残暑の候

「そろそろ山も黄色が差してくるころですね……お兄ちゃん」

「……」

 俺は何も答えない。

「もうそろそろ寒くなってくるころです、風邪には気をつけましょうね?」

「……はぁ、現実から目をそらすのはやめろ」

 現在俺たちはリビングでくつろいでいる――エアコンを全開にして。

「だって! 暑すぎでしょう! なんですかこの天気!? 暦の上では秋なんですよ!」


 オーケイ、言いたいことは分かる、分かるが暑いものは暑いのだ。

「九月にエアコン二十二度はやり過ぎじゃないか?」

 雲雀は不服そうに答える。

「暑いですし、南半球では十二月に冷房入れてるでしょうし全く問題ないです」

 いや南半球の十二月は夏なんだが……そんなツッコミも面倒なほどバテている。

 地球温暖化というより季節が丸々ずれたんじゃないかと思うくらい暑い、六月から暑かったのでずれたというわけでもないのだろう。残念なことにプール等は八月が終わるとしめてしまうところが多い、夏期休暇の小中学生とその保護者を当て込んでいるのだろう、九月になった途端に多くの施設が夏用のものを閉めてしまった。

 俺は冷房の真ん前を陣取られてしまったので仕方なく冷蔵庫に何か冷たいものが無いかあさりに行く。

 ガチャ、どれどれ……アイスがあるな。

 冷凍室にカップアイスが入っていた、俺の買ったものではないが……いいだろ、雲雀が買ったのならエアコンを占有された仕返しだ。

 俺はアイスとスプーンを持ってリビングに戻ってくる、雲雀は相変わらずエアコンの風を真下に向けて、丁度一番風が当たるところを陣取っている。

 俺は後ろのソファに腰掛けてアイスをすくう。

 パクリ

 甘くて美味いな……シンプルなバニラアイスで、ちゃんと冷えているので暑い季節には非常にありがた……

「あーーー! お兄ちゃん! それ私のアイス!」

「そうか、美味しいぞ」

 俺は気にせずアイスを食べ続ける、スプーンを持った手を雲雀に掴まれた。

「お兄ちゃん……妹のアイスを食べるとはいい度胸ですね?」

「ごめんなさい」

 俺は素直に謝る、ここで喧嘩をしても無意味な暑さを感じるだけなのは明らかなので曲げても言い主張は曲げた方がいい。

「んー、じゃあお兄ちゃん残りとスプーンをください、食べときます、それで手打ちにしましょう」

 雲雀も面倒ごとをする気力がないのか俺からアイスとスプーンを取り上げてエアコンの下に戻った。

 何の気はなしに雲雀を見やると……スプーンを舐めていた。アレだな、スプーンについたアイスをなめ取っているんだな? お行儀が悪いとは言わないぞ。

 何故かエアコンの風を直接受けている雲雀の頬が赤いのもきっと気のせい気のせい……

 気になる……気にしない方がいいんだろうけど気になるものはなる。

「なあ……スプーンなめは行儀が悪いぞ」

 俺がそれとなく雲雀に言う。

「ひゃ、ひゃい! 私は舐めてなんかいい、いませんよ!」

 その早口で言われても説得力皆無なんだよなあ……かみかみだし。

「ならいいけどさ」

 俺も深入りはせずに引く、意固地になるとロクなことにならないからな――経験者は語る。

 俺は冷房がギリギリ届きそうなところでテレビを見る、動画配信サービスに入っているので好きな動画が見られるのでやめられない。

「あ! お兄ちゃん! テレビ見るなら妹モノのアニメにしましょう!」

 冷房から離れたかと思えば真っ先に言うのがそれか……

「何故アニメ限定……?」

「だって実妹モノって実写だとほぼ知らないですよ? アニメの特権じゃないんですか?」


 そういえば実写で兄妹モノって見たことないな、需要と供給だろうか?

 適当に「い」から始まるタイトルを検索する、安直だが妹モノは妹をアピールするため「い」で検索すると一番引っかかりやすい。

 俺の経験則だ、まあシスコンと呼ばれるのはしょうがないと思う。

 プルルル

 電話の着信音が鳴る、自宅の固定電話に出るのは大抵セールスだから出たくはないのだけれど一応出る。

「やあお兄ちゃん、元気?」

 蛍の声が聞こえた、そういやスマホの番号教えたっけか?

「それにしても暑いからさ……ちょっと涼しいイベントをやろうかと思ってね」

 涼しいイベント? 気になる話ではある。

「なにをやるの?」

「ただ単にPCのオーバークロックだよ、倍率ロックフリーの廉価品が出てたから買ったんだ、せっかくだから液体窒素でオーバークロックの限界に挑もうかと思って、興味ありそうだから誘ったんだけど」

 部屋の一等地は雲雀に占領されている、実際涼しいかはさておき面白そうなイベントだな。

「じゃあ行き……」

 ガチャ

 電話のスイッチが押されて回線が切れていた。

「お兄ちゃん……可愛い妹を放っておいてなにをする気ですかね?」

 うわぁ……コイツ結構怒ってるなあ……

「いや、蛍から夏のイベントの誘いがあったから……」

 プルル

 ガチャ

「申し訳ありません、お兄ちゃんは本日お宅に伺うことはできかねます」

 ガチャリ

 乱暴に受話器が置かれた、発信相手は聞くまでもないだろう、途中で突然電話が切れたあの人だ。

「さすがにそれはちょっと失礼なんじゃないかなあ……と思うんだけど」

 雲雀は事もなげに言う。

「そう? お兄ちゃんが私を放って出かけることなんてあり得ないですし、私が断っても変わらないでしょう?」

 断り方というものがあると思うのだが怖いので黙っておく。

「さあお兄ちゃん! 私と妹アニメを一日鑑賞しましょう!」

 手を引かれてリビングまで連れて行かれた。

 しょうがないのではある、コイツの性格を考えるなら、もしさっき『行く』と言っていたら、帰ってきたとき恐ろしいことになっていたであろうことは想像に難くない。

「しょうがないですね、私の隣に来ていいですよ?」

 ポンポンとエアコンの直下にあるソファのスペースを少し空けてたたく。

 ここに座れと言うことなのだろう、ある意味暑そうなんですけど……

 しかしウチのエアコンも年代物で直接風に当たらないとそんなに涼しくないので、妹の隣に座る、微妙に肩や腕が触れて恥ずかしい。

「あれ? お兄ちゃん、恥ずかしいんですか?」

 こういうときだけ気の回るやつだ……

「そりゃ身体が当たってるし……」

 雲雀はさも常識のように言う。

「兄妹で多少のスキンシップなんて全然普通ですよ? 私が正しい、いいですね?」

 その凄みで迫られたら選択肢はないのですがね、まあ嫌というわけでもないので頷いておく。

 アニメでは妹が積極的に兄にアプローチをかけていた。雲雀は頷きながら満足げに鑑賞をしていた……そして最終話……

『実は俺たち血が繋がってないんだ!』

『そうなんですか! じゃあ私たちは……』

 そこで台詞は途切れた、雲雀が青筋を立てながらリモコンの戻るボタンを連打していた。

「どうしたんだよ? 兄妹モノのクライマックスじゃん?」

 雲雀は心底呆れた様子で俺に言う。

「なにを言ってるんですか? 安直な非血縁ほど萎える展開は無いですよ!? 兄とくっつけるためにとってつけたように非血縁でした! 大丈夫です! こんなの認められるわけないでしょう!? 血さえ繋がってなければオッケーという安易な方針は納得いきませんね!」

 雲雀は思い切りまくしたてた。

「いや、現実問題便利な設定だと思うが……」

「いーえ! 私は安易な非血縁は絶対に認めません! 妹は血の繋がっていて幼いころから一緒の思い出のあるかけがえのない存在なんです! 都合が悪いからと安易に帰るのは到底許されることではありませんよ!?」

 えぇ……

 妹の血縁至上主義に微妙に引きながら適当に聞き流した、というかあんまり深入りしない方がいい話題だろう。

「じゃあ次の妹モノを見ますよ!」

 ところが運命というのは残酷なもので、二作目も三作目も非血縁だった。

「酷いです! コレは妹に対する冒涜です! こんなのを認めたスタッフは許されませんよ!」

 思いっきり向きになっている妹をよそに、あの妹可愛かったなあ……などと知られてはならないことを考えていた。

「最後はコレです! 今度こそ実妹モノに違いありません!」

 下調べすればいいのに……と言おうと思って、義妹もが主流なのに切れそうな妹の姿を想像できたのでやめておいた。

 そのアニメは微妙に作画に不安が残ったが八話時点で非血縁を匂わせる描写はない、しかし安心してはいけない、妹とタイトルにつけておいて平気で妹以外のヒロインとくっつける妹好きに喧嘩を売ってくるアニメがあるのだ、最後まで気は抜けない。

 そのアニメは最後まで無事、非血縁になることも、それを匂わせる描写もなかった、助かった……

「お兄ちゃん! 見ましたか? コレが正しい妹モノのあり方です! 実妹と恋仲になる……素晴らしい展開じゃないですか……あわよくば現実でも……」

「ま、まあアニメはよかったな……現実はさておき」

「何か不穏な言葉も聞こえた気がするのですが気のせいですよね?」

「ハイ、キノセイデス」

 俺は妹にはめっぽう弱い、シスコンというのもあるんだが、あまり異性と付き合いがないのでどうせッするのが正解なのか分からない、なのでコミュニケーションの基準となるのが妹の雲雀くらいしかいない。

 それはともかく、視聴中に隣に座っているのをいいことに、しれっと雲雀は俺の手を握っている、放っておいたら腕を絡めだした。

「はいストップ! いいアニメだったな? ほら、満足したろ?」

 雲雀は渋々俺から離れる、理性が勝ったぞ、自分のことを褒めてあげたい。

「とか言って、結構まんざらでもなかったんじゃないんですかー?」

 雲雀が意地悪そうに聞いてくる。

「ノーコメントを通させていただく」

「お兄ちゃんは照れ屋さんですね……?」

「何とでも言え」

 理性で押さえなきゃいけないほどにドキドキしたなんて言ったらどうなるか分かったもんじゃない、全く気にしなかったと言えば不機嫌になりそうだしノーコメントにしておこう。

「やーい、お兄ちゃんのシャイ! 照れ屋! コミュ障!」

「最後のは違うだろ!」

 コミュ障ではないと主張したい、強く主張したい!

「さて、さすがにそろそろ気温も下がってきましたね?」

 そう言えば日没が来たから多少気温が下がりだした。

「そうだな、そろそろ窓開けとけば大丈夫だろ」

 窓をがらりと開ける、微妙にぬるい風が俺たちを包む。

「やっぱ暑くね?」

「大丈夫でしょう、このくらいなら我慢できますよ」

 妹は地味に気温の変化に強いようだ、遺伝とは一体……

 俺は暑さに辟易しながらシャワーを浴びることにする。

「じゃあ俺は汗かいたからシャワー浴びてくるわ」

「次は私が浴びるのでお風呂の準備しておいてくださいね?」

「わかったよ」

 俺は自分が入らない湯船の掃除をする、受益者負担の原則とは一体……?

 冷ためのシャワーを浴びて汗を洗い流す、雲雀が入ってこないようにドアはロック済みだ。

 かつて、俺が入っているときに平気で乱入してきたからな……しかも結構最近まで。

 汗を流して着替えるとリビングでネットニュースのチェックをする、とは言ってもアニメやラノベの新刊情報が主なんだがな。

「お兄ちゃん? どんなラノベ買う予定なんですか?」

 俺の肩越しに唐突に雲雀が話しかける。

「ショルダーハックはやめてくれないかなあ!?」

「お兄ちゃんの情報は全部知っておきたいじゃないですか!」

 開き直るのはやめて欲しい……

「あのなあ……人のスマホを覗くのはマナー違反だぞ」

 逆に言えばマナーでしかないのだが……後でパスコード変更しておこう。

「お兄ちゃんの脇が甘いのを安易に私のせいにするのは如何なものかと……」

 俺のせいですかい……暴論が過ぎませんかね……

「俺はセキュリティには気を遣ってるの、覗くのはやめてくれないかなあ」

 家族のハックにはめっぽう弱いのが俺の悪いところだ。

「アメリカのスノーデンさんはブラケットをかぶって見えないようにパスワードを入れたらしいですよ?」

 それを引っぺがしそうなあなたがそれを言いますか……

「とにかく! 俺はプライバシーを守りたいの! 兄妹の間にも礼儀というものがあるぞ」


 俺はキリがない議論を引き上げて部屋に帰ったのだが……あいつなら隠しカメラさえ仕掛けてそうであまり安眠はできなかったのだった。

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