家庭内水着回

 八月、夏真っ盛り。夏休みでも外出する気力がわかないほど外気の温度は高い。

 かき氷でも食べたいところだが、そのために外出することすら億劫だ。

 諦めが悪いことには定評のある妹の雲雀でさえも溶けそうな暑さにだらけきっている。

「お兄ちゃん……暑いですねえ……」

「またプールでも行くか?」

「そこまで行くまでに熱中症になりそうですね……」

 七月はまだプールに行くくらいの気力はあったようだが、今月はもはやその気力さえないようだ。

 このクソ暑さではそれもしょうがないことだろう。

「素直にエアコンの効いた部屋に引きこもってましょうよ? そうすれば邪魔者も……」

 何やら他の目的もありそうだがエアコンに頼るというのは理にかなっている。電気代、健康、自然環境、使わない言い訳ならいくらでもあるがそれらを考慮してもエアコンを使うのは合理的だと言える。

 雲雀はエアコンの温度を二十度に設定していた。さすがに寒いんじゃないかと思うのだが、この猛暑ではこれでやっと過ごしやすいギリギリのレベルと言ってはばからない。

「お兄ちゃん、ジュース飲みますか? 冷やしておいたのですが……」

「なんのジュース?」

「グレープフルーツですね、あんまり甘いのだと喉の渇きが癒えないんですよね」

「一杯くれ」

 コーラだとあまり喉の渇きは満たされないからな、果物のジュースというのはいいことだ。

「はい、どうぞ」

「ありがと」

 俺は目の前に置かれたジュースを手に取るとキンキンの冷気が手に伝わってくる、よく冷えている。

 ゴクリと飲んで苦味の少し入った酸味が口に広がる、さっぱりしていて美味い。

「こうも暑いと表に出るのも苦行だよなあ……」

「そうですねえ……来月まではお兄ちゃんとのデートは我慢するしかなさそうですね」

 デートね……世間から見ればあれはデートに入るんだろうか? 確かに俺たちの関係性を知らなければデートに見えていても不思議はないか。

「別に自宅でも一緒にいるんだからいいじゃないか?」

「自宅……一緒に……コレはもはや同棲では?」

「高校生が自宅を出て行く方が珍しいんじゃないか?」

「いえ! コレはお兄ちゃんとの同棲です! もっと爛れた関係を希望します!」

 ウチの妹さまは会話のドッジボールが得意なようだな。

 爛れた関係というものについては気にしないでおこう。なんにせよ、兄妹で一つ屋根の下に住んでいるのは事実な訳で、結局のところは俺の自制にかかっている訳か。


「お兄ちゃん? 私と関係を進展させたくありませんか?」

「それは……」

 ピンポーン

 ドアチャイムが鳴った、特に通販で届くようなものもなく、宗教勧誘かなんかだろうか?

「お兄ちゃん……出ない方がいいと思います! 悪質商法か宗教勧誘のような気がします! 私の勘がろくでもない用事だと告げています!」

 ピピピピピンポーン

 ドアチャイムを連打してきた、ボタンが壊れるんじゃないだろうか?

「切りがなさそうだから断ってくるよ」

「あの……」

 俺が玄関に行こうとしたとき雲雀が何か言いたそうだったが俺は気にせず玄関に行った。

 チェーンをかけてドアを開ける。

「宗教とマルチ商法なら間に合ってます」

「なにを言ってんの?」

 そこに立っていたのは翡翠だった。

 翡翠の家のエアコンが壊れたらしく、雲雀を頼って家に来たらしい。

「帰ってもらえます?」

 部屋に翡翠を連れて行ったときの雲雀の第一声はそれだった。

「この暑い中エアコン無しはキツいだろ、夜までには修理終わるらしいからそれまでいさせてやってもいいんじゃ……」

 そう言うと雲雀は分かってないなあと首を振った。

「お兄ちゃん! いいですか? 図書館、スーパー、ゲーセン、ネットカフェその他いろいろがあるというのに! わざわざウチに来る理由がありますか? 何か下心があるに違いありません!」

 チッ

 ん?どこかから舌打ちが聞こえたような気がするんだが……

「あら? 社会のインフラにただ乗りするのもどうかと思って雲雀ちゃんを頼ってきたんだけどな? だめ?」

「むむむ……」

「ここを出てたってどうせどっかにいくんだろ、今日中にエアコンが直るならそれまでくらいはいいんじゃないか?」

 翡翠はありがとうと笑顔を向けてきた。

「お兄ちゃんは甘いですね……サッカリンより甘いです」

「じゃ、冷房が直るまでここにいさせてね……雲雀ちゃん?」

「はぁ……分かりましたよ、この部屋にいていいです」

 珍しく意地を張らなかった雲雀に少し驚いた。

「じゃあお兄ちゃん、私たちは私の部屋で涼みましょうか」

「え?」

 この部屋は結構冷えているし、一人増えたくらいで温度は上がらないだろうに。

「お兄ちゃん! 女の子と両親のいない一つ屋根の中! コレはまずいです、下手をすれば家族に性犯罪者が出ます! というわけで安全地帯の私の部屋に避難しましょう!」

 両親がいないのを何をやってもいい免罪符と考えているのはどうかと思うのだが……とはいえ、俺たち二人がいると翡翠も落ち着けないかもしれない。幸いこの部屋にはテレビがあるので俺たちがいなくても退屈はしないだろう。

「さすがに人の家に一人って私もそこまで図々しくはなりたくないんだけど?」

「いえいえ、お気になさる必要は全くありません。困ったときはお互い様ですから」


 そこで翡翠がポケットからスマホを取りだした。

「え? ああはい、そうですか。分かりました」

「その様子だとエアコンはもう直ったようですね?」

「ええ、そうみたいね、今日はもう遠慮するわ」

 そう言って玄関に歩いていった。

 ウチから出て行く翡翠を見て、なにがどうとは言えないのだが不思議な違和感を感じた。

 ……

「はぁ……このクソ暑い中出てきたというのに……雲雀ちゃんは怖いわね……できれば敵に回したくはないんだけれど、どうしたものかなあ……」

 そうして着信履歴の残っていないスマホを眺めながら翡翠は家に帰った。

 そこで自分の歩いていく方から誰かがへばりそうになりながら歩いてきている影が見えた。

「あ、翡翠さん」

「ああ、蛍ね」

 蛍の家は別の方向のはずだが……何故こちらに来ているのだろう?

「どうかしたの、こんなところで会うなんて珍しい」

「ウチのエアコンが壊れちゃいまして、雲雀ちゃんの家のエアコンを少し頼ろうかと……」

「やめときなさい……絶対に勝てないわよ」

 何かを察した蛍はこう言った。

「誰でも考えることは一緒ですか……」

「世の中案外そんなものよ、世紀の大発明だと思っても古代に発見されてたりするのが普通だからね、よっぽど考えないとどうにもならないわよ」

「上手くいきませんねえ……」

 二人は頷き合っていた。

 ……


「悪は滅びた」

 物騒なことを言っている雲雀だがアイツもコレで涼しい部屋に帰れるのだからいいことなのだろう。何故こんなにも何かが引っかかっているんだろうな……


「なあ雲雀、悪って誰だ?」

「さあ? あえて言うなら見え透いた嘘つきですかね」

 嘘つきか……誰のことだかは分からないが、嘘に騙される人間の方が何でも疑う人間よりは良いとおもうのだがな。俺は性善説を信じたいと思いたいんだ。


「ちょっと用事を済ませてきますね。ついてこないようにお願いします」

「ああ、この暑いのについて行かんよ」

「いえ、屋内での用事なんですけどね……」

 そう言うと雲雀は立ち上がって部屋から出ていった。宿題でも残していたのだろうか?

 大変な用事かと思ったら五分くらいで帰ってきた。どうやら大した用事ではなかったようだ、気にはなるがついてくるなと言ったことを詮索する気はない。

 そうしてしばらくテレビを見ながらスマホを弄っていると、雲雀の持っているスマホが鳴った。

「おっと、もう時間ですか」

「どうした?」

「お兄ちゃん、ついてきてください!」

 何の時間なのかも分からないがついていくと浴室の前に来た。

「えーっと……ここでなにをするんだ?」

 ふっふっふと笑う雲雀がビニール袋を二袋取りだした。

 一袋を俺に渡す、一体なにが入っているのかと思って中を覗くと水着が入っていた。

「これはもしかして……」

「そう! プールに行くのが面倒なら浴槽に水を張ればいいんです! つまりは水風呂!」


 ウチの浴室は多少大きめだが二人が入るのを前提には作られていないのだが……

「じゃあ私はお先に着替えて入っておくので、十分後、入ってきてください!」

 勢いに押されてしまった……

 ガララと脱衣所から浴室のドアを開けた音がする、その数十秒後、十分が経った。

 コンコンとノックをしてから脱衣所に入る。まだ着替え中で……のようなお約束は起こらない。

 服を脱いで水着に着替える、浴室の戸を開けると水着姿の雲雀がいた。

「さすがに狭くないか?」

 赤ちゃんとなら一緒に入っても問題のない広さではあるがいい年した人間二人が入るようにはできていない。

「この狭さがいいんじゃないですか! お兄ちゃんとぴったりくっつけます!」


 あまりの狭さに俺と雲雀の肌が触れあう、あまりの恥ずかしさに俺は湯船に入った。夏場なので凍えるほどではないがひんやりとした感触が全身を包む。

 とぷん

 平気な顔をして雲雀も入ってきた。湯船もやっぱり狭いので身体がぴったりくっつく。

「なあ……恥ずかしいんだが……」

「細かいこと気にしたら負けですよ!」

 果たしてコレが細かいことなのかはともかく、恥ずかしさで潰されそうだった。


 ……しばらく後


「さすがに寒くなってきたから出ることにするわ」

「えー……もう出ちゃうんですかー? もうちょっとスキンシップしましょうよ!」

「精神が持たないので勘弁してくれ……」

 いやいやながらも俺が出ることを認めてくれて、俺が先に上がり、脱衣所で服を着て部屋から出た。

 後からバタバタと音がして、着替えた雲雀が出てきた。

「いやーいいですね、また一緒に入りましょうね!」

「できれば来年には地球温暖化がおさまってることを願うよ」


 正気を保つので精一杯だったが、水風呂から上がると上がったんだか下がったんだが分かんない体温が落ち着いてきた。

「おやー? あんまりまんざらじゃないって顔をしてますねお兄ちゃん」

「そりゃああれだけくっつけばなあ……」

「……」

 よく見たら雲雀も顔を真っ赤にしていた。コイツも恥ずかしかったんじゃねえか……

「あ! 私晩ご飯作りますね」

 俺に見抜かれたのを恥ずかしがったのかキッチンに急いで向かっていった。

 トントンと包丁のリズムが聞こえてくる、手伝おうかと思ったが、さっきの雲雀の顔を思い出すと顔を合わせるのが気まずいので自室へ帰った。


 ……

「お兄ちゃん! 晩ご飯ですよ!」

 ドアがノックされ、夕食ができたと知らせてくれた。

 俺はドアを開けて出ると、もうすでにパタパタと雲雀はキッチンに降りて行っていた。

 キッチンに入ると冷やし中華が2つテーブルにならんでいた。

「今日は冷やし中華か」

「はい! そうめんとも悩んだんですけど、ちょっと疲れたでしょうし栄養をつけてもらおうと思いまして」

 俺と雲雀は座って「いただきます」と二人で言って食べ始めた。

 何故かは分からないが俺の方を見るたびに顔を真っ赤にして目をそらす雲雀。俺ですらここまで恥ずかしがってないのに珍しいな。

 チュルチュルと冷やし中華をすする、コイツはやっぱり料理は上手いな。少なくとも俺が独占しているのが申し訳ないくらいには上手だ。

「ごちそうさま」

「お粗末様です」

 夕食を食べ終わると、俺は寝る前のシャワーを浴びるために脱衣所に来た。

 ん? なんだろう? 何か……何か違和感が……気のせいか?

 いつもの脱衣所とどこか違和感を感じたのだがそれがなんでなのか答えは出なかった。

 サーとシャワーを浴びてシャンプーと顔と身体を洗って出る、夏は湯船に浸かる気にはならなかった。

「出たぞ、次入っとけよー」

「はーい」

 そうして俺はエアコンの効いた自室で布団に飛び込んだ。

 涼やかな空気と今日の緊張感がするするとほどけて眠気に逆らわず寝てしまった。

 ……脱衣所

 お兄ちゃん、何も言ってなかったですね。やはり私の作戦は完璧です!

 私は防水のスマホをもって浴室に入ります。

 そうして震える手で動画ファイルを選択しました。

 そこに映っていたのは……お兄ちゃんの着替えでした。

「いい! いいです! お兄ちゃんの生着替えはそそりますね……ぐへへ……」

 一体男の着替えを覗いてどれほど価値があるのかは知らないが、少なくとも雲雀には兄の着替えの価値はあった。

「お兄ちゃん……気づかれなくってよかったです」

 バスタオルのあいだにスマホを録画モードで立てておいていました、水風呂から出るとき、お兄ちゃんが気づくんじゃないかとドキドキでしたが、私はやり遂げました!

 そうして雲雀は真夏に長風呂でのぼせながらどうにか出てきてベッドに飛び込んだ。

 そうして映像ファイルを流しながらゆっくりと眠りにつくのだった。

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