ある梅雨の日
六月……梅雨の時期だ、雨が続くとあまり気分が良いものではないのだが、何故か雲雀はとても楽しげだ。
「楽しそうだな?」
「それはもう! だって雨が続くとお外に出ないでお兄ちゃんと一緒にいられますし、余計な連中も来ないですしね! なんなら相合い傘でもしますか? したいですか? しましょう!?」
なんか不穏な言葉がちょいちょい入っている気もするが……
「そうだな、買い物にも行くし出かけるか」
「ちょっと待っててくださいね」
雲雀が玄関に走って行き、何故かベキボキと何かが折られている音がする……
「お兄ちゃん! イヤー困りましたね、傘が一本除いて全部壊れてました! これは一つの傘に入るしかないですね! いやー全くもってしょうがないですがお兄ちゃんと一緒にお買い物に行きましょう!」
さっきの音について突っ込もうかと思ったが、俺の理性が『傘と同じ目にあいたいのか?』と問いかけてきたので黙っておくことにした。
「じゃあ買い物に行きましょう! 相合い傘で!」
「はぁ……しょうがないな」
玄関には『丁度二人では入れそうな大きな傘』が一本だけ形を保って残っていて、他の傘はあらかた軸を折られて見るも無惨な状況だった。もはや突っ込むまい……
「別に急ぐものでもないんだがな」
買いに行きたかったのは本なので別に今日出る必要はなかったりする。
「いえ、欲しいときが買い時という言葉がありますよ! 買わずに後悔するより買ってから後悔しましょう!」
生ものでも転売屋が集るような商品でもないので問題は無いと思うのだが……
「そもそも、傘を買う必要があるじゃないですか! お父さんとお母さんが同時に出かけようとしたときに困ります、これは親孝行とも言えるのです!」
確かに傘が家に一本は梅雨時に困る話だけどさあ……「誰のせいだよ」という言葉は飲み込んでおく。
「さあお兄ちゃん、レッツゴーです!」
「はいはい」
玄関を出てバサリと傘を広げると即雲雀が俺にぴったりくっついたきた。
「この傘大きいんだからそこまで近づかなくても……」
「いえ、私やお兄ちゃんが風邪をひいてはいけません、風邪は万病の元といいますからね」
諦めて近所に少なくなった本屋へと向かう、Amazonで買えば良いのだが、残念ながら売り切れているので通販という手も通じない本だ。
「ふんふっふーん~」
何やら鼻歌が聞こえてきた、雲雀はご機嫌のようだ。へそを曲げられるとなかなか機嫌を直してくれないのでこれはこれでいいんじゃにだろうか。
そうして曲がり角にさしかかったとき……
「あれ、雲雀ちゃんとお兄さんじゃないですか?」
少女の声がしたのでそちらを見ると蛍が立っていた。即臨戦態勢に入る雲雀。
「ああ蛍か、奇遇だなこんなところで」
「いえ、私は夕食の買い物に来たんですが……何故一緒の傘に入ってるんですか?」
「私とお兄ちゃんがラブラブだからです、それ以上の意味はありません。恋人だってやるでしょう?」
蛍は怪しんでいるが、俺は雲雀に腕を引っ張られているのでそれどころではない。
「いや、傘がこれしか無くてね、家族だし良いかなと……」
そう言うと蛍が鞄から何かを取り出そうとする。
「はいお兄ちゃん! 早く行きますよ! 蛍さん、『スペア』はちゃんと持っておいた方が良いですよ?」
雲雀が有無を言わせず俺を引っ張ってその場から離れることになった。
「なあ、今蛍が出そうとしてたのって……」
「さあ? なんでしょうね、私にはさっぱり分かりませんが?」
……一方蛍は
「失敗しちゃいましたねえ……お兄さんに傘を貸して恩を売ろうと思ったのですが……」
そう言って手で弄っていた『折りたたみ傘』を鞄にしまってスーパーへ向かっていった。
……
俺は傘をビニールの傘袋に入れながら雲雀に言う。
「じゃあ俺は本を買ってくるから好きなの見といて良いぞ」
「いえ、私もご一緒します」
「つまんないぞ」
技術書なので雲雀が興味を持つとは思えないのだが、そんなことはお構いなしに雲雀はついてきた。
「えーと、Pythonの棚は……」
今日はアニマルブックの新刊の発売日だ、高校生には少々お高い本だけれど内容は確かなので買うことにしていた。ちなみにそこそこ大きい本屋でないと売っていないのでネット通販が強くなる理由のよく分かる本だ。
「動物や植物の表紙が多いですね……」
「まあそういうもんだから」
理由は不明だがそういうものと思っていたので、雲雀の疑問は新鮮に思える。
俺は新刊を見つけて裏の値札を見てから渋い顔をする。
「相変わらず高いな……」
覚悟はしていたが実際に買うと非常にお高い……
「私が少し出しましょうか?」
「いや、さすがに情けないからいい……」
妹に自分の趣味を助けてもらう気はないし、あまりにも申し訳ない。
「ほら、レジ横でビニール傘売ってるから、何本か買っとけ」
「はい……」
雲雀は渋々傘を買いにいったので俺も目的の本を買ってレジに向かう。
数千円を支払って目的の本が買えたので雲雀と合流する。
雲雀の手には二本の傘が握られていた。
「じゃ、帰るか」
「そうですね」
バサリ……ぴとっ
「何故くっつく?」
雲雀が俺の腕に抱きついてきたので聞く、さっき買った傘はどうした。
「なあ、傘買ったよな?」
「お父さんとお母さんの分は買いました」
「俺と自分の分は?」
「この一本で十分すぎるでしょう?」
もう一本替えとかいう正論は通じそうにないのでしょうがなくふたりで傘に入る。
そうして帰っていると、空に青い部分が出てきて徐々に雨が止んだ。
傘を閉じると頭の上には夏の青空が広がっていた。
「晴れたなあ……いい空だ」
「そうですね……はぁ……」
そうして傘を閉じたのに何故か俺と雲雀はくっついたまんまだ。
「あの、雨は止んだんだけど?」
雲雀は開き直って平然と答える。
「よく考えたんですが妹が兄にくっつくのに理由とか全く要らなかったですね!」
ギュッと腕を掴まれ引き寄せられる。さっきまで雨だったので道行く人は少ない、なら……まあいいか。
そうして二人での帰宅途中、翡翠に会った。唐突に帰り道に現れたかと思うと雲雀との言い争いが始まった。
「あら? 翡翠さんですか?」
「ああ、雲雀ちゃん。相変わらずね?」
「そうですね、お兄ちゃんと仲が良いのは良いことでしょう?」
「歪んでんのよねえ……」
「ところで奇遇ですね、こんなところで会うなんて、まるでお兄ちゃんの後をつけていたような……」
「冤罪! 冤罪だって! 雨が止んだから買い物に行ってるだけよ! 別につけてなんかないって!?」
雲雀はため息を一つついて更に強く俺を引き寄せて言う。
「じゃあ私はお兄ちゃんといろいろあるのでこれで……」
「言っても無駄なんでしょうね……」
「愛情の前に理論で勝とうなんて無謀な挑戦としか言いようがないですね!」
非水もため息をついて俺たちはその場で別れた、偶然……だよな?
少し怖い考えを隅に追いやり空を見上げる、一面の青空が広がっていてこれからの爽やかな夏の予兆のようだった。
「さあお兄ちゃん! 帰ってイチャつきましょう! せっかくのおやすみですからね」
「休日の有意義な使い道だな」
妹のジョークに乗りつつ家路をたどる。青空から照りつける太陽が暑い……
少し歩いて雲雀が俺から離れた。さすがに恥ずかしかったのかな?
「どした?」
一応訊いてみる。
「いえ、ちょっと汗ばんだので……その、雨が止まないと思って制汗スプレーとかもしてないので……その……」
顔を赤らめている、どうやらコイツにも羞恥心はあるらしい、普通の人と大分基準がずれているような気がするがソレがあったこと自体は安心してしまう。
「別に何のにおいもしないがな」
俺が笑うと雲雀は少し怒った。
「そういう問題じゃないんです! お兄ちゃん! デリカシーがないですよ!」
「兄妹で今更……そんなもん元から無いしな」
「そういうところですよ、だからモテないんです! まあモテてもそれはそれで困るのですが……」
「悪口だよな……?」
「そうですよ! お兄ちゃんに思いやりが足りないって話です」
思いやりねえ……まあ確かに家族観でも必要なんだろうな。
「悪かったよ、ごめん」
「あ、いえ。そんな真面目に謝られても困るのですが……」
そうして二人して笑い合った。
そうして帰宅後、雲雀はシャワーを浴び、俺は買ってきた本を読むことにした。
PyCharmのウインドウを開きながら練習問題に悩んで身体を後ろに倒すと、濡れた黒髪が視界に入ったので椅子を回して振り向く。
「ああ、シャワー空いたか」
「はい、やっぱりお兄ちゃんとイチャつくならお互い気を遣わなくちゃいけないと思うんですよ」
「親しき仲にも礼儀あり、ってやつか」
「そうですね、私とお兄ちゃんは『大変』『非常に』親しいのですが、やはり礼を欠いてはいけません」
それもそうかと思って着替えを持って部屋をあとにする。なんだか俺の部屋でガサガサと音がするのだがiTunesの曲でもかけてたかな? まあいいや、月払いは定額だしな。
シャーとシャワーを浴び、身体を拭いて部屋へ戻る。
さっきの雑音はしていないようだが何故かカシャカシャと音がしている、明らかに曲ではないな。
ドアを開けると雲雀が待っていてサッとスマホをポケットに入れた、素早い……
「なあ雲雀……親しき仲にも礼儀あり、だよな?」
「そそそそうですね! 私はいつも礼節をわきまえているから関係ありませんけどね」
めっちゃ狼狽していた、少なくと俺の部屋はSNS映えするようなものもないし、自撮りでもしていたのだろう、人の部屋でやるのは感心しないがそれを言えばこの家全体が俺や雲雀のものでもないのでしょうがないだろう。
「でもなんで俺の部屋で待ってたんだ? つまんないだろ? ここ」
「いえいえ、私にとっては超エキサイティングな場所でしたよ」
「ツッコまないからな?」
「お兄ちゃんノリが悪いですね……バ○ルドームくらい知ってるでしょう?」
「そういう問題じゃねえよ……」
とまあいつものノリで話しつつ俺にくっついてくる雲雀。
「で、ですねえ、外出だけじゃちょっと足りなくて、お兄ちゃんをもっと欲しいなあと思うんですよ」
あれだけくっついておいてまだ足りないと言い張るのか……
残念ながら俺にスキンシップを取ろうとする女の子は雲雀ただ一人なので拒否するのもちょっとなあ……とは思わなくもない。
このくだらないやりとりがたまらなく好きな自分がいることに気づいて、なんだか少し恥ずかしくなる。
「あっれー? お兄ちゃん喜んでますか? こういうの好きなんですか?」
「いや、うん。まあ嫌いじゃないぞ」
雲雀は思いっきりニヤニヤしながら俺をつついてくる、くっ隙を見せすぎたな……
「お兄ちゃんもシスコンですねえ」
「そりゃまあ自宅ルータにシスコ製を選ぶくらいにはシスコンだよ」
「あはは……面白いジョークですね、自宅にCisco製を使うのは頭のねじが吹っ飛んだ人と大金持ちだけですよ?」
「そこ」
「え?」
俺が自宅にひいてある回線のONUから伸びているケーブルの接続先を指さす。
そこにはCiscoのエントリーモデルが鎮座していた。
「マジですか……」
なにやら奇妙なものを見ている目で見られている気もするけど、雲雀のスマホもこれに繋いだアクセスポイントのWi-Fi使ってるからね? 同類だよ?
「自宅でCisco製を使ってる人はなんだって?」
「いやー、あはは……まあシスコンこじらせたお兄ちゃんには似合ってますね……」
さすがの雲雀も引きつった笑みを浮かべている。お年玉で買ったCisco startシリーズ、お値段云万円……ちょっと高いとは思うけど、ウチはみんな動画サービスやリモートワークを使うので、それに不足のないスペックのネットワークを組んでくれと親に頼まれた結果なので批判される謂われもないだろう。
「しかし……シスコンだからCiscoってそんな理由で決めたんですか?」
「まあ自宅だしYAMAHAでも十分だったんだけどなあ……RTX1210ってこれより高いんだよ」
「ネットワークガチ勢はピュア界にかけたお金で張り合ってるんですか……」
雲雀も呆れているようだが少し弁解するとネットワークガチ勢は自宅の庭に電柱を立てるほどぶっ飛んではいないということを主張しておきたい。
「ウチのネット早いねって友達呼んだときにWi-Fi貸したら言われた理由が分かりますね……」
あまり人のウチの回線を貸すのはお勧めしないのだが……WPAエンタープライズを立てていない俺にも責任はあるか。
「まあそんなわけだから、俺がシスコンなのは分かったろ? 俺は弁えたシスコンだから越えちゃいけないラインは分かってるよ」
「そういうとこだけ常識的なのはいいことではないと思うのですが……ま、まあ! お兄ちゃんがこんな趣味してると分かったら彼女なんてできないのも納得ですね!」
酷い言われようだ。いやまあ実際その通りなので反論もないのだが。
「まあとにかく俺の部屋にいてもそういうイベントは起きないから、諦めて帰っとけ」
「お兄ちゃんのいけず……」
そうは言ってもシスコンであることに納得したのか自室へ帰っていった。
ふう……ヤバかった、理性がギリギリで持ちこたえたな。アイツドンドン過激になってくなあ、これは精神修行が必要なんじゃないだろうか?
……
「ククク……お兄ちゃんがシスコン……ハッハッハ……ハハ……やりました! ついに言質を取りました! 私の大勝利と言ってもいいでしょう。お兄ちゃんは私のものです、誰にも渡しませんからね……」
……
それぞれの思惑は交錯していくのだった……
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