第17話 大切なもの

 アオイ先輩がいない高校生活も、残すところ二ヶ月となっていた。以前から私は先輩を驚かせるために、先輩に内緒で大学へ忍び込む計画を立てていた。そして今日がその実行日だ。私は季節外れのワンピースの上にコートを羽織り、先輩の大学へと向かう。


 先輩は現在、石川研究室というところに在籍しているらしく、平日休日問わずにそこへ向かえば会える可能性が高いとのことであった。先輩は勉強熱心な人だった。勉強に夢中になって私のことを忘れたりしていないかな。そんな不安も少しだけあった。


 土曜日ということもあってか、学内には人の気配がまるで無かった。そのお陰で、私は誰にも見つからずに一階にある石川研究室へとたどり着いた。私は研究室に入る前に扉に耳を寄せ、室内の様子を伺った。室内からは小さなファンの音が聞こえるだけで、人の気配は感じられなかった。ゆっくりと扉を開き、室内の様子を伺いながら恐る恐る進み入る。


「お邪魔しまーす」


私は小声でそう呟き、部屋を見渡す。扉のすぐ近くにある机の上には見覚えのあるペンケースが置かれていた。


「先輩が使っていたペンケースだ。ということはこの机は先輩ものかな」


ペンケースの隣には卓上カレンダーが置かれており、そこには「15:00~教員室」と書かれた付箋が貼られていた。現在の時刻は14時48分。時間に真面目な先輩なら、この付箋の予定よりも早い時間に教員室へ向かったに違いない。そこへ行けば先輩に会える。そう思った私は教員室へと向かうことにした。おそらくこの『教員』というのは石川教授のことを指すのであろう。教授の部屋は先ほどこの部屋にたどり着く前に通り過ぎたから、場所を知っている。


 石川教授の部屋に向かう途中、息を荒くした早歩きの人物とすれ違った。やっぱり理工系の大学って変な人が多いのだなと思ったが、そんなことよりも早く先輩に会いたいという気持ちが強くあまり注視はしなかった。

 いよいよ教員室にたどり着いた私は、また室内の様子を確かめるために扉に耳を当てる。室内からは床を這うような布の擦れる音と、ヒュウヒュウという小さな呼吸の音が聞こえた。嫌な予感がした私はノックもせずに扉を勢いよく開いた。


扉を開けた先には、腹部にナイフが突き刺さった状態で仰向けに倒れている先輩の姿があった。私は先輩の元へ駆け寄る。


「先輩!!」

「・・・あぁ、リンか。あれ、でも、いるはずないもんな・・・夢かな」

「今救急車を呼びますから、じっとしていてください!」

「もうダメだよ。わかるんだ。自分の身体だから。」

「そんなことを言わないでください!」


私は救急車を呼ぼうと携帯電話を探すが、私は今日に限って携帯を忘れてしまっていた。先輩に会えるということに浮き足立ってしまっていたのだ。


「先輩、携帯電話をお借りします」

「あぁ、あげるよ。もう使うこともないからね。大切に使って欲しい」

「勝手に諦めないでください!」


先輩は震える手で携帯電話を取り出し、私はそれを受け取るが、その携帯電話のバッテリーは空っぽだった。先輩は普段から頻度高く充電をする人ではなかった。


「・・・リン。一つわがままを言っていいかな?」

「なんだって聞きます。だから、死なないで・・・」


私は先輩の腹部に手を当て止血を試みる。しかし血は止まらない。そして先輩は震えた声で私に話しを続ける。


「花を見たいんだ。中庭に咲いている。・・・最期はそこがいい」


私は涙と先輩の血でグシャグシャになっていた。先輩の肩を支えて、教員室の窓から外に出る。数歩歩いた先にはたくさんの花が植えられた花壇があり、私は先輩をそこへ連れて行く。


「とてもいい匂いだ」


先輩は青白くなった唇で、そう呟いた。


「リン。あのときの約束を覚えているかい?『大切なものを守ってくれる』という約束を」

「・・・はい」

「その携帯の中に、『大切なもの』が詰まっているんだ。を守って欲しい」

「はい。必ず、守って見せます。絶対に。命に変えても」


先輩は優しく微笑んだ。きっともうすぐで先輩の命は終わってしまうのだ。その時、脳裏にある言葉が蘇った。


---どうせ死ぬなら最後に見る光景は綺麗なベロニカの方がいいと思うな。


私はコートを脱ぎ捨て、先輩に見せるために着てきた季節外れのワンピースを見せる。このワンピースには青いベロニカが刺繍されているのだ。


先輩は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐにいつもの優しい笑顔に戻り、そして涙を流した。小さな声で何度も「ありがとう」と呟いていた。


「最後の最後にもう一つだけ、お願いをしていいかな?本当にこれで最後だよ」

「・・・なんなりと」


「最期は、終わりたい。」



 私はたくさんの花に包まれていた先輩の首を締めた。先輩は幸せそうな顔をして息を引き取った。


私に生きる意味を与えてくれた人。

心の底から敬愛する先輩。


やすらかにお眠り下さい。


先輩。


--- 第二章『咲いたベロニカ』 完 ---

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