#055 アルビオン魔導階位白級でした
白い煙が装置の中から溢れ出てきた。
少しひやりとして、ちょっと鼻がツンとする香り。酸っぱいというより、炭酸の弾けた泡を鼻で吸い込んじゃったような感じの。
「――う、むむ……頭が、重いな……」
髪の赤い男の人が白い煙の中からよろよろと出てきた。額を押さえている。背は――低い。僕よりかは高いけど、大人の人にしては低く見える。というか、若い。20歳になってるんだろうか。年齢的にはそれより下に見える。たっぷりとした黒いローブを着ていた。
「よう、久しぶりだな、サルヴァス」
「……ギルバート? な、何故、ここにいる! ここは僕の研究所だぞ!」
「るっせえ、喚くな。相変わらずガタガタうるっせえな」
「いいか、魔導士の研究所とは聖域も同然だ! 我が叡智の全てにして、我が魔導の未来を集約させる場であるのだ! そこへ土足で踏み込んでおいて、ガタガタうるさいだと!? それじゃあ何か、ギルバート! シャワーの最中にいきなり泥まみれの野蛮人が踏み込んできても文句を言わないというのか!」
「お前ほど騒ぎやしねえよ」
「ムッキィィ! お前用に開発しておいた魔術を食らわせてやる、食ら――」
「食らうか、ボケ」
サルヴァスさんが腕を振り上げたのと同時、ギルがごすっと彼の鼻に自分の掌底を当てていた。地味に、でもとても痛そうだ。鼻を思い切り押されるって辛い。
「ぬううううっ! ふぅっ、ふぅぅっ……!」
サルヴァスさんは鼻を押さえて前かがみになりながら悶絶する。はあ、とギルがとっても面倒臭そうにため息を漏らす。
「色々と手に負えなくてな。ちと力貸せ」
「誰がお前なんかに。どんな説明をしてやるにせよ、僕の言葉が通じるのか?」
あ。
すごく不思議な現象に気づいてしまった。
「言葉が通じてる……」
「ん? ……キミ、何だい?」
「あっ。エルといいます。ギルの、書類上の兄弟です」
「……おぞましいな」
「え?」
何かおぞましいとか言われた気がした。眉根を寄せて見たくないものを観察してるというような顔までされてる。
「ていうか、どうして言葉が通じちゃうの? 今さらだけど、ギル、古代文字って言語が今使われてるのと違うよね? それなのに、どうしてギルもすんなり今の時代の言葉とか分かってるの?」
「あん?」
「精霊器の力だろう。そんなものは」
「精霊器?」
ギルに尋ねたのにサルヴァスさんがさも当然とばかりに答えてくれる。
「そうだ。精霊という連中は固有の言語を持たず、また、精霊同士のコミュニケーションも言語に頼ることはない。奴らはすぐれた交信能力を持ち、また、精霊器を介して精霊器の所有者にもその能力の一端を分け与える。ゆえに口と耳を介したコミュニケーションであれば言語の壁を無意識に超えることができる」
「……ギル、文字の読み書きもできたよね?」
「そら、最初はちと苦労したけど喋れちまうんだから分かるだろ」
「……なる、ほど? ていうか、サルヴァスさんすごい。こんなにあっさり答えを教えてくれるなんて」
「このくらい常識さ、魔導士であれば。もっと褒めたまえ」
「すごい! 尊敬します!」
「ふふふ、そうだろう、そうだろうとも! 何せ、僕は天才だ! はーっははは!」
何だかすごく気持ち良さそうに高笑いしてしまった。もっと偏屈で小言ばっかり言ってくるような人かと思ったけどかなり愉快な人かも知れない。やっぱり百聞は一見に如かずだね。
「よう、このチビがおぞましいってどういうこった?」
サルヴァスさんの心証が定まりかけてたところに、また第一印象が揺らぎそうなことをギルがぶっこんだ。気にはなるけど何だか指摘されたくはない。人間、自分の非や欠点を絶対に認めないなんて態度はコミュニケーションの障害となりやすいけど、できるならば指摘を受けたくはないというのは自然な心理ではあるまいか。
「ふん、ま、お前には分からないさ。だが僕には分かる。チビっ子、貴様、
「……あびす?」
知らないけれど、行ったことあったっけ。
思い浮かぶことはない。
サルヴァスさんを見つめると、本人も僕の反応が予想と違ったのか、奇妙な顔をしている。
「何だ、それ?」
「……ほ、本当に行ってないのか?」
「うーん……我ながら、ここどこってところは壊れてるお城くらいだし」
「…………」
とうとうサルヴァスさんは黙ってしまった。
何かの勘違いならいいんだけど。でもかなり確信を持った風に言ってきたし。
「おい、サルヴァス。答えろ」
「……ふんっ、僕は空腹なんだ。まずは食事を摂ってからにしよう」
あ、サルヴァスさんは自分の間違いとか認めたくないタイプの人だ。
▽
「万一に備えて食料も方舟へ詰み込んでおいて良かった。どうやら、我々のいた時代から約5000年ほどが経過しているようだな。で、アルビオンはどうなっている? 多少は見たのだろう?」
「どいつもこいつも、着の身着のままおっ死んでやがった。炉心も落ちてたしな」
「やはりか……。僕の研究所も炉心が落ちたことで数百年は稼働していたようだが、やはりメンテがなければその程度が限界だったらしいな。方舟は生命維持装置を兼ねる都合、稼働は続けていたが炉心が落ちたことでタイマーがイカれて外部の手によらねば起きることが叶わぬことになっていた。ギルバート、お前はどうやってこの時代にきた?」
「よく知らねえ魔人にちょちょいとな。数年前にこの時代で起きた」
「〈黒轟〉と〈黒威〉はどうした」
「盗られた。他人の精霊器をいくつもぽんぽん使う方法とかあるか?」
「ない」
「それをできちまう連中がいやがった。てめえを精霊にすることで可能だとかのたまってたぞ」
「何、だと……? 単純な理屈ならそうかも知れんが、しかし……人を精霊にする? 考察の必要はありそうだ」
実はギルとサルヴァスさんは仲良しなのではないだろうか、という説を僕は考える。
しかし方舟という装置にサルヴァスさんと一緒に納められていた約5000年前のご飯というのはおいしい。生前、飽食の時代に生きていた人間としてとっても口に合う。自然素材でも樹脂素材でもなさそうな、よく分からない熱を持たなくて溶けもしなさそうなお弁当箱めいたご飯を分けてもらっている。
蓋を開けてビックリした。焼き立てのように香ばしい香りを立てる丸パンが1つと、シャキシャキした新鮮お野菜のサラダと、トマトソースで煮込まれたお魚と、コーンスープみたいなクリーミーだけど穀物の甘さを感じられるスープとが収められていたのだ。どれもほかほかでおいしくて、これが5000年前だなんてとても思えないくらいデキタテ感があった。とってもおいしい。
なのに、ギルもサルヴァスさんも食べるより、お話をしてしまっている。やっぱりこれは仲良しなんじゃあるまいか。
「ところで、その
「けだも――ノインのことですか? 単なる可愛い愛玩動物ですけど何か?」
「……それが、愛玩動物?」
またサルヴァスさんの眉根が寄る。僕をおぞましいとか言ったのと同じ感じだ。僕が分けてあげたパンに夢中の謎だけど可愛い小動物にしかすぎないのに、どうしてギルに続いてサルヴァスさんまで嫌な感じ扱いをするのだろう。
「今んとこ害はねーよ。エルが気に入ってるからノータッチだ」
「……ギルバート、お前はどうしてその獣がおぞましいと分かる?」
「直感」
「ひっどいねー、大人って。ね、ノイン?」
「キュ」
「……エルと言ったな。小僧、それだけの魔力を持ち合わせておきながら感知は苦手なのか?」
「かんち?」
「……魔術はどの程度使える? アルビオン基準魔導階位に照らすとどれほどだ?」
「その基準を知りません」
「……話にもならん!」
癇癪を起こしたようにいきなりサルヴァスさんがお弁当箱と食器を投げ出してしまった。派手な音がして床に食べかけのご飯が飛び散る。――こういう怒り方をする人は、すごく苦手だ。
「よう、サルヴァス、てめえ、まーた飯を粗末にしてんじゃねえってんだよ」
憤りながら立ち上がったサルヴァスさんの脛にギルが裏拳を叩き込む。
「ぬぐおおっ!? く、っ、う……」
「ったく、変わらねえ野郎だな……」
ちょっと、溜飲が下がる。脛を押さえて片足でぴょんぴょんと跳びはねてサルヴァスさんは悶絶している。
「とにかく、まずは状況の確認だ! その間、エル! お前はアルビオン魔導位階認定試験を受けていろ!」
「試験?」
「そうだ。試験プログラムを用意してやる! それだけの魔力がありながらまったくもって知識が足りていないようにしか見えん! まずは試験でどの程度かを把握する!」
「把握したら、どうなるんですか?」
「どうなる? 頭がとろいな! 腐っている宝を、活きた宝にしてやると言っているんだ! 意味は分かるか? ああ、いい、答えなくてもいい! 把握したら次は調教だ!」
「調教、ですか……」
「やい、サルヴァス。てめえが何をのたまうのも自由だが、言葉くれえ選べってんだよ。インテリなんだろ? ボケ」
「うるさい! 僕は状況を確認してくる! とにかく試験プログラムを実行しろ、いいな! ええい、どうして掃除用の魔導器が作動しない! 床を誰か掃除しろ!」
サルヴァスさんは、やっぱり人格に難がありそうだ。
小さい体で大きな歩幅をしながら歩いていってしまった。
「ねえギル――」
「あのボケについてなら、ノーコメントだ」
黙っておいた。
サルヴァスさんはきっと、自分では知らぬ内に敵を作って孤立するタイプだ。
アルビオン魔導位階認定試験というものをサルヴァスさんが用意してくれた。要するにこれはアルビオンの魔導士さんのランク分けをする時の試験というものらしい。
魔導位階というランクで、色で順位づけられているんだとか。
下から、白、青、緑、橙、赤という順番。だから赤色が最高位。赤色魔導士と公的に名乗れる人がこのアルビオンでは最高位階ということになる。
そんな位階認定試験を受けさせられた。
筆記と実技。僕はこういうのは筆記の方が得意にしているつもりだったんだけど、やっぱりまだ古代語がちょっと馴染めなくて手応えがまったくなかった。実技の方はろくに何をしたいいのかっていう説明がされなくて、これでいいんだろうかと首をひねりながらだったから、やっぱり手応えというものは感じられなかった。
ぷんすか怒りながらあちこち慌ただしく動き回っていたサルヴァスさんが試験が終わった僕を見てつかつかと早足に寄ってくる。
「結果はどうだ!」
「どこで結果が分かるのかそもそも……」
「これはここをこうして、こうだ!」
ずっと試験に使っていたよく分からない筐体というか、装置というか、そんなものをサルヴァスさんが操作する。
「認定結果――白級!」
「ですよねー……」
「白級? 白級だとっ? ああ、まったく、嘆かわしいにもほどがある! 貴様、己がどれほど世に損失をもたらしているか分かって――ん、この数値……」
詰められて顎を引いていたら不意にサルヴァスさんが筐体の液晶めいた半透明のプレートをじっと覗き込んだ。何か1つだけ数値が突き抜けているのは分かる。
「……何だこの魔力量は。計器の故障か?」
「あ、嘘か本当か分からないけど、僕、無限って言われました」
「無限? ……ハッ、頭のおかしなやつにでも言われたのだろう? ええい、再検査だ。これを握って魔力を流し込め。辛くなるまでで構わん、さあやれ!」
電話の受話器みたいな、ちょっとくびれがあってまろやかな曲線を描く棒みたいなものを持たされた。コードで装置に繋がっている。さっきもやった。ひとまず握って魔力を流し込む。ちらちらとサルヴァスさんは僕を伺う。しかしこれで本当にいいのだろうかと、ちょっと思う。やめどきというものが分からない。
「……おい、疲れたらやめていいんだが」
「え、はい、疲れないので……」
「疲れない? 息切れしそうな動悸や、虚脱感、あるいは関節部の疲労感はないのか?」
「ないですけど」
「……続けろ」
「はい……」
そのまま十数分も経った。サルヴァスさんはもう放置プレーをしている。本当に疲れるまでやれと僕に言い残し、またバタバタしている。
しかしこれ、やめどきが分からない。
と、そこにいつの間にかいなくなっていたギルが戻ってくる。
「よう、まぁーだやってんのか」
「うん。疲れるまでやれって言われた……」
「つーかこれ、数値がぶっ壊れてんぞ? マックスになって動いてねえや。おいこら、サルヴァス! これぶっ壊れてんぞ!」
「うるさい、壊れてなどいない! 口出しをするな! それよりもギルバート、暇なら特別に手伝わせてやるからこっちへ来い!」
「暇じゃねーよ、ボケ」
実は仲良しなのか、そうでないのか、やっぱり計りかねる。
たまに僕もギルにキツいことを言っちゃう自覚はあるけど仲良しはつもりはある。だけどこの2人は何だかなあ。
何だか首の後ろがじんじんしてくる感じがしたのは、それからどれほど経ったころか、正直、分からなかった。
「やめましたー」
魔力を流すのをやめて声をかけたら、早足でサルヴァスさんがやって来る。
「……疲れたか?」
「疲れたというか……何だか、この辺が、ちょっと痺れるというか、じんじんするというか、そんな感じがしてきたので」
首の後ろをさすって見せるとサルヴァスさんが目を細めた。
「……そういう感覚はこれまで何度かあったか?」
「言われてみると、何度か……」
「どういった時に」
「……出力の大きい魔術を使った後とかに、何となく?」
「ふむ……。専門家ではないが断言してやる、小僧。お前は魔術がドのつくほどの下手くそで、ただ持ち合わせている常識外れの魔力量にのみ頼っているだけだ。しかしその素養は計り知れないとだけ言ってやる。喜べ、存分に調教してやる」
「あ、僕、元々、奴隷だったんで調教とかはちょっとヤです。響き的に。言葉の」
「……奴隷か。土人だな。文明レベルも落ちたものだ」
ふんっとサルヴァスさんは鼻を鳴らし、また忙しそうにつかつかと歩いていった。
ケチをつけて去っていったものの、いきなりそこら辺に嫌味を吐いたのは僕を慮ってくれてのことだろうか。それとも本当に思ったことだろうか。
もしも前者だったら、サルヴァスさんはギルに似ているのかも知れない。
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