#051 ギルってアルビオンに暮らしてたんだって

「はあ……もうちょっとです、エンタイルさん」

「ええ、一時はどうなるかと思ったけれどあなたのお陰ね、ありがとう、エルくん」

「いえいえ」

 もうすぐエンタイルさんのお家に帰れる。すっかり夜になっている。日中の大部分をお日様のない地下空間で過ごしてしまったせいで時間感覚が迷子だ。夜になったばかりなのか、あるいはもう夜中であるかも分からない。

 思い返すと大変な一日だった。ゴーレム工場は自爆するし、アルビオンの都市を見つけてしまったし、それから独力で大工事だった。エンタイルさんを救出するためにゴーレム工場を埋め尽くした瓦礫を撤去して、地上に繋がる穴を貫通させて――後半の方が肉体的には辛かった。

 魔術がなかったら本当にどうなっていたことか。

 そして行き帰りの道もまた足場が良くないからけっこう疲れる。たっぷりのお湯を張ったお風呂に浸かりたい。きっと気持ちがいいんだろうなあ。

「お家が見えましたよ」

「ええ。帰ったらすぐ休んじゃいましょう……」

「ご飯は……?」

「あ、ああ、そうね、ごめんなさい。……食事も必要よね……面倒だけど……」

 食事が面倒って、もしかしてエンタイルさんってけっこうズボラ系なんだろうか。

「キキュ?」

「ノイン? ああまた……適当に戻っておいで――って、ん……?」

 またもやノインが飛び出していってしまった。もう疲れちゃってるし、好きにさせておこうかと思いながらノインの走っていった方を見ると誰かが近づいてきていた。杖を突いて足取り重く歩いていた。

「こら、何だお前――うろちょろすんな、踏み潰すぞ」

「ギル? ギルっ、今さらすぎるよ!」

 ギルだと分かって駆け寄っていき、思わず顔をしかめてしまう。

 ぼろぼろだ。手当はされているようだけど、それがまた痛々しいほどの重傷だと物語っている。どこで手に入れたのか、けっこう立派そうな――でも登山道には向かなさそうな杖に体重をかけながら歩いてきたのだろう。あのギルが歩くのも大変そうな傷を負ってしまうだなんて。

「今さらだなんて知るかってんでい。とっとと直せ」

「これ、ゴーレム?」

「ん? 知ってたのか?」

「僕もやりあった……すっごい強くなかった?」

「まあサシならどうってこたねえが、小隊程度の数で出てきやがってこのザマだ」

 小隊程度ってどれくらいだろう。20以上、50未満とかかな。それって――いや、そんなのをギルが1人でやっつけちゃったってことだろうか。僕なんて一体だけで死にかけたのに。やっぱりギルって計り知れない。

「いいから治せ」

「あ、うん」

 <ルシオラ>を使ってギルの傷を治すと、楽になったようで杖を僕へ押しつけるように渡してぐぐーっと体を伸ばす。バキボキゴキとギルの体の骨が鳴った。すごい音だった。

「んだ、お前、よく見たら汚ったねえ身なりしやがって」

「こっちはこっちで大変だったの……。あ、来て、来て。エンタイルさん、紹介します。これが例のギルです」

 ギルの手を引っ張ってエンタイルさんに紹介する。

「あなたが……エルくんのお兄さんの。アニス・エンタイルです。よろしくお願いします」

「おう。……こんな辺鄙なとこでよく分かんねえ研究してる学者だなんて聞いてたから、偏屈な石頭のジジイかと思ったら、とんでもねえ別嬪じゃねえの。何で隠してやがったんだよ、エル」

「いや、隠してないし……必要な情報じゃないでしょ?」

「必要に決まってんだろうが、バカか」

「バカじゃありませんー、ギルよか賢いつもりですぅー」

「ああん?」

「何さ?」

「……ま、否定できねえんだがな」

「でしょう?」

「ふふふ、仲がいいのね。ギルさん、汚いところですけれど、どうぞ上がってください」

「はあーあ、疲れた、疲れた……。ところで、エンタイル? ああいや、アニス? こんなとこに1人で暮らしてんのか? 楽しいことあるのかよ?」

 隠していたつもりはなかったけれど――予想通り、ギルがエンタイルさんと親しくなろうと馴れ馴れしくするところを見ると、あえて喋ることでもなかったというのは我ながら正しい判断だったと思う。

「これだからギルって、ギルだよねえ、ノイン?」

「キュウ」

 鼻の下とか伸ばしちゃってみっともない。

 エンタイルさんもやや困惑気味だっていうのにお構いなしなんだから。人への迷惑とかマナーっていうものをよく知らないのだろうか。


 ▽


 外から覗き見られるというようなことさえないならば、露天風呂というものは場所を選ばずに素敵だと思う、今日このごろ。

 エンタイルさんのお家からほんの少し離れた、僕がゴーレムをやっつけた時にできたクレーター。そこを利用して露天風呂にしてみたら、やっぱり悪くなかった。天然温泉ではないけれど、露天のお風呂ならば露天風呂と呼んで差し支えないはず。

 ギルとお風呂に浸かりながらとりあえず今日の発見について話してみた。

「アルビオンが今や地の底へ埋まったときたか……」

「うん。多分あれがそうだと思う。……すっごい広くて、探索を続けるのは気が引けて帰ってきちゃったんだけど。でね、ギルなら中のこととか知ってるのかなって思ってさ。行っちゃえばあれも古代遺跡だし、一緒に来てくれるでしょ?」

「構わねえけど……残ってやがったのか、あれ。ゴーレムもそっから出てきたとなると、まだ稼働してるとこもあるってことだもんな……」

「ゴーレムの工場っぽいとこは潰しちゃったけどね」

「それがいいだろ。あんなもん、どこぞのバカが下手な命令与えやがったらちんけな国の軍隊如きじゃ手に負えねえからな」

 ギルをあんなにボロボロにしちゃうんだから素直に頷ける。しかも工業製品ということは量産もできてしまうというのだ。軍事力欲しさにゴーレムを巡って国家間の戦争が起きるなんてことも想像はできる。さすがに費用対効果を考えるとあれかもだけど、よそに与えられないからって理由で騒動が起きる程度までは有り得そう。

「ギルってどれくらいアルビオンのこと知ってるの? 魔導士がたくさんいたって言ってたよね? ギルって魔術使えないし、行ったことなかったりする?」

「うんにゃ、ガキのころはあすこで育った」

「えっ。そうなの?」

「お蔭で魔導士連中との喧嘩にゃ馴らされたもんだぜ。今となっちゃ、そう使い道があるわけでもねえけどよ。いつかお前がガチ喧嘩仕掛けてきたら返り討ちにしてやっから手の内は教えねえぞ?」

「喧嘩してたんだね……。ていうか喧嘩しないし」

 でも古代遺跡で見つけたアルバムでギルは顔と名前をちゃんと知っていたっけ。腑に落ちた。

「つっても、15、6くらいで出てったが、ちょいちょい帰っちゃいたし、体感としちゃそう昔って感じでもねえんだよな……」

「ふうん。……ギルって、いくつ? 暦上の計算じゃなくて、何だろう……意識がある間の換算で」

「お前と出くわしたのって、どれくらい前になる?」

「えーと……もう3年弱くらいには、なるのかなあ……?」

「んじゃ、25くらいか」

「……ふうん」

「んだよ、その反応?」

「いやだって、大人の年ってよく分からないから」

「……年って言えばよ」

「何?」

「お前、さっぱり背え伸びてなくね? 気のせいじゃねえよな?」

「……そ、そんなこと、ないもん」

 3年弱くらい。仮に僕が脱走奴隷になったのが10歳くらいだったとして、今は13歳くらい。普通ならば二次性徴に差し掛かってるくらいで、個人差はあるもののグングン背とか伸びて、だんだんと大人っぽくなっていくくらいの頃合い。

「…………」

「わはははっ、考えこんでんじゃねえよ! 気にしてやがんの!」

「う、うるさいっ! 背くらい伸びるし! ちょっと遅れ気味なだけ! そうやってさ、人のコンプレックスを笑うって良くないからね!」

「でも1ミリもお前の背え伸びてる気がしねえ、うわははは」

 すごく笑われてすごく腹が立った。――けれど、確かに出会ったころからギルと視線がずっと縮まらない気もしている。背とか計ったことがないから分からない。記録をつけてみようか。いやでもこれでサッパリ伸びてないのが体感じゃなく事実になってしまったら大変だ。うん、きっと勘違い。……だと、思いたいんだけど。

「……ねえねえ、ギル」

「あん?」

「背が伸びなくなる病気とかそういうのって、あるのかな……?」

「知るかよ。けどガキのまんまも悪くはねえと思うぞ? 綺麗なお姉ちゃんと風呂に入るのも余裕だろ? カァーッ、俺もお前みてえなチビになりてえなァ」

「うっざ……」

 人は真面目に心配しているのに茶化して笑って、本当にそういうのどうかと思う。

 ほんともうこういうとこ、ギルってやだ。

「そろそろのぼせるんじゃねえの? 上がって寝ようぜ」

「うん」

 ギルがお湯を上がる。僕も一緒に上がる。体から立ち上る湯気が風に吹かれて消えていく。ちょっとのぼせそうなくらいにほかほかに温まった体と、この冷たい風も心地良い。ずっと風に吹かれてたい。

「……やっぱちっせえままだよなァ」

 ギルが風に吹かれて心地良い僕を見てそんなことをぼそりと、でもわざとらしいくらい聞こえやすく呟く。そしてギルの視線が僕の腰回りに向けられているような気がする。

「どこ見て言ってるのさ!」

「そりゃエルちゃんのかーわいいエルちゃんだろ?」

「むかっ――ウォーターサービス!」

「うおぶっ、冷てっ!?」

「知らない」

 水をぶっかけてやってからさっさと魔術で体の水滴を吹き飛ばして服を着た。ギルは浴びせた水が冷たかったからか、お風呂に飛び込んで温まり直している。いい気味である。


 ▽


「あのう、エンタイルさん……? おーい……?」

「キュウ……キュッ」

 すっかり朝を迎えた。寒かったからノインを抱いて眠ったと思って、朝になったらギルに抱かれて起きた。変だった。

 それはともかく。

 朝になったらまたアルビオン探索に向かおうという予定だったのだけれど――エンタイルさんが床で寝ていて起きない。昨日の探索についてのまとめをしていたらしいというのは彼女の周りに散らばったものでよく分かる。多分、寝落ちしたんだろうな、というところまで推測できる。分かりやすいくらいに。

「アルビオン、行かないんですか?」

 声をかけてみながら、もう20分は経っているんじゃないだろうか。さっぱり起きる気配がない。ノインもぺしぺしと前脚でエンタイルさんのお顔を叩いてみたり、上に乗ってぴょんぴょん跳ねてみたりしているけれど微動だにしない。

「おいエル、もう放っとけ。2人で行こうぜ。お前だけでも足引っ張るってえのに、女まで連れるなんざ手間だ、手間」

「言い方。僕そんなに足手まとい?」

「いっつも最終的に俺の背中にひっつく癖してどの口が言いやがらァ」

 ほっぺをつままれた。言い返しづらい。

「そら、行こうぜ。何百だか何千年ぶりかの里帰りだ」

「あるいは何万年かも」

「長生きしてみるもんだな」

「前向きだね。……寂しく、ならない? 大丈夫?」

「んなこと気になるかってえの。そら、行くぞ」

「……エンタイルさん、行ってきますね」

 一応、置手紙をしたためておいてからギルと一緒にアルビオンへと向かった。

 天気はどんより曇り空だ。風が吹くと寒いから腕にノインを抱いて暖を取りながら歩いた。

「ねえギル、ギルって僕くらいのころはどういう子だったの?」

「あん? 何でそんなん気になるんだ?」

「だってアルビオンって、魔導士ばかりだったんでしょ? それなのに魔術が使えないギルがいたって、何だかちょっとおかしいような気がしてさ」

 もぞもぞとノインが腕の中で動いている。収まりやすい体勢を探しているのかも知れない。

「あー、まー、うーん……つまんねえ理由なんだけどよ」

「うん」

「親父もお袋もいなかったからな。お袋側のジジイに引き取られたわけだが、そのジジイがこともあろうにアルビオンの親玉だったわけだな……」

「アルビオンの、親玉? 正式には何ていう肩書?」

「アルビオン自由魔導連合組合長……だったっけか? そんな感じ」

「はええ……どんな人なの? ギル、魔導士なんて自分勝手だって嘘か本当かよく分かんないことばっか言ってたでしょ? その人達を束ねてたんだよね?」

「興味津々か」

「興味津々だよ。教えて、ギル」

「あー、メルヴィルって言ってな。よぼよぼの枯れ木みてえなジジイで、他の魔導士連中と違って研究一筋ってえ野郎じゃなかったな」

「どうして?」

「てめえの研究テーマはもう終わっちまったんだと。んでも何かと魔導士連中にも一目置かれるくれえに物知りだったもんで、何かと頼られてる内、なあなあで押し上げられていったって聞いたな。実際、面倒見がいいってんで本人もその気になってたな」

「へえ……。やさしかった?」

 尋ねてみるとギルは渋い顔をする。

「まあな……。割かし普通のジジイだった。孫がかわいくてたまんねえってタイプだな。けど、だからこそうぜえとこもあってよォ……。サルヴァスと仲良くしろだのうるっさくて」

「サルヴァスさん? 何でサルヴァスさんと仲良くしろなんて言うの?」

「あん? そりゃあのジジイからすりゃどっちも孫だしな」

「……え、兄弟?」

「従兄弟」

「嘘っ? そんなの一言も言ってなかったよねっ!?」

「言うほどのことでもねえよな」

「あるよ! はぁぁー、意味分かんない、ほんともうギルってそういうとこ謎。それともよっぽどサルヴァスさんと仲が悪かったとか?」

「いや? いつもあいつが喧嘩売ってきやがるもんだから、返り討ちにしてやり続けてたけど……俺が基本勝ってたしな、うぜえとは思っても嫌いってこたァなかった」

 それってけっこう険悪なんじゃあるまいか。

 ようやくノインは収まりのいい格好を見つけたようで動くのをやめた。箱の中でくつろぐ猫みたいな軟体動物感。猫に近いんだろうか。

 掘り下げるほどギルの謎って深まる気がしてしまう。

「でも何度負けてもサルヴァスさんは喧嘩を挑んだんだよね? いや、喧嘩なら売るって方が表現は精確かも知れないけど……謎」

「だぁーから、単純にひねくれてたんだよ。性根が」

「そういう……?」

「魔導士なんざァそーいう連中だ」

 なかなか納得できないのはギルというフィルターを通じて、聞くだけでしか情報を得られないからだろうか。

「これから、そんな人達が暮らしてたところに行くんだね……。大丈夫かなあ? 遺跡的なトラップなんかはなさそうだったけど」

「今、古代遺跡だなんて呼ばれてんのは魔導士連中が別荘感覚で用意してたとこだからな。自分の研究やら財産やらを取られたりしたくねえっていう防犯意識の賜物だ。けどアルビオンは普段使いの場所なもんで、無差別に発動させる罠なんてもんはそうそうねえよ」

「それなら、多少は安心か……」

「多少は、な」

「どういうこと?」

「さて、どうなるかは分からねえや。俺ァその辺、門外漢だったしなー」

 安心・安全だといいんだけど何だかギルの言葉は不穏だ。

 一抹でも危機感をギルが抱いているっていうことは油断していたらいけない気がする。けどそれがどの程度の危機感なのかだ。交通事故の可能性ってゼロじゃないよね、とか。そんな具合なら別にいいんだけど、もっと違った注意が必要なら――ちょっと怖い。

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