#046 新しい道連れができました
気がついたら、朝になっていた。
嵐は去って、何か疲れた顔で岩に腰かけるギルがいて、水平線の向こうから昇ってきたお日様が照らし出す世界は昨夜が嘘であるかのように明るく、鮮やかで、何だか綺麗だなあと見惚れた。
「で? 何がどうなったの? あと疑問なんだけど、ほら、最初にギルが切って、水になってばしゃってなったのは何だったの?」
「ありゃ、疑似餌だろ……。浮袋みてえなもんに海水詰めて形作って、ネレイデスの歌で幻覚補正してそれっぽく見せつけてたんだよ」
「へえ……」
海はキラキラとお日様を反射して、ざざーん、ざざーんと穏やかな波を届けている。海鳥が遠くの海面に集まって鳥山を作っている。
「何か……喉、塩辛い……生臭い……」
「お前は呑気に寝てたからいいよな……」
「あんまり覚えてないんだよね、どんな幻見せられてたかとか。で、どうやってネレイデスやっつけたの?」
「……切った」
簡潔すぎて何だかもう想像の余地がない。
まあでもギルのことだから楽勝だったのかな。でもやたら顔が疲れきってるんだよな。
「具体的には?」
「海ん中に引きずり込まれて、抵抗してやって、岸に戻ってばっさり」
「大変だったね」
「ほんとにな」
「疲れてる?」
「それなりにな」
「ギルでも疲れるんだね」
やっぱり泳ぐってカロリー消費が多いし、そういうところはギルにもあてはまるのか。ていうか、海の中に引きずり込まれたって普通、その時点で詰みじゃあるまいか。や、でもギルは前にけっこう長いこと海中に沈められたのにピンピンしてた。めっちゃくちゃ長く息を止められるっていうのは分かってる。
「一眠りするか……」
「いやいや、今日は出発だって昨日言ったじゃない」
「はあ? お前、こちとら――」
「最初に言ったでしょ? それなのに、ギルが勝手にネレイデス退治だって僕を連れだしたんだから。ほらほら、立って、立って。……あ、潮だまりあるから、これ温めてお風呂代わりにしてさっぱりしてく? いや、でも潮水じゃべたべたしちゃうから、ここの潮だまり蒸発させて、お湯張った方がいっか」
即席露天オーシャンビュー風呂を作ってギルと浸かった。
地味に冷え切っていた体が心地良いお湯でほぐされて何だかまったりした。濡れた服も乾かすために干している。
「そう言えばギル、ネレイデスの幻って見た?」
「ああ、見たっちゃ見た」
「どんな?」
「んー、ま、ガキのころのことだな……」
「ふうん……。何かさ、僕はあんまり覚えてないっていうか、もう忘れかけてるんだけど、幻とかって悪夢みたいなもんじゃないんだなあって思った」
「そらそうだろ」
「そうなの? どうして?」
「幻にかけるってえのは要するに眠らせておきてえってことだろ? それなら悪夢なんか見せても嫌だ嫌だって逃げようとなっちまうだろうが」
「だから、ずっと見ていたいような幻ではめるってこと?」
「そういうこった」
「なるほど……」
甘い夢を見せてそこに閉じ込めるのか。えげつないなあ、考えが。
でもそれならはまっちゃうのもしょうがない。
「……でも、そうしたらさ、普段から幸せに暮らしてるような人には効果はないのかな?」
「あるんじゃねえの? 知らねえけど。ああ、でもはまりやすいのは頭がよく回るやつらしいな」
「へえ……。だからギルは簡単に抜けられるのかな?」
「おいこら」
「言葉のあやだよ、多分」
十分に温まっても服が渇いていない。お湯に足だけつけて岩に座る。冷たい潮風がほかほかの体には心地良い。体から立ち上る湯気がすごい。
「お風呂っていいよね……」
「……ほんっとにジジ臭いのなあ、お前」
呆れたようにそんなことを言われた。
もういいさ、じじ臭くたっていいもの。にしても、裸になってギルのマッチョな体と、自分の体と見比べちゃうと本当に僕って栄養不足かも。旅歩きの栄養失調かな。体質かな。いや、小さいころの食生活って説も聞いた覚えがある。
あれ、これって僕もう役満で一生チビじゃないだろうか。
▽
カリナさんのお家を後にしてまた歩き出す。
結局、服が渇くのを待っていたら中途半端な昼下がりに出ることとなってしまった。だけど海を眺めてぼんやりお風呂に浸かったお蔭で体は少しリフレッシュできた気がする。
「よう、これ次の行先とかって決まってんのか?」
「んー、まあ、当面の予定としてはアルソナの北部だよ」
「何でそこに行くんだ?」
「……前に言わなかったっけ? エンタイルさんっていう学者さんがそこにいて、古代魔導文明の研究してるんだよ。古代文字の読解とかもできるみたいで、前にその先生をしてくれる人はいませんかってエイワスさんに相談したら紹介してもらった人でね」
「んなもん、俺が夜な夜な教えてやってんだろうが……」
「ギルの教え方って雑で穴だらけだからね」
「ああそうですか」
「ついでにさ、ほら、未来を知るための足掛かりになるのが過去、ひいては歴史ってやつだよ。魔導文明のことを詳細に知ることで何か有益なことが分かるかも知れないし」
「んなもん、俺が教えてやるってえの……。わざわざお勉強のために歩くとかバカじゃねえ?」
「全ての学者さんに謝ってください。現在過去未来、全ての」
「できるか」
「そもそもギルって知ってることが偏重しすぎなんだよ……。細かいところは曖昧極まりないしさ。先生役って意味では落第点。生徒の僕が優秀だからどうにかこうにか身につけるものの……」
「最近ちょいちょい、お前って自分が優秀やら何やら言ってはばからなくなってるよな」
「事実ですから」
「キリっとすんじゃねえ」
小突かれた。
確かにちょっと、調子に乗っているところがあるかもと自覚はある。
だけどこれは何というか、誰にでもそういう風にするわけじゃない。あくまでもギル相手ではそんな態度を取ることもあるというわけで、それだってギルをディスって僕を持ち上げて、多少は真人間になってもらいたいなとハッパをかけるみたいなそういう意味合いを含めてのことだ。
もっとギルがしっかりした人だったら、僕だってしっかりしなくても済むのだ。
そうしたらもっとこう、年齢相応というか、わがまま言ったり、甘えてみたり――するかなあ。うーん、何だか急に疑問に思えてきた。ケントお兄さんはしっかりしていたけど、だからこそ迷惑かけないようにしようみたいなことを考えちゃっていたし。
「……いや、うん、ごめん、ギル」
「おう?」
「そうだよね、間違ってたよ」
「分かったのか? つーか、どうしていきなり?」
「ギルがちゃらんぽらんだから、僕がしっかりしなくちゃって思うことも多々あって、それは事実に違いないけれど」
「……おう、念のため最後まで聞いとくわ」
「ギルがちゃらんぽらんだから、たまには僕も好き勝手していいよねっていう、ある種の気楽さにも繋がってたのを失念してた」
「何じゃそら」
「僕って根がいい子だから、普通のいい人相手だと肩の力を抜く暇がないのかなーって。その点、ギルにそんな遠慮っていらないでしょ? うん、稀有だね、僕の人間関係を考えてみると」
「ああそうですか……もうどうだっていいわ……」
遠慮をしない相手っていう意味じゃ、現状、ギルしかいないかも。
それってかなり貴重だ。僕ももっと肩の力を抜くことを覚えていかないと擦り減っちゃう。ストレス人間まっしぐらだ。
「誉めてるよ、一応」
「全面的に褒めやがれ」
「……うーん、がんばっ」
「お前もな!」
腰の下を思い切り叩かれてつんのめったら笑われた。
▽
海岸線を離れていくとだだっ広い平原になる。緩く緩く、なだらかな高低がある丘陵地帯だ。
夜になると空にはたくさんの星が瞬いて綺麗だ。
ところどころに4、5本ずつ群生した木が生えている。たまに葉っぱの枯れた低木もある。先日の嵐の影響か、地面はぬかるんでくぼ地や、低いところには水溜まりができていた。
だから眠る時にはあまり濡れていないやや高めのところでマントを敷いてごろ寝だ。普段は石ころを拾って積み上げて竈を作るけれど、その石ころがあんまりないから魔術でぼこっと地面を競り上げて形成し、その中に火を起こした。もらってきたお魚の干物を焼いたのが晩ご飯。おいしいんだけれど、絶対に栄養とか偏ってる。タンパク質以外が足りていない。
けれど食べられるだけマシというもので、むしゃむしゃ食べて、あとは道具の手入れなんかをしてから眠った。
寒さでぶるりと震えて目が覚めて、手足を丸める。
早いところ火を起こしたいと思いつつ、でも寒くて縮こまりたい。ちょっとでも暖かいところを目をつむったまま探して、両手をしっかり挟んでいる足の間へと潜り込ませようとして、何か妙なものに触れた。
「んぅっ?」
思わず目を開けると、目が合った。
見慣れない生き物があろうことか、僕のお腹のところへ潜り込んで丸まっていた。
ぱっと見て、猫かなとも思った。でも猫にしては何だか、顔が丸くないような気がする。じゃあ犬かと言えば、それも違う気がする。犬にしろ、猫にしろ、その種類が分からない。耳とか大きいし。
あるいは別の、うーん、狐?
いやけど、狐ってもっとこう、手足が黒っぽい気がするけど、この子は全身が白いふわふわの毛におおわれている。それにけっこう、小さい。手の平に乗せたらちょっと狭いかなっていうくらいのサイズ感だ。
綺麗な白いふわふわの毛は見事としか言いようがない。ふわふわの毛量もさることながら、手触りのまた滑らかなこと。頭から首、背中にかけての毛は長くてシフォンケーキかなっていうくらいにふわふわしている。尻尾の毛もそんな感じだ。束ねた時のカーテンみたいに付け根から先へかけて毛が広がっていく感じで尻尾を覆っている。
「……ええと、きみは誰? 僕はエル」
とりあえず観察してから声をかけて、そっと手を伸ばして撫でてみる。と、もぞりとその子は動いて僕の手へ顔を擦りつける。
「……かわいい……」
しかし猫なんだろうか、犬だろうか、やっぱり狐さんかな。
そのどれとも言えないような、いやもしかしたらリスという可能性さえ浮上してしまいそうな、奇妙だけど愛らしい小動物だ。
恐る恐るやさしく持ち上げて、寝そべったまま仰向けになって胸の上へ降ろして両腕で抱きしめる。ふわふわかつ暖かい。ああ、これはいい。
「キキュッ」
「……かわいい」
鳥笛のキュキュって音みたいな鳴き声だった。
確信する。この小動物はとってもかわいい。もふもふだ。思わず抱きしめたまま体を揺らしてしまう。と、もぞもぞと動き出してかわいい小動物が僕の顔の方へ寄ってきて、すんすんと匂いを嗅ぎ始める。撫でながら見守っていると、今度は僕の手へじゃれついてくる。
何だこれかわいい。
とってもかわいい。
すごくかわいい。
「きみはどこから来たの? 群れとかあるのかな? はぐれちゃった?」
尋ねてみたって当然のように答えてはくれない。
かなり小さいけどまだ子どもなんだろうか。それとも大人でこのサイズなのかな。もしも仲間とはぐれてしまってたりするんなら可哀そうだから戻してあげたいけれど、見かけたことがない動物すぎる。そもそも本当に何だろう。
「……あ、そうだ。ねえ、ギル、ギル。起きて」
横でぐうすか寝てるギルに声をかける。さっぱり反応がないから、顔に水を少し垂らしてあげた。
「冷たっ……んだよ……」
「ねえねえ、起きたらこんな子がいたんだけど、何て動物か知ってる?」
「ああ……?」
胸へ抱えながら見せるとギルは眠そうな細い目で見て、それからおもむろに体を起こす。
「……知らん。魔物か?」
「何言ってるの、こんなにかわいいのに」
「俺の勘」
「酷っどいなあ……。ほら、大人しいし、もふもふであったかいんだよ?」
「んなもん、犬も猫も羊も一緒だろうに」
とか言いながらギルが手を伸ばしたら、かぷりと指先を噛まれた。
「……」
「……」
がじがじがじ、と指を噛み千切ろうとするかのように前歯でやっている。
ギルが指を引っこ抜く。
「捨てろ、そんな意味不明の畜生は!」
「きっとギルの指がおいしそうだっただけだって! ほら、僕には噛んだりしないし、むしろ全身を預けてくる勢いだし!」
「ちょっと血ぃ出てんじゃねえか、クソが」
「ちょっとならいいじゃない、何も減らないし」
「減るわ!」
「よしよし、怖いお兄さんだねー。でもちょっと頭が物騒なだけだから安心してねー」
「キュゥ」
服を伝って小動物くんは僕の肩まで上がってきた。器用に右肩で座って僕の頬へ顔を擦りつける。
「あはは、くすぐったいよ」
「キキュッ」
「捨てろって言ってんだろうに」
「そんなのかわいそうだよ。群れからはぐれてるなら戻してあげたいし……」
「群れだあ? んなもんあるかってんだ、見たこともねえよ。これでもあちこち見てきてんだ。そんなもん、超自然的に発生したおぞましい何かに決まってらァ」
決めつけが酷すぎる。こんなにかわいいのにおぞましいとか。
「もしかしてギル、動物苦手?」
「んなわけあるか」
「じゃあいいでしょっ」
「ちゃんといたとこに戻しとけ」
まるで拾ってきた猫扱いの物言いにちょっとカチンときた。
朝食を済ませてから近くの木々やら、低木やら、草の根を分けて探してみたけど小動物くんのお仲間は見つからなかった。
ずっと僕の肩に乗って、たまに右の肩から左の肩へと移動したり、地面へ降りて気になることを確かめるようにしてから、また僕の服をいそいそと伝うように登って肩まで戻ってきたりする。よっぽど僕の肩が落ち着いたりするのだろうか。
でもかわいい。
というか、とっても懐かれているのを感じる。
しかし仲間っぽいのを見つけることはできなかった。
「うーん……きみ、どこから来たの?」
「キキュゥ?」
分からないけどかわいいから、指でそっと小動物くんの首の下をかいてやる。気持ち良さそうに首を伸ばすのがやっぱりかわいい。
かくなる上はもう、出会うべくして出会ったものということにして連れて行くしかない。この子も僕にべったりくっついて離れないくらい懐いてくれているし、体がそう大きいわけじゃないから食費が圧迫されるということもないだろう。むしろ、基本的に路銀は僕が負担しているのだからそういう点での指摘をギルにされたって跳ね除けられるはずだ。
「僕と一緒に旅しよっか?」
「キキュゥ」
「……肯定ってことで」
うん、心は通じた。——たぶん。
そうと決めて不貞寝なのか二度寝なのか、食後にまた寝始めたギルのところへと戻った。
「ギル、行こ」
「ん……ちゃんと捨ててきたか?」
「まさか。見つからないから一緒に連れてこうと思って」
「はああ? お前、旅しながら動物の世話なんかできんのかあ?」
「基本的に僕は自分だけじゃなくて、ギルのお世話もしてるからね。余裕ですよ」
「……ダメだ、ダメだ。捨ててこい。何か俺がヤダ」
「こんなにかわいいのに?」
「噛んだろうが、俺を」
「びっくりしちゃっただけだよ。とにかくもう決めたし、僕が責任もってお世話するから大丈夫なの。いいでしょ、僕のたまのわがままくらい聞いてよ」
「……その妙ちきりんな生き物がどうなろうが、俺は知ったこっちゃねえし、それがどんな騒動巻き起こそうが俺は手助けしてやらねえからな?」
「いいよ? その代わり、この子が仮に金銀財宝見つけてもギルには見つけてやらないんだから」
「ハッ、んなことあるかってんだよ」
「仮にですぅー」
「ああはいはいはい、そうですか。……ったく、絶対にそれろくでもねえやつだからな。俺は忠告したからな?」
「はいはい、怖いならあんまり近づけないから安心してください」
「だから怖くねえっての」
「名前決めないとね。きみは何て名前がいいかな」
「おいこら無視すんな!」
毛が綺麗な白色だからシロ。
猫か狐か犬かリスか分からないけど小さいから、チビ。
何となくの高貴な印象から、高貴な響きのイメージでガブリエル――。
色々と名前を考えてはみたけれど、何だかこれだとピンとくるものがなかった。どうしたものかと悩み続けて、とうとう、また夜を迎えてしまった。
「名前が決まらないよ……」
「キキュ」
「名前なんぞつけたら捨てられなくなんぞ」
「だーかーらー」
「ほんじゃ俺がつけてやらァ。サルヴァス」
「いやいや、ギル、知り合いの名前をペットにつけるってかなり性格悪いよ? それにややこしくなるし」
「あっそ」
どうして毛嫌いをするかなあ。
ごろんと仰向けに転がりながら小動物くんを抱き上げ眺める。かわいいの権化から名前を考えて……かわいいの権化、かわいいの代名詞、うーん、いや浮かばないか。
胸へ下ろすとそこで丸まってのんびりスタイルになったので、ふわふわの毛を堪能するように撫でる。
この手触りの良さは何だろう。絹か、サテンか、ベルベットか。いずれもあまり馴染みがなくて分からない。生地、繊維、糸、中島みゆき。
「みゆきちゃん? いやでも、きみ、男の子か、女の子かよく分からないしな……」
男か女か分からないなら、うーん、美川憲一? けんちゃん? いやいやいや。
ダメだなもう、ドツボにはまるってこういうことを言うに違いない。
「明日でいっか……。おやすみ」
ごろんと横向きになって小動物くんを抱えて眠る。
名前をつけるってすごく難しいんだなあとそう思った。
あと、何か忘れてる気がする。
何だったっけかなあ。
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