#043 平和っていいものだなあとか思ってたらじじくさいって言われたりした

 海岸線を歩く。

 荷物の輸送路として踏み鳴らされて出来上がった道だ。どこまでも広がる緑の地平と、青い水平線とが美しい。空を見上げれば青く透き通った空と白い雲。風は冷たいけれどよく晴れていて心地が良い。

「平和だねえ……」

「退屈ってえんだよ……」

 普通、年齢を考えれば僕らの感想は反対じゃあるまいか。

 まあでもいっか、と思えるほどのお天気だ。鉄道網構築の折にはこういった景色の良いところをピックアップするのも良いかも知れない。内陸に住んでいる人なんて一生涯、海を見ないなんていう人も珍しくはないし。

 でもそれだけだと集客は弱いかな。

 昔ながらの観光地っていうのは宗教と密接な気がする。伊勢大社は伊勢参り。キリスト教の聖地巡礼。そういうところはやっぱり大昔から信仰心に支えられた有名な観光スポットだった。

 けれど宗教はかなり廃れてるんだよなあ、この世界って。

 本来は教会なんていうところは様々な技術や知識を独占して、それを用いて権力にも食い込めるようなところのはずだというのに、すでにそういったものが流出されて金食い虫扱いをされるようなところもある。坊主丸儲けには遠い。

 となると、観光地というものをどうやって知らしめていくべきだろう。

 それも新興の観光地となると、いわゆるインフルエンサーみたいな存在がいるんだろうか。けれどそれは個人の発信力に期待をするしかないからけっこうな手間だ。

 王侯貴族の新婚旅行先として話題になった、とかならいけるかな。いやでも、それって王侯貴族にプレゼンしなくちゃいけないしな。

「ねえ、ねえ、ギル。ラ・マルタでさ、こんな観光地がありますよって広めたいんだけど、有名な人にそれを発信してもらうためにはどうすればいいかな?」

「知るか。お前の頭ん中はいつも仕事だな……」

 呆れられた。

 指摘されると否定できなくて複雑な気分になる。

「そもそも、有名人を利用しようなんざ必要ねえだろ」

「どうして」

「お前が自分でやりゃ済むだろうよ」

「……忘れてた」

 でも、何だかそれでコケたら自意識過剰みたいで恥ずかしくなりそう。

 いや、いやでも、やるだけやってみてコケられれば僕ももう人目を気にせず、注目されずに済むというバロメーターにもなるかも。

 あとはどういう形で発信するか、だ。

 鉄道網がアルソナ全土に構築されるのは十年単位で先のことになるだろう。だから長期的な目で見てもいいはず。

「……本でも、書いてみようかな」

 前にメリッサさんとそんな会話をした覚えはあるけど、ほとんど冗談みたいな感覚だった。

 でもこの旅を脚色して綴り、出版して大勢の人が読んでくれたら現地に行ってみたいと思うかも知れない。景色、文化、食事事情。そういったことを正確に書いて、あとは冒険譚みたいな部分は脚色まみれと分かるようにして、っていうのはどうだろう。

「うまくいけば不労所得の印税生活もワンチャン……?」

 いやいや、そんな不純な動機はいけない。

 でも具体的に検討してみる価値はあるかもだ。筆は剣よりも強し、みたいな風潮とか広がってもいいし。

「読み物なんて書いたことないけど、やるだけやってみればいいか……」

「金儲けか? いいじゃねえか、どんどんやれ」

「そういう不純な動機じゃありませんー」

「結果、金になるんなら俺ァ何だっていいよ」

 いっそのこと、ギルがどんな人間かっていう暴露本の方が売れるんじゃあるまいか。第三者目線なら意外と愉快かも知れない?


 ▽


「長閑でのんびりしてて、いいところですね。……寒いのが、玉に瑕かもですけど」

「まぁだまだ、これからどんどん寒くなるよ。今日は暖かいくらいさ」

「ひええ……逞しいですね」

 小さな漁村が見えたので立ち寄ることにし、浜辺に漂着していた流木に腰かけて潮風を浴びていたおばあさんとお話している。シラスなのかは分からないけど、本当に小さな魚の干したものをおばあさんは分けてくれて、それをちまちま食べながらだったりする。たまに、小さいえびっぽいのが混じってる。ただ干しただけって聞いたけど絶妙な塩気が後を引く。それでいて、その塩っけはまったくくどくなくてやさしい、ほんのりしたものだ。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

「何だい」

「僕ね、この辺ならではっていうのを探してるんだけど、何があるかな?」

「ならではっていうのは分からないねえ……。あたしもここを出たことがないから」

「そっかあ……。じゃあ、おばあちゃんが好きなものは? 景色でもいいし、食べ物でもいいし」

「海が……好きだねえ。こうしてね、ここへ座って、ただ海を眺めるのさ……。ずうっと見ていられるから」

「なるほど、確かに」

 しばらく一緒に海を眺めていたら息子さんらしいおじさんがおばあちゃんのお迎えに来たので行ってしまった。


 海かあ。

 生前は一度だけ行ったことがあったっけ。学校の臨海学校。

 でも水着になったら体の傷がたくさん見られることになっちゃうからって、母親が何てでっちあげたかはよく分からなかったけどプールとか海とかそういうのはダメみたいなこと先生に言ってたんだ。

 だから折角の海に行っても眺めるだけだった。

 ビーチで、先生が立てたパラソルの日陰で膝を抱えて眺めてる思い出だ。

 そう言えばマリシアで奴隷として出荷されてしまった人達はどうしているのだろう。マリシアはあれから再建できているのだろうか。

 流木から腰を上げて波打ち際まで行き、足元の砂が返す波に削られていく、足裏のそわそわむずむずする感触を堪能する。何となくばしゃっと海水を蹴り上げてみる。

 何か楽しい。

 レティシアと一緒にこういうところへ来られたらいいのにな。

 今ごろ何してるだろう。

 レティシアって海に行ったことはあるのかな。

「おーい、エル」

 人が想いを馳せているところへ野暮ったい呼び声がした。

 聞こえないふりをして、ばしゃっとまた海水を蹴ってみる。

「おいこら、聞こえねえ距離じゃねえだろうが」

「おかえり……」

「今夜の宿ゲットしたぞ」

「……ありがと」

 実はギルはこの小さな漁村へ辿り着くなり、綺麗なお姉さんに鼻の下を伸ばして近づいていっていた。それを見て見ぬふりして僕は海を眺めに来ていたのである。

 それがどうして今夜の宿泊先をゲットなんていうことになるのか。

「海ってえのは変わらねえもんだな、時間が経っても」

「ギルのいたころと変わらない? やっぱり?」

「ああ。……ま、だが、海と言えば魔術の実験に使ったり、魔導器で遊んだりって感じだったな。ごちゃごちゃしたとこもあったが、それもまっさらになっちまったってえことだな」

「どんな遊び?」

「ん? ああー、ま、何だ、魔術でこう、ちょちょいと船が簡単に動くわけだ。で、その小型版みたいなやつでかっ飛ばして遊ぶ輩もいりゃあ、傘みてえなもんを紐で体にくくって、船に引っ張ってもらって傘で風を受けてこう軽く飛んでみたりとか」

 想像がついてしまう。古代魔導文明ってけっこうすごい発達ぶりだったのがうかがえる。だけど今やそんなものは遺跡でしかお目にかかれないときている。

「盛者必衰だね……」

「あ? 何じゃそら」

「権勢を誇っても長続きはしないってこと。いずれは朽ちて、風に飛ばされちゃう塵芥だよねって」

「何を悟ったようなこと言いやがらァ……。ほんと、じじくせえとこあるよな、お前」

「じじくさっ!?」

「お前、実は皮の下によぼよぼのジジイでも入ってんじゃねえの?」

「そんなことないよ! 見ての通りだから!」

「なるほど、なら、ガキんちょならガキんちょらしくしてやがれってんだい」

「そしたらギルは遊ぶお金なくなりますけど」

「ガキはガキらしく大人の言うことを聞け。お前は働く、俺は楽する」

「スクラビングバブルですか僕は」

「だから何だっての、さっきから分からねえこと言いやがって。飯も馳走してくれるってえから、とっとと行くぞ」

 後ろ襟を掴まれて引きずられた。砂浜に僕の踵で線が2本引かれていく。

 僕ってじじくさいんだろうか。そしてスクラビングバブルなんだろうか。

 ちょっぴり否定しきれないのがたまらなく切ない。——というか、何だかんだでずっとギルと生活をともにするようでは僕とレティシアの2人きりの仲睦まじい生活というのはできないのではあるまいか。

「ねえギル……」

「あんだよ。てめえの足で歩けっての」

「僕も大人になったら、ギルと別々に暮らすようになれるかな?」

「はああ? なーにを言っちゃってんだ、お前?」

「いや大事な話だよ。僕っていつまでギルのパトロンすればいいんだろう、って」

「死ぬまで」

「死ぬまでか……」

 でもそれだと、ギルよか僕の方がよっぽど薄くて儚いんだよなあ。


 ▽


「その時、砂の中から現れ出たるは怪魚・フクロワニ! ぱくりと精霊器を大きな、ギザギザの歯がついたお口で飲み込んでしまったのです! 中空でひらりと頭と尻尾を反転させて砂の中へと舞い戻り、そのままするすると砂の奥、下へ下へと泳いでいってしまいます! 慌てて砂を掘り起こそうとしますが、どれほど砂をかいてもすでにフクロワニの尾さえも見えません! こうして、僕はぽつりと砂漠のただ中へ取り残されてしまったのです……」

 多芸っぷりを見事にエルが見せつけて大人も子どもも揃って、その語りに夢中になって手に汗を握りながら聞き入っている。面白くない。

 この辺で作ってるという蒸留酒を飲む。

 折角ナンパした女までエルの話を聞いている。

 旅人なんて訪れない小さい村落なんてえのは歓待されて然るべきで、対価として物見遊山した話なんかを聞かせてやるのが一宿一飯の礼だってえのは俺だって弁えちゃいるがエルのはやりすぎだ。お前は吟遊詩人か何かかと問い詰めたくなる。

 目立たずにいたいやら、注目されたくないだのとのたまっちゃいるが、求められたらそんな個人のこだわりを忘れて全身全霊を出すのが悪癖だってえのをあいつ自身は気づいているのか。そういうとこをセーブしてうまいことすりゃあいいもんを。

 村人が総出で集まって魚ばっかり出てきて、でも今や誰もがエルの話を食い入るように聞いている。この飯はぜーんぶ俺が食ってやらんと気が済まない。酒もあるだけ飲んでやらあな。

「グラシエラ帝国ではまだ奴隷制が残っています。何て非文明的、何て非人道的でしょう。奴隷に財産は認められないのです。奴隷がどれほど苦労して自力で手に入れた高価な品も所有を認められずに没収されてしまいます。奴隷がどれほど恋焦がれ、艱難辛苦の末に想い人と結ばれたとて結婚は許されないのです。何よりもおぞましいのが奴隷商が闊歩しているという現状です。奴隷商は漏れなく地獄へ落ちればいいのです。何故ならば奴隷商こそが、人を奴隷へ変えてしまうためです。

 奴隷も人じゃないのかなと思った人がいたら、それは誤りです。確かに同じ人です。同じように血が流れ、同じように感情があり、同じようにおぎゃあと生まれてきますが、奴隷は人であることを放棄するよう強要されて人としての在り方さえも捻じ曲げられてしまうのです。だからこそ、僕は断言します。人を奴隷へ落とす、奴隷商なんていうものはどれほどの善行を積んだところで許されない、大罪人であると!」

 つーか、さっきまでの冒険譚はどこいきやがったんだ。

 どうして演説みたいなことをぶち上げてやがるんだ、あのガキ。

 お蔭で何か思っていたのと違うとばかりにそれまで夢中だった村の連中も小休憩とばかりに酒を飲んだりつまみへ手を伸ばしたりし始めてる。

 俺も酒を飲む。うまくはねえがないよりかマシって程度の味。が、魚と食うと案外いける。

 しかし、こうじっくり味わうとエルがヘイネルで編み出した炭火焼には遠く及ばないのが分かる。ほんと、妙ちきりんなことばっか知ってやがって。

「ねえギル」

「ん、おう。ちびっこのお話はもういいのか?」

「だって何か……違うこと喋ってるんだもの」

 ナンパに成功した女が戻ってきたかと思ったら、タコの足の串焼きを手にしてかじりついた。それから俺の杯から酒を飲み下す。

 海の女らしい、浅黒く日焼けした女だ。でもってサッパリした気風でもある。

「あなた、ほんとにあの子のお兄さん? 似てないよね?」

「別に本物の兄弟なんてもんじゃあねえしな。この国に入る時、めんどいからとりあえず兄弟ってことにしといただけだ」

「ほんと? それだけ?」

「おう」

「ふうん……変なの。いい子だよね、あの子。たぶん」

「いい子ちゃんの世話は大変だぜ? 毎日叱られて、呆れられて、金をせびろうもんなら露骨に見下されてよ」

「恥ずかしくないの、それ?」

「何も? 俺ァよ、ただお前みたいな美女とこうしていられりゃあ、他に何もいらねえしな?」

 肩へ腕を回して抱き寄せると、身をよじって女は俺の顔を見てくる。まんざらでもねえのは分かってる。

「悪い人……」

「そうさ? いい子ちゃんはあいつが補ってるからよ」

 口を近づけようとしたら、手を突っ張られた。そのままするりと女は俺の腕から抜け出て立ってしまう。

「こっち来て」

 集会所を離れて女は海の方へと歩いていく。

 波の音だけが響く砂浜をしばらく行き、女は途中で振り返った。

「綺麗でしょ?」

「お前の方が綺麗だとか言われてえのか?」

 暗いが月明かりでかろうじて姿は見られる。

 海に月影が揺らめきながら映っているのは、まあなかなか拝めそうにはねえだろう。近づいて肩を掴むと女の方も腕を広げて受け入れる。

「言ってくれないの?」

「言わねえよ。言葉にした方が陳腐にならァ」


 女の家へ帰るころには集会所の明かりも消え、エルもぐうすか寝ていた。狭い家だから狭い寝床しか貸してもらえなかった。

 エルの横へ入ってマントで冷えた体を覆い、ついでにエルの体温で暖を取る。

 ここ最近、女を抱いても大して面白くない。

 俺も年食ってきたんだろうか。

「ギル……酒臭い……」

「固えこと言うな」

 まだ起きてたのか、目が覚めたのか、文句を言われたから嫌がらせに覆い被さってやる。あったけえ。体温高いな、やっぱガキってのは。

「重いよ……」

「るっせえ、寝てろ」

 もぞもぞと動いて、結局、エルはまた寝ついた。

 普段もこれくらい素直ならいいものを。

「はあ、あったけ……」

 足先は冷えるが、まあ、良しとして俺もさっさと寝よう。

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