#044 嵐の夜、海を見にいこうなんてフラグでしかない
「ねえギル、いつまでいるの……? 僕、もうそろそろネタがなくなっちゃうんだけど」
「お前、バカ、そんなもん、適当に捏造しとけ」
「捏造って……ああもう、明日! 明日にはもう行こうね!」
「へいへい……」
本当にもう、ギルみたいな人間を厚かましい人種と言えるのだろう。
名もなき漁村でカリナさんというお姉さんのお家でご厄介になってもう5日が経っている。夜は村のささやかな集会所で独演会を5夜連続で講演してしまった。もうネタがない。
大体、途中でギルはカリナさんとともに姿を消して、朝になると寒さゆえか、ギルが僕を抱き枕か何かのようにしながら寝ている。口は酒臭いし、いびきはうるさいし、僕の寝起きはこのところかなり良くない。
昼日中には漁村を見て回ったりしているけれど暇と言えば暇だ。
ギルはその間、ずっと眠りこけている。いいご身分である。
どうして僕はギルなんかのために必死こいたのだろうと心底思ってしまう。
昼の漁村は長閑そのものといった具合だ。
漁は朝の早い時間に出ていって、朝の遅い時間には戻ってきている。だから日中というのは漁師さんは漁具の点検や修繕をしたり、女性は獲ってきたお魚の加工をしたり、子ども達はそこら辺を走り回って遊んだりと実にのんびりした時間が流れている。
見ごたえがあるのはただただ、ひたすらにお魚を捌いていく熟練の手つきのおばちゃんである。ある程度同じような魚種をいっぱいに詰めたケースを置いて、その手前へまな板を設置して、ただただひたすらに魚を捌いていくのである。捌くお魚はすでに鱗かきまではしてあるやつで、だから本当にもう包丁を入れまくるだけなのだけどそれがもう達人技だ。
頭をずどんと落として、お腹に包丁を入れて内臓と血合いを掻き出していく担当のおばちゃん。そのおばちゃんからお魚の中身を洗う係のおばちゃんへ魚は流され、大きなたらいみたいなものに水を張った中で内臓や血を綺麗に洗い、最後に三枚おろしにするおばちゃんへ魚は移される。
背中側から包丁を入れて、今度はお腹側から包丁を入れて上身を外し、ひっくり返して今度は下身を同じ要領で外す。綺麗に三枚になったお魚をまた別のおばちゃんが持っていくのだけれど、見ごたえがあるのはやっぱり三枚おろしだ。迷いなく包丁を6度入れるだけで綺麗にお魚は解体されてしまう。
三枚になったお魚の上身と下身の腹骨をすく作業はけっこう地味だ。
このおばちゃん達の一連の流れは見ているだけで何だか面白い。青空お魚捌き工場だ。ちなみに頭や骨は全てぐつぐつと似てスープストックとなる。無駄がない。
それでもこぼれたお魚の欠片なんかは家畜の餌に混ぜられたり。無駄がない。
「そんなに珍しいかい? エルちゃんの方がよっぽど色んなことを見てきただろう?」
「いえいえ、これほどのお手前はなかなか」
「やってみるかい?」
「いいの?」
飽きずにじっと眺めていたら魚の捌き方を教えてくれた。
いくら失敗したってお魚は稀な豊漁でたくさんあるから大丈夫とそんな心強いことまで言われて包丁を握る。見るのとやるのは本当に大違いというものでおばちゃんは迷いもなく鮮やかにやっていたのにうまくいかない。包丁ぎこぎこしたら身が崩れちゃうと分かるのに、そうしちゃうもどかしさ。中骨の上へ包丁の先を滑り込ませなきゃいけないのに下へ入っちゃう。
でも何匹かやっていく内に何となくできるようになる。
いつの間にかラインは止まっておばちゃん達に囲まれながら、ああだこうだと言われながら魚を向き合うことになっている。そして地味におばちゃん同士で全く関係ない話とかもしている。真後ろで旦那さんの浮気疑惑話とかちょっとなあって思った。
▽
「あれ? ギル、何してるの?」
自分で捌いた魚の、最初にやったやつと最後にやったやつの切り身をお土産に持たされての帰り道にギルと出くわした。
どんよりしてきた空を眺め上げながら、しかめ面をして突っ立っていた。
声をかけてようやく僕に気づいたように目を向けてくれる。
「おう。いや、何、空模様がちと嫌な感じだなと思ってよ……」
「確かに、急に曇ってきたよね。嵐か何かくるのかな。そしたら今夜の独演会はなし? ラッキー」
「ただの嵐ならいいがよ」
「……また、ドラゴンとか言わないよね?」
「さすがにねえだろ、それは……」
一応、ギルにも竜退治はおいそれとないことだっていう認識があって良かった。
「だがよ、カリナから
「夜咄?」
「おうよ。ネレイデスとか言ったっけかな……。見た目はそれはそれは極上の美女だとか、この世に比類しうるもののない美青年だか、何だかでな、その容姿を使って人間を誘惑するらしいぜ」
「誘惑……」
何だかエッチな響きだ。具体的にどういう感じか、気になるけどいけないことと思ってしまう。
「んで、海に引きずり込んで頭からバリバリむしゃむしゃと食べちまうとか」
「怖い話だけど、それがお空と関係あるの?」
「そのネレイデスは決まって、海が荒れた時に現れるらしいぜ」
ははーん、なるほど。
確かに自然的な動植物とは異なる生態の魔物がいるこの異世界ではあるけれど、実在しないものまで魔物だ何だと口伝してしまうこともあると僕は睨んでいる。
例えば決まって嵐の夜に出る、なんて話だったらそういう日は危険だから海には近づいたらいけないだとか、そういう注意喚起を目的として作られる話だってあるはずだ。ネレイデスとかいう魔物もそれに近いんじゃないだろうか。
「作り話じゃない?」
「その線もなくはねえが……実際に嵐の晩に人が消えるなんてえのはままあるんだとよ、ここじゃあ」
「えっ……」
そう言えば空模様が悪くなってきたのを見て僕もお魚捌き修行を切り上げにされた。皆してうんざりしたような顔で片づけていそいそと家路に着いていった。
「ここんとこぬるま湯生活だったしなあ。ちょっくら、暴れねえとつまらねえや。エル、付き合うよな?」
「……ただの魔物ならいざ知らず、人を誘惑する魔物だもんね……。ギルなんてイチコロっぽいし……」
「おいこら」
ほっぺをつねられた。
「痛い……」
「俺様を何だと思ってやがらァ」
「美人に弱くてろくすっぽ働かなくて頭ん中が万年戦国時代のちゃらんぽらん」
「……そう言われるとちと否定しづらい」
自覚はあるのか。あったのか。新しい発見だ。
ほっぺを放してくれた。
「が、そんなら、たまにゃあ粋な遊び人ってえだけじゃないとこ見せてやらねえとな」
「単なる遊び人だよ」
「だからそうじゃねえってとこ見してやるってんだよ。エル、松脂でももらってこい。ああ、いや、漁村だしな。魚油でも、鯨油でもいいやな」
「何に使うの?」
「バカか、嵐の夜に表へ出るんだ。明かりがねえとどうにもなりゃ――」
ファイアボールを出して見せる。
ギルは黙って指先へ出した、ライターの火程度の大きなの炎をしばらく見つめ、おもむろにぶちっと指で炎を磨り潰すようにつまみ消した。蝋燭の火をこうやって消す人ってたまにいる気がする。
「何? 明かりがないと? 何だっけ?」
「バッ、お前、ば、そりゃ、お前――」
「はあ、ギルってば本当に……」
「おいやめろ、その、そういう感じやめろ!」
本当にもうギルってば、ギル。
▽
見事に嵐になった。
めちゃめちゃに風は強くて体ごと持っていかれそうになるのを、必死にギルの腰にしがみついて耐え忍んでいる。顔に当たる雨なのか、波のしぶきか分からない水の粒が軽く痛い。
ずんずんとギルは凄まじい暴風雨を意にも介さぬ様子で歩いて海辺へと近づいていく。
「ギル、これ、大丈夫……?」
「あん? 大丈夫もダメも、何についてだ?」
「いやその、天候的な……」
「お前ひょろすぎんだって。魚の小骨かっつーくらい細いんだよ。筋肉つけろ」
どうしてディスられなきゃいけないのか。
それに僕が長身マッチョになってしまったら、間違ってもエルちゃんだなんて呼ばれるような愛されキャラじゃなくなってしまうじゃないか。マッチョで賢くて人が好くて、逆に近づきがたい人間になってしまうのではあるまいか。自意識過剰だろうか。
「おい、何ニヤついてんだ、きもいぞ」
「に、ニヤついてないですよーだ」
「あっそ。しっかし、考えてみると妙だよなあ。嵐の晩に人をさらって食うだなんてよ。そもそも、こんなに荒れちまうような海に、それも夜中に近づこうなんてえ輩はそうそういねえってのに、それを食いものにするんだぜ?」
「非効率的だよね、分かる」
「そうそう」
「だからこう、何て言うか……ほら、近づいちゃいけませんよーっていう寓話としての魔物話なんだよ」
「が、それで人が実際に消えちまってるんだぜ?」
「……まあ、うーん、確かに。でもどうしてギル、こんなことには興味津々なの?」
「あのなあ、俺は魔狩りだぜ?」
「ああー、まあ、名目上は……?」
「こいつ……。いーか、よく聞け、俺様はなァ、魔術全盛の、この時代が言うところの古代魔導文明でも、精霊器だけでそらもう幾千の魔物どもを狩って、狩って、狩りまくってたんだぜ?」
「そうだったの?」
地味に初耳かも。
まあでも驚きはしないかな。ギルの異常な戦闘能力の礎がそこにあったっていうだけのことだし。
「……で?」
「いや、で、ってお前……本職ってわけだろ? それが答えじゃねえか」
「いやいやいや、仮にそれがギルの職業だったとしてだよ」
「おう」
「それなら、日ごろからどうして寝て遊んで飲んでの三拍子生活しかしないの? おかしいじゃない。働いてよ。いい年した大人なんだから」
「だからたまにはこうしてって――」
「たまにじゃないよ。定職って言わないんです、そういうのは。だからギルは魔狩りじゃなくて、無職です」
言い切ってやるとギルは何か言いたげながらも逃がそうな顔で僕を睨むだけだった。
「お前、俺のこと嫌いか?」
「特定の側面については軽蔑します」
「……そうかよ、可愛くねえの」
「ギルが僕を可愛がってくれたことなんかありませーん」
「確かに」
「ちょっと! 人としてどうなの、そういうの! 普通、年下は可愛がって守ってあげようみたいな、そういう——」
「はい、お喋りはやめ。耳ィ澄ませてみろよ。人を誘き寄せて食らっちまおうなんてェ連中はよ、しっかり餌ァ撒くもんなんだ」
物理的に口をつぐまされた。具体的には僕の唇をギルの指がつまんで閉じてきた。
言われた通りに耳を澄ませてみても僕にはめちゃくちゃ荒れている海の波の音や、近くの木々が激しく風に凪がれ葉を掠れさせる音、ぶつかってきた風が耳とぶつかってびゅうびゅうごうごうと鳴る音くらいしか聞こえてこない。
ギルは何か聞こえているんだろうか。
「もごご」
「おう、そうさ。こういうのは耳障りばぁーっか良いんで、ころっと騙されちまうようなもんよ」
いや僕、何か、そんな反応されるようなことを言った覚えはない。何て勘違いされたんだろう。僕の口をつまむギルの手を外す。
「何も聞こえないんですけど」
「お前、耳悪くねえ?」
「悪いのかなあ……? ていうか、おんぶ所望」
「最近お前、俺の背中で楽してねえ?」
「いやいや、合理性でしょ。それに大した荷物じゃないでしょ?」
とりあえずギルの背中へ飛びついておく。しっかり両腕をギルの首へ回して胸の前で組んで、両足は腰をホールドする。この安定感、なかなかない。
「ま、いいけどよ。チビで良かったな」
「それより、ネレイデスって本当に出てくるの? 僕には何も聞こえないし……」
「あ、そうそう。前に遺跡やらでお前も食らったと思うがよ、何かこう、何だ? 幻やら夢やらを見せてくるようなこと、たまにあるだろ?」
「あるある。毎度、綺麗にはまっちゃうんだよね……」
「ああいうのは前兆さえ分かってて、こいつは夢だ、幻だとすぐ思えば割かしすぐに抜けられるから覚えとけ」
「なるほど。……そもそも、はまらないっていう方法はないの?」
「あー、んー、そりゃ、はめ方によるんだよな……」
ギルは僕を背負ったまま、こともなげに嵐の中を歩いて海へ、波打ち際へと歩いている。
「はめ方っていうと?」
「色々とあんだよ、ほんと……。今回は音だから、極論、耳さえ塞いどけばどうにもなるだろうな」
「へー」
「あとは何かこう、魔導士連中にも流行り廃りがあってよ、目ではめるってえのが大流行したこともあったとか聞いたことあるな。目につくようなとこによく分かんねえが魔術の、仕掛けみてえのを施したもんを置いといてよ、見ちまったが最後、不意打ちではめるみてえな……」
「ほうほう」
「あと、聞いたことがあんのは……何だ、感覚ではめるとかってのもあった気がするな……」
「感覚って?」
「例えばこう……そっちは門外漢だからよく分からねえけどよ、首とかよ、ちと敏感なとこあんだろ? 首筋なり乳首なりよ」
「乳首て……」
「そういうところを鳥の羽根なんかでするーっとなぞったり、まあ、あるじゃねえか」
「ないよ、一度も」
「ああ、お前はガキだもんな」
何、大人ってそんなことをするの。
一体、何を目的にそんなことしちゃうの。
きっと永遠に知らなくていいことに違いない。ギルの言うことだし。
「ともかく、そういうことするとよ、ぞぞっとするだろ?」
「ああ、何かこう、皮膚が粟立つっていうか、そういう?」
「そうそう、そんな。そういう特定の震えっつうか、感覚? それを意図的に引き起こさせて云々かんぬん?」
「色々あるんだね……」
「そ、だから、最初っからはまらねえようにするってえのはけっこうきついわけだ。ちなみに感覚ではめるってやつな、相手を怖がらせるとか、焦らせるとか、そういう方法ではめたりするのが上等なんだとよ。意味不明だけど」
魔術っていうのは本当にむつかしいっぽい。
きっと僕が使える魔術なんていうのは単純明快極まりなくて、ギルの時代の魔導士と呼ばれていたような人々が見れば石器時代の人間でも見るような感じに思うのだろう。だけど今の時代で彼らのような高等な魔術なんていうのを行使できる人というのはいないだろうしなあ。
「さあて、そういうわけだからはめられるのは仕方がねえ。はまったら抜けろ」
「抜ける……」
「妙だと思えばすぐ、こいつは
「了解」
海は荒れに荒れていた。
明かりとしてファイアボールを周りに浮かべてみても、夜の海というのははかり知れぬ広大な闇そのものにしか見えない。あれに呑まれれば本当にもう助からないだろう。例えネレイデスという魔物がいなかったとしても、そう思えてしまうほどに荒れている。
「ところで、まだ何も聞こえないんだけど……ギルは、聞こえてる?」
「ああ。まだ遠いけどな。声のする方へ行くとするか」
耳が僕よりきっと遥かに高性能なギルだから、仮に幻術めいたものにはめられるとしたらギルの方が先にかかりそうだなと、ふと思った。
「ねえ、今回は音ではめるって分かってるんだから、何か対策取れないのかな?」
「聡いじゃねえか、珍しく」
「珍しくって……。僕は年の割に賢いお子様として知られてるんですけど」
「いや、まあ、そうだけど、お前、荒事じゃああんま賢くねえだろ?」
「……まあね? で、対策は?」
「こうしてお喋りしてることだ」
「お喋り?」
「人間、駄弁ってるとよ、周りの音が聞こえなくなることがあんだろ? それと一緒だ。こうして互いにぺらぺら、どーだっていい無駄話をしてりゃあ、はめられにくいんだ」
「へえ、そういうものなんだ……。じゃあ、ギルへの不満点と改善期待案を耳元で囁き続けていい?」
「聞き流しちまうからやめろ」
「聞いてよ、ちゃんと――ん?」
ふと、荒ぶる波の音や風の音に紛れて何か聞こえたような気がした。
音楽への造詣なんてものにてんで縁のない僕だけれど、そんな僕でもうっとりとしそうになる綺麗な音色。ヴァイオリンのような高い音域の――声。
言語は聞き取れないけれど確かにこれは声だと思った。か細くて、切なくて、胸の真ん中がきゅっと細い糸で絡めとられて引き絞られたような痛みさえ感じさせられて、その歌声に耳を傾けずにいられなかった。
そしてこの声の主はどこにいるのかと、目を泳がせる。
のに。
「早速はまってんじゃねえぞ、エルっ!!」
「うおわっ!?」
ギルの大声で我に返る。
そして、いつの間にやらギルは<黒迅>を抜いていて、まるで僕らではなく景色が流れ去ったかのように跳んでいて、あるいは飛んでいて、振り切られた刃が暗い影の中で歌声を響かせていたそれを切り裂いていた。
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