#039 手を繋いで歩くのがリアは好きなようです
「微妙な時間だなあ……。今から国境に向かっても暗いし、国境近くの野宿になるから奴隷狩りもあるだろうし……。でも一泊するだけの路銀もないし……」
とっても悩ましい事態に遭遇している。
国境目前の町へと辿り着いたものの、すでに夕刻だった。一晩どこかに泊まって、朝を待ってから出発をした方がリスクは少ないものの、生憎と手持ちのお金が皆無だったりするのだ。
夜間は国境は封鎖されてしまうから行き来することはできない。国境の本当に目の前まで行ってそこで夜明かしするのも有りだけど、脱走奴隷がアルソナへ逃げるのを見越して縄張りにする奴隷狩りというのもいる。前回も遭遇した。あの時はギルがあっさりとやっつけてくれたっけ。
首輪も外れて魔術が使える今の僕なら遅れを取るつもりはないけどできるだけリスクというものは避けたい。自分だけならともかくリアもいるのだ。自分の身だって完璧に守れるとは思えていないのにリアも一緒に守って戦おうというリスクは負いたくなかった。
だから一泊したいけど先立つものがない。
どうしたものか。
「……うーん」
「…………」
ちら、ちら、とリアが僕をうかがっている。
どうするんだろうとでも思って見守っているんだろうか。
「お金がない時、どうするかっていうのは重大な問題なんだ。リアだったらどういう手段でお金を稼げると思う?」
「……はたらく、とか?」
「そうだね。まっとうな、大当たりの答え」
「本当?」
「うん。でもね、ただ働くと言っても状況によって考え方が変わってしまう。例えばちゃんと住んでいる場所があって、そこで任されている仕事があるならば、それをしていればいいよね。でも今は旅先で賃金を約束された職に就いているわけでもなく、短時間で必要なだけの金額を稼ぐための仕事をしなくてはならないんだ」
あ、ちょっとリアには難しすぎたかも知れない。酷く渋くて険しい顔をしている。
「つまり、定職にない人間が稼ぐ方法を模索するべきなんだね」
「…………」
日常的な会話はできるだけ分かりやすい言葉を使うようにしているけど、今後のためにも知っておいてもらいたいことをリアに話す時はちょっと難しい言葉も使うようにしている。今は意味が分からなくてもだんだんと文脈で意味を理解したりすることはできるようになっていくはずだ。そのためには地道な刷り込みが必要だと思っている。
「例えば吟遊詩人。街角で詩を
あるいは大道芸人。身のこなしや、誰にでもはできないパフォーマンスを披露する。物珍しさから集まった人が思い思いの金額を渡す。
こういった身一つ、あるいはちょっとの専門的な道具を用いた芸でお金を稼ぐ方法もあるのさ。
けれど僕らはそんなことをできない。詩をそらんじる程度はできるけど、そんなのはさして珍しいわけでもないし。レパートリーもないし。大道芸なんてことができるほど運動神経は良くないし」
「じゃあ……お金はもらえない?」
「うん、この方法ではね」
「別のがあるの?」
「そうだね。もっとまっとうな方法として、日雇いの労働に従事して日給をもらうというのもある。例えば工事現場なんかで働き手として使ってもらうとか。けれど今は夕刻で、すでに今日の工事は終わっているか、すぐに終わっちゃうくらいの時間だから、今から日雇い労働に従事することは現実的じゃあない」
「……お金もらえないの?」
「日雇いも無理ということになってしまうね」
だからこそ、こうも悩んでしまっているのだけれど。
「ただお金を手に入れようっていうのなら、悪い手段というのもある。窃盗、強盗、恐喝、詐欺……。悪事というのは数え切れないね。でもそんなことはしちゃいけない。この国――グラシエラの法は勉強不足でよく分からないけど、どんな国家であれ、認められることではないからこそ悪事と言われているからね。法を破れば罰を与えられる。また、法の外に生きるだなんて表現をする悪党の類はろくな末路を迎えないし、都合良く困った時だけ法に甘えるだなんてことも許されやしないんだ。因果応報と言って、悪事をしたのだから、悪事を加えられても文句なんか言えないということだね」
「……でも悪い人は、いるよ」
「うん。きっと、どれだけ先の未来だろうが、消えやしないだろうね。大なり小なり、人は悪事を働くことを考えてしまうし、魔が差して実行してしまうこともあるだろうから。罪や罰というものに対する見解はすごーく難関だし、これが答えだというのも見つけられそうにないから今は割愛するよ」
「……どうするの?」
ちょっと面倒臭そうなお顔になっているリアに尋ねられて、また、うーんと唸ってしまう。
「手軽にお金を得る方法としては、あとはやっぱり売買かなあ」
「ばいばい」
「品物を売り買いするっていうことだよ。手持ちの品を買い取ってもらうのさ。ただ、宿泊費に換えられるほどの物品というのがないような気がしてねえ……」
水筒とか売ってしまおうか。
でも二束三文だ。とても一晩の宿賃になるほどの価値はない。身につけているもので売ってしまっても良いものは、うーん、首輪なんていらないよねえ。というか、これは個人的にどこかで落ち着けた時、じっくりと調べたいから手放したくはない。
「あとはお金を借りるという手段もあるんだけど、借りたら返す必要があるでしょう? そのためにまたこっちへ戻るのは手間だから嫌なんだよね。踏み倒すなんてしたくはないし。それと旅人にお金を貸すお人好しなんてそうそういないんだよ。返してくれる保証がないから」
はてさて、困った。
街中で、路上で一晩というのが濃厚になってきた。果たして奴隷からストリートチルドレンというのはランクアップなんだろうか。
「……ねえ、あれ、何?」
考え込んでいたらくいくいとリアに引っ張られた。顔を上げてリアが示した方を見ると、人だかりが出来上がろうとしていた。
「何だろう。行ってみようか。はぐれないでね」
リアの手を取って人混みの中へ分け入っていく。いかんせん、身長の都合で後ろからでは何が何だか分からない。最前列まで出てくると立て看板に新しい掲示がされたようだった。
どうやら近隣で勢力の大きな野盗の集団が出没をしているらしい。その首領を捕まえたら金一封を出すよ、と。要するに賞金首の掲示だった。
だけどリスク回避を考えて宿泊をしたいのに、自分からリスクへ向かっていこうというのは本末転倒だ。
「捕まえたら賞金を出しますよっていうお報せだね」
「お金?」
「うん。でも、その人達が危ないから一泊しておきたいなっていうタイミングで、その人達に僕らから捕まえに行くのは意味がないからね」
路上宿泊か。野宿か。
もう、どっちでもいい気がしてきた。
いずれにせよ変わらなさそう。
結局は危ないことに変わりないのだ。それなら夜通し歩いて、国境前まで行ってのんびり朝を待つなんていうのもいいだろうか。
人さらいが出てくるところで野宿をするよりか、歩いている方がよっぽど注意力という意味では安心かも。寝てたら完璧に無防備なわけだし。
「悩ましいねえ……。このまま行っちゃおうか?」
「うん。エルは頭いいから、そうする」
「……リアもちょっとずつお勉強しようね。頭はどんどん使わないと、だんだんと使えなくなっちゃうから、自分の頭を動かしていくのは大切なんだよ」
「どうやって動かすの?」
物理的に首を使ってくい、くい、と頭を動かすリアがおかしくて少し笑いそうになる。
「そういう物理的なことじゃないんだよなあ……。簡単な計算から練習していこうか。歩きがてらにね。まずは簡単な四則演算は暗算でさくっとできるようになるのを目標にしようか。まずは数字に慣れることからかな。人の指の数は全部でいくつでしょうか?」
「指の、数……?」
「はい、数えて、数えてー」
「……10」
「ぶっぶぅー、指は手だけだったかな?」
「……数えられない、今」
「数えずに数を求めるのを計算と言うんだよ。さあ、計算してみよう。まずは足の指の数を思い出してごらん」
街を出て国境方面へと歩き出す。幸いにも天気が良い。夜もお月様と星明りで真っ暗ということはないだろう。
▼
「それじゃあ今度はね、ちゃんと両腕がある人が2人。片腕しかない人が2人。この4人で、腕の数はいくつでしょうか? 腕は肩から指先までで1本とします」
指折り数えつつもリアはがんばって計算を試みている。
火をかけた松明を手に歩いている。まだ奴隷狩りは出てきていない。このまま出くわさずにいたいけれど、妙に悪い人というのは熱心に働く傾向があるような気がする。
だからいつ出くわしてもいいよう、周囲の観察は怠らないようにしている。つもり。
「6……?」
「大当たり。そろそろ慣れて簡単になってきた?」
「もう無理……」
「じゃ、今日の算数のトレーニングはこれくらいにしておこうか」
「……明日には忘れてる、かも」
「大丈夫、大丈夫。こういうのは積み重ねだから。知らず知らずで身に着くんだよ。と、いうわけで。歩きながらだけど座学もしようか。何遍でも繰り返して話してあげるから、聞き流してもらってもいいからね。
算数。というか、数学かな。数というものは世の中において、絶対不変の真実なんだ。数字ひとつずつの言葉は言語的な理由で変化をしたとしても、数の数え方というものはどんな文化であれ変わらないということでね。
例えばあの夜空の向こうには、星がたくさんあって、それがこうして今、煌めきを僕らに届けてくれているけれど、あのお星様のどれかに僕らと同じように生命活動をする生き物がいて、文明を発展させているかも知れないよね。もちろん、遠い遠い、気の遠くなるほどの彼方にいるから、言葉も文化も、生態も、価値観も、何もかも違うかも知れない。けれど、1足す1が2であるということは変わらないんだ。
だから、そういう何もかも違う誰かと交流をする時に数字を用いることは有効じゃないかっていう考え方があるんだ。異性言語学といって架空のもの扱いなんだけれどね。
だから数字って面白いんだよね。他にもね、四色問題というものがあって、どんな地図だろうと4色あれば同じ色が隣り合わないように塗ることができるんだ。たったの4色だよ。すごくない?」
「……エル」
「うん?」
「……お話もうやだ……」
「……めんご」
ちょっと詰め込みすぎっぽかっただろうか。
でも面白いんだけどなあ、数学。是非ともがっつりのめりこんでもらいたいなあ。物理も面白いけど。
「ねえ、エル」
「はいはい。何ですか」
「……エルは、奴隷から変わったから、そうなったの?」
「うーん……難しいなあ、答えるのが。きっと、僕は本当はこうだったんだよね。でも何か、朦朧としていたというか、いきなり
あっ、このままじゃダメだ、って思ったんだよね。それできみ達を残してお先に脱走しちゃったんだ。
だから奴隷だったからどうこう、というのとは違う気がするな。僕はきっとレアケースだよ。珍しいタイプだって我ながら思うしね」
と、答えたところでリアを見たら難しい顔をしている。
「じゃあ……エルみたいに、なれない?」
「僕みたいに?」
「だって、エル……何か、違うから」
「違うかい? 一応の確認だけど、良い意味で、だよね?」
「うん。……何ていうのか、分からないの。でも……エルがね、こうやって、手を繋いでくれると、ぽかぽかする」
「……そうなの?」
リアに握られた手を見つめる。
ぽかぽか。表現が曖昧だけど悪い感覚ではないと思う。
「だから……エルみたいに、なれたら、嬉しい……んだと思う」
「なるほど。じゃあ今はリアの目標は僕っていうことになっちゃうのかな。だったら僕も、ちゃんとしていなくちゃね」
襟を正さなくちゃならない。今は襟のある服じゃないものの。
「初対面の人と挨拶をする時にね、握手と言って、お互いの手を握り合う行為をするんだけど、どうしてそんな挨拶が生まれたのかっていうのが諸説あって面白いんだよね。自分の手に武器を持っていません、敵ではありませんよ、あなたと心を通じ合わせたいんですって。そんな意味合いもあるようだね」
「こころをつうじあわせる?」
「そう。初対面の人と交わすことが多いからね、これからよろしくねって。お互いに良い関係を築きたいねって認識を共有するのさ。
手という一部分だけに注目しても、人間にとってとても大切なパーツと言えるよね。他の生き物は自分の文明というものを築くことはないけれど人は手というものを使って築けた。脳みその発達だとかっていうのも重要なファクターだけど、どれだけ頭が良くても手がなかったら発想したどんな単純な道具も作れなかったわけだし。そうそう、文明と言えば火の発明も大切なわけだけど、どんな動物も火を起こすことはできないよね。人は手を使って火起こしできるけれど。
そういう大切な手を取り合うという行為こそが、人を人たらしめるものだったりするのかもね。だから手を繋ぐっていうのも、何ともないことかも知れないけど大切なことかも知れない。リアは偉いね、ちゃんとそういうのを汲み取ったのかも」
「……何か、ちがう……」
「えっ」
ため息でも漏らされそうなくらいの発言だった。
何が違ったのだろう。褒めちぎったつもりだったんだけどなあ。無理があったのかなあ。あったんだろうなあ。
とは言え、リアに一方的に手は繋がれたままである。
気持ち、握られている強さが増しているような。まあでも手を繋ぐのが好きなんだろうか。自分の中から沸いてくる好きや嫌いに従えるというのは良いことだ。奴隷はそれさえも許されない。そこから本当の意味で脱却してもらうためには、どんどん好きなことを増やしてもらうべきだろう。
このまま無事に国境まで辿り着けるだろうかと思っていたら、ほとんど風もないのに茂みが動いて微かな音を立てた気がした。いつでも対応できるように注意深く、でも態度には出さないように歩き続けていたらいきなり、人が飛び出てきた。声も出さずに1人が飛び出すなり、別々の方向から合計で6人ほどが出てきて一斉に向かってくる。
「リア、そこを動かないでね。大丈夫だから」
松明を渡してからリアを守るための魔力障壁を張って<黒迅>を抜いた。
一番最初に迫ってきた人はこん棒を持っていた。あんなもので頭をぶっ叩かれたら当たりどころによっては死ぬし、刃がついていないということはとにかく力任せに叩きつければいいだけで使い勝手も良い。何より、奴隷にした時に手足がついてないと価格は下がる一方だろうから打撲や、せいぜい骨折で済ませられるという意味では最適解なのかも知れない。
とは言え、こんな低俗な悪事しか働けないごろつき同然の相手に遅れを取るつもりはない。<黒迅>でこん棒を叩き落としつつ、死角から迫ってきていた相手を躱すために反転する。ぶつかり合いそうになった2人にまとめて<黒迅>を突き刺して切り捨てる。
すると今度は
これで半分――リアに襲いかかって魔力障壁に阻まれていた男性をファイアーボールでぶっ飛ばす。
残った2人は途中で足を止めていた。きっと思わぬ反撃を見て観察に徹したのだろうけど、あっという間に4人をやっつけた僕が体を向けると目配せもせずに揃って別々の方向へ逃げ出した。
うめき声を上げながら痛みに苦しんでいる賊を背中から心臓目掛けて突き刺して楽にしてあげる。
「よし。行こうか、リア」
<黒迅>の血を払いながら声をかけると、リアは呆然としていた。魔力障壁を解いて近づくと僅かに後ずさられる。
「……あ、えと……しょうがないよ。襲われたら抗うのが普通だし、やらなきゃやられていた。そもそも法外のことをする相手なんて、必ずしも法で裁いてやる必要なんてないのさ。好き好んでこうしたわけじゃないから、あんまり怖がらないでもらえると僕は嬉しいな。……難しいかも、だけど」
返り血も浴びてしまったし、リアにはショッキングな光景だった。
怖がられてもしかるべきことで、それは理解ができる。
「エルも、人は、殺すの……?」
「……その必要がある場合はね」
「じゃあエルも……いんがおーほー、するの?」
そう言えば明るい時にそんな会話をしたっけ。
確かに殺人は法的に許されていることではない。
「そうだね。いつか報いを受けるかも」
「どうして、じゃあ、やるの?」
「いつかの報いより、目の前できみがまた奴隷として捕まえられたり、僕が奴隷にされる方が嫌だからだよ。もちろん、痛い目にも遭いたくなかったしね」
納得してくれたかどうかは分からないけど、そう話したらリアはハンカチを出して僕の顔の返り血を拭いてくれた。
そしてまたリアの方から僕の手を取って歩き出した。
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