#035 やさしい人にひろわれた

 目が覚めるとそこは森の中でした。

 ミステリーだ。ぼやける目でとりあえず周囲をうかがったら、少し離れたところで焚火をしている3人がいた。大人の男性が2人と、大人なのか、まだやや子どもに分類していいのか分からないお兄さん。

 僕の近くには<ルシオラ>や<黒迅>、篭手なんかの僕の荷物。あと服も。服?

 かけられていた毛布の下を覗いてみたら、包帯と言えばいいか、さらしと言えばいいか、そういうものが服の代わりであるかのように丁寧に巻かれていた。でも大切なところは包帯の巻きようがなかったからか、そのまんまだ。逆に卑猥。しょうがないけど。

 手当てしてくれているし、悪い人に拾われたという感じではないのかも。

 ああ、でも、今の僕には何かお礼をしてあげることができるだろうか。

「目が覚めたか。良かった」

 不意に声がした。焚火の方からお兄さんが来てくれる。

「気分はどうだ? 暑い、寒い、痺れる、吐き気がある、何でも不調があったら教えてくれ」

「ええと……まだ、ズキズキ痛いくらいです」

「痛みは相当に酷いよな。痛みを和らげる薬を用意しよう。他には?」

「……お腹が、減りました」

「最後に食べたのはいつだ?」

「覚えてないですけど……まともなのは、かなり前……」

「それなら固形物は食べられないな。消化のいいものを作るから時間かかっちゃうけどそれまで我慢な。俺はケント。旅の医者の見習いだ。よろしくな。お前の名前は?」

「……エル」

「よし。じゃあエル、今、ご飯を作ってくるから待ってろな」

 頭を撫でられた。にこっと笑いかけてからケントお兄さんは焚火の方へ戻っていく。見習いと言っていたから、あっちの2人がお兄さんの先生なのかな。

 何だか、すごく、とっても、やさしい。

 やさしくされただけで、どうしてこうも僕の涙腺は緩むんだろうか。


 ▼


 ケントお兄さんのお父さんがお医者さんのロニー先生。ケントお兄さんのお医者としての先生でもあるという。

 そして親子と一緒に旅をしているもう1人は、用心棒のヘルマンさんといった。用心棒とは言え、ロニー先生の昔からのお友達という縁故採用で、用心棒然としたバリバリな人ではなかった。

 食べた気のしないどろどろ流動食をご馳走になってしばらく休んでから、助けてくれた3人とお話をすることになった。

 わざわざお医者さんなのに旅をしているのは、単純にロニー先生が旅が好きだったというのと、貧しい農村であったりという場所ではお医者さんもいなくて病気にかかれば民間療法や迷信でとんでもないことをしているケースもあって、正しく処置すれば助けられる人がいるというのを教えたいからなのだと言っていた。ケントお兄さんはロニー先生を父親としても、医者としても尊敬しているというのが話しているだけで伝わってきた。

 彼らの身の上話が一通り終わったところでロニー先生が焚火越しに僕を見て少し躊躇をしてから尋ねてきた。

「尋ねてしまっていいものかとも思うんだが、きみはどうして……あそこで行き倒れて、そんな体だったのかな」

「僕の体を見たら、何となく察するところはあったかも知れませんけど……実は脱走奴隷って言われちゃう立場なんです」

「……脱走奴隷か」

「一度は自由の身になったんですけど事情があって、グラシエラに戻ってきてしまってそこで奴隷商に捕まってしまって……。再調教っていうのを」

「再調教というと、他の奴隷への見せしめや、二度と脱走しようという気を起こさせないための罰に近いものだな。苛烈なものだとは聞いていたが……」

 ヘルマンさんの眉根が寄って渋い顔でそんなことを言う。

「どうにか再調教からも逃げたんですけど、ボロボロにされちゃったので、行き倒れちゃって。でもお医者さんに見つけてもらえて良かったです。ありがとうございます」

「よく逃げられたな……。あれだけの傷、相当痛かっただろうに」

「大変だったね。これからどうするつもりだい?」

「アルソナに向かいます」

「アルソナ?」

「はい。前に脱走してからすぐ、アルソナへ向かって受け入れてもらったんです。いっぱい心配かけてる人もいますし……できるだけ早く、戻ろうと思ってます」

「だったら途中まで一緒に行かないか? 父さん、ヘルマン、いいだろう? 同じ方向なんだから」

「そうだな。どうかな、エルくん。きみもまだ傷は癒えてはいないし、ここで患者を放り出したくはない」

「でも迷惑になっちゃいますから……。脱走奴隷なんかと一緒にいたら、盗んだとか言いがかりをつけられるかも――」

「遠慮することはないから大丈夫だよ。患者は大人しく医者の言うことを聞けばいいんだから」

 被せ気味にケントお兄さんはそう言う。

 甘えてしまってもいいんだろうかと悩んでいたら、比較的、怪我の浅い手を取られた。その手にケントお兄さんは自分の手を重ねる。

「言うこと聞かないと、また途中で倒れちゃうぞ?」

「……うん、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。お願いします」

「ああ」

 気さくでやさしいお兄さんだ。

 どこかの気さくでも乱暴で、やさしいけど横暴なギルとは違う。正統派のお兄さんだった。


 心優しい彼らと打ち解けるのにそう時間はいらなかった。

 アルソナにはロニー先生とヘルマンさんが行ったことがあるらしい。僕がビンガム商会で働いていたという話をしたらすごく驚かれたけど、道理でしっかりしているわけだと腑にも落ちたらしい。ケントお兄さんはピンときていなかったっぽい。

 荷運び用のロバを彼らは連れていて、普段は荷物だけのところを僕もそこへ乗せてもらった。正直、歩くのも、ロバに乗るのも大差はなかった。いずれにせよ、痛い。でも歩かせる方が何だか心配という雰囲気を感じ取ったので乗せてもらうことにした。

「そう言えばエルの持ってるこの剣、立派そうだな」

「これはギルがあっさりくれたもので……正直、使いこなせてないです」

「ああ、例の書面上の兄貴? でも聞いてると酷い野郎だよな……。大事な襟巻きを勝手に質に入れるとか、働かずにエルに食わせてもらうとか、しょっちゅう遊び呆けてるんだろ?」

「まあ、正直ね……。困った人ではあるけど、でもここぞっていう時は本当に誰より頼りになってくれるから。何回も助けてもらってるし、ギルがいなかったらアルソナに辿り着くこともできなかったし」

「だからって、そういうことに胡坐をかきすぎな気もするなあ……」

 ケントお兄さんはあんまり僕が話したギルの人柄を気に入らないらしい。戦うことについて特化しすぎて、それ以外はダメ人間という口ぶりで話はしたものの、その戦うことの部分がやっぱりちょっと血生臭すぎるから色々とボカして告げたせいだとは思っている。

 それを差し引いても手がかかっちゃうのがギルだけど。

「今ごろ心配してるんじゃないか?」

「うーん……そうだね、きっと」

 本当は精霊器で強制睡眠状態だとかってヴァイオレットから聞いてるから、僕が置かれている状況なんて知りようがないし、失踪しちゃったということも知らない。だから心配のしようがないけど。

「思ったんだけどな、エル……」

「うん」

「……いや、やっぱり、いい」

「え。気になる」

「いや、本当にいい。少なくともまだ、今は。それより、ええと、そう。お前の考案したっていう料理を食べてみたいな。炭火だったか? それを使うだけでただ焼くだけでもおいしさが変わるっていうのは本当なのか?」

「うん。赤外線っていう目には見えないものが発せられるんだけどね、炭火が熱せられた単純な熱と、この赤外線による火入れを同時に行うことができるんだよ。普通は表面から中へじわじわと火が通るけど、それだと中が生で、表面が焦げ焦げになっちゃうこともあるでしょう? でも炭火の赤外線効果で、外にも中にもいい具合に火を入れられるようになるんだ。これで外側の焼き目もしっかりつけて、中もほどよく火を通すことができるっていう仕組みなんだけどね、副産物としてやっぱり人はちょっと、程よく煙っぽいというか、香りの部分でもおいしさを感じ取るんだよ。そこで炭火は焼いたお肉やお魚から滴った油を蒸発させて煙を出して、それを食材にまとわせることでさらにおいしさを引き出せるんだ」

「……いまいち分からないけど、つまり、火入れと、匂いが変わるって感じか?」

「そうだね、ざっくりだと」

「どこでそんなことを知ったんだ?」

「え?」

「え?」

「何かどこかで聞きかじっただけです」

「……どこかでって、お前……」

「門前の小僧習わぬ経を読む的な……」

「は?」

「あっ。そうだ。万能薬に近いお薬の精製法とか知ってるけど、聞いておく?」

「いや、医術はそういう本当に効くかどうか怪しいものじゃダメだ」

「そっか……。そうだよね。ケントお兄さんはしっかりものだよね。爪の垢をもらっておきたい……」

 ふと思い出した抗生物質ペニシリンについて話そうかとも思ったけど、僕もまだ試せてはいないし、まったくもってその通りなことを言われてしまったからやむなしだ。そして話題逸らしも大成功。

 確かにちょっと聞きかじった程度っていうのは無理があるよね。何か上手な言い訳とか用意できないかなあ。


 ▼


 小さな村に到着をして、そこでロニー先生が診療を始めた。空き家を借りての簡易診療所だ。お代はお金でも少額、多少の食料や消耗品との物々交換可、何もないなら無料診療というとっても良心的な診療だ。

 その簡易診療所となった空き家の奥の部屋で僕は寝かされた。別に起きてても寝ててもじくじく全身が痛いことには変わりないのに。何ならお手伝いするのもやぶさかじゃなかったけど、怪我人は大人しくしていなさいとケントお兄さんにたしなめられた。

「何だか、ちょっと診療に来る人が多い気もしますけどこういうものですか?」

 お昼になって休憩がてらのご飯を食べている時に尋ねてみた。

「話を聞いているとどうも、この辺で内乱というほどでもないが騒動があったらしい。それで動員された人が戻っては来たものの戦いで負った負傷はそのままで帰されてしまったとか言うらしい」

「ふざけた話だな」

「けっこう怪我が膿んだりして酷い状態の人もいた。でもどういう騒動だったんだろうな……。事情とか聞かされずに招集されたとか言っていたし」

「物騒な世情なんですね……」

「グラシエラは今、世継ぎ争いだ何だって揉めてるそうだしなあ。そんな上の不出来で巻き込まれる人はたまったもんじゃあねえよ」

 辟易としたようにヘルマンさんが言い、うんうんとロニー先生が頷く。世継ぎ争いとか、さっぱりピンとこない争いだけど実際にあるものなんだなあ。

「どうせ、誰が次の王様になろうが変わりやしねえのに、苦労ばっか押しつけられて……。やってられないな」

「グラシエラの治世ってどうなんですか?」

「どう、というのも難しいな……。特に俺らみたいのは旅暮らしで少し違うし。結局は領主次第だよな」

 そっか、荘園制か。

 どこまで僕の知ってる制度と同じかは分からないけれど、庶民が接する目上の偉い人間と言えば基本的には自分の土地の領主様というわけだ。

 そして中央――というか、多分、王様のいるところで権謀術数が渦巻いて、それに領主が進んで首を突っ込んで口を挟み、しわ寄せが庶民に行ってしまうと。やっていられないという指摘まさにはその通りだ。

 それからも3人は多分、その辺に流布されているのであろうグラシエラ王室のあれこれについて愚痴をこぼす。

 現王はじきに70歳を迎えるというご高齢で、健康的な観点からも早いところ次の王を決めなければならなかった。そもそもは第一王子という立派な後継者がいたものの、数年前に病死してしまったらしい。そのせいで後継者争いが勃発なんだとか。

 継承権で考えれば元第一継承権王子の弟の第二王子だったものの、長らく権力からは遠退いてしまっていたこともあって乗り気ではなかった。どうやら第二王子はその気がないらしいという話は瞬時に広まり、それならばと権力の欲しい貴族ひとびとがこぞって悪企みを始めてしまった。

 派閥に分かれてそれぞれ、「わたしはこの方を推す!」とか「いいや、次の王はこの御方である!」みたいになって、挙句に敵対する派閥の神輿おうしつのひとを暗殺しようだとか、そういうことも日常茶飯事だとか。

 困った話である。

 その暗殺の過程で「どこそこにあいつが視察行くらしいから村ごと野盗の仕業に見せかけて焼き討ちしてしまおう」とか。そういうこともあるらしい。もちろん、庶民は巻き添えに遭う。はた迷惑極まっちゃっている。

 本当に早いところアルソナへ帰りたい。

 でもまずはしっかり体を治すか、首輪を外さなきゃだなあ。

「ケントお兄さん、ケントお兄さん」

「ん? どうした、エル?」

「この首輪、ちょん切れないかなあ?」

「……どうだろうな。ちょっと待ってろ」

 ハサミを持ってきてくれた。慎重に首に刃の片方を通し、グッと力を込めてみて切れなかった。

「ダメだな……」

「ですよねえ……」

「錠前まであるし、鍵屋とかに頼むのが一番かもな」

「この村にはいない……よね?」

「多分な。もうちょっと大きなとこじゃないと」

 くそう、この首輪が恨めしい。

「あ、そうだ。あのね、ケントお兄さん」

「おう」

「安静にしてなきゃいけないのは分かるんだけど、ずぅーっと大人しくしてるのはね、ちょっとね、だからさ」

「外で遊んできたいのか?」

「うん、まあ、そんな感じ……いい?」

「そうだな……。じゃあすぐに戻ること、それと息が上がるような運動も厳禁。分かったか?」

「うん」

「よし、じゃあ約束は守れよ」

 また頭を撫でられた。

 久々の自由にお外を散策できる機会である。のんびり過ごそう。

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