#034 奴隷はつらいよ ~再調教サービスとかいう地獄~

「近くで見ると、ますますお嬢様好みだ。いやあ、高かったが良いものを手に入れることができた」

 オークションが終わって元のところへ戻されるとすぐに僕を買ったらしい人がやって来た。

「滅多に出回らない最上の品でございます」

「ところでね、アニエス。相談なのだがきみも知る通り、お嬢様は奴隷は従順なものしか買ったことはなかった。だがこれはそう従順ではないのだろう? どうにかならないものかね」

「それでしたら再調教サービスを無料でおつけいたしますわ。奴隷の用途に沿った調教を施しますが、どのような用途をご想定されますか?」

「大人しく従順にしていてくれればそれだけでいいよ。あとの調教はお嬢様が楽しんでやられるだろうから」

「かしこまりました。なるべく早く済ませますが、最低10日はかかります。個体差があるので延びる際は長期に渡ってしまうこともありますがよろしいでしょうか。途中でも良いと仰られるのであればすぐにお引渡しはできます」

「うん、じゃあそれで頼むとしよう。いつもすまないね、アグネス」

「いいえ。大事なお客様ですから。今後ともごひいきに」

 吐き気がするほど最低の会話を聞かされてしまった。

 いまだ僕は服の1着ももらえず檻の中へ閉じ込められている。鞭で叩かれた背中はいまだに激しい熱を伴って痛んでいる。

「良かったわね、ちゃんと買い手がついて。でも残念……。慰み用の調教を請け負えればたくさん楽しめたのに……」

「なぐさみ、よう……?」

「ああ、本当にもったいない……。役得を少しは期待していたのに。でも仕方ないわね。とにかく再調教をしてあげるわ。あなたは特別だから、わたしが手ずから、じっくりとやってあげる」

 ぺろりと彼女は妖艶に舌なめずりをした。


 ▼


 初めに与えられたのは、ただ理不尽な暴行だった。

 狭い、頑丈そうな地下室へ連れて行かれたかと思ったら、僕は裸のままに鞭でぶたれて、うずくまれば蹴られて、無理やりに引きずり起こされては頬を平手で叩かれてと、無言のままずっと暴行を加えられた。

 口を開いたらやめてくれとお願いをしそうになって、それが嫌でただ歯を食いしばって耐えようとしたけど、あまりの痛みに声を上げざるをえないことも多々あった。鞭で叩かれて腫れ上がったところへ爪を立ててじっくり、ゆっくり引っ掻かれたのも、抵抗虚しく仰向けにされたところで股間を思い切り握りしめられた時も、内ももを鞭で叩かれた時も、種類の違う激痛に声は発してしまった。

 どれほどそういう暴行が続いたか、喉が叫びすぎで痛くて、全身も赤くなって、ようやく終わった。

 そのまま動けずに眠って、かと思ったらいきなり顔に水を浴びせられて叩き起こされて、再び、長時間の暴行を受けた。

 初日よりも2日目、それよりも3日目と、日を追うごとに体に蓄積された傷のせいで痛みは跳ねあがっていった。

 お腹が空いたとか、喉が渇いたよりも、痛みの方が堪えがたかった。


 そして不意に、いきなり、彼女が口を開いた。

「あなたは奴隷よねえ。それなのにどうして、わたしをご主人様と呼ばないのかしら」

 硬い鞭の先で横向きに倒れる僕の肩から脇腹、腰へとなぞりながら、そう彼女は話しかけてきた。

「お呼びなさい、ご主人様と」

 言えば僕は奴隷になる。

 そうすればこの苦痛が終わるかも知れない。嫌だ。もう耐えきれない。でも、奴隷にはなりたくない。嫌な信頼だけど彼女はプロだ。どうすれば人を奴隷に落とすことができるのかを熟知している。

 だから彼女の言うことを聞いてはいけない。

 でもこれ以上は嫌だ。痛いのは嫌だ。怖い。逃げられる。

「ほら……ご主人様と呼ぶの。それとも、まだ足りないのかしら」

 鞭が止まり、振り上げられる。

 反射的に身を縮こまらせる。僕は、何なんだ。まるで地べたを這いつくばる虫けらじゃないか。情けなくて泣きそうになる。

 何でこの人の一挙一動に怯えてしまうんだ。

「そう。やっぱり時間がかかりそうね」

 風切り音がして膝の裏を叩かれた。

「あああ痛っ――やめ、っ……!」

 何と言ってももう止まらなかった。

 顔にだけは鞭は飛ばなかった。でもそれ以外を容赦なく鞭は攻め立ててきた。


 ▼


 早くこの再調教というものを終えてもらうために、言われるがままのことをすればいいのだろうか。

 地下室から去った彼女が残した、重く響く錠前の音を聞いて考える。

 痛い。とにかく痛い。寝ていようが座っていようが、床でも壁でも皮膚がどこかへ触れるだけで痛くてたまらない。ただ時間が過ぎてくれるのを待つしかできない。

 もう何日、ここに閉じ込められているのか分からない。

 顔以外の皮膚はぶたれすぎて擦り切れていないところを探す方が難しい。今となっては彼女を前に周知などは抱きようがない。僕の想像を超えた責め苦を、辱めを与えられ続けた。

 楽になりたい。

 ズキズキ、ジクジクと体中が痛い。時折、針で刺されたかのような痛みも突発的に訪れる。

 この痛みから抜け出したい。脱皮でもするように全身の皮膚を脱ぎ捨てられたらいいのにとおかしなことを思ってしまう。

 そう言えば前も魔力を封じられてしまったけど、あの時は案外すんなりと自力で解除できた。この首輪はどうなんだろう。いや、仮に魔術が使えても、あのアグネスという女奴隷商にはボロボロに敗れている。何をどうしたって、もう、僕はこのまま奴隷になるしかないんだろうか。大金を払って僕を買った人の奴隷なら、糞尿塗れの不潔な小屋で雑魚寝させられるということはないかも知れない。いいじゃないか。こんな暗い部屋で、嬲られながら過ごすよりもずっといい。

 僕は今は虫けらだ。それならまだ奴隷の方が、きっとましに違いない。少なくとも怒りを買いさえしなければきっとこれほどの罰を与えられることはないんだ。

 賢い選択をするのであれば媚びへつらって、ただただおもねっていればいい。そうすればもう痛い思いはしなくて済む。楽になれる。楽になる。

「…………」

 痛いのは嫌だ。

 もう嫌だ。

 でも奴隷になってしまったら、僕はもう僕じゃない。名前なんかできっと呼ばれやしないだろう。

 エルと僕を呼んでくれたやさしい人達と二度と会えなくなる。

 僕にエルと名前をくれたレティシアと、再会しようという約束を違えることになる。

 それでいいのか、僕は。

 良くない。

 絶対に良くない。

 それも嫌だ。

 だったら、僕は抵抗しなければ。決して奴隷になんて、なってやるものか。

 心を折られてたまるものか。

 この痛みも、苦しみも、屈辱も、全て僕が人である証明なんだ。


 ▼


「さ、食事よ。たっぷり召し上がりなさいね」

 粗末な器を手にアグネスはまた地下室へ入ってきて、それを床にぶちまけた。ただサボテンをむしっただけのもの。それも随分と萎えて、すでに食べきれなくなっているような状態で、ついでに言うならそのサボテンの欠片には芋虫が数匹くっついていた。

 そう言えば食事って久しぶりだ。どれくらいのスパンでわざわざ用意してくれているのか知らないけれど、前はこれを食べてしまった。その後に暴行を受けている間に外傷ではない猛烈な腹痛に襲われて、排泄さえも恥辱にまみれた。

 でも、今日こそはここを出ると決めた。

 だからお腹が痛くなるものを食べるなんてしない。

「……これは食事じゃない、餌だ」

「あら、自覚があるのね。偉いわ、じゃあ召し上がりなさいな」

「僕は餌なんてもの食べない」

「そう。じゃあ、いいわ。長く楽しめて……。ふふ、あなたのお陰でしばらくお金には困らないから、たっぷりと時間も取れるのよ」

 微笑を浮かべて彼女は鞭を持ち上げる。

「僕も時間を無駄にしちゃったから……ここからは、効率的にやるよ」

「頭を使う必要はないのよ。おバカな子の方がかわいいの」

「<ルシオラ>!」

 呼ぶといきなりアグネスはつんのめるように一歩前へ足を踏んだ。彼女が僕の<ルシオラ>をどこに身につけているのかは知っていた。間に障害物があってもまっすぐ持ち主のところへ精霊器は来ようとする。だからこうして彼女の姿勢を崩せると目論んでいた。同時に体当たりをする。

 怪力であろうとも、人体には構造というものがある。それを頭に叩き込んでおけば力を入れられないタイミングというものを計るだけで済む。分かりやすいのは関節、そして分かりにくいのは呼吸だ。関節がしっかりと曲がりきった瞬間に抑えれば易々と解放することはできない。そして力んだ瞬間に必ず呼吸は止めることになる。観察し続けるのだ。

 腕を回して<ルシオラ>を掴み取って奪還する。

 頭を掴まれてそのまま壁へ投げ飛ばされた。したたかに体を打ちつける。全身の骨がバラバラになってしまいそうなほどの痛みに歯を食いしばる。

「もう少しと思ったのに、持ちこたえるのね……。これからはもっと厳しく再調教をしてあげないと」

「やれるものなら、やってみろ……! 僕は奴隷になんかならない、人間だ!」

 啖呵を切るだけでも体中が痛む。

 そして体が震える。この数日――あるいは十数日、ずっとアグネスに与えられたのは苦痛だけだった。それが刷り込まれてしまっている。顔を直視するだけで足が竦んで怖くなる。それでも必死に吼えるしかない。子犬呼ばわりは好きにすればいい。でも首輪を繋いでおけるような忠犬なんかには絶対なるものか。

 何だかんだで魔術より<ルシオラ>の方がよほど信頼している気がする。例え魔力を封じられていようとも、少しずつでも相手を傷つければ僕の傷は癒えていくはずだ。ならば痛かろうが無茶だろうが、力の差が歴然だろうが、ただただ少しでも<ルシオラ>の刃でひっかく程度だろうが攻撃し続けるのみ。

 飛び出して<ルシオラ>を振るう。<ルシオラ>を振るったその軌道をすり抜けるようにアグネスの握り拳が迫ってきた。下腹部を殴り上げられる。空っぽの胃から吐き出せるものはなかった。必死に腕を振ってアグネスを切る。切るなんて言えない。本当にひっかく程度だけ掠めた。足払いをされて尻餅をついたら、そのまま鞭を振るわれた。一撃ごとに皮膚と肉が裂ける、激烈な痛み。痛みは体をひきつらせて身を縮こませてしまう。

 それでも僕の苦痛に歪む顔を見ようと手を止めるタイミングがあることを知っている。そこで痛みをおして、逆手に握り直したナイフでアグネスのアキレス腱を狙った。

「っ――」

 腱が切れれば歩行は困難となる。追っては来られない。走るなんてもっての他だ。だからまずはここを狙う必要があった。倒れてきてくれれば僕と同じステージだ。

「この精霊器<ルシオラ>は他者を傷つけるだけ、自分が癒えるんだ。

 僕が全快するまで、切り刻ませてもらうけど自分のしたことには責任もってよね」

「や、やめなさい、そんなことをしたところで、あなたは――」

「僕は今後、奴隷なんかになりやしない」

 <ルシオラ>を振るう。

 反撃を封じるために手首を突き刺す。手の腱までもを刺し貫くために。肩の裏へ刃をかけて引き裂く。腕を上げられなくなるように。

 悲鳴を上げる声を封じるために、頭を上げてあらわになった喉笛を引き裂く。

「奴隷になりたいとこいねがったとて、許しはしないよ」


 ▼


 しばらくぶりに外へ出ると、都合の良いことに夜だった。

 衣服も、<黒迅>も、古城で拝借した篭手も、レティシアにもらった大切な襟巻きも、そして自由も取り戻した。

 相変わらず全身は痛くて服がこすれるだけで痛くてたまらなかったけれど、やっぱり人は衣服を用いてこそだと思う。

 夜の内にこっそりと街を抜け出すことにした。一度、ギャラガーへ戻りたかったけれど道が分からなかったので、仕方なく街道をそのままなぞることにした。道案内の立て札でも途中にあればいいんだけど。


 しかし振り返ってみると、とてつもない経験をしてしまった。

 絶対に経験する必要はない類だった。人生経験とは言うけれどこういうのはさすがに不要だろうと思う。

「痛った……」

 ずきんと足のどこかが痛んだ。最早、どこかズキっとすると連鎖して色々と痛むからどこがという認識もできない。

 お腹も空いてるし、外に出て歩いていると何だか立ち眩みめいた眩暈が続く現象も起きてしまっている。なかなか弱ってしまっているということだろうか。ギルなんてどれだけ無茶な戦いをした後でもけろっとしてるから羨ましい。よくよく考えるとギルってまともに相手の攻撃を食らったりはしないんだけど。反射神経が良すぎるんだ。ずるい。

 早くギルと会って、色々と話したい。

 どれだけ僕が苦心してギルを起こしてあげたのか、その一点を伝えるためだけに三日三晩寝かさずに言い聞かせたい。

 おかしい。

 また僕、寂しがっている。

 どうしてまっさきにギルに報告したいって思っちゃうかなあ。

 よりにもよってだよ。本当に。

 別にエイワスさんに苦労話をしたっていいのに。そう言えば元気かなあ。何にせよ、ラ・マルタへ帰ろうというのなら途中でヘイネルは通るし、僕がいきなり失踪しちゃったという報せが入っているかも知れない。

 ああ、また心配かけちゃっているのか。早く帰らなきゃ。

 それにしても体が痛い。

 ヒリヒリ、ズキズキ。

 たまにかこーんと膝の力が抜けかける。愛用してた僕の杖が恋しい。あれさえあればなあ、体を労わって歩けていたかも知れないのに。

 いや、そもそもこの首輪だ。これの鍵がどこを探してもなかった。<ルシオラ>で切ろうともしたけどやたら頑丈だった。魔導器だから簡単には壊せないということなのかも知れない。この邪魔な首輪さえ外れればすぐに傷は治せるのに。

 ため息を漏らす。

 何か食べたいけど、何も食べものがないし。

 早いところ、別の人が住む町なり集落なり村なりに辿り着きたい。

「おっ、わ――」

 何もないのに躓いて転んだ。

 痛い。お膝擦りむいちゃったかな。

 というか何もなくて転ぶってどれだけさ。そして何だか起き上がれないんだけど、これもどれだけなのさ。

 思い返せばずっと気を張ってたし、そこに肉体的な苦痛と、精神的な苦痛のダブルパンチの嵐だったからなあ。仕方ないんじゃないかなと自分を擁護したい気持ちはあるものの、行き倒れるのは普通に危ないし、また別の奴隷商にでも捕まっちゃったらみっともなさすぎる。

 でももう何か、限界。

 お布団なんかなくたって、人間は眠れてしまうんだもの。

 できることならこのまま目覚められますように。間違ってもこれが天寿ではありませんように。

 おやすみなさい。

 いい夢見たいです。

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